1674.日本国の刷新・再生と山岡コラム



◯ 「日本国の刷新・再生」(23) (nss0406.txt)
             21世紀研究会  永田通
                   n21cq@yahoo.co.jp

★ ★『日本国壊滅の危機が徐々に近づいている。その解消手法や
如何』★★

★ 『本文項目の要旨』

 1、日本の本当の危機が、再び現実のものと成りつつある。
 2、財政の恒常的赤字体質が深刻な問題。
 3、少子少孫化による日本民族激減は、日本の構造体質を激変さ
せる。

 4、巨大金融勢力は、日本の首都圏を拠点の一つに設定した。
 5、皇室内部の統一意思に乱れを懸念する。
 6、日本の統帥権(軍隊の最高指揮権)の所在は、既に米国にあ
る。

 7、エネルギー・食糧・少子少孫化・男系天皇・情報分散・精神
力等、日本人が断行すべき必要分野は多々ある。
 8、21世紀は、苛烈な闘争を予見。平和ボケは、抹殺される。


★ 『本文』

◇ 1、近代日本国の危機は、幕末以来幾度かありました。しかし
、第二次大戦後の思わぬ経済的繁栄で、すっかり忘れられていまし
た。ところが、幾つかの要因が重なり、本当の危機が、再び現実の
ものと成りつつあります。

◇ 2、先ず、官(国家と地方自治体)の財政状況悪化があります
。国家財政の10年分の累積赤字が、戦争や大災害のような一過性の
ものではなく、恒常的に増え続けている点に注目すべきです。

 2-1、前項のような赤字財政体質は、人間でいえば、極めて悪化
した成人病患者に相当します。その場の対症療法では、到底改善不
可能であり、深刻な大問題です。

 2-2、歳入増のメドは小さく、歳出を抜本的に見直さざるを得ま
せん。国民の官への依頼心(補助・支援・福祉等)を一掃すること
から始める必要があります。

◇ 3、次いで、日本民族の激減傾向が完全に定着して来た現実が
あります。女性が一生に産む子供の数は、「2人」以上でないと、
人口が維持できません。それが、1.29まで低下しています。回復の
兆しはありません。

 3-1、少子少孫化による人口激減は、日本の国家体質・財政規模
・公共投資・インフラ・年金福祉・治安防衛等あらゆる国家戦略に
劇的大変化をもたらします。これまでの延長線発想は、全く通用し
ません。

 3-2、子作り断然優遇策かクローン人間を、現実的に事実上、考
慮し実践する必要があります。

◇ 4、第三は、「闇の勢力」による株式(企業)と首都圏不動産
の買収が、水面下で着実に進んでいることです。外国人の日本株保
有比率が、既に21.8%と過去最高に達しています。円高もその一環
として捉えるべきです。

 4-1、グローバルな巨大金融勢力が、米国・欧州に加え、日本の
首都圏を拠点の候補地と選定したと申せます。

 4-2、前項は、日本にとって利点(経済・防衛等)もありますが
、大部分の日本人の場合、奴隷化・家畜化・消耗品化(使い捨て)
を促進することとなります。

◇ 5、第四は、皇室内部の統一意思に乱れ(?)が見られ、大変
心配であります。皇太子の二度のご発言が危惧されます。

 5-1、天皇を中心とする皇室は、非常に多くの日本人(日本民族
)にとって、極めて強い精神的な支えであります。この支えがあっ
たからこそ、1945年敗戦後の武装解除が円滑に実行され、戦後の経
済再起を成し遂げたのであります。

 5-2、皇室の動揺は、日本人の分裂気運(女帝でいい、皇室の権
威の軽重度合い等)を促進します。「闇の勢力」が欧州を舞台にし
て、王室崩壊・転覆・革命を計画・実践して来た歴史を噛み締める
ことが重要です。

◇ 6、第五は、実質的な統帥権(軍隊の最高指揮権)が、米軍(
米国の大統領とその背後勢力)に移行しています。

 6-1、明治以来の統帥権は、天皇にありました。敗戦後は、形式
上総理大臣にあります。しかしながら、イラクへの自衛隊派遣等の
実体を見ていると、国会の決議如何よりも、米国の意向(意思)次
第となっております。

 6-2、敗戦国の統帥権は、戦勝国に移行することが、歴史の通例
とはいえ、戦後60年近くを経ても、日本が自主権を確立できないこ
とは、国防を過度に米国依存を続けて来た欠陥のツケに原因があり
ます。

