1517.ソラナ・ドクトリン(上)



by Z 
2004年1月22日(木)

昨年12月12日、欧州憲法採決のため開かれていた欧州連合
(EU)首脳会議は、安全保障文書『よりよい世界の中の安全な欧
州』を採択した。この文書はハビエル・ソラナJavier Solana共通外
交・安全保障上級外交によって準備されたものである。これは「ソ
ラナ・ドクトリン」ともいわれ、この名前からも分かるように、ア
メリカの「ブッシュ・ドクトリン」に対するヨーロッパの返答とで
もいえるようなものである。この戦略文書をソラナの事務局で中心
となって立案したのが、英国キャリア外交官のロバート・クーパー
Robert Cooperである。クーパーの名は一般にはほとんど知られてい
ないが、欧米の安全保障サークルでは非常に重要な人物である。
日本においても彼の理論は田中明彦東大教授(国際政治学)の著書
『新しい中世』(1996年)にも色濃く反映されている。

 ここではまずクーパーとはいかなる人物であるか、またクーパー
の近著『The Breaking of Nations』(2003年)を読みながら、
その思想はどのようなものかを探ってみたい。そして彼の思想が
どのように今回採択された「ソラナ・ドクトリン」に結実している
のかを見てみよう。

■ロバート・クーパー
クーパーは現在ソラナのトップ・アドバイザーとなっているが、そ
の前はイギリス首相トニー・ブレアTony Blairの外交顧問を務めて
いた。クーパーのブレアへの影響は強く、コソボ戦争への積極的介
入をブレアは唱えたが、この背後にもクーパーの影がちらつく。
『The Breaking of Nations』の第二章の世界平和達成のための原則
について書いているが、これはもともとはブレアのクリスマス用の
読み物であったものだ。

 クーパーはケニアで幼少時代を過ごしたあと、オックスフォード
大学で政治学(Politics)、哲学(Philosophy)、経済学(Economics)を
学んだ。おそらく三つの頭文字をとったPPEといわれるコースで学ん
だのであろう。卒業生に多くの外交官を輩出しているエリートコー
スである。しかしクーパー自身は卒業後、外務省に入る気はなかっ
たという。当時つきあっていたガールフレンドのお付き合いで受験
したらしい。外務省に入った後は欧州や東アジアの畑を歩んだ。
日本にも派遣されたことがあり、日本語も使えるという。彼の夫人
は日本人でピアニストの内田光子である。私自身は音楽に疎いので
あるが、一般の人にとっては、ひょっとしたらクーパーより夫人の
ほうが有名なのではないだろうか。

さてクーパーはその後イギリスに戻り、外務省内のシンクタンクで
ある政策企画局の局長となった。次第に彼は非常に壮大な歴史観、
世界観を持って世界を分析し始めた。とき折しもベルリンの壁が崩
れ、冷戦構造が終わり、新しい世界秩序が生まれようとしていた時
期である。アメリカでは国務省政策立案スタッフであったフランシ
ス・フクヤマFrancis Fukuyamaが『歴史の終わり』を発表し、ハー
バード大教授サミュエル・ハンチントンSamuel P. Huntingtonは『
文明の衝突』を世界に投げかけた。まさに画期的な着想が生まれる
時代であったのだ。ちなみにクーパーがいた政策企画局と兄弟のよ
うな組織に国際情報研究・分析局があるが、こちらの初代の局長は
文明研究の歴史家であるアーノルド・トインビー卿Sir Arnold Toynbee
であった。このようなビジョンを持つ人間を外交の実務におく伝統
がイギリスにはあるのであろう。
 
 ソラナ・ドクトリン(中)に続く。
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(江田島さんと虚風老の議論)
パワーだけを、戦略の指針とする思考は危ういの。 虚風老 01/19 
   
 パワーを考慮しないで、現実を理念だけで考えることと、
パワーだけを指針とする考え方は、どちらも危ういじゃろうの。

人間社会は、通常、精神性によって支えられておる。
でなければ、道徳も法も、尊厳もいらぬじゃろう。

そして、パワーだけでは、人を救うことはかなわぬじゃろうな。

人間は、生物としての物理的規定の中にあることは確かじゃが、
また、<神>を認識する精神性、他者と<共感する力>、こころ
の宇宙にも、属しておるのじゃ。

両者のバランスの中に、人間社会は存在し、決して一方ではない。
そして、精神的安心を得るために、社会は、現実にあるパワーの行
使を考え、調整することにある。
単なる<欲>の実現だけが、道ではないことは、過去の聖人達が繰
り返し語ったことじゃ。

