1565.私が「こころ」にこだわるわけ



私が「こころ」にこだわるわけ   S子 

私がどうしてこころ(精神、魂)の問題にこだわり続けるのかとい
うと、端的明確に言えばそれが人間の本質だからです。そして、そ
の人間の本質に近いものを現代の先進国の中で持ち合わせているの
が、日本人という民族なのではないかと私が思い始めたからです。
最近ではこのことが私の中でひとつの確信に近いものになっていま
す。

周知のとおり日本は多神教です。様々なものに神が宿っていること
は昔から知られていることであり、それが地域での伝統行事や文化
という形で残されています。その神々をあがめ祭ることで人間の弱
さを知り認め、あらゆるものと共生してゆくことを日本人は知って
います。

この人間の弱さを認めるということがとても重要な意味をもちます
。人間は本来弱々しい動物であるということを認識しているからこ
そ、あらゆるものと調和しながら生きてゆかなければならないので
す。この認識から全てが始まるのです。つまり私たち人間は孤独で
はないということです。それは私たち人間が人間社会の中だけで生
きていこうとするから孤独になるのであって、この広大無辺なる宇
宙の一員にしかすぎないということを知れば、この宇宙と調和して
生きていくことの素晴らしさがわかります。

私たち人間は全てを手に入れることができるほど強くはないという
ことを知る必要があるのです。その精神を日本人は持ち合わせてい
ます。というか既に日本人のDNAにこれが組み込まれているのかも
しれません。ところが、今日日本は外圧と内圧によってがんじがら
めにされ、日本人というひとつの民族が喪失される運命にあります
。

元来日本人は農耕民族で土地に定着する民族です。自給自足ですか
ら農作物を収穫するまでには長期間を要します。だからものを見る
目も長期スパンなり、人間の評価も同様になります。このことが何
を意味するのかというとそれだけ国が平和だったということです。
平和が長く続いたからこそ土地に定着し、農耕民族として生きるこ
とが可能だったのです。だから終身雇用や年功序列が日本人の気質
にあっており、それが日本流資本主義と言われたのです。

ひるがえって米国はどうかと言えば、常に争いが絶えず先住民のイ
ンディアンを虐殺したり追い出したりして、ものを奪うことで生き
てきました。だから肉食にならざるを得ないのです。それで人間の
評価も短期スパンになり成果主義だの実力主義だのと言ってくるわ
けです。

そして今やその米国流資本主義を日本に押しつけています。そのた
めに日本の企業や銀行はめちゃくちゃになりました。小さいもので
は対抗できないので日本の企業や銀行は、合併や外国企業の傘下に
入り大きくなることで生き延びようとしています。

最近では企業の危機感も相当なもので米国流の成果主義や実力主義
を採用しています。が、その成果主義や実力主義を実践してきた米
国自信の経済が崩壊の危機にあります。それでも企業は時代の波に
乗り遅れまいとしてか日本人の気質に合わないものを採用し、競争
原理の中に身を置こうとしています。このことが日本社会をより一
層混乱へと導いています。

誰が言い始めたのかわかりませんが、日本の常識は世界の非常識だ
と言った人がおります。日本人の中に。そしてこんなことを日本人
に向けて発信して自ら覚醒したような気でいますが、よく考えてみ
て下さい。第一世界の常識というものがあるのでしょうか。これは
欧米人という白人優位性にもとづいた彼らに有利な常識であって、
世界共通でないのは明白です。

こういうことが長い歴史の中で平然と繰り返されてきて、白人優位
性は未だに健在です。先住民族のインディアンやアボリジニ族は野
蛮人だとか人食い人種だとか言われ、民族の存在意義を否定されて
きました。人間の本質から言えば、先住民族のほうがはるかに進化
しており、ものを持てば持つほど人間的に退化していったのは欧米
人という白人たちです。

それは今日の米国を見れば明らかです。力の論理にまかせて一方的
に米国の文化や価値観を他国に押しつけようとする野蛮さが見えま
す。米国はことさらのように自由だ民主主義だと言っていますが、
それを標榜する米国自身が自由や民主主義から遠のいている現状も
おかしな話で、言葉と言う定義の曖昧さを改めて思い知らされます。

