1664.日本民族として死守すべきもの



日本民族として死守すべきもの   S子

▼老獪な国家となってゆく米国
「米国がテロとの戦いを信念にまで高めている」ことで、今後世界
はあからさまに米国流フィクションを生きることになる。人口国家
米国の生きる道は、国家の公共事業の一環として対テロ戦争を継続
し、軍需産業を潤わせ、関連事業に従事する労働者の失業対策をお
こなうことで、依然として強い米国を世界に向けて誇示したいよう
である。

製造業、サービス業のほとんどを海外へアウトソーシングした米国
にとって残された道は、お家芸の戦争しかない。もはや米国にとっ
ての戦争は有事の戦争ではなく、イラク戦争に際しておこなった先
制攻撃にみられるように、米国ビジネスとしての戦争でしかない。

このことは田中宇氏も指摘している米国防総省の新戦略「10−3
0−30」計画に端的に現れている。
「開戦を決定したら10日で戦地に展開し、次の30日で戦争に勝
ち、その次の30日で撤収して次の戦争に備える。70日ごとに次
々と世界のどこでも戦争が行なえる。」

米国ビジネスとしての戦争をおこなうためには、あらかじめ勝てる
戦争でなければビジネスとしての意味がない。だから、経済的、軍
事的に明らかに米国よりも国力が劣る国家でなければならないのは
必然だろう。これを「帝国以後」の著者エマニュエル・トッド氏は
「演劇的小規模軍事行動主義」と称していたが、まさに言いえて妙
である。

つまり、米国は見せる戦争ビジネスを展開してゆくということだ。
そして、このビジネスとしての戦争を継続してゆくためにエネルギ
ーは不可欠であるから、石油などの天然資源の豊富な民主主義国で
ない国家が、対テロ戦争の標的となるはずだ。米国が悪の枢軸国な
どと言って指摘しているのは表向きの理由づけにしかすぎず、米国
はビジネスとしての価値があると思えばその国家に狙いを定め、淡
々と冷酷にビジネスとしての戦争を展開してゆくだろう。

だが、戦争ビジネス継続には軍事力を支えるための経済力が必要不
可欠である。しかし、今の米国は膨張し続ける双子の赤字をかかえ
、米国自体にそれだけの経済力がないのは明白だ。だから、経済大
国日本に経済戦争という静かなる戦争をしかけ、日本型資本主義の
破壊にとりかかったのである。

金融が中心の欧米型資本主義は、利他心という精神的なものから端
を発した日本型の資本主義とはまるで異なっている。精神的結束で
発展してきた日本型資本主義を、成果主義、実力主義という個人間
の競争に置き換えることで、各自孤立させて連帯感を喪失させ、精
神的結束力をなくす欧米型資本主義は、瞬く間に日本社会を解体し
た。

結果重視の過程軽視という欧米型資本主義は、人間から倫理観、道
徳観を喪失させ、この精神的支柱を失った日本社会は戦後未曾有の
混乱を極めている。

2000年のアーミテージレポートをもとに、その直後出されたCF
Rレポート「日米自由貿易圏を構築せよ」(B・ストークス著)によ
れば、構造改革や規制緩和等の革新的な対日政策を米国は2010
年までには実現する必要があるようだ。ということは、米国ビジネ
スとしての対テロ戦争を、今後最低でも6年は継続させるという
ことだろう。

そして、「日本を完全に米国市場の一部」にし、「日本の優良な製
造業をM&A(企業の合併買収)で買いあさり」、究極には「会計
制度や株式交換制度、裁判制度、医療システム等のあらゆる制度、
法律を米国と同じにし」、日本を米国に完全に組み入れるようだ。
これを「新円切替」の著者藤井氏は「日本は米国の完全なる下請け
国家」になると述べていた。

こうして米国は見せる戦争ビジネスで世界に米国の軍事力を強調し
、かたや経済大国日本には静かなる経済戦争を仕掛けお金を巻き上
げる、といった老獪ぶりを発揮している。

▼ 日本国内にはびこる売国奴
そして、この老獪な米国の悪事に加担、協力しているのが小泉首相
や竹中大臣のような魂を米国に売った輩である。特に竹中大臣は金
融中心の欧米型資本主義を信奉し、日本国民に株を推奨するような
人物である。

しかし、日本国民の気質としては、株のような実体なき経済よりも
実体経済でまじめにコツコツと働き、金融機関に預金するほうがま
だ性に合っていた。長い日本の歴史を通して培われてきた国民性と
いうものは、そうたやすく変わるものではないのである。

