1551.不文憲法を提唱する理由



件名:不文憲法を提唱する理由  久保憲一

no.1532.不文憲法のすすめついてご反論いただきました石塚 和史 様ありがとうご
ざいます。しかしどうも拙論を充分読んでいただいていないようですね。拙論の主旨
から少し離れたご反論のようです。そこで先の拙文は舌足らずの感があるかと思い、
改めてここに詳述致します。
           
 私は、成文憲法(Constitutional Law)ではなく、歴史、伝統、
国民性に立脚した広義の憲法(Constitution)を重視しているのです。

ところで、発展途上国ほど立派な成文憲法を有する傾向があります。皮肉なことにそ
れらの国では立派な成文憲法があるにもかかわらず遵られていないことが多いので
す。所詮、先進国からの「借り物憲法典」だからです。
また憲法の条文と実態があまりにも乖離していることも多々ある。あなたは中共国広
東省より投稿いただいているようですが、この国がわれわれの言う{法治主義}には
程遠いということは最早お気づきでしょう。むしろこの国の政治は朝令暮改の「人治
主義」ですね?

そしてもうひとつ、あくまで「日本の憲法は日本人のための憲法」たるべきで、前の
戦勝国・英米人のための憲法では決してなく、ましてや中共や朝鮮の方々のための憲
法ではないことをお断りいたします。
したがって戦勝国のために米国によって無理やり書かされた「始末書憲法」「米国製
憲法」的な現行憲法はわが国の歴史や国情には適しない、と思うのです。かと言って
所謂「明治憲法」にも両手を挙げて賛成するわけではない。ここでは詳しくは述べま
せんが明治憲法は西洋に追いつけ、追い越せの「鹿鳴館憲法」「脱亜入欧」的憲法と
性格付けしています。明治には大変有効であり、また自前で作成したことは大いに評
価できる。しかし当時、世界中から絶賛された「民主的・近代憲法」も、今や多くの
点で「歴史的使命」を終えている、と私は思うのです。



  不文憲法を提唱する理由
                 鈴鹿国際大学教授 久保 憲一
            
一、はじめに

今日の日本では護憲論と改憲論議に終始している。しかしその実態を見てみると、両
者の目的は必ずしも主張と一致しているようには思えない。すなわち護憲、改憲を主
張する人々も「戦争放棄」「主権在民」「基本的人権」などの句を政争の具に、ただ
キャッチフレーズ風に連呼するのみで、憲法の内容を真面目に吟味しているようには
思えない。実際、土井たか子氏のような「護憲論者」も必ずしも日本国憲法を尊重
し、擁護しているとは思えない。なぜなら制定から最早半世紀が経ち、日本が最貧国
から世界一、二の富裕国となり、わが国を取り囲む情勢も激変したにかかわらず、ま
た制定当初から憲法条文に多くの矛盾・問題点を抱えているにもかかわらず、全く憲
法修正が行われていない。護憲論者とはむしろ現実無視の「現行憲法軽視論者」では
ないか。一般国民もまた憲法典を単なる政治理念、政治スローガン程度としか見做し
ていないむきがある。兎も角現在、憲法「不改正世界新記録」を日々更新中である。
これは実用的ルールとして憲法改正を頻繁に繰り返す欧米人にはとても理解し難い現
象であろう。むしろ筆者は成文憲法は日本には最早必要ではない、現行憲法では弊害
が多すぎるのではないかと思う。この際、日本国には成文憲法が不可欠という先入観
を捨て、現行憲法も廃すべき時がきたと思う。


二 成文憲法が必要なアメリカ合衆国

1 憲法の成立
周知のごとく合衆国は元々イギリスの植民地であったが、イギリス本国からの課税そ
の他の施政に反対して、一七七六年に独立宣言(Unanimous declaration of the
thirteen United States of America)を発して成立した。独立前の十三の植民地は、
イギリス国王に忠誠の義務を共通に負っていたとはいえ、実際にはそれぞれ自治的な
政治団体であり、ほとんど本国の干渉を受けることがなかった。また植民地相互間の
政治的連絡はほとんとなかった@。
しかしその後、本国政府の課税およびそれに続く威圧的な政策が各植民地を激昂させ
た時、各植民地は、共同して本国政府に対する抵抗を組織化することになったA。
一七六五年、九つの植民地それぞれを代表した委員たちは、本国政府に対する植民地
の苦情、わけても印紙法(Stamp-Act) に関する苦情申立てを作成するために、ニュー
ヨークに集まった。また一七七四年には、十二の植民地の委員が、フィラデルフィア
で第一回大陸会議(Continental Congress)を開いた。さらに一七七五年には、すべて
( 十三) の植民地の委員が第二回大陸会議を開き、一七七六年七月四日には独立宣言
を発した。かくて各植民地は、イギリス国王からそれぞれ独立し、相互に実質的主権
をもつ独立国となった。そして一七七七年一一月一五日、大陸会議は、連邦同盟規約
(Articles of Confederation and  Parpetual Union) を採用することにより、合法
性の形を得ようとしたB。この規約は、一七八一年までに各植民地によって批准され
たC。
しかし、この連合は、a national leagueというよりはむしろa leagueであった。こ
の連合においては、各邦の大小に拘らず、各邦が平等に一票の投票権を有していると
ころの連合会議のみ存在し、行政部や司法部は存在しなかった。連合会議は個々の人
民に対する司法権を持たず、また各邦の分担金(contribution)以外の資金を徴収する
手段も持っていなかった( 各邦はその分担金でさえ容易に拠出しようとしなかっ
た)。そして連合会議は、各邦にも、個々の人民にも服従を強制する権限を有しな
かったD。このように連合会議の権力は薄弱であったので、これを改訂し、一層強固
かつ緊密な連合をつくる必要から、一七八七年、フィラデルフィアにおいて『コンベ
ンション(Convention)』( いわゆる憲法制定会議) が開かれ、E今日の合衆国憲法が
制定された。

