1545.読者の反論



「ブッシュ外交を理解できない理由」についての感想。     
『』は、2月5日NO.1526の井上茂信氏の文である。

『日本人独特の「和」の精神が妨げに/「価値相対論」では悪を憎
めぬ多元性を許容する精神構造
 日本でのブッシュ外交の評判はよくない。福音主義的な「善悪二
分法」で敵対者を切り捨てる発想や、自国のみを正義として「単独
行動」に走る“身勝手さ”などが悪評の原因とされている。それに
比べて、日本人が大好きなのは「国連中心主義」だ。その背景とし
て、日本文化の核心である「みんな仲良く」という日本人独特の「
和の精神」が考えられる。だが、これでは善悪の絶対的な価値基準
を否定する「価値相対論」に陥り、国際テロの破壊行為や日本人拉
致を含む北朝鮮の不法行為を非難する根拠はなくなってしまう。』
 
  ブッシュ外交が評判がよくないのは、井上茂信氏が論じられる日
本人の『価値相対論』と称するものからではない。それは今、アメ
リカ国内でも評判を落としていることからでも明らかだ。
  ブッシュの演説はイラク攻撃を十字軍の遠征に譬えていたが、批
難が噴出していた。十字軍の残虐行為は、歴史が証明している。
  
ブッシュ政権が勧善懲悪型の外交等でない事は、客観的事実だ。

  イラク攻撃は、自国及びイラクの多数の兵士を死に追いやり、イ
ラクの一般国民の命を奪い、財産を破壊し、イラクを混乱に陥れた
。これは、紛れもない事実だ。イラク攻撃こそ、「悪」だ。    
    
アメリカのイラク侵攻であれ、独仏中露の不侵攻であれ善悪二分法
によるものではない。各国の思惑、戦略によるものである。アメリ
カのイラク攻撃が勧善懲悪よるものと思っている人がいること自体
、信じ難いものである。
  
日本人は、「国連中心主義」が好きだと言われるが、ブッシュも結
局、収拾がつかなくなって、今や「国連」に頼るしかなくなってい
るのが現実だ。 
「国連中心主義批判」は 国連に頼っても自国は守れない、だから「
アメリカに頼れ!」「日米条約だ!」「アメリカの子分」になれで
ある。

『「価値相対論」と「絶対論」の両者を建設的に止揚する道はない
のか。そのモデルを人体が与えているようだ。人体を構成する細胞
の一つ一つが、各自の役割分担(個性発揮=価値相対論)すること
で生命維持(全体目的への奉仕=価値絶対論)に役立っている。』
  
ここで井上氏は、「価値相対論」を人体の細胞に譬え、各細胞は生
命維持(「価値絶対論」)のために役割分担せよと言うのだ。

また  『各楽器がそれぞれの特性を発揮することで交響楽が成立す
るのと同じである。しかし、自己の増殖だけを目的とするガン細胞
や調子外れの楽器は排除されなければならない。
個と全体の調和がないからだ。』
 
「価値相対論」を各楽器に譬えるのである。楽器の特性を発揮し、
交響楽を成立させよと。
 
つまり、価値相対論は、生命維持のための一細胞たれ!交響楽の一
楽器たれ! 生命体、交響楽は、「価値絶対論」であるアメリカなの
である。
 
しかし、ガン細胞、調子はずれの楽器は何を指すのか。
  
・・・・・ もー呆れてナーンも、ものゆえへん(~_~;)・・・・・
               <いやいや気を取り戻そう(-_-)>
 
しかし、「価値相対論」や「価値絶対論」といった言葉は、一体、
何処から出たのだろう。 誰が言い出したのだろう。井上氏だろう
か。  

私は、朝日の社説を読んでいないので、同社説を論じる事は出来な
いが、和の精神を重んじる、井上氏が価値相対論と称する日本が虐
殺を認めるものとは到底、思われない。
悪事は、悪事として、客観的に存在する。日本人好みの「和」の精
神が、虐殺を認める等と言われては、たまらない。
  
