1612.日本のあるべき姿



日本が戦前のような国家主義になることが心配な状態であることを
今回の人質事件で世界に知らせてしまった。  Fより

欧米では個人主義が徹底されているために、危険地域に入ることは
自己責任であることが自然に確立している。このため、家族が人質
になっても個人の責任であり、その上で政府に助けてほしいと言う。

しかし、日本の家族は人質になったことも政府が悪いという。この
人質の命を助けるには、自衛隊の撤退を主張する。これはおかしい
と思う。自己責任であることを家族は認めるべきである。この上で
政府の助けを求めるべきだ。そしてマスコミや支援団体(共産党?)
もそのような反政府の方向に家族を誘導したように感じる。

しかし、反対に人質になった3人は家族がどうであれ、責任は無い。
疑問符が着くが、自己責任も認識していれば、それでいい。しかし
、日本の状況を知らないで、解放後自衛隊は撤退するべきと言った
ことが日本の大衆に反感を持たせたように感じる。

このような状態で、自作自演のようなトンでもないことを主張する
サイトや意見が出てきて、これが大きく取り上げられるし、報道も
あたかも3人が犯人のようなことを言い始めて、これは遣り過ぎで
あるとこのサイトでは注意したのです。

そして、このような空気が出てきたとき、日本は世界の非常識、個
人の自由や使命感(利他)を無視する体質があること、政府の言う
ことに批判できないような雰囲気が作られることを知られてしまっ
た。簡単にマスコミが政府に迎合してしまう。

そして、米軍がファルージャ住民を虐殺する状況を見ないで人質事
件を評論するマスコミや評論家が見識を持ってないことも分かった。
個人と国家の関係がまだ不安定になっていることも知られた。この
関係が不安定であると、今後の憲法論議に大きな懸念が出てくる。

個人の責任と国家の責任の範囲を規定するのが憲法であるからです。
日本は「お上」が強いために、個人主義を制限する傾向が強い。
しかし、それでは欧米の個人主義のスタンダード化した法律体系と
はあまりにも違うことになるし、戦前の息苦しい日本になってしま
う。それも自由な報道が保障されているマスコミが率先して政府の
見解を正義として振りまくことになった今回のマスコミの報道には
、はっきり言ってがっかりした。

これでは公が強すぎである。個の責任をないがしろにしている現憲
法も問題であるが、逆に公を強くしてしまうと、私が公を批判でき
ないことになる。

あくまでも、個人の総和が国家であり、国家は個人を助けるために
あり、個人でできない外交や経済体制整備をする機関であると規定
してほしい。個人の責任の上で行う使命や行為は規定してはいけな
い。基本的に個人の自由である。勿論、自己責任で行うことである
が。

危険地域に行く個人の使命感や自由を縛る法律を作るという国家は
聞いたことが無い。キリスト教だけではなく、仏教にも利他の精神
がある。古神道では調和が崩れた状態の地域に調和を作るために、
その調和を整える復興が必要であると感じる。これを悪いことと言
うに及んで、パウエルが吼える事になる。日本に対する違和感を感
じたように思う。このパウエルの感じは、欧米の知識人の代表的な
反応であると思うべきである。

古神道を維持している大国日本は、使命を持って存在している国家
である。米国や中国のような人工国家ではなく、伝統に裏打ちされ
た自然的な国家であり、日本は世界が資本主義(欲望主義)という
理念で破壊されるときに、その世界を再興するためにあると見てい
る。ダライラマやインディアンの思想とも一致している。しかし、
この2者は正式な国家もないために、その使命を実現手段が無い。

ますます、世界はハルマゲドンに近づいている。早く止めないと、
世界的な破壊が起こると心配している。その破壊の中心人物が米国
のユニラテラリズム信奉者とイスラエルの強引な生き残り主義者で
あろう。


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