1564.日本のソフトパワーに期待



日本の行き道はどうすればいいのでしょうか?  Fより

日本は日本流な仕事の仕方がある。この1つが古武道が見直されて
いる。その代表的な物が走り方。西洋の軍隊走りから日本風な「ナ
ンバ走り」で日本人の末續が世界の短距離界に登場した。この後続
が続いている。そしていい成績を残している。

もう1つが日本産のリンゴ、イチゴ、米、トマトなどが主に東南ア
ジアに輸出され始めている。日本農業は価格競争力が無く、衰退す
ると言われていたが、品質上どこにも負けないために、価格が高く
ても買う人や国がある。特に東南アジアや中国は多くの富裕層がい
るために、その階層向きの品質と味が具わった物は高価格でも買っ
てくれるようだ。

このように日本の仕事の仕方や商品が他世界の諸国の物とは違うよ
うだ。日本人の思考が世界の他の民族とは違うために、その中にあ
る品質やこだわりや身体の動かし方までがどこか違う。これは今ま
では悪いことで、世界の標準(スタンダード)に近づけようとして
いたが、世界が均一的になると、逆に日本製品の差異化ができて、
商品的な価値は上がるようである。

日本が日本的な感情、思考で考案した物が世界に売れることになる。
その裏付けが品質をキープするセンサ技術、温度管理技術、輸送上
の技術的な問題等を解決したから世界が注目するのであるが、日本
の農産物輸出の裏には日本の巧みの技術があるのです。

リンゴの表面のキズを見つけたり、甘み成分量を皮のリンゴの外側
から知ることが出来るセンサ、酸素濃度を低くすることで味を変え
ないで輸送する技術などができて初めて品質を確保できるのです。

このように日本人の技術に対する意識が高いために、いろいろな応
用分野を見つけていくことが出来るように思う。またリンゴの農家
や研究所は、リンゴの甘みをどう出すか、日夜研究し、小さな点ま
で改良している。この両者の組み合わせが、日本の農産物を輸出さ
せることになるのです。

センサネットワークはインターネットで世界を結んでいるために、
日本で生産しているトマトの水耕栽培のコントロールをオランダの
会社のコンピュータで行っている。このようなことが出来るように
なっているが、今までは日本市場に世界の種子会社が参入して来て
、日本の種子が衰退するような話が多かった。

しかし、種子も日本で確保しないといけないが、その上に品質を確
保する地道な対応が日本人全員に出来ている。これは日本の古神道
の精神が日本人であることで、または日本の風土にいること(在日
外国人)で、確立しているように感じる。

どうか、日本人としての文化、教育、親子関係、物の見方を昔の日
本の伝統的な古神道の思考に復帰して、世界中に日本の商品・文化
(機械や農産物、すしなどの食文化など)を広めていきたいですね。

古武術も古神道の考え方を反映されている。神たちの調和で走ると
言うことである。このため、古武術も復活させたいですね。

それが日本の使命でもあると思っています。もちろん、商売にもな
り、日本を豊かにすることになる。そして、それを地道に遂行する
ことが必要である。
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”日本産”の逆襲 農産物を売り込め
http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2004/03/12/news_day/n3.html
 
香港市内のスーパー。その一角を日本産の果物が占める。なかでも
リンゴは中国産と比べ5倍以上の値段のものもあるが、需要がある
という。

「日本は品質管理がしっかりしているので買いますよ」

台湾、シンガポール、タイなど、東アジアを中心に今、日本の農水
産物の輸出が増えている。アジアに輸出されるリンゴの最大の産地
、青森県。アジアでは「青森産リンゴ」が浸透している。

「青森ブランドはコントロールしやすいから、あるだけ全部いただ
きます」

輸出される青森産リンゴのうち、95%が台湾向けだ。台湾は3年前
、WTO=世界貿易機関に加盟し、リンゴ輸入枠を撤廃。関税も引
き下げたこともあり、青森産リンゴの輸出量は毎年伸び続けている
。この日も、台湾の輸入業者が訪れていた。