それに欲望というのは、決して満たされることのない世界じゃ。
最後には、自滅をよぶ。

はっきりさせておかねばならんが、経済というのは、単なるマネー
の流れでも、富の集積のためでもない。人が「生活」するために必
要なな社会機構を円滑に支える為の媒体なのじゃ。経済の為に「生
活」があるのではない。人がより高度な「生活」様式を得るために
経済があるんじゃ。

資本には、自立的な拡大傾向があるからといって、それだけでは人
類の精神的安心には繋がらんじゃろう。たんなる、雇用なき資本(
富)集中では、もたらすのは、社会の不安定化じゃろうね。(民衆
というのは、強権的な方策では、いつまでも押さえ切れないことは
、歴史が証明しておる)
地球は狭くなった。そこで、人類的に戦略を考えるのか?(国民的
でもよいが、どちらにしろ一国で経済、社会システムを考える時代
は終わったのじゃ。)
自分達(つまりパワーゲームに勝ち残る者)だけの利益を考えるの
か、(その思想の果ては、敗者を徹底的に、パワーで屈従させると
いう方式をとることに行き着くのじゃが)。
現実は、その中間にあるわけじゃ。「利己的」か、「社会的」か、
それは、振り子のように揺れ動く。

<総体>としての思想。つまり、<地球>という世界観を持たなけ
れば、これからの社会運営は難しくなってきている。そして、それ
は、「多様」であることで、保持されなければならんのじゃ。
一つのパワーが、世界を支配することは、多くの不幸を生み出すこ
とを意味するじゃろうな。(選択の可能性と、自立的選択ができる
こと、未来はそれによって作られる。)

<共生>とは、狭い地域(地球もそうじゃが)で、多様性が確保さ
れるための自然(もしくは神の)知恵であるのじゃよ。人間が、社
会を構成するのは、その為だしの。

<共生>の中での「自由」・「競争」とは何なのか…。
結局は、これを見出さねばならんのじゃよ。
我々が可処分できる物質的世界は、狭く、取り合いの様相もある。
ならば、安定的で、高度な利用を考えることじゃ。

そして、物性とはまた別に、精神宇宙には、無限の可能性があるの
じゃ。

                        虚風老
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日本では、これを長いモノには巻かれろといふ。 虚風老01/20 
   
>1.日本が他国の支配を受け入れないとのことですが、これは日米
>安保を破棄して、一国で安全保障を行うことを意味し、アメリカと
>の戦争を覚悟せねばなりません。

非常に古臭い論理じゃね。どこかに支配されなければ、別のどこか
に支配されるぞ。
これは、植民地時代に、保護国とするという名目で、植民地化して
いた時に使いふるされた文句じゃ。(当事は、土地が<富>の源泉
と考えられていたので、人間による植民があったんじゃ。しかし、
米国には土地がありあまっておるし、ユダヤ人は、賢くも、土地が
富の源泉ではないことを知っておったので、人的植民という手段を
とることにはならなかった。彼等が必要としたのは何だと思う?)

>それができないから、次善の解として親ユダヤ論をはったのです。
>奴隷的状況とのことですが、現状で既に金融資産は収奪され、兵
>役の義務まで課され、十分そうなってます。

つまり、現況の「支配者」が、米国に巣食う、彼等であり、日本は
既に隷属状態なのだから、より支配者に忠誠を誓い、貢ぎ物を差し
出す形で、恭順するのが、生き延びる道だというわけじゃね。
ワシも、彼等の暴力性と、利己中心性は認めるの。

ユダヤ問題といえば、もちろん、全ユダヤ民族がそうだという「反
ユダヤ主義」ではないがね、彼等のトラウマ(自分達が、いつ被差
別に陥るかと、そしてそれがいかに悲惨かという、歴史的体験とし
ての、ユダヤ人感情)の裏にかくれて、自身をアンタッチャブル化
し批判をタブー化させてきた、反反ユダヤ勢力というものがいる。
そして、巧みにそれを利用している。
(公民権運動に彼等が熱心だったのも、このトラウマのせいだった
といえる。しかし、収入や、社会的地位が他の少数人種と離れてき
たことで、一部分離しているようだ。)

だいたい、一民族を完全に一つの見解で括ることには無理があるし
、常に二面の顔を持つのが正常なのじゃ。もう少し、ここは、精査
し、論考する必要があるじゃろうな。
(たくさんの、陰謀論の中にも、案外一面真理を抉った、面白い
モノもある。)