2 『牽制と均衡(checks and balances) 』社会
アメリカ合衆国憲法はアメリカ社会のさまざまな勢力の『牽制と均衡(checks and
balances) 』においてもたらされた、まさに「契約書」である。この『牽制と均
』の原則を他の伝統的な国々、とくに一民族一国家のわが国にそのまま当て嵌めよ
うとしてもおそらく現行憲法同様、充分機能しないであろう。なぜなら、この「牽制
と均衡」原則がこの国の端々で巧く機能しうる最大の理由は、この国が多人種多民族
国家であり、未だ建国二百年そこそこにしかなっていない人工の国家だからであろ
う。
合衆国憲法はそうした国の傑出した政治的リーダーたちが建国に際して智恵を出し合
い、編み出したという極めてすぐれた政治文書なのである。
そのアメリカ合衆国憲法の特色については、ジョン・アダムス(一八一四年)が次の
ように述べている。
われわれの憲法ほど複雑な均衡〔装置〕を持った憲法がこれまであったであ
    ろうか。まず第1に、一八の州といくらかの準州が全国政府と均衡してい
る。
    第2に、代議院が元老院に対し均衡をとっている。第3に、行政府がある程
度
    立法府に均衡をとっている。第4に、司法府が代議院と元老院、行政府や州
政
    府と均衡している。第5に、すべての官職やあらゆる条約について元老院が
大
    統領に対し均衡とっている。第6に、国民は2年毎の選挙において、自分達
の
    代表者に対る均衡を掌中に握る。第7に、いくつかの立法府は6年毎の選挙
に
    おいて連邦元老院に対して均衡をとっている。第8に、大統領の選出にあ
たって
    は、選挙人が国民に対して均衡をとっている。ここに複雑な均衡の洗練があ
り、
    私の記憶する限り、これは我々自身の発明であり、我々固有のものである
F。

とくに連邦主義(Federalism)と三権分離主義(principle of separation of three
powers) は合衆国特有の二制度であり、それらは合衆国憲法に巧妙に組み込まれた。

(1) 合衆国連邦主義の構造
合衆国憲法によって連邦主義が確立され、連邦と各州との間において政治上の権限は
主に次のように分配された。

連邦政府( 広義の意味の政府) の権限 
連邦政府は、憲法に列記された権限( 連邦政府に委任された諸権限) のみを有する。
その外のほとんどすべての権限は、各州政府に留保される。そしてこれをより一層確
実にするため、憲法第一〇条修正条項において『この憲法によってアメリカ合衆国に
委任されずまた各州に禁止されていない権限は、それぞれ各州または人民に留保され
る』と規定された。
連邦政府の権限として憲法に列挙されているものは次の通りである。
@軍 事
連邦議会は、戦争を宣言し(Art.T.,Sect.8,CL.11.) 陸海軍を編成し、維持し(Art.
T., Sect.8,Cl.12.13.) 、またその統轄および規律に関する規則を定める権限を有
する(Art. T., Sect.8,Cl.14)。
連邦議会は、連邦の法律の執行、反乱の鎮圧および侵略の撃退のために民兵を召集す
ることに関する規定(Art.T., Sect.8,Cl.15) 、また民兵の編成、武装および訓練に
関する規定、並びに合衆国の軍務に服すべき民兵の一部についてその統轄の規定を設
ける権限を有する。但し、各州は民兵に関し将校を任命しおよび連邦議会の規定に従
い訓練を行う権限を留保する(Art.T., Sect.8,Cl.16.)。
連邦議会が同意を与えなければ、各州は平時において軍隊あるいは軍艦を備え、また
現実の侵略を受けもしくは猶予しがたい急迫の危険がない限り、戦争行為をなしえな
い(Art. T.,Sect.10,Cl.3.)。
合衆国は、この連邦内の各州に共和政体を保障し、侵略に対して各州を防護し、また
州内の暴動に対し、州の立法部もしくは( 立法部が召集しえない時は) 行政府の請求
に応じて保護を与える(Art.W.,Sect.4.)。
そして大統領は、合衆国陸海軍および徴収されて合衆国の現役に服する各州の民兵の
最高司令長官(Commander in Chief)である(Art.U.,Sect.2 ,Cl.1.)。
A外 交
連邦議会は、諸外国との通商を規律し(Art.T.,Sect.8 ,Cl.3.) 、関税を賦課徴収し
(Art.T., Sect.8 ,Cl.1.) 、公海において犯された海賊行為並びにその他の重罪お
よび国際法に対する犯罪を定義し、その罰則を定める権限を有する(Art.T.,Sect.8
,Cl.10.)。但し各州より輸出される物件には租税あるいは関税を賦課しえない
(Art.T.,Sect.9 ,Cl.5.)。
大統領は、元老院の助言により同意を得て、条約を締結する権限を有する
(Art.U.,Sect.2 ,Cl.2.)。
大統領は、外国の大使その他の公使を接受し(Art.U.,Sect.3.) 、合衆国の全権大使
その他の外交使節並びに領事を推薦し、元老院の助言により同意を得て、これを任命
する(Art.U., Sect.10,Cl.1.) 。
もちろん各州は、条約、同盟もしくは連合を締結しえないし
(Art.T.,Sect.10,Cl.1.) 、また連邦議会の同意を得ずに、輸出入税および噸数税を
賦課し、外国と協定もしくは協約をなしえない。(ArtT.,Sect.10,Cl.2.3.)
B州際通商
連邦議会は、各州間の通商を規律する権限を有する(Art.T.,Sect.8,Cl.3.)。連邦議
会は、合衆国全体に共通な破産に関する法律を制定し(Art.T.,Sect.8,Cl.4.)、貨幣
を鋳造し、その価格および外国貨幣の価格を規律し、度量衡の標準を定め
(Art.T.,Sect.8,Cl.5.)、郵便局および郵便道路を建設し(Art.T.,Sect.8,Cl.7.)、
さらに著作者および発明者をして著述および発明に関する専属的権利を確保せしめる
権限を有する(Art.T.,Sect.8,Cl.8.)。そして合衆国は、海事裁判権を有する
(Art.V.,Sect.2,Cl.1.)。
また連邦政府は、課税、司法分野の事項を扱う権限も有する。
以上のごとく、連邦政府は、極めて限られた分野の事項を扱う権限しかもたないG。