『日本人が米国人のように悪を憎み、悪と戦う心ではない。』そん
な馬鹿な!
日本には、ちゃんと死刑があります。死刑が善か悪かは知らないが
。アメリカでは、死刑のない州もあります。しかし、国内外で死刑
廃止運動があります。

『善悪の基準はどこから来るか
 ユダヤ・キリスト教文化圏では絶対的な価値基準の存在を信じて
いる。創造主の存在を信じているからだ。聖書には「初めに言(こ
とば)あり」とあるが、言葉とはロゴスであり、神の定めた理法と
されている。ロゴスを筆者なりに解説すれば、この世には人間の力
ではどうにもならない物理的法則がアプリオリに存在し、肉体的存
在である人間は、それに従わないと生きていけない。例えば、ビル
の屋上から飛び降りれば、引力の法則によって落下し大ケガをする
か、悪くすると死亡する。物理的法則ほどには明確に認識されては
いないが、精神的法則もあり、精神的存在でもある人間はこれにも
従わないと破滅する。これがロゴスであり、道徳のルーツという考
え方だ。』
  
引力の法則は、結構ですが、かって、キリスト教は、天動説を信じ
ていたのではないでしょうか。
  
創造主の存在を信じる事は、キリスト教徒の証であろう。だからと
言って、キリスト教徒でないものを排撃する事、自体に問題がある。
これがキリスト教徒の勧善懲悪であり、神を信じないものは、悪で
あり、破滅する。排撃する所以である。
 
なる程、創造主である神を信じない異教徒の虐殺をしてきた事は、
将にここにあったのか。
アジアの植民地支配、アジアの民衆の命と富を奪い、そして南北ア
メリカ、オーストラリア、アフリカ等の各大陸の原住民の虐殺も
ここにあったのか又、アフリカ人を奴隷として、連れてきて、様々
の残虐行為等々に及んだのだ。『夜郎自大の独善』等で済まされる
のか。
 
日本人がよく、欧米人に“信じる宗教は、何か”と問われるのも、
肯ける。
 
『共産主義者が平気で大量殺人ができるのは、唯物論者であるため
に、神によって定められたとする精神的法則を認めないからだ。彼
らにとっての「善」とは「共産主義に役立つもの」、「悪」は「役
立たないもの」となり、大量虐殺が正当化される。』
 
ここにをキリスト教に置き換えられるのではないか。
「キリスト教徒は平気で大量殺人ができるのは、キリスト教徒であ
るために、神によって定められたとする精神的法則を認めるからだ
。彼らにとっての「善」とは「創造主である神」に役立つもの、「
悪」は「役立たないもの」となり、大量虐殺が正当化される。」
となる。
 
キリスト教も共産主義もそんなに変わらないのではないか。そんな
事を言うとマルクスに叱られそうだ。経済学の1分野として、「マ
ルクス経済学」は、確固としてある。虐殺を認めるような学問は、
存在しない。スターリンや北朝鮮の虐殺は、共産主義とは関係ない
。独裁体制の維持のためには、虐殺は必ずある。
 
共産主義の名の元、神の名の元に虐殺はあった。それは、人間の成
せる業である。人間は善も悪も為してきた。人間には、あらゆる可
能性がある。恐ろしいことだが事実だ。  

キリストが「罪の文化」であるとは、「罪」は、自己に対するもの
でも人類に対してのものでなく、神に対するものなのだ。だから異
教徒には、虐殺が出来るのだ。
  
キリスト教徒にあるのは、エリート即ち、神から選ばれたものと言
う意識である、それが行動規範になっているのだ。歴史における
欧米人の為せる業は、選ばれし者、即ち、エリート意識だ。虐殺は
、ここにある。
 