「青森リンゴは品質が均一で、味も色も変わらずレベルが高い」(
陣清福さん 台湾の輸入業者)

青森でリンゴの取り扱いが最も多いこの農協では、輸出向けのライ
ンを用意した。品質への要求は日本国内よりも厳しいという。

海外にも通用する「青森リンゴ」のブランド力は、徹底した品質管
理から生まれる。収穫後のリンゴは酸素の濃度を低くして冷蔵。休
眠させることで、品質を落とさずに1年近く貯蔵できる。さらに、
リンゴを切らずに内部の異変がわかる装置も導入した。

「おいしければ高くても売れるのか、台湾でわかった。この先は
東南アジア」(石郷岡喜代昭 りんご係長/JAつがる弘前)

海外との競争力に欠けるといわれる日本の農産物だが、青森県では
味と品質の良さを武器に、台湾への売り込みに成功した。

「攻めの農林水産業」(深澤守 副参事/青森県りんご果樹課)

メキシコに続き、今後東南アジアとのFTA交渉が予定されている
。農水産物の輸出を進めるジェトロでは、商品競争力の強化を訴え
る。

「最大のネックはコストの高さ」(山室啓介 係長/ジェトロ農水
産課)

一方、アジアや欧米などへの輸出で先行しているホタテ加工会社は
、FTA交渉についてこう語る。

「我々はホタテを日本から出している。自由(貿易)はいいと思う
」(岩谷孝 取締役/成邦商事)
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件名:よみがえる「ナンバ走り」  

 ■体にやさしい日本人のリズム
 阪神のゴールデンルーキー・鳥谷敬(早大)は、東京六大学で通
算三十七盗塁を記録。三年春にはリーグトップの九盗塁をマークし
た俊足の持ち主である。

 その鳥谷の走りが、「ナンバ」と騒がれたことがある。上下動の
ない走り、相撲の摺(す)り足のような足の運びが、パリ世界陸上
二百メートルの銅メダリスト・末續慎吾の走りを彷彿(ほうふつ)
とさせたからだ。末續が「ナンバ走り」をヒントに飛躍的な成長を
遂げたのは有名な話である。

 では、「ナンバ」とは何か。巷間言われているのは、右足と右腕
、左足と左腕を同時に出す歩き方。江戸時代までの日本人が常とし
ていた歩行スタイルとされているが、古武術研究家の甲野善紀氏に
よると、当時の庶民には手を振るという習慣がなく、従ってここで
言う「ナンバ」には“静”の側面がある。

 一方、農耕における豊穣(ほうじょう)祈願などの形態を舞台で
誇張して演じること。つまり、右足、右手を同時に大きく振ること
で、ダイナミズムや滑稽(こっけい)さを表現することが、「ナン
バ」という説もある。こちらには、シャーマニズム的な“動”の側
面が見て取れるが、本コラムでは“静”としての「ナンバ」が、今
日の“走り”を向上させたとして、話を進める。

 すなわち、「ナンバ走り」には、こんな定義があてはまるだろう
。「体に優しい」省エネ走法。具体的には、体幹の捻(ね)じり戻
しや足への負担が少ない、滑るような走りということになる。

 それに対して、私たちが体育教育で叩き込まれてきたのは、「体
に厳しい」重労働走法と言うべきものだった。左右の足と左右の腕
を互いに逆方向へと捻る、いわゆる「左右交互型」(捻じり戻し型
)の走りである。

 この走りが生まれた発端が、明治十年の西南戦争であったという
説がある。このとき農民で結成された鎮台兵が、西郷隆盛率いる薩
摩兵に追いつかれて惨殺されたが、薩摩兵の走りが同盟国・イギリ
スから導入した左右交互型のものとされている。

 しかし、その背景には走り方の相違よりも、鎮台兵の行軍の不備
があったというのが事実だろう。明治政府が行軍に適応する西洋の
リズムを学校教育に取り入れ、同時に「西洋式走り」の徹底普及に
務めた理由が、ここにある。