 6-3、21世紀の動乱世界を予見すると、日本の自衛隊は、米軍の
先陣部隊化・消耗品化の危険があります。いずれ徴兵制度も視野の
内になると予測しております。

◇ 7、日本が自力で、壊滅の危機を解消する手法の手掛かりの幾
つかを以下に述べます。

 7-1、エネルギーと食糧の自給体制を確立することです。エネル
ギーは「水素核融合」を必至に研究して実用化しなくてはなりませ
ん。食糧は、肉類の消費を抑え、穀類(米作)中心に、農地法を完
全廃棄し、工場生産方式に全面改変する必要があります。

 7-2、少子少孫化を抜本的に解決することが肝要です。他の福祉
を全廃してでも、子作り・子育てに予算を集中しなくてはなりませ
ん。万一に備えて、クローン人間の研究と実用化は欠かせません。

 7-3、皇室の伝統を重視し、「皇族の国際親善」よりも、「男系
天皇の権威の確立」を完全なものとすることを先行すべきであり、
且つ遙かに重要であります。

 7-4、闇の勢力等海外グループに、恣意的に日本人の一括管理を
させることを予防する必要があります。このため、情報の集中を排
除し、「納税番号制」や「金融所得一体課税」の如き仕組みは、絶
対に採用してはなりません。

 7-5、外国に対して、「NO」と言える精神力を日頃から養って
置くことが非常に大切です。

◇ 8、21世紀の世界は、エネルギー・食糧・資源を争奪する苛烈
な陰謀・謀略・闘争の連続が予見されます。平和ボケの国家国民は
、必ず抹殺されて行きます。
(nss0406.txt完)
==============================
件名:政治座談会「日本政治の針路を語る」  

憲法・「教基法」改正視野に
 憲法改正、教育基本法改正など緊急課題が山積している。目前には参議院選挙を控え、
 小泉政治への審判が下される。そこで、参議院自民党幹事長の青木幹雄氏、政治評論家
 の細川隆一郎氏、木下義昭・本紙主筆(社長)が日本政治はどう進むべきかなどについ
 て語り合った。
出 席 者

参議院自民党幹事長 青木幹雄氏 

政治評論家 細川隆一郎氏 

本紙主筆 木下義昭 

国の繁栄守り抜く政治を
「小泉政治」で改革を続けよ 細川氏/政権政党の公約は重みある 青木氏/「良識の府」
参議院の自覚を 木下

 そういう中で、この三つの選挙が二年以上なかったのは三回しかないんです。一回は二
 年十カ月ありました。もう一回は二年七カ月でした。もう一回は二年三カ月でした。

 目の前に大きな選挙が迫りますと、全員とは考えていませんが政治家は、選挙に勝たな
 ければいけませんから思ったことが言えない。

 しかし、今度、参議院選挙が終わりますと、戦後、初めて三年間、何の選挙もない時代
 になるわけです。これはもちろん衆議院を解散しないという前提ですが、自民党が勝て
 ば解散しないと小泉首相は言ってますから。

 なぜそういう話をするかと言いますと、昭和五十四年から今申し上げた二年十カ月、二
 年七カ月、二年三カ月が続いたんです。その時に消費税や国鉄の民営化、電電公社の民
 営化をやりました。選挙を挟むたびに負けたり勝ったりはあり得ましたが、目の前に選
 挙のない安定した政権が続くことによってできたんです。

 ですから、憲法と教育基本法の問題をしっかりと解決していくには、やはり安定した政
 権が続くことが前提です。そういう意味で、国の将来を考えた時、マスコミにも気兼ね
 しないできっちり議論をし、つくり上げていく恐らくラストチャンスではないかと思っ
 ています。

 細川 私は、小泉さんを倒してどういう利益が日本政治にあるかということを考えれば、
 倒さずにここしばらく彼のやりたいことが実現されるようにした方がいいと思います。
 百%といかないまでも、70―80%最重要政策を実現すれば、それは日本の改革の第
 一歩になると考えます。

 木下 先ほどから青木幹事長は、参議院選挙について自民党は厳しいとの見方を述べて
 いますが、小泉内閣の支持率などからすると「単独過半数」も取れるとの見方もありま
 す。ただ、「日朝・拉致問題」「景気」「年金」など難問山積で、小泉政権にこれ以上
 期待できないという声も強くなりつつある。

