1539不文憲法のすすめついての反論



国際戦略コラム 御中
no.1532.不文憲法のすすめついて反論           
             中国広東省より kishizuka
石塚 和史 
久々の投稿です。
表題の論文が掲載されていましたが、不文憲法というのは、あまり
賛成できませんね。前にもここに書いたような内容を投稿したこと
があります。
なぜ不文?憲法ではいけないかという理由としては、やはり日本の
歴史を考えるべきだと思います。

安全保障について論じます。
日本の歴史を顧みれば大東亜戦争の発端となった満州事変・日中戦
争など、これは維新の元勲 山県有朋らが大正・昭和初期に死に絶
え、元勲らが存在していたときには問題にならなかった、統帥権の
独立が力をもってしまったことに問題が解決できなかった大きな原
因があります。

民族や歴史にはある程度の反復性がありますから、明文化しておか
なくても歴史上問題にならなかった国とシビリアンコントロールや
軍を動かすときのルールを明確に明文化しておかなければ、上記の
歴史上の事実や今回のイラク出兵などのようになし崩しにしてしま
う国とは歴史的に明らかに区別しておく必要があると思います。

それと日本はコンセンサスで動くので危機管理がうまくいかない国
であるということは、海外に暮らしている私にはやはり痛感してい
ることです。昨年のサーズ騒ぎがこちらであったのですが、やはり
日本の企業の対応の遅れは目を覆うばかりで、コンセンサスを形成
するのに時間がかかり、欧米や中国企業と比較して、タイミングの
いい対応ができませんでした。

安全保障や危機管理を明文化してマニュアル化しておく必要が強い
国であるといえると思います。
明文化しておけば日本の優秀な官僚たちはてきぱきとものをすすめ
、責任逃れで初動が遅れたり、あるいはなし崩しで政府が勝手に軍
を動かしてしまうという危険が少なくなると思います。

従って安全保障に関しての9条改正案は、
第一項はそのままとして、
第二項は防衛力として最低限度の軍事力を保有すると改正し
第三項を新たにつくり、国連あるいは多国籍軍からの要請があった
場合、あるいは政府の判断によって、90日間は軍を海外に派遣でき
る。90日間を超える場合は国会の承認を必要とする

とします。
現行憲法の9条第2項は軍事力の保有を禁じていますから、これは
改正すべきです。また第3項を追加したのは海外派遣のルールを明
確にしておくべきと考えるからです。
派遣が90日を超える場合に国益に反すればこれを戻すことがそれに
なります。

安全保障に付け加えて、これも私の持論ですが、国会が国権の最高
機関という憲法の規定があります。

これはおかしいですね。これも「内閣は国権の最高機関」に変える
べきです。国会は国を運営していく機関ではありません。国を運営
しているのは内閣です。
国会は立法機関であり、審議(政府をチェック)する場所のはずで
す。

議会が国を運営していくことができないのは歴史が証明しています。
ドゴール以前のフランス、現在のイタリア、日本など。利害や考え
方のの異なる数百名があつまればすばやい決断などできるわけがあ
りません。何年か前の日本での国会決議とやらも何を言っているの
かわからない文章を発表してしまって恥をかいたのは記憶に新しい
ことと思います。
国会は国権の最高機関というのはGHQが内閣という少人数のエリ
ートを最高機関と規定するとまた戦争を起こすという恐れからこう
いう記述にしたのと思いますが、これも当然改正すべきですね。

天皇の地位にしても現状、元首でないのかあいまいになっていて、
海外から、あるいは外務省は元首扱い、国民は首相が元首と思って
いる人が大半というあいまいな存在になっています。
天皇の財産権や、言論の自由についてももう少し考えて成文化して
いくべきと思います。

現行の憲法を改正することについて、国民の過半数が賛成している
のですから臆病になる必要はないでしょう。
よりよい成文憲法を新たに作る日本人には憲法制定力があると思い
ます。つまり、民族や国家の理念を成文化していく能力がある民族
とおもいます。
明文化しなければ、解釈があいまいな、リスクがあると思います。
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 住基ネットを考える市民の会への手紙
紋次郎 
私は住基ネットには大きな危機感を感じていますが、それ以上に現
在の多くの反対運動の方向性にも危機感を感じています。

紋次郎@マルチポストご容赦、です。

住基ネットに反対する市民運動やネット上などで繰り広げられてい
る議論などの数々に触れて想った事をまとめてみました。ウルトラ
長文ですが、興味とお時間のある方は読んでみて下さい。

