1557.「ネオコンのタテマエ」(その二:アリストテレス)



byコバケン 04-3/5
	
▼アリストテレスはネオコンか?
前稿では、アリストテレスはネオコンの先祖だというトンでもない
宣言をしたところで話が終わった。「古代ギリシャの大哲学者と今
のネオコンにどう関係あるんだ!」とあきれている方もいるかもし
れないが、まあ我慢して聞いて欲しい。アリストテレスはやっぱり
ネオコンのタテマエに影響を及ぼしているのである。

まずはじめに確認しておきたいことがある。それは、そもそもアリ
ストテレスって何ものだ?ということである。たしかにこのギリシ
ャの大哲学者については、日本の学校ではあまりにも教えられてい
ない。わずかに歴史の時間や、今はほとんど消滅している「道徳」
や「倫理」の時間などで名前を教わる程度であろうか。

古代ギリシャには三大哲学者がいることは有名である。一応そのメ
ンバーを紹介すると、ソクラテス、プラトン、アリストテレス(紀
元前384〜22年)がおり、彼は三番目に出てきた「大学者」な
のである。先生プラトンについて習ってから、あのアレクサンダー
大王の家庭教師をしており、多方面にわたる分野をそれぞれ分類し
て徹底的に研究したために、万学の祖、科学の祖であると言われて
いる。

これを「日本女性アイドルグループ史」で強引に考えてみると、ア
リストテレスは「おにゃん子クラブ」に相当するのかもしれない。
何をふざけたこと言っているんだと思われるかたも多いかもしれな
いが、これはけっこうわかりやすいたとえなのである。

70年代〜80年代にかけて、日本にはキャンディーズ、ピンクレ
ディー、おにゃん子クラブという三つの代表的なグループが存在し
た。これをギリシャの哲学者に当てはめてみると、ソクラテスがキ
ャンディーズで、プラトンがピンクレディー、そしてアリストテレ
スがおにゃん子クラブに相当する。おにゃん子クラブをアリストテ
レスに当てはめてしまうのはかなり問題あるのは百も承知なのだが
、とにかくグループものでは三番目にブレイクして、しかも玉数が
多く、その後も広い分野で日本芸能界に大きな影響を及ぼしている
点はまさにアリストテレス的なのだ。だったら「モーニング娘。」
はどうなるんだ、という批判もあるかもしれないが、私は個人的に
このグループはライプニッツかデカルトに相当するものだと考えて
いる。

▼アリストテレスの「目的論」
くだらない話はこれくらいにして本論に入ろう。アリストテレスが
ネオコンの使う「タテマエ」に及ぼしている一番の影響は、なんと
いっても「目的論」(teleology)である。これはどういうものかと
いうと、簡単にいえば、すべての存在にはそれぞれ独自の目的があ
って、この目的は何があろうとも、最終的には実現されてしまう、
という理論のことである。

アリストテレスはこの考え方を、主著の『自然学』のなかで、自然
に存在するすべてのものに備わる四つの「動因」のうちのひとつと
して説明しており、そのなかのひとつの「目的因」と関連して目的
論を暗示している。アリストテレスはこれをわかりやすく説明する
ために、家の建築の例を使って説明している。他の三つの動因は省
くが、家が建築されるときの「目的因」は「人が住むため」である
と言っている。このようにこの世のすべてのものには何かしらの「
目的因」があるというのだ。

日本を代表する啓蒙学者である小室直樹氏は、アリストテレスから
発生したこの目的論を、「誘導ミサイルのようなものだ」として譬
えているが、これは言いえて妙である。目的論とはまさに誘導ミサ
イルのように、いったん発射されれば途中で何があろうともその標
的に向かってただひたすらに突き進む状態を説明しているからだ。
ようするにある目的が、時間が進むにつれて最終的には必ず達成さ
れてしまうという、いわば完全必勝の理論なのである。

なぜこの目的論がアリストテレスの中でもズバ抜けて注目されてい
るのかというと、これが「目的をもって進化する世界」をイメージ
していたからである。これをネオコン的にいえば、まさにこの世は
「民主化へと進化するという目的因をもった世界」であることは、
一目瞭然である。「民主主義(という理想郷)が世界中に広(めな
ければならない)まっていく」という考え方は、まさにこの目的論
以外の何者でもない。

誤解をおそれずあえて言ってしまえば、アリストテレスの目的論は
、ある種の「進化論」だったともいえる。「世の中のすべてのもの
は、常に変化しつつある」というのはこの時代にも当たり前のよう
にあったものの見方なのだが、それは季節が巡るようにただ循環し
ているという考えかたであった。ところがアリストテレスはそのよ
うな考えの枠の中から飛び越えて「世の中のものすべては、目的を
もって何かに成り(変化し)つつある」というアイディアを考えた
のだから、この時代のスタンダードからすれば、かなりブッ飛んだ
主張になってしまったのである。

▼「時間」がなかった?ギリシャ文明
ではなぜアリストテレスの目的論の核心である「何かに成りつつあ
る世界」というものが「ブッ飛んだ主張」だったのか。それはアリ
ストテレスのこの考え方が、当時の支配的な考えを飛び越えていた
ことはすでに説明した通りなのだが、具体的には何を飛び越えてい
たかというと、ズバリ、当時の「時間」の枠組みを飛び越えていた
からである。これはあまりにも当たり前のことなので学校の先生は
教えてはくれないのだが、ギリシャ文明では、われわれがもつよう
な「直線的に進む時間」という感覚がまったくなかったのである。