 青木 私は厳しい選挙だと思っています。現在、五十一議席持ってます。ただ、正確に
 は五十議席になっています。鹿児島の森山裕さんが改選議員でしたが、山中貞則さんの
 後、補欠選挙で衆議院に回ったからです。

 この五十一議席を守るのが大変だという発言をいろんな会でしますと、それは勝敗ライ
 ンを下げておいて責任逃れするのではないかと言う人がいます。しかし、決してそんな
 生やさしいものではありません。

 なぜ厳しいかと言いますと、私どもは六年前に先ほど申し上げましたように、大変な大
 敗を喫しました。

 どれだけ負けたかと言いますと、東から青森、岩手でも負けました。東京、神奈川、埼
 玉、山梨、愛知、和歌山もそうです。そして綿貫前衆院議長の地元の富山も議席がない
 んです。森喜朗さんの地元の石川もない。大阪、京都、兵庫もない。山口、沖縄、徳島
 もないんです。それだけの大敗を喫したんです。

 それだけ空白区があるから、今度の選挙はそこで取ればいいから、増えるのではないか
 と言われます。確かに、そこで取れば増えることは計算上、よく分かります。しかし、
 そういう空白区、相手が現職のところは、野党の皆さんも六年後には必ず自民党が議席
 を奪還するために強力な候補を立ててやってくるんだということを十分、分かっていま
 すから、六年間、一生懸命やってきています。そこへ我々は新人をぶつけるわけですか
 ら、空白区だったところがそう簡単に埋まるとは考えられません。

 それからいま一つは、参議院には比例制があります。現在、五十一人の中で十七人が今
 度の比例の改選議員なんです。すると三年前、小泉ブームで二十取ったんだから今度は
 ブームがなくても十七は取れるだろうと、そういう計算になります。しかし、これもそ
 う簡単にいきません。

 十七人の比例の内容を見てみますと、三人はついこないだまで保守新党にいた人です。
 そこから来た人が十七人のうち三人いるんです。決して私は一緒になった政党の悪口、
 弱さを言うわけではありませんが、三年前のあの小泉ブームの時に保守新党は、扇さん
 が一人だけ当選できたんです。しかも自分で六十万票、扇という名前書かせたんです。
 そこの現職を三人引き受けて十七人ですから、実質は十四人と同じです。

 しかもこの十四人の中で九人が今回、引退です。すると六年前に当選した生粋の自民党
 の議員は五人しかいない。しかも全国を相手に戦う選挙です。新しい人の名前を書いて
 もらうのは、そう簡単ではありません。ですから比例も厳しい。

 細川 しかし、自民党は政権政党でありますから、絶対に勝たなきゃいかん。野党に負
 けてはいかん。勝つということは、私の希望を申し上げれば、参議院の三分の二ぐらい
 の議席を取る勢いでなければ勝てないだろうと思います。

 青木 前回の衆議院選挙から聞きなれないマニフェストという言葉が出てきました。こ
 れは政権公約ということです。政党と政党が戦う選挙ですから、お互いが政策を掲げて
 戦い、国民の皆さんの審判をいただく。これ自体は、正しいことだと思っていますし、
 そうならなければいけません。

 しかし、難しいのは、政権与党と野党の違いです。私ども政権政党は長い間、日本の政
 権を担当してきました。ですから選挙の時に政権政党が掲げる政策は守らなければいけ
 ない。今度の参議院選挙で自民党が皆さんの前に示した公約は、選挙が終わったあとで
 十七年度の予算に反映しなければいけません。そうしなければうそをついたことになる。
 しかし、野党の皆さんにはその責任は一切ありません。選挙に勝てばいいマニフェスト
 ですから。

 一つの例があります。私たちは物心がついた時から日本の国旗は日の丸だと思っていま
 す。国歌は君が代だと思ってます。しかしながら、この日本の国旗と国歌が決まったの
 は、つい五年前なんです。平成十一年に正式に国会で決めました。その時に今の民主党
 の皆さんが衆議院の本会議でどういう投票したか。四十五人が日の丸、君が代に賛成し、
 四十六人が反対の投票を衆議院本会議で行いました。

 日の丸、君が代に対する考え方も違う、そういう方たちの集まりである民主党に、日本
 の政治を任すことがいいことなのか、考えていただかなければならないと思っています。