#

住基ネット反対の市民運動は数々ある様ですが、「なかなか広がっ
ていかない」というのがそれらの運動に参加する多くの方々が持つ
感想ではないかと思います。
一昨年八月の稼動開始以来、住基ネットについては時折報道され、
ネット上でも数多くの意見や議論が繰り広げられています。そうい
ったものを見ている限りは住基ネット反対の世論ばかりが盛り上っ
ているかの様にも思えます。にも拘らず、どうしてそれが「世論を
巻き込んだ大きな動き」になっていかないのでしょうか。

どうも、この「住基ネットに反対する一般市民の声」というは、多
くの人々の気持ちに沁みこむ事なく、単に表層的な部分だけに広が
っているのではないか。私にはそんな風に思えてなりません。そし
て、この問題について何も言わない多くの人々は、反対運動に「熱
く」なっている人が思う様な無関心や付和雷同ばかりでは決してな
い。巷間に溢れる「住基ネット反対の市民の声」の多くが「表層的
」であるという風に感じているから何も言わないのではないか。そ
れが、いちばん大多数を占める「世論」なのではないでしょうか。
私が今まで数多くの意見を目と耳にしてきた上での、これが実感です。

ここで私が言う「表層的」というのは、物事を一方向からだけで語
ろうとしているという風に言い換えても良いでしょう。多くの、と
言うより殆んどの「住基ネット反対の世論」というのは、その危険
性についてはありとあらゆる可能性を考え、語り尽くそうとしてい
ます。しかし残念ながら、どう贔屓目に見ても「効率化の意義・メ
リットについても深く考えようとしている」とは言えないものばか
りです。
これは、そもそも行政側が「住民票がどこでも取れる」といった程
度の説明しかしない(出来ない?)のだから無理もないのですが、だ
としても結果として反対論のほとんどが一面的・一方的であるとい
う事に変りはありません。

功罪両面を深く考え尽くした結果として反対するのであれば、それ
は充分耳を傾ける価値のある意見となります。しかし、最初から一
方向の材料だけを集めて結論を求める様な主張では、決してそうは
なりません。たとえ響きの良いスローガンとともに活字・電波・イ
ンターネットで広がったとしても、結局は「表層的」な広がりにし
かなり得ないでしょう。

私は住基ネットの本格稼動には強い危機感を抱いています。が、そ
れ以上に現在様々な形で繰り広げられている住基反対運動の方向性
にも「このままではいけない」という強い危機感を感じています。
功罪両面を充分考え尽くした上で議論されるようにならなければ、
このままでは「住基ネット」が最悪の形で成立される事になってし
まう危険性が非常に大きいと私は考えます。つまり、業務の効率化
や利便性の向上が最低で、危険性だけが増してしまう形に出来上が
ってしまうのではないかという事です。

それを回避する力(パワー・能力)は、残念ながら住基ネットに賛成
する(又は反対しない)側の世論には期待できません。反対する世論
だけが、その力を持っています。だからそういう人達にこそ、これ
から述べる私の考えを何としても理解して欲しい。
その結果として各自どんな意見を持つかは、あくまで個人の問題で
すから私の関知するところではありません。ただその意見が、これ
から言う様な事柄についてより深く理解し、考え尽くした上での内
容であって欲しいと切に願います。

  ★ 判り易いスローガンの欺瞞 ★  

意見の広がりが「表層的」になってしまう最も大きな原因は、あの
「ウシは10ケタ、ヒトは11ケタ」という安直極まりないスローガン
です。
このスローガンは、「ウシもヒトも一緒か!」というメッセージに
よって「人間を数字で管理するなんて、トンデモナイ事だ」という
主張を上手くアピールしているかの様に聞こえます。確かに「上手
くアピール」してはいるのですが、そのアピールしている内容がそ
もそも間違ってる、方向が全然違うのです。
「私は番号になりたくない」という風に表現する著名人もいますが、
これはそういう問題ではありません。こういった情緒的で無意味な
アピールに反応するのは、情緒的にシンクロするごく一部の人だけ
だし、もっと重要で肝心な問題点から目をそらす事になってしまい
ます。何が「肝心な問題点」かについては追って述べますが、それ
は「人間を数字で管理する事」ではありません。