日本国内においては戦後の誤った民主教育を受けた人たちが今日の
日本社会の中核を占めるようになり、私益のためなら国益を無視し
てこころを他国に売ってまでも日本をミスリードしてゆきます。中
国や韓国、北朝鮮に配慮しての偏向報道には、同じ日本人として私
は憤りを覚えます。

特にマスコミは第四の権力と言われるだけあって、日本国民に及ぼ
す影響は大きいのです。マスコミのミスリードによって日本国民は
愚弄され続け、終いにはわけがわからなくなって日本国民は思考停
止状態に陥るのです。

また官僚政治もますます幅を利かし、自分たちの利益のためなら日
本国民をどんなに犠牲にしても構わないとさえ考えています。官僚
という特権を利用しいつまでもその甘い汁を官僚が吸い続けたいの
です。

このようにして日本は外圧と内圧の二重苦から身動きが取れないよ
うな状況にあります。米国へ助言すらできない日本の対米外交のあ
からさまな盲従路線は、世界から軽蔑のまなざしを受けています。
今日ほど日本の政治や経済が、米国寄りになったことがかつてあっ
たでしょうか。

おかげで日本社会は混乱し、大人たちのもって行き場のない不安な
こころは、自殺であったり、若者の精神を蝕んだり、子供という弱
者を虐待するというこれまでになかった現象が、日常茶飯事のよう
にニュースとして飛び込んできます。

日本人のDNAに組み込まれている寛容で繊細な精神性がことごとく
破壊されつつあります。白人優位性に基づいて動いている歴史の中
で、日本人もまた先住民族と同じような運命を辿りつつあることに
私は我慢がならないわけです。人間に優位性も劣位性もあるはずは
ないのです。

このような日本民族の危機的な状況において、ミヒャエル・エンデ
やアインシュタインが世界における日本という国の重要性を指摘す
る点は、私たち日本人という民族にその精神性に立ち返ることの意
味を今大きく問うていると私は思います。

ミヒャエル・エンデは世界の危機的な状況を回避するための新たな
精神性が、日本で生まれると指摘しています。また、アインシュタ
インは人類が戦争に継ぐ戦争で疲れ果てる時が訪れる。人類が平和
を切望する時に日本という国があって本当によかった。我々は神に
感謝する。神が日本という国を作っておいてくれたことを、と指摘
している。

このふたつの指摘は、私たちが日本民族であることの誇りと自信を
確固たるものにしてくれます。私たち日本人はもっと自信を持って
いいのです。いえ、もっと日本人としての誇りと自信に満ち溢れて
いいのです。私たち日本人の精神性がこの世界(暴力が蔓延してい
る世界)を救えるのであれば、私たちはその使命を全うする必要が
あります。

世界はこれから石油という資源確保のために戦争という暴力に突入
してゆきます。このことが石油資源の更なる消費に拍車をかけます
。石油が枯渇すればそれは物質文明の終わりを意味し、同時に資本
主義が崩壊する時でもあるのでしょう。

その時に日本人の寛容で繊細な精神性が際立つのでしょう。人間は
弱々しい動物であるということの認識から、全てのものと調和して
生きてゆくことの大切さを私たち日本人が世界に知らしめる必要が
あるのです。外圧や内圧にくじけることなく日本人の良さを世界に
発信してゆくのです。本来日本人は良いものを持っています。その
自信をなくさないでほしいのです。私がこころにこだわり続ける理
由はここにあるのです。
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種子戦争     S子

福岡農法に関する興味深い記事を見つけました。7年前のもので大
分古い記事ですが、BSE問題や鳥インフルエンザで日本の食糧事情が
不安になっています。食糧自給率の低下で日本の一番弱いところを
突かれた感じです。

    弱者の独占職業 〜自然農法〜

 今、世界戦略となる三大兵器は原爆と石油と種子である。この中
で種子は最もやさしいものに見えるが、実は凡ての人に迫る危険な
兵器にもなる。
 具体的にいうと、昨年比島のイリーの国際稲作研究所からでた「
スーパーライス」の報告である。「収量が2〜3割増しになるハイ
ブリッド米ができた」と言うものだが、この小さいニュースは、世
界の稲作革命になるという興味の裏に、世界の食糧が一国・一会社
の手に握られるという危険が潜んでいる。