 細川 民主党の中には旧社会党崩れも交ざっています。日の丸・君が代反対、憲法も論
 憲というだけで改正することは毛頭考えていない。

 木下 参院の存在意義についてですが、「参院無用論」もありますが、やはり「良識の
 府」参院という自覚に立って、国の重要課題については与野党の立場を越えて取り組む
 ことができないといけない。そうすれば、「参院無用論」は消え、「良識の府」と認め
 られるでしょう。

 青木 私ども参議院は世界中で一番恵まれた環境にあると思っています。というのは六
 年間、解散が絶対ありません。法的な間違いをしない限り最高の待遇を受けて身分が保
 障されてます。地方議員の皆さん、四年です。衆議院の皆さんも四年です。しかし衆議
 院の皆さんは解散があります。日銀の総裁は五年なんです。しかし再選がありません。
 私どもは選挙に勝てば何回でも再選があります。だから、そういう参議院こそ教育、外
 交、防衛など継続性のある国の将来にかかわる政策に取り組んでいかなければいけない
 と考えています。

 しかし、ついつい五年間は選挙も考えずにみんなが気楽にやって最後の半年、一年で選
 挙をやろうとするから厳しいのが参議院です。その辺は一遍には直りませんが、一人一
 人がよく考えて参議院の在り方と同時に考えていかなければならない問題だと考えてま
 す。

 細川 昭和三十年に保守合同をやりました。三木武吉と大野伴睦、緒方竹虎、石井光次
 郎という四人の傑物がいて、出来上がったんですが、その時は憲法の改正、占領軍撤退
 に伴い軍備を充実する。あるいは世界経済の中に入っていく。社会保障等々ありました
 が、憲法改正あるいは教育基本法の改正、そういう国家の基本となる政策を実行するた
 めに、仲の悪かった自由党と民主党が、ひそかに合同の工作が行われ、大問題を解決す
 るために自由民主党が出来上がりました。

 私は民主党の岡田代表にかつて、「あなたは保守合同をする気はないのか」と聞いたら、
 あの代表は、全然考えていませんでした。自民党と一緒になることは何か国賊と一緒に
 なるという間違った考えを持っているんです。

 民主党の中に何人おるかよく分かりませんが、本当に国家を改革しようというならば、
 自民党と一緒になってやる以外に方法はないんです。

 選挙がどういう結果になるか分かりませんが、民主党の中などをよく精査して、本当に
 国家のためにともに歩もうという同志が必ずいるはずです。それから民主党も自民党を
 よく見て、しっかり話し合うと、そういう芸当のできる方が出ない限り、私は日本は必
 ず崩壊すると思います。

 青木 保守合同の問題については、衆議院の今の選挙区制度が非常に問題ではないかと
 思っています。この制度ができる時、参議院は本会議で否決しました。もう一回、衆議
 院に後戻りしてできたのが今の衆議院の選挙制度でして、民主党の中の若手の皆さんと
 話をしてると、我々とほとんど同じ考え方なんです。空いたところがないから俺たちは
 民主から出ざるを得ないと。

 要するに小選挙区で安定した選挙区ができると、世襲につながったり、小さい範囲です
 から、自分のよく知ってる人を後継にしようとしてしまう。そういう中で若手の優秀な
 人が自民党から出たくても空いた場所がないと、民主党から出るというのが現状です。
 私は二大政党というよりも保守が合同できない一つの大きな原因は、今の選挙区制度に
 あると思っています。

 ただ、選挙を前にしていますので、民主党と一緒になるかならないか、それがいいか悪
 いかの答えは、私の立場で現段階はできません。

 木下 党利党略に走らず、国と国民の繁栄と生命を守り抜く、そういう政界、政治であ
 っていただきたい。本日はありがとうございました。
  世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:超少子化対策で家庭の大切さや子を産む結婚制度の「神聖さ」  

超少子化対策で家庭の大切さや子を産む結婚制度の「神聖さ」を強調できなかった大手各
紙
日本人消滅する計算
 厚生労働省が十日発表した二〇〇三年の合計特殊出生率(十五歳から四十九歳までの女
 性の年齢別出生率を合計したもので、一人の女性が一生に産む子供の数に相当)が政府
 の中位推計の1・32を大幅に割り込んで1・29と過去最低を更新した。大手各紙とも危
 機意識を前面に打ち出し、各種の少子化対策を講じるよう求めているが、家庭の大切さ
 を訴えるまでに至らなかった点は残念である。
 出生率は一九四七年に4・54だったのが五五年には2・37に低下、さらに七五年に1・
 91と2・0を割り込み、一貫して低下を続けている。人口の減少を食い止めるには出生
 率が2・06以上になることが必要だ。この調子でいけば西暦三〇〇〇年には日本民族が
 消滅することになるが当面、超少子高齢化は日本の経済社会に大きな影響を及ぼす。