ユダヤ人との提携には危険を伴います。しかし、他の選択肢が見当
たらず、彼らも我々との連携にご指摘のようなメリットを感じてい
るのであれば可能性はないでしょうか。提携の利益が無くなれば
もちろん提携は解消されます。それは提携の本質でしょう。

企業買収(M&A)華やかなりし頃、日本に限っては、「提携」とい
う表現が良いとされたそうじゃ。実に心理学を戦略的に使うかを心
得ておるよ。
まあ、金融ウォーを仕掛けられ、見事に沈没させられたのが誰だか
忘れているものはいまいて。

おおまかに見ると、岡崎久彦の対米屈従論理と同じじゃね。
それを、一時代前の地勢学戦略で、対決を煽ることで、日本人の心
情をあちらへとひっぱておる。日本人にも、またトラウマがあるの
じゃ。

まあ、今、米国が支配的力を持っているということも、米国の中で
、ユダヤ勢力が、特殊な地位を占めていることには、戦略分析をす
る誰も<否>はないじゃろう。

要は、次ぎに歩み出す方向が、<人類世界>の為になるのかじゃね。
                        虚風老
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Re:日本では、これを長いモノには巻かれろといふ。 江田島01/20 
   
では、対案として、具体的な政策を提言してください。
それをせず、見たくない現実をみず、理想や希望を語っても無意味
です。私の主張は長いものと利害の一致を見出し、とりこめといっ
てるのです。これがないから、対米従属になってしまうんです。

なお、アメリカが長いものではありません。ユダヤソフトパワーが
長いものです。アメリカとイスラエルは崩壊の危機にあります。
そうなったときのために、ユダヤソフトパワーの受け皿を日本に作
るという案です。ポイントは、ユダヤ人が日本を終の棲家と思うか
否かです。アメリカで反ユダヤ感情が高まるかどうかに左右されま
す。私は、現在、この一点を注視してます。
イスラエルはアメリカの動かしてます。同じことを日本は目指すべ
きです。弱者の外交はそういうものです。戦略とは本来そういうも
のです。貴殿のは単なる斜に構えた批評です。
なお、小泉政権で日本は完全にアメリカの属州になってしまいまし
た。ここを認めることから始めましょう。否定されるなら議論はで
きません。
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ユダヤはすごい。しかし一枚板という意味ではない。 虚風老01/20
   
まあ、長いモノが、ユダヤのソフトパワーであることは確かなのじ
ゃの。そして、ユダヤのソフトパワーは、すべて<情報>に起因す
るのじゃよ。

一般のユダヤ人と、権力機構としてのユダヤ組織(あるいは、その
陰のもの)を混同することによって、多くの誤解と、利用性が異な
ってくるじゃろう。

支配的ユダヤが、日本に溶け込んで、日本人の為に親切にしてくれ
るというのも、希望的観測じゃないかね?彼等は、土地も住居も必
要としてはおらぬよ。
そもそも、土地の支配から、いつでも<逃げられること>が、彼等
の処世術の基本にあったからの。(まあ、住みたい人はどうぞ住ん
でもらってもええ、彼等が、大いなる才能の持ち主であることは間
違いないからの)

イスラエルというのは、宗教的象徴であるから、統合的にそれらを
利用できるんじゃ。また、バイブルの地であることが、求心性を持
たしておる。同じことを期待する方が、はるかに夢見ごこちかと思
うぞ。
(ユダヤ人は、多くの場所に住んでおる、だからといって、その国
が、特別支配権力に優しくされたとは聞かんがの。)
<とりこむ>とは、一般のユダヤ教徒のことかね?
<情報体系>を取り込むという意味かね、それは、大きい方の末端
に取り込まれることを意味するのじゃろう。

「属州」、そうかもしれぬの。岡崎は、アメリカの一州に成りたい
とまで言っておったからの。そういえば、英語を公用語にすべきと
いう話もあったの。
ワシャ、<魂>までは売らん。和魂洋才とは、明治の人はうまいこ
とをいいよった。

<権力>は、それなりに、縛られるべきじゃと思うがの。
<斜>なのは、スタイルじゃ。ヒヒヒヒ。
                       虚風老
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Re:ユダヤはすごい。しかし一枚板という意味ではない。江田島01/20