名簿などを数値によって管理するのは、漏れと重複を無くす為の最
も基本的で最低必要な方法です。つまり名簿管理(情報管理)の第一
歩に過ぎません。
例えば貴方が、何かの事情で年賀状を送る相手がかなり増えてしま
ったという場合を想像してみて下さい。漏れや重複のない様にする
には、送り先を50音順や地域別などに整理しなければなりません。
この「50音順」というのは、実は「数字で管理する」という事と全
く同じ意味を持ちます。数字の変わりにカナを使っているだけの違
いでしかありません。地域別など他の方法で整理したとしても「何
に数字の役割をさせるか」という点が違うだけです。
ある蕎麦屋は、出前先の住所を電話番号で管理していました。「何
丁目の誰それ」だけでは紛らわしい事が度々あったのかも知れませ
ん。電話番号は絶対に重複しないので、住所録や地図と一対一で対
応します。そうすれば、慣れないバイトや新米店員が電話を受けた
り配達しても間違わずに済むのでしょう。
数字で管理するというのは決して特別な事ではなく、ある程度扱う
情報の量が増えてくれば誰でも自然にやっている、やらざるを得な
い事なのです。

今の日本で普通に暮らしていれば、とっくの昔にいたるところで様
々な個人情報が番号管理されています。病院に行けば保険証や診察
券、図書館で本を借りようとすれば貸し出しカード、レンタルショ
ップを始めとする各種会員カード、銀行のキャッシュカードやクレ
ジットカード、運転免許証等々、枚挙に暇(いとま)ありません。そ
してこれらは決して「トンデモナイ事」ではないし、少しも非人間
的な事ではありません。
これはそもそも「数字で管理するからイケナイ」という問題ではな
いのです。

長野県を始めとして、住基ネットからの離脱を表明している自治体
は少なくありません。そしてその自治体(の首長)はその理由をそれ
ぞれ表明しています。
そこに「ウシは〜」なんてスローガンを掲げたり、「数字で人を管
理してはいけない」などと主張している自治体は、私の知る限りで
はひとつもありません。これら責任のある立場の人(団体)は、それ
とは別の理由で反対しているのです。そこが、市民運動などの多く
に見られる主張と根本的に違うところです。

これに対して、住基反対の市民運動では多くの人が「ウシは10ケタ
、ヒトは11ケタ」というスローガンを掲げて「数字で管理する」と
いう事自体に反対しています。
でも、今まで診察券や免許証や各種カードが番号管理される事に反
対した人はいたのでしょうか。それとも、今からでも免許証番号に
反対すべきなのでしょうか。

数値化や番号管理する事自体が危険なのではありません。本当の危
険性はもう少し先にあります。イージーなスローガンに惑わされて
、何に反対し、声を上げなければならないのかを間違えてしまって
は何にもなりません。そんな事をしていたら、最悪の形でパンドラ
の箱を開ける事になってしまうでしょう。

  ★「国家の管理」についての過剰な被害意識 ★

もうひとつ、「住基ネット反対」の意見が世論に沁みこんでいかな
い一因に、「国家の管理」という事についての過剰な被害意識があ
げられます。

言うまでもありませんが、決して「管理」イコール「抑圧」ではあ
りません。国家は国民の生活・社会が正常に保たれるように管理し
なければならない。それが国家というものの最も基本的な役割です。
戸籍(国籍)や住民票をあげるまでもなく、こうした個人情報も含め
て国家は国民をきちんと管理しなければなりません。
もし仮に「そもそも国家などなくて良い」という様な意見を認めた
としても、それならば国家の代わりに社会を正常に保つための様々
な管理を誰か(どこか)がしなければなりません。そして「通常その
役割を担っているのが国である」と考えても良いし「その役割を担
っている人間集団を国家と呼ぶ」と言っても差し支えないかと思い
ます。

と、私が上記の様な事を言おうとしたら、「国家は国民を管理する
必要はない」という様な事を、真顔で執拗に主張し続ける住基ネッ
ト反対論者が居ました。笑い話の様ですが、実際本当の話です。
「国家は国民を管理する必要はない」という事は、単に「国家は何
もするな」と言っているのと同じです。ならば、例えば半年前のた
まごに昨日の日付をつけて売られていても、そういう事に国家は手
を出すなという事なんでしょうか。

もちろん「国家が行なう事は全て正しい」なんて事はないし、管理
も行き過ぎれば抑圧に繋がるのも確かです。そういった過剰な管理
や抑圧に反対し、抵抗する姿勢はとても大切です。でもだからと言
って管理そのものまで否定する様な主張は、現実を無視した極論・
空論でしかありません。件のピント外れのスローガンを掲げる人に
は、残念ながらそういう荒唐無稽とも言える主張を大真面目でする
人が決して少なくありません。
住基ネットを論じようとするならば「国民(≒社会)をきちんと管理
する事が国の役割である」という事を認識した上で「何が不必要で
過剰な管理なのか」を見極め、それを主張をするべきです。「管理
⇒統制⇒抑圧」という様な陳腐な連想に捉われた主張に耳を傾ける
のは、同じ様に偏った耳を持つ人だけです。そんな主張が、多くの
人の気持ちに沁みこんでいく筈はありません。