 まず、早急に実施しなければならないのは年金制度の抜本改革だ。すでに今月上旬の四
 日、年金改革関連法が国会で成立したが、改革とは言っても現役世代が退職世代の年金
 を賄う賦課方式であることには変わりはない。超少子高齢化が加速すれば保険料収入が
 減り、一方で年金給付額が増大するようになるから、制度の破綻(はたん)は目に見え
 ている。

年金抜本改革の論調

 読売や毎日が「与党は、改正法が成立したからと安心している場合ではない。自民、公
 明、民主の三党合意に沿い、年金制度の一元化を含めた、社会保障制度の抜本改革に、
 一刻も早く着手すべきである」(読売十一日付社説)、「年金改革の前提となっている
 人口推計に初めから誤りがあったことが分かり、(年金制度の)持続可能性に赤信号が
 ついたのだから、年金論議をもう一度やり直すのが筋だ」(毎日同)などとしている通
 りである。

 なお、厚労省が年金改革法の成立後に二〇〇三年の出生率を発表したのはいただけない。
 大手各紙も、「年金改革の論議に欠かせない出生率の公表が遅れたことを、野党は批判
 している。当然だろう」(読売)、「それにしても年金制度の根幹にかかわる出生率の
 ようなデータが、なぜ国会の年金審議中に公表されなかったのか。疑念が残る」(朝日
 同)などと批判している。

 さて、超少子高齢化はわが国の経済社会に基調的に大きな影響を及ぼす。厚労省は、労
 働力人口が〇五年の六千七百七十二万人をピークに二五年には六千二百九十七万人にま
 で減少するとしているが、同省の推計には希望的観測が交じっているから、現実にはも
 っと減る公算が大きい。そうなれば、潜在的な経済成長率は低下しよう。それは、経済
 の活力の喪失から税収の低迷を招き、財政悪化を助長することにつながる。財政面から、
 公的年金制度を含む社会保障制度は大きな危機に直面しよう。

 このため、経済界では日本経団連が四月に発表した「外国人受け入れ問題に関する提言」
 で、外国人労働者の受け入れを要望している。日本経団連では、透明性の高い受け入れ
 体制を確立することを求めているが古来、単一民族であることを継続してきた日本が、
 外国からの労働移民を受け入れるようになれば、民族的な摩擦が頻発するようになり、
 社会的なアノミー(緊張状態)に陥る公算が大きくなってこよう。

 いたずらに外国人労働者の受け入れを拒む必要はないが、それにしても出生率のさらな
 る低下を食い止める必要性があるのは当然だ。大手各紙の少子化対策を列挙してみると
 日経が、@育児休業中の年収を政府が肩代わりする(エストニア方式)A子供が八歳に
 なるまで両親で合計十カ月まで休業できる制度や父親への時短制度(イタリア方式)―
 ―を参考にするように提言。また、毎日は十一日付の三面で、B三人の子供を九年間養
 育した男女に年金額を10%加算したり、年金給付額を出産に有利なように算出するフラ
 ンス方式やスウェーデン方式――を紹介している。

「家庭」に触れぬ各紙

 しかし、少子化の要因には女性の晩婚化や非婚化、家庭の出産意欲の低下といったもの
 があり、その根本には夫婦で子供を授かり、親子、夫婦、兄弟姉妹の愛をはぐくみなが
 ら、家族みんながともに理解し合って成長していくことの喜びや大切さを重んじるとい
 う価値観が希薄化しているという現実があろう。“子宝”という言葉を実感している夫
 婦は、多少所得が低くても、出産や育児には希望を持って取り組むものだ。

 やはり、わが国の経済社会の根幹を揺るがす超少子高齢化に対処するには、家庭の大切
 さや結婚制度の神聖さを強調する新しい価値観を確立することが急務であろう。大手各
 紙ともこの点に言及がないのが残念である。(野村道彰)世界日報 掲載許可済み
 