ユダヤソフトパワーの根幹は情報です。私見では、イスラエルとア
メリカのユダヤ人は存亡の危機に立っています。だからイラク戦争
起こしたのです。自らの支配を守るために。しかし、これは長期的
に失敗します。国を追われることがありうるのです。そこで、日本
の真の役割は、彼らにそうなった場合の居住地を提供し、利害の一
致を見出すことです。「支配的ユダヤが、日本に溶け込んで、日本
人の為に親切にしてくれる」などとは毛頭期待してません。あくま
で、利害が一致する範囲での提携です。親切や好意など国際社会、
戦略構築の上では意味はありません。そういうことをいってません。
日ユの呉越同舟をめざすべきといってます。お分かりいただけませ
んか。
日本人とユダヤ人は対極的な存在で相互補完関係になりうるという
のが私見です。アインシュタインもそう考えたと思います。

そして、日ユの同盟こそが世界を黙示録から救う唯一の選択肢と考
えます。世界平和のためなのです。世界史はユダヤ人と非ユダヤ人
の闘争の歴史であり、日本人を介してはじめて止揚されるんです。 
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Re:ユダヤはすごい。しかし一枚板という意味ではない。江田島01/20
   
日本文明の真の意味を知る
日本人は、自らの宗教観についても、認識しなければならない。
思うに、一神教の西洋人と、多神教の東洋人なかんずく日本人との
間には、世界観に大きな違いがある。例えば、英語では、「神の意
思」を表すShall(Shallは Thou Shaltが変化したものであり、
I shall returnとはI am ordered by God to return.という意味で
ある。)という助動詞があり、自己(自我)は常に神(絶対者)と
垂直に繋がっているという意識が基盤になる。英語の「人」を指す
Manという言葉は「絶対者たる神=造物主(The Creator)」によって
つくられた被造物という意味がある。一方、東洋では、「人」とい
う文字が、人と人が支えあうという形から生まれたごとく、絶対者
を基盤とせず、人間の存在は他者との関わりの中で認識される、
相対的なものである。この違いを認識することが、国際社会と関る
上での基盤であろうが、十分に意識されているとはいえない。この
世界観、人間観の違いが、ベネディクトの「菊と刀」によって分析
された、絶対者との関係による罪の文化、と相対的な他者との関係
である恥の文化ということになる。

以下は、アルバート・アインシュタイン博士が1922年11月16日から
40日間日本に滞在して残した言葉である。 西洋の偉大な科学者が
、東洋、とりわけ日本の高い精神性に 期待したという。「世界は進
むだけ進み、その間に、何度も闘争を繰り返すであろう。そして、
その闘争に疲れはてるときが来る。そのとき、世界人類は平和を求
め、そのための世界の盟主が必要になる。その盟主とは、アジアに
始まって、アジアに帰る。そして、アジアの最高峰、日本に立ち返
らねばならない。我々は神に感謝する。天が我々人類に日本という
国をつくってくれたことを」
旧約聖書の十戒が殺すなかれで始まっていることは、一神教徒の精
神性を知る手がかりである。日本人の原点とされる十七条憲法の第
一項が和の尊さであることは彼らと比べて、日本人の精神性の高さ
を物語る。日本人の精神性を語る上で、神道的多様性(八百万の神
々)という思想は重要である。それぞれがそれぞれに貴いものを持
ちながら、みんなで一緒に調和しつつ、しかもその全体が最適にな
る社会をつくるのだという発想が、日本人の原点にある考え方のだ
。砂漠の神を戴く一神教及び金融資本にフリーハンドを与えた結果
、部分最適と個人の利益が極大化した結果、世界環境は重大な危機
を迎えている。彼ら自身のパラダイムで現代の諸問題は解決できな
い。新たなパラダイムは我々日本人が提案して示していかなければ
ならない。日本こそが、ランドパワーを内部に包摂し、しかもシー
パワーの論理性をも兼ね備えた文明を世界に示しうる。冒頭で紹介
した多神教に依拠する縄文と弥生の頃から日本の歴史は両者の対決
から止揚というパターンをとった。近代のパラダイムを相克するこ
とは、世界に唯一の多神教シーパワー日本にしかできない。現代に
おいて、日本こそが人間と自然や社会の発展を高い次元で両立させ
ているのであり、基盤である最古、最長の文明の縄文が一万年以上
に渡って自然と調和を保ち持続的発展を遂げた意義を再度見直さな
ければならない。上記のアインシュタインの言葉はこの文脈で理解
すべきである。