  ★ 住基ネットを考える為に必要な姿勢 ★

住基ネットに限らず、何か新しく始める物事の賛否を問う場合全て
に言える事ですが、、、
反対するなら、そのメリットを充分理解し、言及した上で反対しな
ければならない。推進するならその危険性を認識し、充分な対処を
考慮した上でなければならない。
このふたつの姿勢はお互いに絶対必要です。でなければ、幼児が
「こうでなきゃ絶対ヤだ!」と言って駄々をこねているのと少しも
変りません。

ところで住基ネットについての議論では、その危険性を云々する議
論は「反対派」はもちろん「賛成派」にも数多く見られます。が、
残念ながらその意義をきちんと掘り下げた議論は皆無に近いと言わ
ざるを得ません。
「反対派」がそこに無関心なのは、先にも言った様に肝心の行政側
が「住民票を取り易くなる」という程度の説明しかしない(出来な
い)のですから無理もないと言えるかも知れません。
「賛成派」が積極的に語ろうとしないのは、おそらく「感覚的には
判っているが、いざ説明するとなると難しい」「具体例をあけよう
とすると、説明が煩雑になってしまう」「判っている者どうしでは、
言わずもがなである」という様なことが考えられます。

言うまでもなく、住基ネットには利便性と危険性の両面があります。
賛成するにしても反対するにしても、その両方を深く考えた上でな
ければなりません。
それぞれについての私なりの考えを、次に述べます。

  ★ 危険性の検証 ★

「住基ネットの恐さは、情報が串刺しにされてしまう事だ」

誰が言っていたかは憶えていませんが、これは住基ネットを題材に
した「ディストビア」というビデオに収録されていたインタビュー
の中の発言です。
これは、いみじくも住基ネットの意義と危険性の両面を端的に表し
ています。

住基ネットの目的は「IT技術を利用して、国が扱う個人情報を管理
し易くする」というところにあります。それはつまり、行政の各部
署でバラバラにただ存在していた情報がリンクされて、一気に「串
刺し」に出来る様になるという事です。そしてそれと同時に、そう
やって飛躍的に管理し易くなってしまうが為に漏れたり悪用された
場合の被害が大きくなるという事にもなります。
そういった危険性を指摘する為に様々な可能性を想定した議論はゴ
マンとありますが、その意味するところは凡そ上記の様に言い換え
ることが出来るでしょう。国家組織と言っても結局は人間ですから、
過失や悪意を完全に取り除く事はできません。管理があまりに効率
化されてしまうと危険も大きくなる、という事です。

ここで私が言いたいのは、住基ネットの利便性そのものがその危険
性の原因だと言う事です。管理の効率化と危険性は表裏一体であり、
その事が唯一にして最大の危険性です。そして、この事についてお
役所(行政)の側の意識があまりに無防備・無関心である事が、現在
の住基ネットが抱える最も大きな問題点なのです。
住基ネットからの離脱や保留を表明した自治体がその理由としてあ
げている問題点は、全てこれに類する内容です。おそらくひとつの
例外もないだろうと思います。

因みに、、、
具体的に考えられる(漏洩・悪用の)可能性をひとつひとつ検証する
には私程度の知識では少々役不足ですが、下記のwebページが大変
参考になると思います。
http://plaza12.mbn.or.jp/~SatoshiSasaki/y2002/juki.html

これは、住基ネットに反対するサイトのリンクで紹介されていた
ページですが、最後までじっくり読んでいくと少々興味深い主張
をしています。

  ★ 行政による情報管理のお粗末な現状 ★

次には住基ネットのメリットを言う段ですが、それは前述の「串刺
しに出来る」という表現に尽きます。

昔から「お役所」の中では膨大な書類=情報が串刺しにされる事も
ないまま、各部署毎バラバラにただ埋もれています。そういった書
類(の情報)には滅多に出番が無いから埋もれているというのなら何
も問題はないのですが、実際はそうではありません。