  Kenzo Yamaoka
==============================
件名:根本の探求に敏感で旺盛な一流国  

 日本人は後追いに甘んじるな/憲法・教育も人の基本から考えよ
 創造−進化論争起きない日本

 一、二年前のことになるが、ある保守的と目される雑誌で、アメリカ嫌いのある論者が
 「アメリカという国は遅れた国だ、何しろいまだに進化・創造論争などというものをや
 っているのだから」という意味のことを言っているのを読んだことがある。もちろん、
 進化ということに決着済みではないか、という意味である。そんなふうに言われると私
 などは悲しくなって、「日本という国は遅れた国だ、何しろいまだに進化・創造論争と
 いうものが起こったことがないのだから」と言いたくなる。

 そんなふうに言う人は、ものを根本的に考えたことがないということを告白しているに
 すぎない。この論者が残念ながら、私には平均的な日本人のように思える。だとすると、
 日本人とはものを深く考える習慣をもたない国民だということになる。『哲学者のいな
 い国』という本があるが、それがわが国の風土のようである。あえてこの論者の代弁を
 するなら、そんなことを論ずるのは――あの同級生に殺された少女のパソコンに書き込
 んだ言葉で言うと――「ウザい」「ダサい」ばかりか「ヤバい」ことでもあって、要す
 るに考えるにも値しないということであろう。

 どちらに与せよとは言わない。自分自身の正体や出自などどうでもよい、あるいは分か
 りきったことで、そんな問題は存在しない、と言わんばかりに生きていられるというこ
 とが問題なのである。まず言っておかなければならないが、これはいわゆる宗教には関
 係がないと言ったほうがよい。まして一神教国の対岸の火事などではない。

文化・伝統だけでは足りない

 さらにこの進化・創造論争にはレベルの段階がある。人類の知的レベルがいつまでも同
 じ所にとどまっていない以上、アメリカ人がいつまでも同じレベルで論争しているわけ
 ではない。もちろん、宇宙や生命の起源、人間の起源といったことは難問であって、解
 決するというようなものではないが、それに対する正しいアプローチというべきものは、
 論争を通じて徐々に固まってきていると考えてよい。くやしいが、これが高い文化とい
 うものではないのか。

 もちろんそのような自覚が、生活に追われる我々の意識を占めることもなくその必要も
 ない。しかし無意識の意識の中にそれがなければ、何らかの危機的局面に際していわゆ
 る「ハラができる」とか「ハラが据わる」ということが起こりえない。いつも頭の先だ
 けで生きていることになる。そういう人間はつくりたくないものである。

 国家・国民の基本的なあり方を決める憲法や教育基本法も、そういった人間の基本的あ
 り方の反映されたものでなければならないだろう。日本人としての自覚を持たせ、伝統
 ・文化を重んずるというだけでは足りないのである。それではただの反左翼であり、振
 り子のゆり戻しにすぎない。日本人としての自覚の根底に、それを基礎づけ包み込むも
 のとして、人間としての自覚、すなわち単なる民族的自覚を超えたものがなければなら
 ない。人間としての誇りに支えられていないような民族的誇りは、無意味というよりむ
 しろ危険である。同時に、人間としての責任に支えられない国民的責任も空虚であり、
 時代遅れであろう。これが自明のことであるにもかかわらず、それを言う人があまりい
 ないのはなぜだろうか。私はそこに集団的呪縛のようなものを感ずる。

 人類の知的レベルの向上に応じて、我々が我々自身をどう考えるかも微妙に変わってい
 く。たとえば何十年か前まで我々の常識であった宇宙像は、今の我々の宇宙像ではない。
 かつて当たり前のように喧伝された唯物論も、今、人類は乗り越えるようになった。そ
 ういったことを敏感に先取りし先導するのが一流国であって、いつでも後塵を拝するこ
 とになるのが二流国である。後塵を拝しながら生きていた方が安全で楽だという国民が
 いたら、情けないではないか。

自然界の「デザイン」に無関心

 私がここ一年半ほどにわたってある雑誌に連載紹介しているのは、今アメリカを中心に
 議論の沸騰している「インテリジェント・デザイン・セオリー」といって、科学者の間
 から起こってきた、自然界にデザインという要因を認めるべきだという一種の科学革命
 運動だが、私の知る限り日本人はほとんど関心がないようである。端的にこの理論は、
 激しく抵抗されながらも、ダーウィニズムの息の根を最終的に止めたと言ってよい。ア
 メリカの知識人の興奮ぶりは、インターネット上でのこの言葉の検索ヒット件数が、こ
 こ一年で五十万件から九十万件になったことからもわかるであろう。私が感嘆するのは、
 これらの科学者たちが同時に哲学者だということ、科学が人間存在の意味を探ることに
 つながるという見識を共有していることである。