 こうして、「ナンバ走り」は歴史の闇に葬られることになるが、
それから一世紀近く経た昭和四十年代、日本人の走りに第二の“災
禍”が見舞う。

 その当時、世界的スプリンターを何人も育てたゲラルド・マック
というポーランド人コーチがいた。東京五輪から数年後、選手育成
に立ち遅れていた日本陸連の要請で、そのマックが来日すると、「
速く走るための」講習会を行った。

 この内容は『マック式スプリントドリル』として、全国の教育現
場に広がった。が、致命的なミスがあった。離地したほうの足の動
きについて、マックが《股(また)が上がる》《膝(ひざ)から下
が振り出される》《膝から下が振り戻される》という三つの能動的
なポイントを重視したのに対して、同ドリルが主動的に訳したこと
である。要するに、《股を上げる》《膝から下を振り出す》《膝か
ら下を振り戻す》−の三つの主動的要素にすり替わってしまった。

 ここから日本の体育教育は、明治期以降の左右交互型の走りに加
え、「股を高く上げ」「地面を強く蹴る」などの過重を、「速く走
るため」の要素として重視。日本の陸上、特に短距離界をいっそう
の迷妄路線へと導いていく。

 以上の御都合主義的にして、お粗末な長い歴史を経て、見直され
てきたのが、古の叡智(えいち)・「ナンバ」だった。

 すでに書いたように「ナンバ走り」とは、「体に優しい」走法だ
が、そこには地球の重力に足の運びを助けてもらうという知恵があ
る。つまり、「頑張らない」−ことである。

 だからこそ、江戸時代の飛脚は一日二百キロも走破でき、篭かき
も現代のタクシー並の距離を走ることができたのだろう。

 だとすると、末續や鳥谷も「頑張らない」ことで、自らのパフォ
ーマンスを向上させたのか。

 心の病が急増する昨今、これはスポーツだけに限られたものでは
ないような気がする。
                  ◇
≪ノンフィクション作家・織田淳太郎≫ 昭和三十二年、北海道生
まれ。スポーツ系ノンフィクションから小説までを手がける。主著
に『巨人軍に葬られた男たち』『捕手論』『審判は見た!』、共著
に『ナンバ走り』など。 産経新聞より
Kenzo Yamaoka
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件名:古武道の持つ教育的効果  

日本総合武術研究会会長 井久保要氏に聞く
実体験の中で道徳を習得 武士道の前提に武術あり

背後の精神世界に海外も関心 

武道を地域教育の一環として 

世代超えて連帯生む 

 「生きる力」をはぐくむ教育、「こころ」を育てる教育が叫ばれる一方で、子どもを取
 り巻く環境は、いじめや不登校、さらには凶悪犯罪の低年齢化など憂慮すべき事態とな
 っている。日本総合武術研究会の井久保要会長は、古武道を通して日本の伝統文化を、
 国内のみならず海外にも広めながら、古武道の持つ教育の有効性を訴えている。(聞き
 手・湯朝 肇)

 ――井久保会長は、田浦無想流古武道十六代棟梁(とうりょう)と聞きますが、田浦無
 想流の特徴についてお話しください。

 田浦無想流は鹿児島県の井久保家に代々伝わる古武道で、私は三歳のころから祖父の十
 五代目棟梁井久保乙次郎について家伝の武術を学んでいました。特徴としては刀術、柔
 術、棒術、杖(じょう)術、座弓、捕縛術、サイ術など多岐にわたっており、実戦を重
 視した内容になっています。田浦無想流は、農業をしながら藩主に仕えた下級武士を対
 象に教えられた武術で、いざとなったら身近にあるものは何でも武器にして戦うという
 考えが根底にあり、それが多岐にわたる独特の武術をつくりだしていったわけです。