例えば、長年コツコツ年金を収め続けた後にようやく受け取る年齢
になっても、黙っているといつまで経っても一円も貰えません。ち
ゃんと受け取る為には、受給資格等を証明する為にあれもこれもと
書類を集めなければ手続き出来ない仕組みになっています。役所に
埋もれている書類は串刺しには出来ませんから、必要になると本人
がひとつひとつその部署に足を運んで掘り返さなければならない。
掛け金の方は、特にサラリーマンなどは黙っていても徴収されてし
まうのに、いざ受け取るという時になると煩雑極まりない手続きが
必要なのです。しかもその上、受給し続ける為には定期的に「現況
届」なるモノのを提出して「まだ生きてますから年金下さい」とい
う意思表示をずっと続けなければなりません。
かと思うと「生きていない」人にまで支給されてしまう場合もあり
ます。死亡の手続きの不備・遅れ・放置や、遺族に悪意があって故
意にそうした場合などに死後も支給されてしまうというケースも少
なからずあるのだそうです。
もしも年金の加入・納付の経歴などの管理が自動化され、行政の内
部で死亡や年齢等の戸籍上の情報ときちんとリンクしていれば、こ
んなバカな事は端緒っから起らずに済む話です。

こういった類の例は、探せばきっといくらでも出てくるでしょう。
住所氏名や生死という様な最低限の情報だけでも行政の内部でリン
クしていれば、こういったバカバカしい非効率・不合理は解消され
る「筈」なのです。

(何故「筈」がカッコ付きなのかは、後で触れます)

それからもうひとつ、膨大な数の情報を電子管理する事のメリット
は、「ない」という事の確認が簡単に出来る事です。
書類をどんなに効率化しても「存在しない」という事を確かめるに
は果てしのない手間がかかり、現実的には不可能な場合が多々あり
ます。しかし、電子化されたデータならば、そこに記録されている
範囲内であれば瞬時に答えが出ます。こうした事があらゆる手続き
・処理の際に何らかの形で関係する。電子化による情報処理の効率
化は、こうした基本的な部分で全てに関わって来る事なのです。

「住民票が取り易くなる」なんて事は枝葉の先の先のどうでも良い
事です。そもそもそんな事は、効率化・利便性の本質とは何の関係
もない事柄なのです。

  ★ 住基ネットの真の問題点 ★

「こういったバカバカしい非効率・不合理は解消される『筈』なの
です」と、私は言いました。この「筈」が、実は最も憂慮されるべ
き問題点ではないかと、私は考えています。もっとダイレクトに言
えば、住基ネットを活用する行政自体が、効率化による利便性を生
かすつもりが本当にあるのか、という事です。

この稿でも何度か触れた様に、行政側は住基ネットのメリットにつ
いて「住民票が〜」などというほとんど無意味に近い説明だけしか
していません。情報の電子化によるメリットはそんな下らない事な
んかではない。なのにそれをきちんと説明しない・出来ないという
事は、そのメリットを生かす能力がないか、そのつもりがないと疑
われても仕方ありません。

効率化に伴う危険性に対処出来ないのならば、そのまま効率化を進
めるべきではありません。効率化によるメリットを生かす事が出来
ないのであれば、金を掛けリスクを伴ってまで効率化する意味はあ
りません。このどちらの意味に於いても、今現在の行政側の態度は
非常に疑わしいと言わざるを得ません。いくつもの自治体が離脱・
保留を表明している理由の骨子はここにあります。そして、この点
を追求する事こそが、住基ネットの危険性を回避できる唯一の方向
です。

行政組織というのはある意味、得体の知れない生き物の様なところ
があります。全体が組織的にコントロールされている様でいて、実
は細胞のひとつひとつに強烈な自己保存本能がある。生き物全体と
しての行動が個々の細胞の思惑にゆがめられていって、いつの間に
か全く無意味な行為に変質してしまう事が珍しくない。「ハコモノ
行政」などはその典型的な例です。
「住基ネット」もそんな風になりつつあるのではないでしょうか。
導入・管理の為の莫大な予算が利権を生み、肝心の業務の方は効率
化されるどころか却って煩雑になり、新たに「住基担当」の役職と
天下り先が増えるだけ。
こんな事になったら、市民には何のメリットもありません。

安直かつ見当違いのスローガンや、情報の電子化・効率化の意味を
理解しないままの情緒的・非現実的な主張では、世論を巻き込む事
なく上滑りするだけで終わってしまいます。それどころか、何も効
率化されずに利権と役職ただけを生む方向にもっていく為に上手く
利用されてしまうのが関の山です。
情報処理の電子化がもつ本来の意味と、だからこそ生じる本当の危
険性に目を向けない限り、反対運動が世論を巻き込みながら良い方
向に向っていく為の原動力には決してなり得ない。この事を、私は
住基ネットに賛成・反対それぞれの人々全てにもっと理解して欲し
いと思います。


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