各州政府の権限  
合衆国の各州政府は、課税し、州債を発行し、多くの民・刑法典を作成し、執行し、
各州住民の保健、安全および福祉に関する極めて広汎な諸権限を行使し、学校を設立
し、教育を監督し、会社を認可し、統制し、実際的にはすべての選挙権や選挙に関す
る法律を作成し、慈善事業や矯正事業を管轄し、州内の商業を規制し、並びに地方政
治に関するあらゆる規制および条件を作成する権限を有するH。もちろん以上は、各
州政府が扱う事項すべて言い尽くしてはいない。しかしそれが極めて広範囲に亘り、
且つ重要であることを示すに充分であろう。

(2) 合衆国三権分離主義の枠組
アメリカ合衆国政治組織の基本的特徴のもう一つは、比較的厳格な三権分離主義の適
用である。この国では、憲法の規定により、立法権は連邦議会に
Art.T.,Sect.1.) 、行政権は大統領に(Art.U.,Sect.1.) 、そして司法権は一つの
連邦最高裁判所と連邦議会の随時に設定する下級裁判所に与えられている
(Art.V.,Sect.1.) 。そこでこれら三つの機関において、三権分離主義がいかに厳密
に適用されているかを、各機関の構成と権限の両面から一瞥してみよう。

構成面において、
連邦議会は、元老院(Senate)と代議院(House of Representatives)の二院から構成さ
れている。
元老院は、五〇の各州から二名ずつ、六年の任期をもって、州毎に人民によって選出
される一〇〇名の元老院議員(Senators)から成り、三分の一ずつ二年毎に改選されて
いる(Art.T.,Sect.1.3,and Art.]Z.) I
代議院は、任期二年をもって、二年毎に各州毎に人民によって選出される代議院議員
(Representatives) 四三五名をもって構成される。そして代議院議員数は、各州人口
数に比例し、各州に配分される( その配分は十年毎の国勢調査に基づく) 。各州はそ
れぞれ少なくとも一名の代議院議員をもつこととなっている(Art.T.,Sect.2.and
Art.]W.)J。
なお三権分離の原則上、元老院および代議院の議員は、大統領その他の行政部の官吏
または裁判所判事を兼ねることができない(Art.T.,Sect.6.cl.2.)。
大統領は、四年の任期を有し(Art.U.,Sect.1.Cl.1.)、再選は一度だけ許される
(Art.]]U., )。
大統領が死亡または職務遂行不能となった場合、大統領は、副大統領
(Vice-President)によって継承される(Art.]]X.,Sect,1.) 。一旦大統領が選出さ
れたならば、彼が法律上の罪過により、代議院において弾劾の提訴をされ、元老院に
おける有罪判決によってその職を免ぜられる場合を除いて、大統領は、在任期間中、
罷免されることがないK。
大統領は一般有権者により間接選挙によって選出される。すなわち一般有権者は大統
領を直接選挙するのではなく、大統領を選挙すべき選挙人を選ぶのであり、そしてそ
れらの選挙人によって大統領は選出される。
 合衆国連邦裁判所には、三つのレベルの裁判所がある。一つは、パナマ運河地帯な
ど、四つの領土裁判所(territorial court) である。二つは、現在十一ある巡回控訴
裁判所(Circuit Court of Appeals)。そして三つは、憲法に規定されている
(Art.V., Sect.1.2.) 一つの最高裁判所(Supreme Court) である。
連邦最高裁判所は、現在九名の判事から成る。判事は三段階を経て任命される。連邦
最高裁判所の判事に空席が生じた時、それを補充するために大統領は適当と考える人
物を指名する。そこで元老院は、その指名を承認するか拒否するかを投票によって決
する。この承認には単純過半数が必要である。被指名者が承認され、大統領はその地
位に彼を任命することになるL。連邦最高裁判所判事は終身官職である。彼は、引退
するか、死亡するまでは、弾劾による以外、罷免され得ない。

要するに、元老院および代議院からなる連邦議会の議員と大統領は、おのおの人民か
ら別々に選挙されるので、いずれか一方が、他に依存するということはない。また連
邦最高裁判所判事は、大統領により元老院の助言と同意をもって任命されるので、連
邦議会と大統領の牽制する真ん中に立ち、そのうえ終身官のため、これまた独立を
保っているのである。大統領は、彼の行動の責任を連邦議会に対して負うのではな
く、彼を選んだ人々に個人的に負うことになっているM。