本来ならば、こういう売国奴の加担、協力により雪崩打つような日
本破壊も頑固一徹な国民性が効を奏して、ゆるやかで静かな日本破
壊に向かっているように私は思っている。また、構造改革の名の下
に日本国民の声を代表する小泉首相自身が、率先して米国の悪事に
加担、協力していることもまったくの前代未聞である。

構造改革の中身がはっきりとしないのはそれが日本破壊を意味する
ものであるからだ。首相就任当初の構造改革連呼とは打って変わり
、最近はこの言葉もほとんど彼の口から聞かれなくなったのは、着
実に日本破壊が進んでいる証拠であり、着実に日本国民の預金が米
国に吸い取られているということだろう。

小泉首相の顔は完全に米国を向いており、日本国民のことなどこれ
っぽちも考えてはいない。そして日本にとって更なる不幸は、第四
の権力と言われるメディアまでもがこのような売国奴や米国の味方
をし、日本国民に真実を伝えないことである。日本型資本主義の
破壊と共に進行する欧米型資本主義は、今やメディアにおける真の
ジャーナリズム精神さえも蝕んでしまった感さえする。

▼ 日本民族として死守すべきもの
こうして米国ビジネスの戦費調達として静かなる日本破壊が進行し
ているが、「新円切替」の著者によれば助かる方法はあるそうだ。
その著書によると「永遠のトラベラーだけがリスクを回避できる。
」としている。

「それはひと口で言うと、「5つの国で生きる」ということである
。つまり、「国籍を持つ国」「ビジネスを営む国」「実際に住む国
」「資産運用を行なう国」「バカンスを楽しむ国」の5つである。
これらがすべて違うという生き方なのだ。」

それには最低でも5億円の個人資産がないと無理なようである。と
いうことであるから話は非常に簡単である。結局私たち一般庶民に
はまったく関係のない話だということだ。日本にはびこる売国奴た
ちは既にその手をうっており、日本の国家破産に備えていつでも国
外脱出できるようにしているらしい。

彼らの魂はどこまで腐りきっているのか知らないが、彼らはこれか
ら欧米社会の競争原理の中に身を置いて生きてゆく覚悟はできてい
るのだろう。ブッシュやケリーが属している「スカル・アンド・ボ
ーン」の学生秘密クラブに見られるように、互いの究極のプライベ
ートを握り合うことでしか信頼関係を構築できないような人間関係
で生きていくことの冷酷さを、遅かれ早かれ彼らは知ることになる
だろう。

そして残された一般庶民の私たちはどうすればいいのかと言えば、
日本民族として未来の日本民族のために死守すべきものがある、と
私は思っている。これは私たち残された者が果たす使命である。そ
して、どうやら「日本の根底にあるのは精神だけではない。」よう
だ。

▼ 鎮守の森
日本全国には鎮守の森と言って神様のいる神社の森が、至るところ
に残されている。そこには神様がいるということで、手つかずの自
然がそのまま残され保存されている。

「森には虫が住みその虫を食べる鳥や小動物が住み、その小動物を
食べるイノシシのような中型動物が住む。」(国際戦略1584 
縄文時代の再考 Fより)というように、森には食性連鎖の自然循
環サイクルがある。

また、「地球温暖化という大きな問題では、森が呼吸する二酸化炭
素の豊富さが注目されています。森はまた、いっときに降った雨を
土壌に貯めておくことができます。それにより、洪水や山崩れを防
止したり、渇水の緩和にも大きな役割を果たしています。・・・こ
の他、森の物理的効用としては防風・防雪・騒音防止・水の浄化な
どが挙げられます。・・・森林浴の清々しさはフィトンチッドが自
律神経を安定させるからと考えられています。肝機能を改善したり
快眠をもたらすとも言われています。」(鎮守の杜 森(杜)のお
話より)というように、自然が見事にバランスした世界にあること
がわかる。

そして、今日このバランスした自然界を破壊しているのは私たち人
間であることも、私たちは既に気がついている。この自然破壊をく
い止めるために神の聖域である鎮守の森が、人間の魔の手を遮断し
今日まで残されてきた。鎮守の森の存在は、結局この地球上に生き
ているのは私たち人間だけではない、ということを古代の偉大な知
恵として私たち日本民族に教えてくれている。

私たちは自然と人間が共存してゆくという古代の偉大な知恵に今一
度立ち返り、その観点から未来の日本民族が生き延びてゆくために
鎮守の森という自然を死守しなければならない。自然を大切にする
ということはそこに人間も生きてゆくことを意味している。

