1659.山岡コラム



件名:リサイクルの種類と意味  

重森さんからのメールを転送します。
----------ここから原文----------
リサイクルといっても色々な種類がある。

関連する英単語を拾って見た。

reduce   できるだけ排出するものを減少させていく。 

reform   既存のものを新しい時代や考え方にマッチ

       したものに作り直していく。            

remake    既に活用されたものを他の用途に低コスト

       で改造していく。 

repair   既存のものを長期間、機能を落すことなく

       利用するために管理維持していく。           

reproduce  廃棄物を生み出してもその廃棄物を再利用

       させていく。

resell    同じものを必要とする需要層を見つけて

再販売していく。                     
reuse 既存のものをシステムなど上手に生かして
再利用する。
    
                    以上             
重森一郎
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:皇太子殿下のご発言を考える  

「人格否定」は内外に大きな戸惑い/大切な国民の皇室への崇敬の念
懸命に働いている宮内庁職員 皇太子の衝撃的な発言は内外に波紋を広げたが、率直且つ
簡潔に言うが、問題は女性外交官の職のために一度は固辞された雅子様に「皇室外交も同
じではありませんか」―と半ば強引に求婚された皇太子に今度の事件の遠因がある。だか
ら雅子様は宮中に「就職」されたと言われたのである。

 そうではなく、外交官と皇太子妃とは違うことを雅子様に納得してもらうべきだったの
 である。(自分の責任を無視して何でも他を責める時代風潮なので敢えて直言した)。

 当然、現実との乖離に加え、「お世継ぎ問題」や、無責任なメディアの犯罪によるご流
 産、そして皇后陛下の「いじめ」報道や論評などで(メディアは美智子皇后様をも失語
 症にした前科を有している)精神的バランスを破壊されたのが雅子様現在の情緒不安定
 の原因なのである。

 そして国民の多くは単純に宮内庁を批判し非難した。しかし、それは間違いだ。元式部
 官(外務省出向)として筆者は断言するが、宮内庁官僚は上から下まで両陛下および皇
 族のためにすべて良かれと願って誇りと使命感で懸命に働いている。

 だから今度の皇太子発言で最も傷ついたのは彼らなのだ。しかも彼らには反論すること
 は許されないのである。皇太子は心ない言葉を公言したのである。そもそも外国訪問は
 大仕事なのだ。お世継ぎのことを考え、ご体調のことも考えれば外国旅行ばかり重視出
 来ないのだ。

 一方で厳しい国民生活を考えればむしろ国内で国民をお励ましになるお仕事の方がより
 大事なのではないか?の声も上がっていた。それを「後ろ髪を引かれる思いで出発する」
 とは、これまた問題発言である。皇太子は自らの言葉の重みをもっと知るべきである。

 同じように「生涯雅子を守ります」は結構だが、それで宮内庁官僚たちを悪者視するの
 は将来の天皇として如何なものであろうか?

 皇太子は例えば西欧王族と比較して過剰警備を指摘されるが、しかし、天皇制廃絶を叫
 んで皇居にロケット弾を打ち込む計画もあった日本と同一視すべきではない。国情が違
 うのである。それで万一不祥事が起きたら責任はまたしても宮内官僚なのか?

両陛下にご相談なされるべき

 それに「開かれた英国王室」の惨憺たる状況を見るがいい。先日、デンマークの知人か
 ら電話があってフレデリック皇太子のご成婚で国中が祝祭の雰囲気だと言っていたが、
 確かに北欧三国中でデンマーク王室が最も安定しているが、それはマルグレーテ女王の
 人気とヘンリク殿下(元フランス外交官)の控えめな夫君としてのあり方のためである。
 対してノルウェー皇太子の子連れシングルマザーとのご結婚は(一般に珍しくもないの
 だが)さすがに王家の人となると不快感を持つ人々も少なくないのである。

 「開かれた王室」と言うが、バジョット(英国憲政論)も言うように、「華やかな馬車
 列の背後にあるもの」との兼ね合いは極めて難しい政治問題を有しているのである。現
 在(宮内庁も含めて)女帝容認論が多数派だが、しかし皇室典範の改正だけですまない
 問題もあるのだ。

 一例が必ず起こる皇配殿下(ご夫君)の問題がある。仮に政治家や大企業の息子あるい
 は凡庸すぎる平民とのご結婚を考えてみたらいい。最悪の場合には俗世間の力が宮中に
 入り女帝退位の危険も現実化するかも知れない。

 そこで結論に戻るが、皇太子はあのご発言の前に、両陛下及び宮内庁首脳たちと充分に
 ご相談なされるべきだった。そして皇太子ご夫妻は両陛下が日本国民から模範的なご夫
 妻として敬愛の念を集めておられることを考え、仮にも両陛下を敬遠するようなことが
 あってはならない。

 実母小和田優美子夫人に過剰依存し、他方で陛下の古希の祝宴には欠席するというのも
 非礼である。雅子様と同じ民間ご出身の美智子皇后様がそれなりにご苦労をなされて、
 今は公式行事でも疑問点を陛下とご一緒にご相談なされている例をご参考とすべきでは
 ないだろうか―?

