1683.次の社会発展について



同志社大学一神教センタでの天外さんの講演を紹介して、その発展
系を考えよう。 Fより

今後の社会は、真善美の深美意識が重要になる。宗教性ともいうこ
ともできるが宗教組織には問題があるために使いたくない。
今後の深美意識社会を超自我社会とも言える。

近代・現在資本主義はエゴの肥大、エゴの暴走により近代文明を推
進・活性化させてきた。理性や科学性、合理性が重要で、その上に
自我の確立を促している。理性と自我の確立した人間は、それぞれ
期待される役割を担うために仮面を着けて、その役を演じている。

しかし、その役としての理想的な人間と、自分の衝動や欲とは相容
れないことが多い。このような欲求と仮面の理想像との差が、影を
作り、この影を解消させるために敵を作る。このように戦いや悲劇
が起こる。

もう一方で、自分の希望、生き方などを見失っている人が多くいる
のです。。自分が何になりたいかが分からないか人生の意味が掴め
ないという人たちである。自我が確立できてもこのようになる。
この問題を今までの心理学では解決できない。今までの心理学は自
我の確立を目指していたためで、自我が確立するとそれで終わり。

しかし、米国のベンチャーで成功した人が、数年立つとうつ病にな
っている。それは、この人生の意味が見出せないということのよう
である。

理想的な人間として同じことが中世でも行われていた。中世は宗教
の時代であったが、魔女狩りや異教徒を悪魔として数百万もの人が
殺された。
このメカニズムは、依存心を持つ自我の確立がない信仰者に対して
聖職者が理想的な聖職者を演じる必要があったためで、聖職者の役
割としての仮面と人間としての欲との差は大きく、この差・影の解
消が魔女や異教徒という敵を作り、かつ敵を生み出し続けたことで
、悲劇が起こったのです。

麻原も同様な過ちを犯している。現代の宗教組織にもこのような論
理が成り立っている。このため、現代の宗教組織も異教徒に厳しい
。万人の平和を志向できないでいる。911以降、イスラム教とユ
ダヤ教、キリスト教右派の戦いにもなるのです。共産党や独裁国家
にも、同様な論理が働き、多くの犠牲者が出るのです。

そして、この戦いが今の近代社会でも起こっている。人生の意味が
掴めない。この解消には超自我、自分を超えた存在(神)と繋がっ
ているという感覚が必要になる。これを得るためには理性では習得
できない。

瞑想などで自分の心と向き合い、かつ自分の内部にある声を聞くこ
とが必要になる。最終的に神と自己が一体であるという感覚を持つ
必要がある。この状態が超自我である。

自我の発展は、生まれてから3歳ごろまでは、初期自我で自分の思
いが中心。3歳程度から両親に依存し、しつけで制御される中期自
我。そして、両親から自立する後期自我。そして自分から離れる超
自我になる。

この発展の仕方の説明は、禅の心のあり方を示した十牛図で既に示
されている。これの西洋的、心理学的な説明なのでしょうね。

社会はそこに生きる人間の魂レベルの重心点で、社会の構成が変化
するというが、日本は日本語やその日本という霊性が高い環境から
、多くの人が超自我に目覚めだしているように感じる。自我の段階
では、自己の問題を解決できないと感じている。

このコラムを精神世界に少し寄せただけで、アクセス数が大幅に増
加している。それだけ、自我から超自我への移行に興味を持たれて
いるであろう。しかし、今までの宗教に胡散臭さを感じているよう
にも感じる。日本の宗教が日本の行く道を霊性の高い立場から指導
をしていないと感じているからでしょうね。坊主や宗教集団が敵を
作り、自我丸出しであるからだと思う。そこに胡散臭さを感じるよ
うだ。

そのため指導者が、本当に霊的に高いのか疑問視しているからでは
ないでしょうか??もう、宗教という組織や指導者が必要ない時代
で、自分でまたは仲間と霊魂を高める修行だけをしたいと感じてい
るように思う。