ギリシャといえば、プラトンが大学の先駆けとなるような「アカデ
メイア」を作ったときに、「幾何学を知らないものは入るべからず
」というような看板を掲げていたことからもわかるように、数学的
な計算を重要視していた。エジプトから受け継いだ面積の計算(幾
何学geometry)などは得意中の得意で、これを土地配分などに使う
技術として大いに活用していたのである。

ところが、それにもかかわらず、実は彼らには時間を計算するとい
うアイディアがまったくなかった。当たり前である。アリストテレ
スがいたころのギリシャ時代にあったのはただ巡りまわる季節のよ
うな、いわば円形に循環する時間の概念であり、「直線的に、一方
向に進む時間」という概念は、ルネッサンスになるまで出てこなか
ったのである。これはギリシャの数学に、時間計算が全く出てこな
いことからもよ〜くわかる。

このような「一方向に進む時間」の概念がなかったギリシャで、ア
リストテレスが自然観察のなかから「目的論」を暗示したのは、ダ
ーウィンの進化論と同じくらい革命的なことであった。

しかしだからと言って、アリストテレスはネオコンのように、「世
界はどんどん民主化されるべきだ」とはもちろん露ほどにも考えて
いない。その証拠に、主著のひとつである『政治学』(第八巻)の
中で、「政権交代が何度もくり返される」と考えており、そのベー
スには「歴史はくり返されるもの」というゆるぎない確信がある。
あくまでも彼はギリシャ時代の人間なので、やはり「循環する時間
の感覚」からは完全に抜けきれていないのだ。

参考までにアリストテレスの想定していた政治形態を述べておくと、

@王制(モナキー) → 独裁制(ティラニー)
A貴族制(アリストクラシー) → 寡頭制(オリガーキー)
B複合民主制(ポリティー) → 衆愚制(デモクラシー)

というようなパターンがあることに気が付く。アリストテレスは、
このような体制はどれも堕落("→"のように変化しやすい)してし
まい、民衆を完全に満足させることができないために、革命によっ
てどんどん取り替えられると説いている。

これからわかることが一つある。アリストテレスはネオコンたちの
ように民主制を心から信奉していたというわけではなく、むしろダ
メな体制(衆愚制)としてあげており、しかも自分の先生のプラト
ン同様に、良い民主制(ポリティー)は衆愚制や専制にとって代わ
られる不安定なもの(例:ワイマール体制→ナチス独裁制)だと考
えていたのだ。だからこそこの事実を一番理解していたネオコンの
神父的な存在であるレオ・シュトラウスは、「不安定な民主制を、
なんとしても守らなくてはならない」と考えていたのだ。

ちなみにアリストテレスが一番信頼を置いていたのは「ポリティー
polity」と呼ばれる、民主制と貴族制(&王政)が入り混じった、
いわば混合的な「良い民主制」であり、しかも中間層(ミドルクラ
ス)を作ることが重要であると主張している。そういう意味では政
体的にはぐちゃぐちゃであったにも関わらず、国民のなかに「総中
流意識」が芽生えていた戦後の日本は、もしかするとアリストテレ
ス的にはかなり理想的な政治体制だった(?!)のかもしれない。

▼それでも重要な「目的論」のロジック
じゃあやっぱりアリストテレスはネオコンと全然違うじゃねーか、
という反論は、やはりするどいとこを突いているのだ。しかしなが
ら、それでもアリストテレスはネオコンにつながってきているのだ
。とくに重要なのは、『政治学』における彼の「循環する自然」と
いう考え方ではなく、『自然学』の中にあった「目的論」なのであ
る。

これはなぜなのかというと、アリストテレスの目的論は、その後い
ったんギリシャと西洋を離れてイスラム教やユダヤ教の神学に流れ
込み、これがキリスト教の自然観へとつながってきたからである。

ご存知の通り、ギリシャの伝統というのは、ギリシャが衰退してか
らは西洋ではいったん忘れ去られてしまい、ローマが勃興してくる
までは中東やアフリカのほうで温存されていたのである。これがア
ラビアやユダヤ教の神学のロジックとして受け継がれ、これがロー
マへと流れ込むにしたがってキリスト教へと組み込まれたというか
らくりなのである、

よって、「人類全体の普遍的な、ひとつの方向に進む歴史」という
アイディアが西洋で出てきたのは、やはりアリストテレスの目的論
のロジックを受け継いだキリスト教の出現によるところが大きい。
アリストテレスのような「古代の進化論」を受け継いでこれを西洋
で発展させる基盤になったのは、キリスト教の理論だったのである。
★以下、次週へつづく

■	参考文献(順不同)
― アリストテレス、『政治学』、『自然学』『形而上学』(岩波など)
― オズワルド・シュペングラー、『西洋の没落』(五月書房)
―Strauss, Leo. and Cropsey, Joseph. "History of Political 
 Philosophy."(University of Chicago). 


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