つぎに権限面において、
連邦議会
連邦議会は、三権分離の原則上、立法権を独占する(Art.T.,Sect.1.)。したがって
法律案を提出できるのは、連邦議会議員に限られる( 大統領は、直接にも、彼の閣僚
を通じても、法律案を提出し得ない) N。
そして連邦議会が立法し得る事項は、憲法上の様々な条項や修正条項に列記されてい
る。まず第一条八節には、連邦議会の立法事項のほとんどすべてが定められている。
連邦議会は、租税、関税、間接税、消費税を賦課徴収し(Cl.1.) 、金銭を借り入れる
( 国債を発行する) こと(Cl.2.)。諸外国、諸州間並びにインディアン族との通商を
規律し(Cl.3.) 、帰化、破産(Cl.4.) 、貨幣、度量衡(Cl.5.) 、郵便(Cl.7.) 制度を
設けること。著作者および発明者に著述および発明に関する専属的権利を確保させる
こと(Cl.8.) 。連邦裁判所のもとに下級裁判所を組織すること(Cl.9.) 。合衆国の証
券および通貨の偽造(Cl.6.) 、公海における海賊行為および重罪、並びに国際法に対
する違反行為に対して懲罰規定を設けること(Cl.10.)。宣戦を布告し、私掠免許状を
付与し、海陸における捕獲規定を定めること(Cl.11.)。陸海軍を編成、維持し
(Cl.12.13.) 、またその統轄および規律に関する規則を定めること(Cl.14.)。連邦の
法律の執行、反乱の鎮圧および侵略の撃退のために民兵を召集することに関する規定
(Cl.15.)、また民兵の編成、武装および訓練に関する規定、並びに合衆国の軍務に服
すべき民兵の一部についてその統轄の規定を設けること(Cl.16.)。合衆国政府の所在
地となる地区の統治に関すること(Cl.17.)。および『上記の権限および本憲法によっ
て合衆国政府またはその官庁もしくは官吏に対して付与せられる一切の権限を執行す
るために必要にして適当なすべての法律を制定する』こと(Cl.18.)ができる。
連邦議会はまた、他の条項においても次のような権限を有する。
第一条七節一項には『歳入の徴収に関する総ての法律案は、まず代議院に提議されね
ばならない。ただし元老院は他の法律案についてと同じく修正を発議し、または修正
を付して同意することができる』と規定されている。また代議院は、歳入法案のみな
らず、歳出法案についても、慣例上、発議権を有することになっている。そして元老
院は、代議院から送付されたこれらの予算法案に対して、事実上完全な修正を行い得
るO。
連邦議会は、大統領、副大統領および合衆国のすべての官吏を、反逆罪、収賄罪ある
いはその他の重罪、軽罪の理由によって弾劾し、かつ有罪の判決を与えることによっ
て、その職を罷免させることがある(Art.U.,Sect.4.)。その際、代議院が問題の官
吏を弾劾または告発し、元老院は、副大統領を議長として( 大統領を裁判する時に
は、最高裁判所長官を議長とする) 被告を審理する。この審理の手続きおよび規定に
関しては、憲法第一条三節に記されている。
元老院は、大統領が条約を締結するにあたって、助言と同意を与える権限を有する
(Art. T.,Sect.2.Cl.2.)。元老院は、大統領が大使およびその他の外交官、最高裁
判所の判事および各省長官その他の高官を任命するにあたって、助言と同意を与える
権限をもっている(Art. U.,Sect.2.Cl.2.)。
連邦議会は、両院の三分の二の多数をもって大統領の立法拒否を覆し得る(Art.
T.,Sect.7.Cl.2.)。
法律案の審議は、事実上、主に少数の議員からなる常任委員会(standing
committees) において行われ、これを通過すると特別な場合を除き、普通、本会議で
は形式的に通過するだけであるから、常任委員会の経過がほとんど法律案の運命を決
定する。
なお連邦議会は、政府または大統領に対する不信任決議権も、各省長官に対する罷免
権も持たない。

大統領
行政権は、三権分離の原則上、アメリカ合衆国大統領だけに属する
(Art.U.,Sect.1.Cl.1.)。そして、大統領は、法律が誠実に執行されることを監視す
る(Art.U.,Sect.3.) 。行政府各省の職務に関する事項について、文書により、行政
府各省の意見を求めることができる(Art. U.,Sect.2.Cl.1.)。弾劾裁判事件を除く
アメリカ合衆国に対する犯罪について、刑の執行延期および恩赦を行う権限を有する
(Art. ・,Sect.2,Cl.1.)。アメリカ合衆国の状況について情報を連邦議会に提供し、
また大統領が必要にして得策であると考える施策について連邦議会に審議を勧告する
(Art.U.,Sect.3.) 。緊急の場合、両院かまたはどちらか一方の議院を召集すること
ができる(Art.U.,Sect.3.) 。連邦議会の両院を通過したすべての法律案を承認する
か、または拒否権を発して、その法律案が発議された議院に差し戻すことができる
(Art. T.,Sect.2,Cl.2.)。アメリカ合衆国軍隊の司令長官である
(Art.U.,Sect.2,Cl.1.)。元老院の助言と同意を得て、条約を締結する権限を有する
(Art.U.,Sect.2,Cl.2.)。合衆国の全権大使その他の外交使節並びに領事を推薦し、
元老院の助言により同意を得て、これを任命する。また元老院の停会中、官吏に欠員
が生じた時、その欠員を補充することができる(Art. U.,Sect.2,Cl.2.3.)。外国の
大使その他の公使を接受する(Art.U.,Sect.3.) ことができる。
しかし、大統領もしくは行政府の他の閣僚によって立案された法律案が( 議院を通
じ) 両院のいずれかに提出されても、いかなる閣僚( 実際には大統領の個人的な補助
官である)も、連邦議会の委員会によって証言のため出席を求められた場合以外、そ
の法律案を説明もしくは弁護するために、自発的には連邦議会に出席できないP。
また大統領は、緊急時における臨時議会(special session) 以外には、連邦議会を召
集し得ない( 連邦議会の通常議会の開会時期は法律に定められている) Q。
さらに大統領は、両院が停会時期について意見一致しない限り、連邦議会を停会でき
ない。また大統領は、連邦議会を解散できない。

連邦裁判所
司法権は、三権分離の原則上、一つの連邦最高裁判所と連邦議会の随時に設定する下
級裁判所に与えられている(Art.V.,Sect.1.) 。なお連邦裁判所の扱う事項は、既述
通りである。
以上のごとく、三権は極力独立を保ち、互いに均衡を維持しつつ牽制しているのであ
る。