 ハイブリッドは子種のできない稲で、作りはじめたら毎年種を購
入せねばならなくなり、5年もすると、日本の種がなくなり、種ば
かりでなく肥料や農薬もセットで買わねばならなくなる(ロシアや
エジプトがその目にあっている)。
ちなみに比島の稲を作ったスポンサーはアメリカのロックフェラー
やフォードである。

 もし、この稲が戦略兵器になって売り出されたら、それに対抗で
きるのは、私が10年ほど前にアッサムのうるち米をかけ合わせて
作った稲、ハッピーヒル1−3号(登録)だろう。私の開発した稲
は、その時マグサイサイ財団で作り方を発表して以降、秘密あつか
いで一粒も世に出されなかった。この度、農法と共に解除され漸く
出せるようになった。

私は今、思い切って砂漠の緑化センターの設立を企画している。

目的 自然農法の手法で (1)農業革命を計る (2)砂漠を緑
化する

方法 農産物の種などを多重層の粘土団子で包み圃場に撒布するか
、航空蒔きするだけでよい。粘土団子の製法は特許(多重層粘土団
子)になっている。

(1)米麦作、春麦の立毛の中に稲の団子を蒔き、秋稲の刈り取り
   前の立毛の中に麦とクローバー種を蒔くという、全く連続不
   耕起直蒔で完全な無肥料・無農薬栽培である。従って、収穫
   以外は楽な作業のみで、女子供で実施できるから、弱者の独
   占職業として自然農法による百姓代行(報酬:収穫の1割)
   が法的にも認知されることが望ましい。

(2)砂漠緑化のためには多種多様の樹木、果樹、作物の種がいる
   。普通100種以上の種を混合した粘土団子を、砂漠の中に
   航空蒔きするか、手で撒き散らす。

 砂漠用の種の採種業者は殆ど世界にいない。種集めの組織が結成
されることを望んでいる。

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同じ福岡さんの数年前のプレイボーイ(月刊)の記事。
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「原爆と石油と種子さえ握れば、世界を支配できると考えている連
中は、富と権力を与えるというエサのもとで、人民を釣り、その野
望を達成しようとする。ロシアが崩壊したのも、エジプトやキュー
バが他国の支配に従わねばならなくなったのも、種子戦争に負け食
料の種子を握られたのがきっかけと聞く。アジアの中でもっとも狙
われやすく、また弱いのは日本である。「一粒の米」の輸入といっ
て笑ってすまされる問題ではない。その裏には、種子戦争が隠され
ているとみなければならない。」

「福岡さんは自らが交配したハッピーヒルという品種を育てている
。背はけっして高くないが、力強い感じがする。冷夏だった昨年に
収穫された、1本の稲穂についた実を数えると350粒もあった。
これは日本一の収量だ。普通なら100粒程度。このハッピーヒル
に、もう開発されている、子のできない「雄性不捻の稲」をかけ合
わせたらどうなるだろう。おいしくて、多収穫だが、できた種籾を
植えても実ができないという稲ができる。これは強力な戦略武器に
なる。農家は毎年籾をメジャーから「買う」ことになるのだ。ハッ
ピーヒルは現在3号まであるが、1号が彼を訪ねてきたアメリカの
青年によって国外に持ち去られてしまった。それが輸出用のカリフ
ォルニア米の母胎になっている可能性がある。それと呼応するよう
に、最近になって1号は、農水省の新品種登録から外された。どう
もくさいと福岡さんは顔を曇らせる。日米種子戦争が水面下で始ま
っているようだ」
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件名:アイデンティティー危機の時代  

「男らしさ女らしさ」否定する風潮/青少年の規範意識低下をも招く
性差別と性差否定は全く別物

 先般、文部科学省所管の財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が
 昨秋実施した日米中韓合同の高校生意識調査の結果が公表されたが、それによると、わ
 が国の高校生は際立って「男は男らしく」「女は女らしく」という性差意識が低く、前
 者のアンケートについて肯定した高校生は日本では43・4%、米国63・5%、中国81・
 1%、韓国54・9%、また後者の問い掛けに肯定した高校生は日本で28・4%であるの
 に対し米国は58・0%、中国は71・6%、韓国は47・7%と、いずれも日本が四カ国で
 唯一、半数を割り込んでいることが明らかになった。また「結婚前は純潔を守るべきか」
 の設問にも、肯定する意見が日本は33・3%、米国で52・0%、中国75・0%、韓国73
 ・8%と、日本の高校生だけが目立って著しく低くなっている。