『西洋社会と日本社会の相違は善悪の行動基準を自己の内側に置く
か、外側に置くかである。前者では超越的な絶対神が定めたアプリ
オリな善悪の基準を各自が「良心」として自己の内側に持っている
として、それに従うことを行動基準とする。後者では唯一の絶対神
の存在を想定していないので、行動基準を自己の外側、すなわち世
間に置き、他者の評価をおもんぱかる。「罪の文化」と「恥の文化
」の違いだ。』

「裁判官が日本を滅ぼす」の著者門田隆将氏が、あとがきで、ルー
ス・ベネディクトの『菊と刀』を引用している。アメリカの女性人
類学者は、日本人を「恥の文化」と捉えていることについて言及し
ている。キリスト教のエリート思想からでてきたものだ。
  
裁判官があれだけデタラメを行えるのは、エリート意識であろうと
私もいつも感じていた。
「黒を白」と言ってのけられるのは、誇りある人間の出来る事では
ない。それが出来るのは、エリート意識である。生殺与奪は、自身
にあると思っているからだ。エリート意識は、人間としての誇りを
排除できるのだ。
 
エリート意識は、人間が陥り安い落とし穴だ。
 
引力の法則は、人間が発見したものだ。 
創造主、それは、人間が作ったものだ。
  
『「価値相対論」と「絶対論」の両者を建設的に止揚する道はない
のか。』と井上茂信氏は、希望しておられるが、残念乍ら、これは
不毛の論議である。
アメリカの細胞になどなりたくない、全く御免被りたい。
 
『価値絶対論」の欠点は自分のみが正義だとして、しばしば政治的
に全体主義と結び付いたり、夜郎自大の独善に陥ったりする危険が
あることだ。』
  全くその通り、自認しておられる。
 
『普遍的「基礎価値」が背景に 
 自由、平等、生命、人格の尊厳性など、時代や民族を超えて尊重
しなければならないものがある。これは人間存在の基本として絶対
的なものであるから「基礎価値」とすることができる。人体におけ
る生命維持のようなものだ。これを土台とし、これと矛盾しない限
りにおいて、それぞれの民族が文化の多様性を発揮すれば、「価値
絶対論」と「価値相対論」は両立できよう。』

 
『ブッシュ外交の強みは、普遍的な「基礎価値」がバックボーンに
なっていることだ。「自由や人権は神から付与されたもの」という
絶対的価値の信念への理解なくしては、同政権の対外政策の理解は
できない。「和」の文化に基づく「価値相対論」のわが国と、「価
値絶対論」の米国とが協力して両者を止揚した人類の新しい価値体
系をどう構築するかは、これからの課題であろう。』
 
これ程までにブッシュを持ち上げるのは、結構だが、国際世論から
、なはだしく乖離している。井上氏に言いたい、もっと、自国の文
化を知って頂きたい。日本人としての誇りを持って頂きたい。決し
て、日本文化は、他者の評価ばかりを慮るものではない。
  
『日本は外来文化を大幅に摂取することで、日本文化を重層化させ
てきたが、その背景にあるのは価値の多元性を許容する精神構造で
ある』
 
確かに、外来文化を大幅に摂取してきたが、日本文化は、重層化し
たのだろうか。重層化ではなく、自国の文化に融合させ、独自の文
化に再構築していったのだ。
 
明治維新、日本の多くの知識人がキリスト教の洗礼を受けたそうだ
。しかし、その浅薄さに呆れたそうだ。日本は、他国ほど、キリス
ト教徒が少ないのは、日本の文化を伝承し、築いてきたからだ。
 
キリスト教は、「神と人間」「選ばれた人間と選ばれない人間」と
いった相対論の世界だ。「善と悪」もここにある。キリスト教こそ
、将に相対論なのだ!
  