要するに、様々な人種が混住する多民族社会のアメリカなら、そこに実用的ルールは
不可欠であろう。そして合衆国憲法が「契約書」的性質を帯びるのも必然となろう。


三、不文憲法を実践するイギリス

1 憲法の成立R
この国の憲法(広義における憲法)は、大部分、歴史的事実の蓄積の結果であり、長
い時代を通じ、発達してきたものである。他の国の憲法とは異なり一文書に記述され
ず、伝統、慣習、しきたり、および法律で成り立っている。もちろん慣習やしきたり
は法的強制力を持たない。しかしこれらは政府の運営には不可欠のルールであり、実
践である。
確かにイギリスのような伝統的な国では、その経済的凋落にもかかわらず、世界で最
も安定した政治社会秩序を保持している。そこでまずイギリス憲法成立史を概説して
おこう。
イギリス政治制度の起源は、サクソン統治時代(五世紀から一〇六六年のノルマン
ディー公ウィリアム一世の「ノルマン征服(Norman Conquest) 」まで)にまで遡る。
この時代に君主制が誕生し、国王が賢人会議に助言を求める観念も生じた。
一〇六六年以後の「ノルマン征服」時代は国王統治を極めて強化した。しかし、ジョ
ン王( 一一九九年−一二一六年)の行為が貴族と教会指導者の対立を生んだ。かくて
一二一五年、貴族たちはマグナカルタ( 大憲章) に具体化された一連の妥協案に同意
するよう国王に強要した。王権の乱用に対して封建地主の権利の保護を定めたこの憲
章は、国王に対する一般市民の重大な権利表明となった。
『議会(Parliament)』という言葉も、巨額な課税が必要な時、国王が召集する封建貴
族とカウンティー、タウン代表者との会合を指すために一二三六年に初めて公式的に
使用された。
一五世紀に至るまで議会は法律作成権を要求し続けた。かくて神権統治を主張する国
王と立法権を要求する議会との軋轢によって、一六四二年、清教徒革命(the Civil
War) が勃発した。一六四九年、国王軍は敗北し、チャールズ一世は処刑された。か
くて君主制、貴族院は廃止、共和制となる。しかしこの共和制も『護国卿オリバー・
クロムウェル』の死によって二年後(一六六〇年)に廃され、チャールズ一世の王
子、チャ―ルズ二世が復位した。
チャールズ二世を継承したジェームズ二世は議会の同意を得ず統治しようとした。そ
こで、一六八八年、指導者たちは、イギリスの「侵害された自由を確保」するため、
オレンジ公ウィリアム( チャールズ一世の孫のジェームズ二世の長女メアリーの夫
君) をオランダから招いた。ジェームズ二世はフランスへ亡命する。一六八八年の革
命の翌年、議会は、議会請願を無視した国王に厳格な「権利の章典(the Bill of
Rights)」Sを通過した。
国王はそれでも依然として行政の中心に居続けた。ただ大臣たちや内閣は、国王と議
会を政府運営上協働させる行政部と立法部間の連結環となった。大臣たちは、国王に
よって任命されるが、立法を通過し、課税に賛成投票するよう議会を説得し、庶民院
の多くの支持を得ねばならなくなった。
ところが、一七一四年のジョージ一世の即位から数年後、国王は閣議に出なくなり、
その後の国王たちも出席しなくなった。代わりに首相と呼ばれる「大蔵省第一総裁
(First Lord of the Treasury)」が内閣を主宰するようになる。以来、内閣は行政
権を相対的に獲得し、国王の行政執行上の影響力を徐々に減らした。一七二一年から
四二年までの首相、サー・ロバート・ウォルポールは、内閣と議会を結合し、今日の
首相とほぼ同じ役割を担うおそらく最初の首相となった。かくて一九世紀中葉以降、
首相は通常、庶民院の過半数を占める政党の党首となった。イギリスの長い歴史にお
いて、以上のように国王の権力は次第に削がれてきたのである。

2 権利の章典
イギリスには成文憲法はない。しかし国王から権力を奪取した重要文書、いわゆる
「奪権の証文」は多い。その主なものに次のものがある。
「大憲章」( マグナ・カルタ)    一二一五年
「承認なき課税」          一二九五年
「権利請願」            一六二八年
「政体書」             一六五三年
「権利章典」            一六八九年
「王位継承法」           一七〇一年
「議会法」             一九一一年
「性別による欠格の除去に関する法律」一九一一年
「最高裁判所法」          一九二五年
「ウエストミンスター条例」     一九三一年
「国務大臣法」           一九三七年 一九六四年改正
「インド独立法」          一九四七年
「国民代表法」           一九四九年
「貴族法」             一九六三年

中でも代表的重要文書に「権利の章典」( Bill of Right) Sがある。内容を瞥見し
よう。
@議会の同意を経ない王権による法律もしくは法律の執行を停止する虚権は、不法で
あるということ。
A最近臆断され執行されたような王権による法律もしくは法律の執行を停止する虚権
は、不法であるということ。
B最近のCourt of Commissioners for Ecclesiastic Causesを建設するための  
Commissionおよび同じような性質のその他のCommissionersやCourtsは不法であり、
そして有毒であるということ。
C議会の同意なく大権に託して王の使用のため金銭を徴収することは、不法であると
いうこと。
D国王に請願することは、臣民の権利であり、そしてこのような請願に対する総ての
収監および告訴は、不法であるということ。
E議会の同意があるのでなければ、平和な時代において、王国内で常備軍を募集し、
または保持することは、不法であるということ。
F新教徒である臣民は、その状態に応じて、また法律によって許されたような、かれ
らの防衛のための武器をもつことができるということ。
G議会の議員の選挙は自由でなければならないこと。
H議会における言論、討議もしくは議事の自由は、議会外のいかなる法廷または場所
においても問責され、または問題にされてはならないこと。
I過当の保釈金は要求されてはならず、また過当の罰金は課せられてはならず、さら
に残虐または異常の刑罰は加えられてはならないこと。
J陪審員は、適当に陪審員名簿に記載されたる者でなければならず、そして大逆罪の
場合においては、土地自由保有者でなければならないこと。
K有罪の判決前における特定人の罰金または科料の認可および約束は、不法であると
いうこと。
L総ての不平を匡正し、法律を改正し、強化し、そして保持するため、議会はしばし
ば開かれねばならないこと。
要するに「権利の章典」( Bill of Right)も国王からその諸権力を奪取した「奪権の
証文」であることが極めて明白であろう。
  