 ――独特の武術といいますが、具体的にはどのようなものがありますか。

 例えば、座弓は、呼んで字のごとく座って矢を射るのですが、弓の長さは六尺(約百八
 十二センチ)弱です。立って射るのと違って、射距離は十五メートルほどですが、横ブ
 レが少なく命中率が非常に高い。しかも、持ち運びが便利で使いやすいという利点があ
 ります。

 また、刀術ではさまざまな場面を設定した型があります。武士ですから、いろいろな所
 で戦わなければなりません。戦場のような広いところもあれば、天井の低い部屋の中で
 の戦いもあります。いつも同じような構えで戦うことはできませんし、刀が有利な時も
 あれば、槍(やり)が有効な場合もあります。戦いというのは刀の置き方一つで生死に
 かかわってきます。そのように実戦を想定した武術といえると思います。

 ――井久保会長は、武道と武術を分けて考えられているようですが。

 武道は武士道につながると思いますが、ある意味で武士道は侍(武士)としての生き方
 を教えていると思います。つまり、事務方の仕事をしている武士でも武士道は持ってい
 たでしょうけれど、それに対して武術はあくまでも戦いが前提になります。そうした生
 死の境目から生きざまを学び取っていくのが武術であろうと考えています。日本の武道
 は本来、「活人剣先にありき」からスタートしたのではなく、殺人剣から艱難辛苦(か
 んなんしんく)を経て活人剣にたどり着いたのであろうし、そこに崇高な武道精神が宿
 ったという点をみれば、私もまず、武術を磨いていくことが第一歩であろうと考えます。

 ――日本では古武道でもさまざまな流派がありますが、他流派との連携はいかがでしょ
 うか。

 わが国にはかつて剣術八百二十、柔術百六十、その他の武芸を加えると数千にも及ぶと
 いわれました。名門といわれる武道は雄藩に庇護(ひご)され、他流試合を禁止された、
 いわゆる「お留(と)め流」が多かったのも事実です。しかも、幕末から明治維新にか
 けて消え去った流派も多い。現在の古武道界はどちらかというと他流派との連携を嫌い、
 むしろ自流派の「形」のみにとらわれている気がしてなりません。

 そこで、私は日本の古武道の連携・復興を願うと同時に、海外にも広めたいという思い
 から平成五年に日本総合武術研究会をつくりました。また、十三年には外国だけでなく、
 他流派の参加も募って第一回国際親善古武道演武会を開催しました。その時は、フィン
 ランド、フランス、ロシアなど八カ国の参加がありました。

 ――中高生にも古武道を指導されているようですが。

 私は、全日本少林寺流空手道連盟錬心館北海道連合会会長も務めています。空手も武道
 の一つですが、古武道に関心のある子どもには、柔術や棒術、刀術など子どもに合った
 方法で教えています。最初は関心を持つ子は数人でしたが、最近では徐々に増えて小学
 生の高学年生、女子中学生も習いに来ています。

 北海道にもいくつかの古武道があるのですが、後継者がいないとか、高齢化が進んでい
 るなどの課題もあります。やはり、次の世代に伝えていくことは大事なことだと考えて
 います。

 ――ところで近年、教育現場ではいじめや凶悪犯罪が増えています。武道家から見てど
 う考えますか。

 今から三年前に大阪で起こった大阪教育大学付属池田小学校の事件は、社会に大きな衝
 撃を与えました。私からみると、教師の対応がいまひとつ十分ではなかったように思い
 ます。仮に教師に武道の心得があれば、あのような悲惨な結果にはならなかったはずで
 す。教室の中には、机やいすなど武器になるものは意外に多いのです。そうした身近な
 もの武器にしてガードする、あるいは戦うという意識を日ごろから持って訓練していれ
 ばよかったと思います。

 さらにいえば、教師の取るべき対応への反省がいまだになされていないということが問
 題ではないでしょうか。単に校門を閉め切ったり、外部の人を学校に入れないというよ
 うな方法ではなくて、教師が自ら児童を守るという意識で日ごろから訓練を行う必要が
 あると思います。