キリスト教徒からみた「価値相対論」である私だが、「自爆テロ」
をなくす事は何か、その原因を除去して行くことが平和への道だと
思う。これこそ、平和に対する絶対論であると思うのだが。
   
『福音主義的な「善悪二分法」で敵対者を切り、捨てる発想や、自
国のみを正義として「単独行動」に走る“身勝手さ”などが悪評の
原因とされている。』
 
冒頭で井上氏が指摘された通である。一国覇権主義、アメリカ中心
主義は、国内のみだけでなく、国際社会から批難を浴びている。
他国に止揚をを求める事なく、独立国家としての誇りをもって、
国際社会にその地位を確保するための努力をしてもらいたい。
國井明子 
==============================
件名:国際戦略コラムno.1503.に転載された貴方の投書を拝見しま
した  
m-mutuko  

わたしも小泉首相は好きではないですが(^_^;)
正当に選挙された議会によって選出された最高権力者を、バカ呼ば
わりは議会軽視に繋がりかねませんし、直接民主主義を志向してお
られるとしても、国民の大多数は小泉首相の参拝に過剰反応する
北京政府の態度を「内政干渉」とし不快に感じていると思います。

よくいわれることですが、歴史解釈はそれぞれの国で自由の筈で、
だからこそアメリカも「原子爆弾の投下は戦争の早期終結に必要だ
った」とのドグマを押し通して大量虐殺を正当化するのですし、日
本は「狂信的侵略国」と一方的に断罪した東京裁判の「勝者の視点
」にいつまでも囚われる必要もないのではないですか。

侵略戦争を始める恐れありとすればともかく、
戦争の準備とも言えない行為に、「誠意を尽くして総理自身が了解
の労」という必要もないのではないでしょうか。
むしろ公明党の神崎代表の我田引水的な「使い」の仕方に疑問を覚
えます。

近隣「諸国」といってもおもに中国・韓国でしょうが、政治家が自
国民の意向を汲んで動くのは当然のことです。それをナショナリズ
ムとしてマイナス評価するとしてもナショナリズムでない国はあり
得ません。
国民の感情を政府も、まして他国が規制する事は出来ないことです
から、首相は靖国参拝をせざるを得ないのでしょう。

「何の罪もないのに」亡くなるとは死者一般、自然災害一般に言え
ることで、戦災で亡くなった方、財産を焼失した方、青春を奪われ
た方は気の毒なことは、言うまでもありませんが。
幸運(もしかすると卑怯さ)があれば逃げる可能性のあった者と、
持ち場を、祖国、親兄弟を守るため、自らを納得させて若者が、任
務に殉じて逃げずに亡くなったのは質が違うのではないでしょうか。
(地下鉄サリン事件の一般の乗客犠牲者と、乗客を守るために死ん
だ駅員の死の相違ぐらい違います)(チェルイブイリ原発事故で被
害の拡大をくい止めるために生まれてはじめてアクアラングをつけ
て放射能に満ちている水底に入っていった消防士と、巻き添えにな
った住民ぐらい違います)

私の意見も少年時代から揺れ動いていますが、
 国家目的に殉じて若い命を散らせた戦士を慰霊とは別に顕彰しな
いなら、誰が私益より優先して「国」を守ろうとするでしょうか。
本土決戦を叫んだ割に敗戦で自決したものが少なかったことが、戦
後日本社会の言いっぱなし、無責任の発言で殺される恐れがない軽
薄さのきっかけであったとは思います。
 しかし、国際的に通用するアーティスト、エンジニアその他少数
の国際人を除けば、大多数の国民は人権を保護してくれる国家を必
要とするのではないでしょうか。
 「国を守ること」をしなければ、いまごろ日本列島は帝政ロシア
、またはソ連の支配下に置かれているのではないでしょうか。ある
いは蒙古の侵略により元帝国の配下とされて、南宋を攻めるのを命
じられていたかも知れませんが。
(日本を農業が主要産業の小国とする方針をとったアメリカは例外
ですが降伏した国は軍事力の提供を求められるのが歴史の通例で、
それとても朝鮮戦争に直面して転換しようとしました。いま「平和
憲法」をタテにとろうというのは社会主義崩壊後の世界でナンセン
ス極まるアナクロニズムです)
占領下で手薄なのに乗じて隣国は竹島を奪い、現状のような有様で
はありませんか。