三、矛盾・問題点の多過ぎる日本国憲法

1 前文の矛盾・問題点
日本国憲法前文は、いわゆる「護憲論者」たちには絶賛されている。しかし、この文
章は果たして憲法前文として適当なものか、大いに疑問である。
まず文体についてみると、冒頭の『日本国民は,正当に選挙された国会における代表
者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を礁保し、政府の行動によって再ぴ戦争の
起こることのないようにすることを決意し,ここに主権が国民に存することを宣言
し、この憲法を確定する』などは全く意味が判らない。例えば、この『行動』とは一
体何を意味しているのか。            「諸国民の協和による成果」と
は何か。一文の中に三度も「こと」が繰り返されている。これを決して良い日本文と
は言わない21。文章も極めて冗漫。事実,第九十帝国議会の代表質問において、日本
社会党の鈴木義男議員は、「前文は、その憲法の制度の由来などを記して、簡潔荘重
にその重要性を宣言するのが普通であります。これを読みますと、まことに冗漫であ
り、切れるかと思えば続き、源氏物語の法律版を読む如き感がある。極端に申せば、
泣くが如く、訴うるが如く、鰯々として尽きざる縷の如しと言いたい。一抹の哀調さ
え漂っている感さえあります。これは果たして経国の大文字と言うことができるであ
りましょうか」と問題視し、政府案に反対した22。
周知のごとく、日本国憲法の原文は英語であり、文中にはアメリカ独立宣言、フラン
ス人権宣言、合衆同憲法、ワイマール憲法、リンカーンの演説、聖書、フォークソン
グなど、欧米の多くの名句がパッチワークのように引用されている。
まず、翻訳のもつ限界性がある。 @日本文としての不自然さは免れない。例えば、
C・ダグラス・ラミス教授(津田塾大学)によると23、そもそも母語でものを書くと
き、ひとは意味の正確さだけで言葉を選ばない、ニュアンスとか味わい、慣習的用法
が伝える響き、文章の調子、その他多くの漢然とした言葉を、半分無意識に選ぶもの
である。ところが、翻訳はこれらすべてを揃えることを困難にするという。
また翻訳は必然的に語彙の幅を原文より狭く、直截的にしてしまうという。例えば前
文の冒頭の“We, the Japanese People”は、合衆国憲法の一行目の“We the
Japanese people of the United States”の明白な借用であるが、『日本国民は』と
訳している。『国民』の意味は“the people〔人民〕”より狭義である。より重要な
ことは“We〔われわれ〕”という語が落ちてしまっていることである。同文中の
“secure for our selves and posterity”“the blessing of liberty”という聖
書的用語も合衆国憲法前文の引き写しであり、それぞれ『われらとわれらの子孫のた
めに』『自由のもたらす恵沢』と極めてぎこちない表現に訳ざれている。これでは英
文の快いリズムは見出し得ないという。要するに、ラミス氏は、日本国憲法前文が訳
文としても良いものではないと言う。
とはいえ、憲法前文はその制定由来、手続きおよぴ憲法の根底的な考え方や目的を示
す極めて重要な意義を有している24。
(ア)その書き出しは『日本国民は、正当に選挙ざれた国会における代表者を通じて
行動し、われらとわれらの子孫のために……この憲法を確定する。』となっている。
つまり日本国民は、正当に選挙された国会における代表者の手を通してこの憲法をつ
くったという訳であるが、これは事実に反し、嘘である。言うまでもなく、この憲法
を議決したのは『国会』ではなく『帝国議会』である。上諭には『朕は枢密顧間の諮
詢及ぴ帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、こ
こにこれを公布せしめる』と明記されている。
またこの憲法を議決した帝国議会の貴族院は、一般国民から選ばれた議員から構成さ
れる衆議院とは異なり、皇族や華族、多額納税者や学士院会員という持別な身分や地
位をもつ人々から構成されていたので貴族院議員が『正当に選挙された代表者』とは
言い難い。
またこの前文では、文脈上『国会』が日本国憲法を生んだことになっているが。しか
し国会は今の憲法ではじめて設置ざれたもので、この憲法のできる前には存在しな
かったため日本国憲法は冒頭から全く誤まっている。
(イ)ひき続き『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威
は国民に由来し、その権力は、国民の代表者がこれを行便し、その福利は国民がこれ
を享受する。これは人類普通の原理であり、この憲法は、かかる原埋に基づくもので
ある』という文句が連なる。
まず前方の『国政は国民の信託による』という言葉は、国民が政治を行う権利を政府
に信託し、政府はその預かった権利に基づいて政治を行なう、という三百余年前の
ジョン・ロックの思想であり、絶対王政や政府の専制政治に国民が耐え切れなくな
り、それを背景として、時の政権に対する反抗として起こされた所謂イギリス革命、
アメリカ革命、フランス革命の教義的基礎となったものである。しかし我が国には、
現憲法が採用される迄は国政は国民の信託によるという考え方(およぴ自然法の思
想)は全くなかった。またわが国の民主政治は、上記の国々とは異なり、絶対王制や
専制政治の反抗として国民白身によって起こされたものではない、戦勝国のアメリカ
の命令で採用されたものである。したがってこの『信託』の観念は、民主政治発足当
時のイギリス、アメリカまたはフランスの国民に理解ざれた程に、わが国民には理解
されるはずがない。ましてやロックのこの思想は、西洋の一つの神話であり、なんら
歴史的事実に基かない観念的教義に過ぎない。歴史、伝続およぴ風土を異にする今日
のわが国民にとって、古い西洋の神話が素直に受け入れられるはずがない。
更にこの文句の後の『その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行
使し、その福利は国民がこれを享受する』という部分は、勿論リンカーンのゲティス
バーグ演説の一部『人民の、人民による、人民のための政治』の焼き直しである。そ
してこれを現行憲法では『人類普遍の原理』であると言っているが、これは決して人
類普遍の原理ではない。単なるスローがンである。とくに『その権威は、国民に由由
来し』という言葉は「人民の政治」ということで、「主権在民」を指すと言われてい
る。しかし、これでは、民主主義の母国と言われ、事実上、国王を含む議会に主権が
在るイギリス政治が民主主義でなくなる。
また『その福利は国民がこれを享受する』というのは「人民のための政治」という言
葉を、やや解説的に表現しているに過ぎないが、これでは、民主政治とその反対の独
裁政治とを全く区別できない。なぜなら独裁政治を行なったといわれるムッソリーニ
やヒトラーは言うに及ばず、いかなる独裁者も国また国民のために政治を行なうこと
を力説しない者はいないからである。
(ウ)また前文には『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する
崇高な埋想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し
て、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』とある。
まずこの文章の『人間相互の関係を支配する崇高な埋想』とは一体何か、理想とは
「法則」の誤用ではないか。またこの文脈から判断すると、この崇高な理想とは『恒
久平和』とならざるを得ない。ところが英語原文を見ると『理想』は『the high
ideals』と複数になっている。それならば「高い諸理想」とは一体何なのか、この文
章はますます不明瞭、曖味となってくる。
そして『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持し
ようと決意した』という文句が続くが、果して『平和を愛する諸国民』とはどこの国
民か。アメリカか、イギリスか、フランスか、ドイツかあるいはロシアか中国か。こ
れらの国は、自国の利益を著しく犠牲にしても、自国の国益を甚だしく損なっても公
正と信義のために我が国を助けてくれるというのだろうか。もちろん世界の諸国民は
みな現実に立脚し、自国民や国益を守るために莫大な金をつかって軍隊を維持し、そ
れらの国々のうちには核兵器やミサイルをもち、核爆発の実験を行なっている。そも
そも軍隊をもっているこれらの国民が軍隊を持たない日本国民を信頼するというのな
ら論埋的に理解できる。しかし軍隊をもたないわが国が軍隊をもつ国を信頼するとい
う論理は全く理解できない。一体、軍隊や核兵器をもっていても諸外国を信頼し、そ
れを当てにし、自国の安全と生存を任せ、自国民を信用できない国を、果たして独立
国と言えるであろうか。兎も角、世界では二十ケ所位で現実に常に戦争が行なわれて
いることを忘れてはならない。
それではなぜこれほど粗雑、非現実、かつ非論理な日本国憲法になってしまったの
か。
その第一の理由は、日本国憲法はGHQ(総指今部)の命令,監視の下、アメリカの
対日戦略の一環として制定されたもので,日本国民の白由意志の下に制定されていな
いからである。
第二の理由は、この憲法の草案あるいはその大部分が、アメリカ人(占領軍)によっ
てあまりに短期間に英文で起草され、日本語に訳されたところに無理にあろう。
事実、連合軍最高司令官マッカーサー元帥が総司令部自ら憲法草案作成を決定し、昭
和二一年二月三日にその指針を与え、僅か一週間後のニ月十日に完了した。草案は十
三日に日本政府に手渡され、事実上ニ月二十二日に受諾された。その翻訳の作業はニ
月二十三日に開始され、総司令部の連日の催促と熱い折衝下、昼夜行われ、なんとか
三月五日に政府案として確定した。ニ十六日の閣議で,総司令部案に沿って政府案が
起草されることに決定した25。これは日米両国の憲法学者が一致して認める事実であ
る。