 筆者は国民のことしかご念頭になかった故昭和陛下と、おそばに控えるだけで優しい春
 風を感ずるような皇后陛下(有名なエムプレススマイル)のお人柄に完全に魅了された
 者であるが(その証言は無数である)、皇太子ご夫妻は現両陛下と故昭和両陛下のあり
 方を学ばれるべきである。皇太子はメディアを通じて軽率に「人格否定」などといった
 ご発言はなすべきではなかったのである。それは内外に大きな誤解を与えたが、筆者自
 身もそれによって皇室への崇敬の念を傷つけられたのである。

皇室のよきアドヴァイザーを

 しかしもともとご誠実で善意と知性に豊かなお二方故、雅子様はご静養の中で改めてご
 自分を考えられ、皇太子は今少し理性的且つ多角的な視野をもたれて欲しいものである。

 そして結論はかつての小泉信三博士のように広く深い学識と教養をもった皇室アドヴァ
 イザーの必要である。入江、徳川両氏のような人々を求めるのは困難な時代ではあるが、
 真剣に考えるべきであろう―。
  北欧文化協会理事長 武田 龍夫 世界日報 △掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:サミット/米英との連携強化を打ち出せ  

 主要国首脳会議(サミット)が米ジョージア州のシーアイランドで開催される。最大の
 テーマは主権移譲を今月末に控えたイラク問題での米欧の政策調整である。
対テロ、世界観の相違

 日本は米欧の綱引きの中でどのような役割を果たすべきか。

 米政府が同会議の「目玉」と位置付けているのは「大中東圏構想」だ。イラク民主化の
 勢いを駆って、イスラム圏全体の民主化に向け、中東版マーシャルプランともいえる政
 治・経済改革のための大規模支援を行おうとの計画だ。

 ブッシュ政権は同構想を主要国の連携で推進し、これをてこにして仏独のイラク支援を
 引き出したいと願っている。しかし、調整は難航が予想される。根本的原因は米欧の世
 界観の相違である。

 ブッシュ政権は9・11テロ後、テロ対策は国際テロ組織とそれを支援している独裁政権
 の撲滅として、アフガンとイラクに進攻。さらに、対テロ戦は自由世界全体が国際テロ
 組織の脅威に直面しているという点で、第二次大戦同様に各国の結束が必要と考えてい
 る。

 これに対し仏独は、同構想を米国の価値観の押し付けと考える。テロ問題では米国のよ
 うな切迫感はなく、軍事力よりも失業問題の解決など社会・経済対策を重視すべきだと
 している。中東の民主化では現地諸国の自主性尊重を主張し、イラク情勢については国
 連主導の体制づくりと多国籍軍撤退期日の明確化を求めている。

 仏独の対米不信感の背景には、巨大化した米国が自国の価値観を他国に押し付ける「帝
 国」になったとの危惧感がある。軍事力中心の米国の一極支配と単独行動主義は、現在
 の国際秩序を支える主権尊重のルールや多様な文化を破壊するというのだ。米国による
 中東の利権独占の警戒心もある。

 われわれが認識すべきは、こうした対立の文化的背景だ。ブッシュ政権を思想的に支え
 るネオコン(新保守主義)グループは、仏独が主張する「国家主権万能論」に反論する。
 例えば、パール元米国防次官補は、旧フセイン下のイラクなど独裁国家で蛮行が行われ
 ている時、国家主権を理由に傍観してはならないと語る。これは宗教観によるものだ。

 宗教色の濃いレーガン政権の政策の継承者といわれるブッシュ政権は「自由は神から賦
 与された」と考え、自由・人権・民主主義を世界的に広げることが結局はテロを阻止す
 るとして、自由世界の同調を求める。

 米国の政教分離は特定の宗教・宗派を国教としないことで信教の自由を守ろうとするも
 ので、政治と宗教は対立関係にない。一方、欧州のそれは一切の宗教的影響からの政治
 の解放を求める。長い間の王権とカトリック教会の癒着による抑圧の歴史から来たもの
 で、仏独は各国の文化的特性に基づく多元的価値の尊重を訴える。

