1658.読者の声



コンピュータ2007年問題は当分続く

 当コラムにコンピュータ2007年問題の書き込みが見当たらなかった
ので投稿してみることにしました。

大騒ぎしたコンピュータ2000年問題からもうすぐ5年。
一見企業を取り巻くコンピュータの問題は忘れ去れたかのようです
が、そうではありません。

実は企業の最前線でシステム管理をしている人達の多くは、企業の
情報システムに次なる大きな問題が潜んでいることを2000年になる
前から気付いています。

コンピュータ2007年問題もその一つですが、それだけではないので
す。企業を支える情報システムにはまだマスコミでは騒がれない重
要な問題が存在しています。

2007年問題とは日本の大手企業がこぞって基幹システムを構築し始
めた時代の精鋭システムエンジニア(以下SE)が定年退職の時期を
迎えるにあたり、企業の基幹システムがブラックボック化する、と
言われている問題です。

情報システムというのが、あとから入社した人には当初から開発に
参画した人の理解度に到達できないほどややこしいものであるとう
いことは、経営者をはじめ情報システム部門以外の人達には充分に
理解されていません。

ここで予め問題と分かっているなら、事前にシステムの再構築を行
えばよいと一般の人は考えるでしょう。しかし、基幹システムの再
構築はそう生易しい仕事ではないのです。

さらに、再構築したところで目立った成果というものが少ないだけ
に経営層の理解を得るのが難しく、それだけに費用の捻出も容易で
はありません。

情報システム部門にとってはしんどい割に認められる成果が少なく
、膨大な費用がかかってしまう仕事というのが共通した認識でしょ
う。

ここ10年、企業の情報化投資の多くは、簡単で手離れがよく成果が
目に見え易いWEB化(インターネット分野)に向けられてきました。

いわばフロントオフィス的なシステム化であり、本当に企業の屋台
骨を支えているバックオフィス的な基幹システムは、寝た子を起こ
すな的な扱いを受け、そのまま放置してきた企業が過半数だと言っ
ていいでしょう。

以上が2007年問題の裏事情ともいうべき内容ですが、実はシステム
を今再構築してこの問題を乗り切ったとしても、次なる問題がすぐ
に控えているのです。

初期の基幹システムというのは手を加えながらも30年近く持ちこた
えてきたわけですから、ある面これは驚異的なことと言えましょう。

なぜなら技術革新の顕著な世界においてこれほど長きにわたって使
ってこられたからです。なぜそんなことが可能であったのでしょう
か。

それは、企業が基幹システムに使ってきた汎用機やオフコンと呼ば
れるコンピュータは一つの企業がハードからソフト、ネットワーク
に至るまですべてを一式として提供してきたからです。

ところが、現在主流となりつつあるシステム構築技法は、コストと
表面的な魅力から複数社のハードウェアと複数社のソフトウェアか
ら構成されるオープンシステムに移行しつつある企業が少なくあり
ません。

そのあまりにも複雑で多岐にわたる情報技術は一人のSEでカバーし
きれるものではなくなってしまいました。

しかも、オープンシステムにおける技術の変遷のスピードは半端で
はなく、昔のように一度身に付けた技術で10年以上飯が食えるとい
うのは夢の世界であり、オープンシステムでは5年もすればメインの
技術が入れ替わってしまうこともあるのです。

5年前に開発したシステムが、現在販売されているハードウェアでは
すでに動作しないことがよくあるのは当たり前の話で、開発してか
ら10年後、そのシステムを修正しようとしても開発に使用したコン
ピュータ言語を知っている技術者が容易に見付からない可能性も十
分にありえます。

こんな恐い話がまだマスコミでは殆ど騒がれていないようです。
しかし、本当に恐いのはそんなシステムが突然ダウンしたときです。

近年企業における情報システム部門はアウトソーシング化の波を受
け、スリム化の傾向にあります。

ということは、ある日システムダウンが起きたとき、それも複数の
SEが支えないと成り立たないようなシステムにおいて、企業は致命
的なダメージを受けることにならざるを得ません。システムダウン
型倒産も視野に入れておかなければならないでしょう。

仮にアウトソーシングを完全に進めていたとしても安心はできませ
ん。アウトソーシングを担う企業の担当者たちも、5年、10年先には
どこにいるかわからないのです。

担当者が入れ替わっていれば、初期の担当者のシステム理解度には
追いつかないのが普通です。

システムの仕様を記した設計書やマニュアルを残した程度では、ど
んな原因で起こるか予測できないシステムダウンには対応できない
と心得ておいた方が無難です。

仮にパッケージソフト(ここでは既製品業務用ソフトの意味)を使
用していたとしても、上場企業が倒産する時代に安心していられる
でしょうか。

パッケージの開発元が潰れてしまえばパッケージはそこでブラック
ボックス化してしまいます。

ひとたび問題が起きたとき、システム全体を見渡せる人材がいなけ
れば、どこに泣きついても助けてもらえない、助けてあげようにも
助けられない。それがオープンシステムの恐さです。

だからと言って汎用機やオフコンに戻るかというと、これも安心は
できません。オフコンから撤退しているメーカーも多く、情報系の
学校でもすでに教えていない古い技術を担うSEがいつまで残ってい
るかという懸念があるからです。

企業がこの問題を解決する策は存在します。しかし、策があったと
ころですべての企業がこれを自力で実行できるわけではありません。

特に日本経済を支えている中小企業が危険です。情報化に対する危
機管理意識等が不充分で、かつ情報化予算も充分とは言えないから
です。

この恐ろしい事態を目の前にして日本政府は民間任せで放置するだ
けになるのでしょうか。かつてWindowsが流行る前、純国産OSのTRON
を国家プロジェクトとして立ち上げようとしましたが、アメリカ政
府からの圧力で引き下げてしまった日本政府。