2.進む日本国憲法の形骸化
また、今日、日本国憲法の条文には多くの空文,死文が散見される。中川剛教授(広
島大学)によれば26、そもそも日本国憲法には、
(1)最初から全く守られなかった規定(2)殆ど現実的に意味のない規走として
(3)社会の変化と共に従来の規定では今日充分に対応し切れなくなった規定等があ
るという。
(1)の典型的な規定には,やはり第九条が挙げられよう。この規定は,先ず昭和二
十七年までアメリカ軍の支配を経て,その後も再軍備,日米安全保障条約などによっ
て侵害された。また日本国憲法の大原則たる国民主権も,今だに実現ざれていないと
言われている。何故なら,歴史的実践の中で国民主権が確立する最小限の条件は,国
民の意志により政府権力をひとつの政党から他の政党に委譲することであるとする
と,このような政権委譲は,我が国において一度も完全に実行されたことがないから
である。
(2)の典型的な規定として,第十八条の奴隷的拘東・苦役からの自由は,奴隷制度
のあったアメリカにおいては意味のあった規定であるが,我が国では殆ど間題になら
ない。この規定は,合衆国憲法修正十三条の引き写しである。また精神的自由として
の第十九条の思想・良心の自由,第二十条の信教の自由,第二十一条の集会・結社・
表現の自由,通信の秘密,検閲の禁止に関し,思想・良心の自由は,信教の自由・表
現の自由と重複するので殆ど独自の意味を持ち得ない。
(3)の典型的規定として,中川教授が言うに,集会・結社・表現の自由は,古典的
市民社会においては価値ある精神的自由であったかもしれないが,これらは今日では
精神的自由とのみ言い切れない。今やこれらはいずれも精神活動内に止まらず,身体
行動となっている。例えば集会自体が身体行動であり,経済目的の結社つまり営利会
社の設立なども精神的自由権の行使と言い難い。それでは人間行動のすべてが精神的
自由の発現となってしまうからである。
これは特に表現の自由についても言える事であり,営業活動,労働争議,生活保護の
申請も,およそ法的意味のある人間行動は例外なく表現ということになるが,第二十
一条の表現の自由はおそらくそこまで意味しない。事実,憲法上の間題となるのは政
治的支配や経済的利益のための表現の自由に限られる。結局言論の自由を中心とする
表現の自由が,あたかも一般的に純粋な精神的自由であるかの如くに信じられ,民主
主義社会の存立の基礎の如く学説判例によって論じられるのは,アメリカ人の政治観
が,合衆国連邦最高裁の判例を通じて日本に導入されているためであろう。これは,
言論出版によってイギリス本国から独立したアメリカであるからこそ尊重されうる民
主主義イデオロギー,建国神話であり,流血革命によって権利宣言したフランスに
は,全く適用され得ない。ましてや占領下GHQの言論統制のもとに成立した日本国憲
法から、表現の自由が民主主義の基礎であるという結論は引き出せようはずがないと
いう。
「護憲派」の筆頭に挙げられる政治家・社民党党首・土井たか子氏も現行憲法の形骸
化については熟知し,「当初憲法が作られたときにくらべますと,憲法が形骸化して
きていることも事実です。憲法が形骸化してくるということは,国民にとって幸福か
と言ったら,けっしてそうではない。憲法の役割がじゆうぶんに発揮されていて,し
かもそれが自然な状況でおたがいの生活のなかに溶け込んでいるということが,私
は,いちばん理想的なあり方だと考えているんです。一ですから,やはり憲法論争が
絶えないというのは,それだけ憲法がまだ生かざれていないということでしょう。」
27と述べている。