 だが、ヒトラーの脅威から欧州を救い、ソ連との冷戦で自由世界を勝利に導いたのは米
 国が孤立主義に陥らず、民主主義の砦としての世界的使命を認識したためだ。

 西側でブッシュ政権を全面的に支持している英国のブレア首相は「われわれの究極の安
 全保障は価値観にある。自由の拡大がテロへの防壁だ」と述べ、イラクがテロリストと
 の決戦場だと指摘した。

問われる世界秩序の再編

 国際テロの脅威は世界的に広がっている。今問われているのは、ブッシュ政権の世界秩
 序の再編に協力するか否かである。日米同盟に軸足を置くわが国は、サミットで米英と
 の連携強化でブッシュ構想を積極的に支援すべきだ。世界日報 ▽掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:百済の琳聖太子の末裔・大内氏  

 日本に渡ってきた韓半島からの渡来人には、さまざまな人々がいた。特に三国時代の百
 済・新羅・高句麗は、その後の新羅による半島統一などによって、戦乱から逃れて日本
 に亡命したり、渡ってきた人々の数が多い。
 中国地方に覇を唱えた戦国大名の大内氏も、その渡来人の末裔(まつえい)であり、自
 ら百済の第二十六代聖王(聖明王)の第三子の琳聖太子の末裔と称していた。金聲翰著
 『日本の中の朝鮮紀行』(三省堂)によれば、山口市郊外にある大内家の墓には琳聖太
 子の墓もあるという。

 「一番手前の独特な様式の五重の石塔が琳聖太子の墓、右側がこの寺を創建した大内氏
 二十二代重弘の墓」

 「太子が何のために日本に渡って行ったのかは定かでない。日本の記録によれば、太子
 の一行は西暦六一一年、日本の多々良の海辺に上陸した。山口市の南東約四十キロにあ
 る防府の海岸である」(『日本の中の朝鮮紀行』)

 大内氏は、後に家臣の陶晴賢(すえはるかた)によって滅ぼされてしまうのだが、それ
 までは文化の程度も高く、もともとのルーツである韓半島とは交流を密にしていた。二
 十五代目の大内義弘は、生前盛んに朝鮮に使いを送り貿易を営んでいた。

 『日本の中の朝鮮紀行』によれば、義弘は自らが百済の子孫であることを訴え、それが
 正式の記録である『朝鮮王朝実録』に記されているという。

 「彼はまた老後に別荘をつくる気でもあったのか、百済の故地も請い求めた。これに対
 し、朝鮮の朝廷では国王の定宗も大いに乗り気になって、百済の故地の全羅道全州に三
 百結の土地を与えたらどうかと、議論が持ち上った。(略)三百結は六百町歩の広大な
 土地である。この論議は一部反対もあり、また義弘が戦死したため沙汰止みとなった」
 (同右)

 実に興味深い話であり、その山口県の長州から幕末維新の志士たちが輩出したのも、そ
 うした歴史的な経緯があるせいかもしれない。(鷹)世界日報 △掲載許可済み
Kenzo Yamaoka
==============================
件名:みちのく福島の大蔵寺を訪ねて  

天平の面影を伝える千手観音
徳一や行基ゆかりの古刹 
 仏教文化の栄えた古代の天平・奈良、そして平安時代、全国各地に心引かれる仏像が造
 られ、あつい信仰を培ってきた。 

 美術評論家の吉村貞司氏は、京都や奈良の古仏には端正な像が多く、それは庶民とは懸
 け離れた貴族的な感覚で造られたものだと述べている。 

 「中央仏はほとんど目じりが吊り上がっている。ひきしまった表情、隙のない、賢明な、
 そしていわゆる容姿端麗という言葉があてはまる。(略)飛鳥、奈良、それは庶民を見
 下した貴族の感覚だ。仰ぎ見て、そのうるわしさ、その一きわすぐれた姿に威圧された。
 威圧されてこそありがたさ、かしこさが生れた。つまりは恐ろしいからかしこまるのだ。
 これを形の美しさを生かした仏と言えよう」(『古仏の祈りと涙』新潮社) 

 その中央の貴族的で威圧的な仏像に対して、東北の古仏は「人なつこい、あたたかい性
 格」があると指摘している。みちのくの仏には、そうした形よりも魂を感じさせるもの
 があるという。 

● 

 新緑の五月、その魂の仏像が安置されている福島県福島市の郊外にある大蔵寺を訪ねた。
 空は青く晴れ、バスが通る阿武隈川も緑の流れの中にあった。 

 福島駅からバスで約十分間で小倉寺に着く。そこから徒歩で二十分の山の中腹あたりに
 大蔵寺は位置している。舗装された道路は、まぶしいほど陽光で照り返し、白っぽく光
 っている。 