 ――学校内でのいじめや凶悪犯罪も一向に減る気配がありません。

 昔の子どもは、けんかをするにしても一対一で争う場合が多かったし、限度を心得てい
 ました。しかし、最近は徒党を組んで、ホームレスなど弱い者を徹底的に痛めつけて喜
 ぶというように陰湿になっています。彼らにしてみれば、徒党を組んだ方が安心だし、
 捕まっても言い逃れができると考えているのでしょう。また、最近は大人が注意しても
 謝るどころか、ふてくされたり、ヘ理屈をいう子が増えているようです。

 家庭や学校教育の場で、きちんとした生活慣習が身に付きにくくなっているのでしょう
 けれど、武道の場合は習い始める時点で姿勢が違います。

 ――子どもの素行という側面からみると、武道は礼儀や精神的な部分を育成するという
 効果があると思われますが。

 小学生だと父兄と一緒にやってきます。「厳しいけれどやっていけるのか」と諭されて
 くるのですが、道場に来るとじっと正座しています。ちょこまかと落ち着かずに動き回
 っている児童に対して襟首(えりくび)を捕まえて頭をゴツンと叩(たた)いても、父
 兄は何も言いません。親もある程度承知しているわけです。これが学校の場になると大
 変で体罰だとか、いろいろと問題になります。

 また、学校は学年単位で同じ年代の子どもたちが固まりますが、道場では極端な話、幼
 稚園児から七十代の老人までいます。そうした世代を超えたつながりが生まれます。小
 学生でも筋のいい子はすぐに少年初段になりますが、六十歳を超えるとなかなか体が動
 きません。すると、小学生がおじいさんのところに行って、「こうするんだよ」などと
 いって教えているわけです。老人も楽しそうに「ああ、そうか」などといって練習して
 いる。私は非常にいい光景だなと思っています。

 それから、中学生に小学生を指導させるのですが、なかなか分かってもらえない。悪戦
 苦闘する中で、「自分もこうだったな」と小学生を自分に置き換えて見ることができる
 ようになります。ですから、日教組のような道徳はいらないという教育は論外ですが、
 躾(しつけ)や道徳は言葉ではなく、実体験を通して習得されていくわけですから、武
 道は地域教育の一つになると考えています。

 ――井久保会長は海外でも古武道を教えていますね。

 平成元年からフィンランドやロシア、フランスを中心に海外で古武道を教え始めました。
 今年も十一月にイタリアに指導に行きます。映画の「ラストサムライ」ではないですが、
 外国人の日本の古武道に対する関心は非常に高いものがあります。型や技もさることな
 がら、古武道の背後にある精神世界に対する関心が強い。稽古(けいこ)も自分が納得
 するまでするし、非常に学習意欲が旺盛で、日本人以上に熱心ではないかと思うときが
 何度もあります。

 また、海外から私のところにやって来る外国人もおります。昨年はラトビア人の留学生、
 現在はカナダから来ています。ただ、彼らは、「現在の日本社会は、武道の世界とは違
 うようだ。特に、若者の言葉や行動には失望することがある」といいます。

 海外では日本の伝統文化への評価は高いのですが、国内では日本の良さが次第に失われ
 つつあるのではないでしょうか。ですから、私は古武道を通して日本の伝統文化や日本
 人が培ってきた精神を広め、大事にしていきたいと考えています。

 いくぼ・かなめ 昭和13年、鹿児島県生まれ。3歳のころから家伝の田浦無想流古武
 道を学び、その傍ら少林寺流空手を学ぶ。平成元年に家伝の武術と空手道の関係につい
 て総合的に見直しを図り、現代における総合武術を研究し、平成5年に日本総合武術研
 究会を発足。平成元年からヨーロッパ、ロシアを中心に毎年、海外講習会を開催。現在、
 田浦無想流古武道16代棟梁。日本総合武術研究会会長。全日本少林寺流空手道連盟錬
 心館北海道連合会会長。全日本少林寺流空手道連盟錬心館範士8段。
                   世界日報 ▽掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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