 3 伝統、慣習およびしきたりで成り立つ日本社会
現行憲法に関する限り形骸化が進んでいるとはいえ、わが国は比類亡き「法治国家」
である。我が国の社会は、発展途上国のごとき無秩序な社会ではない。欧米諸国に勝
るとも劣らない遵法精神を持った国民性であろう。何よりの証拠に、社会秩序はどの
国より安定し、犯罪率も先進諸国中最も低い。ただ、この「法」とは、必ずしも成文
憲法のみを意味しない。なぜなら、イギリス同様、日本の政治社会秩序は一片の成文
憲法や法律だけでなく、さらに重要と思われる伝統、慣習およびしきたりによって成
り立っている。
言うまでもなく、わが国には、イギリスに匹敵するほど重要な[基本文書]が数えき
れなくある。筑波大学の中川八洋教授によれば、28日本の民主主義(自由、平等、国
民福祉を原則とする)を生み、育てたとみられる主な文書を列挙すると、次のものが
あるという。
「憲法十七条」六〇四年・…“聖徳太子 日本のマグナ・カルタと言うべきものであ
り、わが国の民主主義政治の基本理含とその方針を定めている。
「御成敗式目」一二三二年…一北条泰時 鎌倉、室町両政府の基本法典である。この
「式目」の後世に与えた影響は大きく、戦国時代の分国法、江戸時代の法度や御定書
に継承、発展され、更に寺小屋の読み害きの手本として使用されたと言う。六百五十
年間、日本の政治を律した純国産憲法である。
「太子を誠むる書」一三三〇年・…・花園天皇 立憲君主制の基本精神そのものであ
り、今なお皇室における帝王学のテキストであると言う。世界最初の立憲君主制理論
である。
「五箇条の御警文」一八六八年・…・・明治天皇 我が国の政治及び政治文化(社会
秩序)は、この御誓文に大きな基盤を与えられている。日本をデモクラシー後進固と
誤認していたあのマッカーサーでざえ絶賛したもので、昭和二十一年元旦の俗に言う
「人間宣言」の詔書、「新日本建設に関する詔書」にも、そのまま引用されている。
日本近代民主主義の原点とも言うべき詔書である。
「大日本帝国憲法」一八八九年・…・近代日本国をあげ、二十年もの歳月をかけて自
ら制定した、最初の欧米的な憲法であり、現在の欧米ででも立派に通用する。英国型
の立憲君主制そのもの、それ以上に「君臨すれども統治せず」の原則が厳守されてい
た。「立憲君主制のデモクラシー」と「白由主義」が基本原則であった。
 
また歴史的に革命の経験を持たないわが国の憲法典は、欧米の憲法のごとき「奪権の
証文」や「契約書」的性格を持たない。むしろわが国の憲法の性格は、古来、理念を
掲げた「スローガン憲法」である。日本最古の成文憲法「十七条憲法」も推古天皇が
下し、為政者(推古天皇や聖徳太子)自ら率先垂範するという「徳目列挙型憲法」で
もある29。
「明治憲法」や「日本国憲法」が一見、欧米憲法を模倣した成文憲法であっても、わ
が国の為政者はそれらを彼らと国民の契約書、奪権の証文とは見做していない。実
際、内閣総理大臣は彼の憲法上の諸権限をあまり効果的には行使できない。ただ解散
権などはしばしば政争の具にされる。むしろ「重大な決意がある」と解散権を仄めか
しただけで首を飛ばされた首相がいる。目下、首相権限を強化する動きがあるが、た
とえ憲法上の彼の権限が強化されたとしても、それを首相が効果的に使用できるとは
限らない。むしろ今後、わが国にヒトラー( または宗教団体教主) のごとき独裁者が
突然現れ、それら諸権限を悪用しないとも限らない。
また一般国民も憲法典を単なる政治理念、政治スローガン程度としか見做さない傾向
がある。護憲、改憲を主張する人々も「戦争放棄」「主権在民」「基本的人権」など
の句を政争の具に、ただキャッチフレーズ風に連呼するのみで、憲法の内容を真面目
に吟味しているようには思えない。実際、土井たか子氏のような「護憲論者」も必ず
しも日本国憲法を尊重し、擁護しているとは言えない。なぜなら制定から最早半世紀
が経ち、日本が最貧国から世界一、二の富裕国となり、わが国を取り囲む情勢も激変
したにかかわらず、また制定当初から憲法条文に多くの矛盾点が指摘されているにも
かかわらず、一字一句憲法修正を認めていない。護憲論者とはむしろ現実無視の「現
行憲法軽視論者」ではないか。兎も角現在、憲法「不改正世界新記録」を毎日更新中
である。実用的なルールとして憲法改正を頻繁に繰り返している欧米人にはとても理
解しがたい現象であろう30。

四.おわりに

周知のごとく、日本はアメリカのように多民族からなる国ではない、ほぼ単一民族か
ら成り立つ国とみてよい。したがって同一民族同士の共通認識‘暗黙理解が数多く存
在する。アメリカのように一々民族間の取り決め事項(契約書)を必要としていな
い。
結論として、筆者は矛盾・問題点が多く、弊害が多発する現行憲法をこの際廃し、日
本国を不文憲法国に転換させてよいのではないかと考える。日本の不文憲法支配の方
がイギリスのそれよりおそらく一層安定しているのではないかと思われる。前述のご
とく確かに日本は比類なき「法治国家」である。現行憲法に関する限り「スローガ
ン」程度の認識しか持っていないとはいえ、一般的な法律の遵法精神においては他国
民の及ぶところではない。阪神大震災でも被災者は外国が驚嘆する礼儀正しい行動を
した。先の大喪の礼や大嘗祭は先例に従った。また日本の人権尊重思想は、聖徳太
子、光明皇后、上杉鷹山等の歴史を殊更持ち出さなくとも、福田赳夫が首相当時、
「人命は地球よりも重し」と、衆目の中、よど号ハイジャック犯を国外逃亡させたこ
とで明らかであろう。また女性の地位についても同様、日本女性の実際的な地位は、
古来より欧米諸国より概して決して低くはなかった。現代の我々は、むしろわが国の
先人が実践した民主主義的伝統思想をもう一度吟味し、彼らに学ぶ必要がありはしな
いか。これについては別項に譲りたい。

付記 
参考。引用文献は紙数の関係上省きます。
なお本稿は拙著『学者神主 水廼舎の日本学』平成十四年、国民新聞社の第六章、ま
た拙稿「憲法の性格―英米日の場合―」『明治聖徳記念学会紀要』[復刊第三十号]平
成十二年所収、を再構成、修正したものです。


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