貴方のお考えになる「靖国問題に終止符」とはいかなる処置でしょ
うか。「A級戦犯分祇」は宗教団体への内部干渉になりますし「A
級戦犯も犠牲者」という国民感情と背馳します。私も戦争を知りま
せんが、戦後の国政選挙でも戦前に要職であった吉田茂氏や岸信介
氏が首相になったのを始め、真珠湾の攻撃隊長・源田実氏や東条内
閣の閣僚であった賀屋興宣氏が当選を続けたのを見ても戦争を体験
した国民感情は「支配者が勝手に始めた侵略戦争」という認識では
なかったと思います。
「無宗教の国家慰霊施設」で、あらゆる敵味方の「死没者」を祭る
という趣旨で、A級戦犯についてもお目こぼしして包容させてもら
いたいという姑息な手段は、他国のために慰霊の形式を変えるとい
う屈辱的なことで、遺族・関係者の納得がとうてい得られないでし
ょうし、遺骨の一片もあるわけではない英霊が引っ越しを承知して
くれる筈もないでしょう。

せめてハッキリ言ってください「誰が、どのような決断をすれば太
平洋戦争は避けられたのか」。アメリカは口を拭っていますが最後
通牒=ハルノートで日本を戦争に追い込みたかったとしか思えません。
昭和天皇が憲法を超えた強権を発動して開戦を許さないべきだった
というのでしょうか。

>Subject:
> 日本の戦争は日本人は勿論近隣諸国の国民に多大の恐怖と
> 損害「特に人命」を奪った事を第一に考えるべきだ

> !!小泉総理の靖国参拝は間違っている!!
> 
> 今年も又靖国問題で近隣諸国の「背信行為」との声が上がっている
> 一国の総理大臣としてもう何年になるのか?
> 
> 近隣諸国になぜ誠意を尽くして総理自身が了解の労をとらないのか
> 「いくら言っても同じ」と考えているのでは
> 3日の朝刊に総理と記者のやり取りと題した記事を見た
> (記者−自衛隊の安全も祈りましたか)の問いに
> 
> 一部略す「日本の今日があるのは現在生きている方々の努力だけで
> はない戦争の時代に生きて心ならずも命を落とさなければならなか
> った方々の尊い犠牲の上、今日の日本が成り立っているんだと思う
> 」とあるこれが間違いの元
> 
> 比の文句は小泉自体の考えなのか恐らく総理官邸のその筋の人間の
> 文句と思うなぜなれば比の文を見れば総理もそうだが戦争を知らな
> 者の何かの文章を見て作り上げた物と思う、
> 
> 日本の戦争は日本人は勿論近隣諸国の国民に多大の恐怖と
> 損害「特に人命」を奪った事を第一に考えるべきだ
> 
> 尚文中有る戦争の犠牲になったの一言が靖国問題を引きづっている
> 何も戦地で戦闘に参加して犠牲になつたものばかりでないはず「廣
> 島・長崎・原爆被害者」日本国の大都会
> 東京・名古屋・大阪・等々国内の人々が何の罪もないのに
> 米軍の爆撃にあって「死」に追いやられている、
> 
> 靖国だけが日本の為に死んだのと違う事を小泉初め比の
> 文句を考えた「バカ」どもに考え直して欲しい、
> 
> 其の上でもういいかげんに靖国問題に終止符を打つことだ
> 小泉内閣の「バカ」どもに比の文面を読ませて欲しい。
> 
> 靖国問題も解決出来ない小泉に「イラク」問題を語る事は
> 出来ない、小泉は亡国の徒だ。
> 
>   2004.1.3.ks_kiyo4@yahoo.co.jp 阪本 潔


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