心理学の瞑想(イメージトレーニング)や禅の瞑想や滝修行など個
人の修行で行う集団ができている。天外さんも既存の宗教とは違う
マハーサマーディ研究会を主催している。

そして、日本を指導する指導者たちが、超自我を手に入れて、日本
の問題や世界の問題を瞬時に気が着くことが必要になっている。
これは世界的な危機が迫っているためである。中国・インドの経済
的な発展による環境の悪化や米国とイスラム社会との宗教戦争・悪
魔との戦い(ハルマゲドンという地球の破滅)など、この地球の人
間を含めた生命に大きなダメージを与える危機に即座に対応策を練
る必要があるからです。

霊性的なレベルが高いローマ教会やチベット密教のダライラマ、イ
ンディアンの祈祷師や欧米の神道研究者やトランスパーソナル心理
学者などとも連携しながら、国民の霊性的レベルが全体的に高い、
第2の経済大国の日本の使命として推し進めることが必要になって
いるように感じるが。

廓庵禅師 十牛図
http://homepage3.nifty.com/sanbo-zen/cow.html
マハーサマーディ研究会
http://www.mahasamadhi.jp/tenge.htm
==============================
炎の陽明塾  http://www5.ocn.ne.jp/~youmei/trapa.htmから
私Fは、関係していないのでありからず。

21世紀は、経済成長よりも意識の成長に重きが置かれる。
21世紀のリーダーは、少なくとも今の社会に適合してバリバリと
活躍している人ではないだろう。むしろ、今の社会のドロップアウ
ト組の中に次世代を担う希望の星が潜んでいる可能性が高い。

これから私たちが直面する社会大変革のカギは、理性至上主義の崩
壊であり、従って理性と論理に立脚した従来の学問をいくらひねく
りまわしても何も見えてこない。
今後、保守的なアカデミズムは、次第に歴史から取り残されていく
だろう。

次世代のリーダーは、長老である。長老は、心理学手法の熟練度に
加えて、困難さから逃避せず、紛争の炎に絶える強靭さがあり、プ
ロセスの中の叡知を発見する繊細さがあり、霊性の高い全人格をさ
す。

近代文明社会の指導者と長老の違い
指導者は、「ロバートの秩序の法則」に従うが、長老は「霊」に従
う。指導者は多数を好むが、長老はみんなの味方をする。
指導者はトラブルを見ると、それを止めようとするが、長老はトラ
ブルメーカーが何か教えてくれようとしていると捉える。

指導者は正しくあろうとして骨を折るが、長老は全ての中に真実が
あることを示そうと試みる。

民主的な指導者は、民主主義を支持する。長老はそれも行うがまた
独裁者やゴーストにも耳を傾ける。
指導者は自分の仕事をうまくこなそうとするが、長老は他の人たち
も長老になるように促す。

指導者は賢くあろうとするが、長老は自分自身の考えを持たず、自
然の出来事に従う。
指導者は考える時間を必要とするが、長老は何が起こっているかを
自覚するためにほんの一瞬を要するだけである。

指導者は知っているが、長老は学ぶ。指導者は行動しようと試みる
が、長老はなるがままにまかせる。
指導者は戦略を必要とするが、長老はその瞬間から学ぶ。指導者は
計画に従うが、長老は神秘的な未知なる河の方向性を尊重する。

次世代は、深層民主主義の時代となる。

深層民主主義では、次のような問いかけが重要となる。

何か興味深いことに気付いている人は居るだろうか?
ここは、どんな感じがするだろうか?
ほとんど気付くことのない何かを夢見ている人はいるだろうか?
大地の「霊」は何と言っているだろうか?
他にどんな「霊」が存在しているだろうか?
あなたは何を感じているだろうか?
誰が心地良く、誰が心地良くないと感じているだろうか?

天外伺朗 「深美意識の時代へ」より

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