 日本人の遥かなる後追いのもう一つの例を、ここでも見ることになるのだろうか。
         摂南大学教授 渡辺 久義 世界日報  掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:新時代の息吹を伝えた懐風藻  

 明治維新を迎えて、わが国の朝野は挙げて西洋文明の精神と技術を吸い取ろうとした。
 その先兵を務めて外国の要人接待と上流社会の社交場として造られたのがダンスホール
 ともいうべき鹿鳴館だった。西洋の衣装を着けた異様な人々が出現し、慣れないステッ
 プを踏んでダンスをする、後からみれば珍妙ともいえる光景を出現させていた。
 しかし、このような先進文化を摂取しようとするスタイルは、何もこのときが最初では
 ない。大陸の文化を積極的に取り入れようとした古代の日本の先人たちも、同じように
 鹿鳴館に似た施設を造り、その先進文化を盛んにまねしていたのである。

 日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、そのような当時の人々の中国大陸の
 先進文化へのあこがれ、その文明の息吹を日本で吸い取ろうとした知識人たちの背伸び
 をした姿が伝わってくる。

 詩は最もその民族の精神文化を伝えるもので、それを海外で学ぶというのは、どうして
 も、形象だけを写した観念的で実質的な詩精神のないものになりやすい。

 その意味で、当時の知識人の喜怒哀楽を伝えたものとしては、万葉集などに比べると、
 ずいぶん温度差といったものが感じられる。表現が直接的ではなく、中国の風景に借り
 て自分の気概を述べるなど、他人行儀な感じを受けるのも否めない。

 しかし、七五一年に編纂された漢詩集は、日本の国家の黎明期であり、積極的に先進文
 明を摂取しようとした意欲とか気概といったものは、この漢詩集の中から感じられる。
 しかも、近江朝から奈良時代にかけての律令国家形成への歴史をしのばせる貴重な文献
 になっている。

 例えば、壬申の乱で敗れた大友皇子の姿を、「魁岸奇偉(くわいがんきゐ)、風範弘深
 (ふうはんこうしん)、眼中精耀(せいえう)」などと形容し、大友皇子がただの軟弱
 な皇子ではなかったことを証言している。唐の使者は、大友皇子の風姿を見て、「ただ
 者ではない」と看破したとも伝えている。

 その意味で、詩趣は劣っていても、『懐風藻』は当時の知識人の姿を伝えていて貴重な
 証言になっている。(鷹)世界日報  掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:法然の女人往生/念仏による救済  

熱心な仏教信徒の母の影響
 日本人と仏教は、なじみが深いというより、日常生活で仏教に根差した習慣や習俗など
 によって自然に感じられるものが多い。海外で強いて信仰している宗教が何かと問われ
 れば、「仏教」と答えるのが普通だろう。 
 これは近世における江戸時代の鎖国政策とセットになっていた「檀家制度」による寺院
 との世俗的な結び付きの強化もあるし、聖徳太子の仏教重視、天平・奈良時代からの国
 家仏教の伝統の影響などがあるが、中でも、仏教の第二の隆盛時期ともいえる鎌倉時代
 の仏教の新興宗教の出現は見逃せない。 

● 

 それまでの国家とともにあって、個人救済からは距離があった仏教が庶民にじかに語り
 掛け、その悩みを救済しようとしたのが新興の教祖たちだった。平安末期から鎌倉にか
 けて活躍した法然の浄土宗、その弟子だった親鸞の浄土真宗、一遍、日蓮、道元、栄西
 など、個性あふれる宗教者たちが現れて、それぞれの教えを説き広めた。 

 このような庶民布教によって、仏教は日本人にとって身近なものになっていった。それ
 までの仏教は、貴族などの富裕階級や権力者によって主に支えられ、その庇護(ひご)
 や寄進によって寺院を建て仏像を制作した。その寄進や寺院建築自体が信仰の証しであ
 り、極楽往生の道であったために名も無く財産も無い庶民にとっては、遠い存在だった
 のである。 

 平安時代の仏教建築の傑作も、こうした藤原氏の手によって造られた。権力の維持と来
 世の救済を願って、仏教の写経事業や建築、土地の寄進などを盛んに行った。 

 そのために、寺院は世俗の権力者から受けた寺領の拡大や権益によって、世俗化し、仏
 教信仰自体が空洞化してしまった。世俗化した僧たちは、自らの権益を守るために、そ
 の教えとは逆行する武器を取り、政治的な圧力勢力となって乱暴を働くようになった。 