 今日、メディアに性や暴力が氾濫(はんらん)し、命や性の大切さが疎外されている現
 状が青少年の意識を曲げさせ、規範意識の低下を招いている結果である。

 男女が互いに違いを認め、理解し合うことは自己の存在意識や社会的に課せられた役割
 を果たす上で必要なことであり、これを否定することはアイデンティティーの危機(ク
 ライシス)ともいうべき状況である。

 こうした日本の高校生だけの特異な現象は、行政が主導して「男らしさ、女らしさ」よ
 りも個性を重視する男女共同参画政策が積極的に進められていることの影響によるもの
 とみられる。

 性差別の解消と性差の否定とはまるで違うもので、性差による就職差別や家事や育児の
 女性への押し付けは男性優位の考えを助長するもので、これは否定されなければならな
 いが、社会的、文化的に形成された性差意識は、尊重されることこそ自己意識ないし人
 間の存在意識を高め、アイデンティティー形成に役立つものと言える。

純潔を守ることへの過小評価

 わが国では、一九九九年に公布・施行された男女共同参画社会基本法で「男女が性別に
 かかわりなく個性を発揮する」社会を強調しているが、こうした基本法の理念を「男ら
 しさ女らしさ」を否定するジェンダーフリーとして解釈し、過激な条例を制定している
 地方自治体が少なくない。

 同基本法に基づいて翌二〇〇〇年に策定された男女共同参画基本計画には、「性と生殖
 に関する健康と権利」がうたわれ、これが「性の自己決定権」という形で地方の男女共
 同参画条例に盛り込まれ、この考え方が誤解され青少年の“援助交際”の下支えとなっ
 ている。

 また、文科省の委嘱で日本女性学習財団が作成した「未来を育てる基本のき」というパ
 ンフレットでは「ジェンダーフリーの子育て」と銘打って、その実施を呼び掛けている。

 学校現場でも「子供をつくるかつくらないか、いつ産むか」などを教える副教材が配布
 され、問題となっている。

 男女共同参画の理想はいいが、実態は社会的、文化的に形成された性意識をすべて否定
 し「男らしさ女らしさ」という概念を喪失させるとともに、純潔を守るという考え方を
 過小評価する政策となっている。

 「男らしさ女らしさ」といった意識が、「男は仕事、女は家庭」という固定的役割分担
 が生じているとの認識で性差を差別としている考え方になっているが、これは著しく間
 違っている。男性でも女性でもない「個人」の重視は、文化や伝統と切り離された「個」
 を絶対視するもので、今日教育界において是正が望まれている共同社会への参加、ひい
 ては愛国心の涵養(かんよう)の達成に向けた教育基本法改正の要請にも背馳(はいち)
 するものである。

社会的存在としての人間教育

 権利拡大のみを主張する男女共同参画行政を早急に見直し「男らしさ女らしさ」の肯定
 的側面も評価する教育が必要である。男女が互いに違いを認め、理解し合うことの大切
 さを子供に教えることは人間教育に必要なことであり、今回の調査結果はまことに残念
 な結果と言えるものである。

 人間形成のための教育は、個人中心のいわゆる市民教育でも、民族と国家に根を下ろさ
 ないコスモポリタン教育でもなく、社会的存在としての人間の教育でなければならない。
 人間の社会的存在の基礎となっている社会集団のうち、家庭と国家が特に重視される。
 わが国の青少年の間に、国家と家庭に対する関心と愛情が、戦後急速に減退しつつある
 ことは、教育上特に注目に値する現象である。

 教育の基本的な狙いが人間形成である以上、教師の役割は重く、アイデンティティーの
 確立に意を用いなければならないことは言うまでもない。 
     弁護士 秋山 昭八 世界日報 ▽掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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