それには日本民族として精神的観点からはもっと高い地点に上がり、
物質的観点からはもっと下がるという調和の世界に達する必要がある
、と私は思っている。こうして壮大な歴史の観点に立つとき、私たち
残された者の使命は大変重要であることがわかる。

そして、日本民族のこの自然観や精神観がやがてはこの地球を救うこ
とになれば、日本民族としてはこの上ない至福だろう。


参考文献  「新円切替」  藤井厳喜著    光文社
      「帝国以後」  エマニュエル・トッド著  藤原書店
      「前世からのメッセージ」 ブライアン・L・ワイス著
                         PHP文庫
「国際戦略 1311米国の信念」
http://www.sashi-net.or.jp/~vb7y-td/k5/150705.htm

「国際戦略 1584縄文時代の再考」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/160403.htm

「田中 宇の国際ニュース」
http://tanakanews.com/blog/0404190112.htm

「株式日記と経済展望」2004年5月30日
http://www.5.plala.or.jp/kabusiki/kabu71.htm

「鎮守の杜」
http://chiba.jinja.gr.jp/wfv.cgi/mori.html
==============================
グローバリゼーションの真の意味   S子

私は今の世界はやはり愛と暴力の闘いであると思っています。それ
も死闘に近いものです。しかし、宇宙がいま現在でも膨張し続けて
いることを考えれば、この宇宙誕生の根源であるところの「光」=
「愛」は永遠にあり続け、その愛によってこの宇宙全てが存在し、
結局は愛が全てを氷解してゆくのではないか、と思っています。

今日世界のキーワードになっている「グローバリゼーション」は、
国境のないボーダーレスな世界を意味しています。が、この国境な
いボーダーレスな生き方をしている民族がいますね。そう、ユダヤ
人です。かつてキッシンジャーが「グローバリゼーションとは米国
による世界支配のことだ。」と言っていましたが、これはつまりユ
ダヤ人による世界支配を意味しているのではないか、と私は思うわ
けです。

帰る国のないユダヤ人にとって生き延びてゆくためには、貨幣信奉
しかない。だから金融経済においては抜群の才能を発揮するわけで
す。いろいろな交渉においても抜け目がないのは彼らが「生き延び
る」ためだけでしょう。執拗なほどのユダヤ人迫害映画が登場する
のも彼らがそれだけ「過去のユダヤ人の歴史」にこだわりつづ
けているからだ、と思います。その迫害という呪縛からユダヤ人自
身がぬけ切れないのです。

私たち日本人にとってやはり理解しがたいのは、ユダヤ人がどうし
て世界支配にこれほどこだわるのか、ということです。日本人の国
民性としてはこれほどの強い暴力的な支配力は理解に苦しみます。
それともユダヤ迫害の歴史を世界の人々に強要し、ユダヤ人の苦し
みを理解させようとして、このような暴力的行為に走るのでしょう
か。

かつてアインシュタインが来日したおりに口にした言葉は何を意味
するのでしょうか。「世界に日本という国があって本当によかった。
・・・神が日本という国を創ってくれたことに感謝する。」という
ようなことを言っていましたが、彼もまたユダヤ人です。彼もまた
迫害の歴史を背負って生きてきた人です。その彼が日本に降り立っ
たときに吸った日本の空気や日本の精神文化に触れた時、それまで
彼を覆っていた「何か」が見事に氷解されたのではないか、と私は
思います。

それほど当時の日本人はこころが開いていた。寛容だった。アイン
シュタインを素直に受け入れてくれるほど日本人の国民気質が開花
していた。現在よりも愛に満ち溢れていた国民だった。それがアイ
ンシュタインのこころを融かすには充分だったのではないかと思う
わけです。

このことを思えば、世界を支配するユダヤ人のこころを氷解させる
のは日本人しかいないのではないか。愛で彼らの迫害というこころ
を呪縛を融かすことができるのは、日本人しかできないのではない
か。しかし、愛には忍耐も必要だし、互いに尊敬できるものも必要
だ。互いに理解し合い、許しあうことも必要だ。それがいつ叶うの
かわかりませんが、その日が必ずくることを私は願っています。
そこから初めて世界に平和が訪れるように思うのですが。。。
==============================
北欧文化協会理事長 武田 龍夫氏の発言は正論だと思う。全く正
しい。よくぞ言ってくれたと思う。
 
 本当に人格否定があったならば、両陛下に相談すべきっだたと思
います。
 
 穿った見方をすれば、元外交官で雅子妃の父小和田氏が、陰で画
策をしているのではないかと危惧しています。
 
 悪評かまびすしい外務省のトップだった氏だけに、何を考えてい
るか分からない。まして日本ハンディキャプ論をとなえた氏は、
日本の象徴である皇室を貶めるのになんの躊躇や遠慮はないと思い
ます。
 