 こうした仏教教義の教学として精緻(せいち)になり、抽象的になるとともに形骸化し
 た仏教の既存の流れに疑問を抱いたのが浄土宗を開いた法然だった。 

 現在の岡山県の美作(みまさか)に押領使・漆間(うるま)時国の子として生まれた法
 然は、九歳の時に菩提寺にいた叔父によって引き取られ、僧としての道を歩む。 

 その背景には、父の時国が夜襲を受けて命を失ったという悲劇がある。この父の時国は、
 常々法然に自分が殺されても決して復讐しようとは考えずに、前世の因果応報なのだか
 ら後世を弔ってほしいと言い伝えたという話がある。 

● 

 法然は難しい修行や経文の研究や読誦(どくじゅ)による救済が本意であった仏教によ
 る救済を、誰でも簡単にできる「南無阿弥陀仏」という念仏によって救われるという他
 力信仰を打ち出した。多くの衆生を救うためには貧富賢愚などの個人的な資質や階級な
 どによって左右されてはならないという確信を持ったからである。 

 その意味で、法然はキリスト教の宗教改革を行ったルターのような立場にあったといえ
 るかもしれない。 

 哲学者の梅原猛氏は、『法然の哀しみ』の序章の中で、今「なぜ法然か」と自ら疑問を
 発し、その意義を「法然に入り、法然より出る日本仏教」として、最初の宗教改革者と
 して、後にその布教や教義が与えた影響の大きさなどから、法然を通じて日本仏教のお
 およそを把握できるとしている。 

 特に法然の教えから宗教的回心を受けた親鸞は、法然の教えを徹底化し、「悪人正機説」
 を唱えた。というよりも、肉欲の問題で悩んでいた親鸞が聖徳太子から啓示を受け、性
 の肯定と妻帯による罪悪は阿弥陀仏の絶対他力の本願によって必ず救済されるという確
 信を法然から与えられたとみることができる。 

 法然はなぜこのような衆生救済の道を模索したのか。念仏によって誰でも救われるとい
 う容易な道を切り開こうとしたのか。 

 法然自体は、仏教経典などをすぐにそらんじ、理解する頭脳明晰(めいせき)な人物で
 あり、その天才的な能力はつとに知られていた。その意味では、その才能によって天台
 宗の中で高僧として頭角を現すのは、それほど難しくなかっただろう。 

 もちろん、高い地位に上るためには、生まれの良さや血統、政治的な背景というものが、
 この仏教社会にも必要な時代になっていたことはあるが、それでも法然ほどの能力があ
 ればそれをクリアすることもそれほど難しくは無かっただろう。 

 その点から考えると、法然が念仏による救済、口称念仏を唱えたのは、自分の問題から
 というよりは、まさしく衆生救済、無知であっても、貧しくあっても、仏教経典を理解
 する頭脳がなくても、誰でも無条件に救済されるということを求めて苦悩したといえる
 だろう。 

● 

 その意味で、母親の存在が大きかったかもしれないが、この母が渡来系の秦氏の一族の
 出であり、熱心な仏教信徒だったらしいことなど以外はあまり知られていない。ただ、
 法然が救われ難いとされた女人の救済に心を留めていたことからも、母親の影響が考え
 られる。 

 後年、法然は後鳥羽上皇の逆鱗(げきりん)に触れ配流されるが、その途中、遊女たち
 に「女人往生」の話を聞かせるくだりがある。 

 「あなたがたは運拙(つた)なくてそういう稼業に身を沈めているのだ。人間は宿業
 (しゅくごう)次第で誰がどんな境遇に陥らないとも限らない。念仏というものは、そ
 ういう運の拙いもの、宿業の深いもののために設けてある法門なのだから、心配するこ
 とはない」(倉田百三著『法然と親鸞の信仰(上)』講談社学術文庫) 

 その後、法然はできれば今の稼業はやめることができたらそうした方がいい、しかし、
 難しいならば念仏を唱えることで宿業から救われる道があると述べている。 

 法然が、どのような境涯にあっても、念仏によって救われると信じたのは、それらの境
 遇が前世からの因縁や因果応報によってできたものであるとの認識があったのかもしれ
 ない。 
(羽田幸男) 世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


コラム目次に戻る
トップページに戻る