たとえ外圧があろともそれに屈しない対策の実施が今こそ必要な時
期と思われます。

徳増 実事
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1653読者の声 王柏林さんへ S子 

私の拙い文章でこころの安らぎを得られたとのこと、大変嬉しく思
います。実はこの投稿文を書くにあたって私自身が大変に貴重な特
異な体験をしたことが、その根底にあります。私事で申し訳ないの
ですが、私は一度自己崩壊、再生をした人間で、この教訓から多少
の人生の困難は何とか自分なりに乗り越えてゆけるという過信のよ
うなものがありました。

ところが今回は前回を上回る不安が私を襲いまして、理性でそれを
コントロールしようとしても、それ以上の不安が私を支配するとい
う怖い目にあいました。が、私はこの不安を瞑想で克服、乗り越え
ることに成功しました。瞑想しながらどうしてこんなことになった
のか、自分なりにひとつひとつ順を追って考えていきました。そう
するとこの不安が「自我」からきていることに気がついたのです。

言葉ではうまく表現できませんが、私はこの「自我」を瞑想中に
うまく克服することができ、「自我」を乗り越えることに成功しま
した。その途端に信じられないほど「こころ」が軽くなってゆくの
がわかりました。それと同時に生まれてこのかた感じたこともない
ような至福感に包まれたのです。おそらくこの時に脳からドーパミ
ンが出たのではないかと私は思っています。

この体験が私の中で理解をより深めたと思っています。そして、人
は本来他者のために生きてゆくようになっており、自我が強いと不
安や恐怖が生まれて人間としての悪い面が出るのだとわかりました。

今日の世界はあまりにも物質に依存しすぎて、精神が置き去りにさ
れています。そうかといって私たちは、一度持ってしまった物質を
まったく捨て去った世界を生きる、ということも困難だと私は感じ
ます。そこで今後私たちが目指すのは、物質と精神が調和する世界
、バランスのとれた世界に向かって進む必要がある。

そのためには、やはり先に人間の精神性、質を高める教育をしてゆ
くことが大事だと痛感します。そして何よりも私たちは皆同じ人間
であるということ、この認識はとても大事です。誰が優れているの
でもない。誰も皆同じ人間だということです。これを忘れてはいけ
ません。これからも私なりに与えられた使命に向かって頑張りたい
と思っています。ありがとうございました。
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こころをやすめるには、、、。 虚風老 

 雅子さまの件じゃがね。
必要なのは、フランクに話せる年上の女人じゃろうな。

本当は、50代〜60代が望ましいのじゃろうが、
皇室取り巻きの、うるさい婆さんどもじゃあなければ良いじゃろう。
どちらにしろ、皇太子妃ということで垣根をもうける人じゃ駄目だ
な。人間として付き合えるほどの度量と、仕事する人間としての力
量がいるの。

生きておらっしゃれば、白州正子女史などのさばけた人間も面白か
ったが、まあ、緒方貞子さんなどはどうじゃろう。外国のよもやま
話も通じようしの。

なんてね。
              虚風老
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国際戦略コラムと少し違うかも今の国民が考えて欲しい

皇族の問題で・現皇太子・秋篠の宮・の先の思い切った発言で戦後
皇室のあり方が問題と考える

私は79歳先の戦闘に参加した者で終戦後皇室は無くなるのではと戦
地で帰還するまでの会話でした帰還後国民は何となく戦争責任を問
われず「私は志願兵」です
戦後私は皇室の自由は私たちと同様のはずと思っていた

其の当時の皇室はまったく何かに監視された「監獄に等しい」もつ
と人間としての自由をあつて当然と当時思ったものです

日本国の政治の貧困が皇族を監視する「昔の公家」のやからの食い
扶持になっているのでは?

今回の事も皇太子が良くも発言されたと思う皇居の住まい生活すべ
ての行動をどうして監視するのかまるで「監獄」「汚い言い方」か
も皇室の毎日の生活は人間としての
自由を認めた民主主義は皇室でも感受出来て良いのでは

今後宮内庁なるものの役人は要らないのでは勿論
「お付の世話役・男女」勿論不要

人としての生活に自由と責任を皇室「皇太子」今後これからの事を
考えて世界のおなじ皇室の方々の生活自由と尊厳を人として与えら
れるべきと考えます、

小泉総理もいい加減に自分の事だけでなく皇室の事も考えてほしい
もの、宮内庁なるものをなくせば其の役人も自由になれるし
「失業」これは国民とおなじ

宮内庁費用も節約でき其の費用を皇族が思いのまま自由に使えてこ
そ本当の民主主義と思うが如何に。

国際戦略コラムの諸先生のコメントを求めます
「馬鹿らしくて言えないかな」

04.06.08.pm9.00.阪本 潔 ks_kiyo4@yahoocojp
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(Fのコメント)
天皇家の意味は、2000年以上の歴史の蓄積、これには女性を天
皇にしないということも含めれている。女性天皇の時に自分の愛人
を天皇にしようとしたため、それに懲りたからなのです。奥が深い。
この伝統と新しさの調和を皇太子夫妻は、求められているのであろ
う。

人間らしくという意味と日本の統合の象徴をどのようにすればいい
んか検討が付きません。難しい。虚風老さんのいうように相談役が
相談に乗る仕組みをつくるしかないでしょうね。


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