 とうとう日本の崩壊が皇室にも訪れてしまったと言う現実を突き
つけられました。
 
重ねて武田龍夫氏の感謝!感謝!
これからも声を上げ続けてほしい。

福井 有澄
==============================
件名:武田龍夫氏の「皇太子殿下のご発言を考える」について  

はじめまして

北欧文化協会理事長 武田龍夫氏の「皇太子殿下のご発言を考える
」の記事を読み、なるほどやはりそういう見方もあったかと感心し
ました。
私は小さいころに「身内の不平不満を外で言ってはならない」とい
うことを宗教や父親から教わりました。当時はよく分かりませんで
したが、長じて、これは自分や家族を世間から守るための教えだっ
たのだと理解できるようになりました。
このたびの皇太子殿下のご発言は、理解できる反面、なんとなく違
和感がありましたが、武田氏の記事でなるほどと理由を確信した次
第です。

東京都世田谷区 吉川
==============================
件名:中東民主化/まず優先すべきは地域の安定  

 先の主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)では当初、米国が打ち出していた性
 急な民主化構想は後退し、拡大中東・北アフリカ地域とのパートナーシップが打ち出さ
 れた。
 これは、同地域の特殊性を考慮すると妥当な決定といえよう。政治風土が全く違う中東
 全体に、性急に民主主義を導入することは危険極まりないからだ。

イスラム国家の台頭招く

 中東で、基本的に言論の自由が確立され、民主的な政権交代が行われているのはイスラ
 エル、キプロスなど限られた国しかない。多くは何らかの形で民主主義が制限され、人
 権抑圧が行われている。

 例えば、中東で中心的な役割を果たしているエジプトでは、一九八一年のサダト暗殺事
 件以来、ムバラク大統領が二十三年間も政権の座にある。

 シリアでは世襲政権が続いており、チュニジアでは建国の父、ブルギバ大統領を八七年
 に追放したベンアリ氏が十七年も政権を維持している。リビアに至ってはカダフィ大佐
 が三十五年間もトップの座に就いたままだ。比較的自由な選挙が行われているトルコで
 も、クルド人への差別が続いている。

 中東にはもともと欧米式の民主主義はない。その一つの理由は、この地域が水と食糧に
 恵まれず、弱肉強食の習慣が昔からあることだろう。限られた食糧と水を民主的に分け
 合っていれば全員が死にかねない。

 映画「アラビアのロレンス」でアラブ人のベドウィンが自分の井戸の水を飲んだ現地人
 を銃殺し、「これはオレの井戸だ」と叫ぶシーンなどはアラブ世界の現実を表している。

 民主化との関連で特に懸念されるのは、ペルシャ湾岸諸国のアラブ産油国だ。これらの
 国々はすべて王制で、国内には言論弾圧、富の不平等、男女差別などさまざまな矛盾が
 あり、王族は権力を独占している。といってこの地域に民主主義を性急に導入しようと
 するのは危険だ。

 最大の理由は、民主主義の導入がこの地域を不安定にしかねないからだ。ペルシャ湾岸
 地域はアラブの中でも最もぜい弱な地域と言われてきた。この地域の王制は武力による
 争いの中で国をつくってきた経緯がある。この力の原則を崩すと何が起きるか分からな
 い。

 さらに、地域外のアラブ人がこの地域に常に関心を持っているということである。同じ
 アラブ人でありながら、オイル・マネーの恩恵に存分に浴することのできる同地域の上
 流階級に対するアラブ人の反発は強い。

 さらに重要なのは、イスラム教の影響力が強いことだ。仮にこの地域で民主的な選挙が
 導入された場合、イランのようなイスラム国家が軒並み誕生するのは目に見えている。

 これは欧米や日本にとって悪夢だ。サウジアラビアなど現在の王制国家は、世界経済の
 中の自分たちの位置をそれなりに理解しているが、イスラム根本主義者にはそのような
 発想はない。

日米欧に死活的な地域

 原油埋蔵量ではサウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェートはそれぞれ一位、三位、
 四位である。欧米や日本にとって最も必要なことはペルシャ湾岸地域を不安定にしない
 ということであり、そのためには他のことはある程度犠牲になっても仕方がない。

 こうした事情は、世界第二位の石油消費国となった中国にとっても同様だ。これらの点
 をも踏まえながら中東の民主化は考えていかねばならない。世界日報 掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


コラム目次に戻る
トップページに戻る