 正式には宝城山大蔵寺というが、創建は弘仁八年(八一七)、坂上田村麿が東北鎮護の
 ために船岡権僧正をして創建したものとも、徳一大師の開眼とも伝えられている。伝が
 一定していないのは、一時期、この寺が荒れさびてその由来が忘れられたせいかもしれ
 ない。 

 大蔵寺を有名にしているのは、行基菩薩が造ったという伝説がある丈六の千手観音像ゆ
 えである。この観音像は、高さ四bほど、カヤの巨樹から彫られた一木造で、奈良から
 平安初期の時代の面影を伝える名品である。 

 舗装路の途中で、石段の山道がある。そこをたどっていくと、林の日陰の中に、お手洗
 いの水がわき出ている。そこで手を洗い、口をすすぐ。やはり千年を超える仏像に会う
 ためには、それなりにこちらも心の準備をしなければならない。 

● 

 大蔵寺は、観光案内書にもよく紹介されているが、このときはシーズンオフだったせい
 か、あたりに観光客の姿はなかった。なかっただけではない、人の姿もほとんどない。
 山門をくぐり、境内に入っても、庫裏を兼ねた農家があり、その窓口にご用の方は呼び
 鈴を押してくださいとある。 

 大蔵寺は、この地方、信達三十三観音のうち第一番の札所でもある。ちなみに、二番札
 所が芭蕉の「おくの細道」で有名な文知摺(もちずり)観音であることをみれば、大蔵
 寺の寺格がいかに高いかが分かる。 

 呼び鈴を鳴らすと、手ぬぐいをした老婆が現れ、母屋に「お客さんだよ」と呼び掛けた。
 すると、青々とした頭をそり上げた僧が気軽に現れ、「今はタケノコ採りのシーズンな
 んですよ」と言いながら、先に階段を上っていく。 

 そのお坊さんの話だと、観光客が訪れるシーズンは春先の桜が咲く季節で、しだれ桜の
 名所にもなっているのだという話だった。千手観音は一番上に当たる収蔵殿に安置され、
 拝観の人が来るたびにカギを開けて拝ませてもらえる。話好きな、というか案内係とし
 てさまざまな蘊蓄(うんちく)を披露するのが習いなのか、大蔵寺のことや悲しいエピ
 ソードを秘めた稚児桜と呼ばれる桜のことや巨大な草鞋(わらじ)が立てかけられた大
 杉のことなどを説明してくれる。 

● 

 よどみない口調で語る内容も面白かったが、その慣れた口調が何度も説明していている
 ことをうかがわせた。 

 収蔵殿の観音扉を開くと、私は思わずわっと心の中で叫んでいた。四bの丈六の千手観
 音像はその部屋いっぱいにゆったりと立ち尽くしている。頭が天井につかえそうなほど、
 室内に仏像はその存在感を圧倒的に示している。 

 その前に座るのが恐れ多いような、居心地が悪いような、鑑賞するという適度な距離が
 なくて、まさに観音像に招かれた客のように中腰になる。見上げると、千手観音は千年
 の黒いあかにまみれながら、立ち尽くし、それぞれ手は合掌し、印綬を結び、武器を握
 り威嚇し、天に手のひらを見せたり、さまざまな表情を見せている。 

 しかし、そうした変幻の手の表情は、それほど心を動かさない。やはり、その巨大な頭
 部と、顔のインド的な彫りの深い造作であり、力強く造形されたほうや眉毛(まゆげ)、
 耳の巨大さである。そのすべてが、一点を見つめているようで、はなからこちらを見て
 いない。 

 というより、視線は別だが、胎内の魂の目はこちらを射抜いているといった感じを受け
 て心が思わず動揺してしまう。絶対的な価値観で造られたものに比べて、いかに自分は
 ちっぽけで弱々しいことか。そうした思いに囚われ、しばし、落ち着かない気分になる。
  

 これが仏師によって彫り上げられた時(行基が造ったというのは伝説だと思う)、命は
 炎のようだったろうが、千年という昼と夜を経て、カヤの仏像に別な命、魂が宿ったた
 めに黒っぽいあかが生きた人の皮膚のようにも感じられる。 

 その全身のたたずまいから、千年前の人々の読経が聞こえてくるような気もしたが、聞
 こえてきたのは森のウグイスの鳴き声だった。夢から覚めたような気分になって私は合
 掌した。 (羽田幸男) 世界日報 △掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


コラム目次に戻る
トップページに戻る