今こそ世界レベルでシーパワー諸国に日本の文明史的意義を訴え、
理解、実践させるべき時なのである。環太平洋連合樹立の真の意味
はここにある。

古代日本人にとって大事なことは、「清き明(あか)き心」だった
。「清明心」とも言うが、これは、自然のように清らかで、他人に
対して隠すことのない心、そして神に対しても欺くことのない心、
と考えられていた。他人に隠すような偽りの心を「濁(きたな)き
心」、また、自分勝手な心を「私心(わたくしごころ)」というが
、こういったものを捨ててしまった状態が望ましい、と考えた。
「清き明き心」を持つことで、情愛に満ちた人々の融和が可能だと
されたのだ。この自然を含む他者との融和の精神は、今後の世界、
特にシーパワーにとっての鍵になる概念と考える。
==============================
まっ、提携はできるがね、片恋にならぬことじゃ。恋は盲目じゃで
な。 虚風老01/21
   
>4943に関しては、ほとんど異論はないが、「環太平洋連合の樹
>立」というのは、ほとんど、弱者側からの片恋いじゃろうね。相手
>が思わなければ無理な話じゃし、その時は、相手方が、考えている
>位置づけを考えるべきじゃろう。
米国と英語圏連合には、エシュロンをみてもわかるように、地下水
脈が、確固としておる。日本には、血族的な繋がりはないからの。

ユダヤ人は、国家を利用はするが、依存はしておらぬ。
日本人は、逆に、無自覚的に、日本という「国」に依存しておるの
じゃ。

日本を、単に多神教ととらえるのは、問題があるじゃろうな。
神道が、江南道教の脈流の上にあることは、このコラムでも指摘さ
れたが、日本に渡来した大乗仏教は、中国仏教すなわち老壮哲学と
の習合、もしくは影響をうけておる。
神道が、容易に日本仏教と習合・共生したのもむべなるかなじゃ。

日本の<霊性>の本質は、汎神感(阪神論じゃないぞえ、ハハハ。
)と、祖霊崇拝にあるんじゃ。
汎神論の、表現形態として、多神性(あるいは、多仏性)を受け入
れることが可能だったわけじゃね。実は、西洋に流れた、神学にも
汎神論の思考は受け継がれておるがね。
しかし、終末史観は、多くを歪めておる。(選民思想もこの変形と
みなされる)

危機管理としての、ヘッジ、リスク分散は、ユダヤ人の編み出した
処方じゃ。
日本は、逆にこれができていない。よりリスクは分散されるべきな
のじゃ。(これは、ドル支配についてもそうじゃよ)つまり、今仕
掛けられている、対日政策は、どんどん、リスクから、逃げられな
いように誘導されている。

長期に見て、アメリカが、覇権を保ちえるかというのは、そのとう
り難しい状態であるの。
まず、イラク・中東戦略が、うまくいくとは思えないからの。
社会主義国体制であった、イラク人に(しかも、イスラム的思考の
人間に)、アメリカの方式で、<雇用>を与えられるとは思えんね
。しかも、反米エネルギーは、広大なイスラム圏から、いくらでも
流入してくる。
ベトナム化は、避けられんじゃろう。しかも、そこが覇権の死命を
制する地であることを認識しているだけに、撤退もできんじゃろう
。(油に乗った文明・油支配による覇権)

ただ、>「ユダヤ人が、アメリカを追われる」というシュチエーシ
ョンは、考えられんね。

ユダヤ勢力の、心理的な背景は、かなり複雑に交差しておるから、
どの層が、日本に対して親和性を持っているとは言えないが、ユダ
ヤ人にとって日本が居心地がいいのは当然じゃろうね。キリスト教
・イスラム教とは対峙した経験があり、それ以外の文明国で、トラ
ウマを意識せずにすむからの。
(一般に、リベラルと呼ばれている層は、親和性を示す。しかし、
シオニストはまた別の感覚を持つじゃろう。しかも、リベラルは、
米国では、今のところ旗色が悪い。)

金融について言えば、<ドル>こそが、彼等の錬金術の<種>じゃ
が、それは、財政規律を失い、「基軸通貨発行益」に溺れるようで
は、危ういの。
そして、サービス産業への移行という、生産の空洞化が、米国の足
腰を弱めたんじゃ。世界の生産拠点は、冷戦後、アジアに移行して
おる。
日本は、あいかわらずその中核にあるが、単純組立てラインなどは
、他地域に廻した。日本は、高度・精密生産との、棲み分けに徐々
にシフトしてきておる。
拡大的生産拠点としてのアジアは、これからも伸びるじゃろう。
中・印の手打ちも大きいの。華僑経済と、印僑経済は、地方アジア
経済の二軸じゃからね。日本の場合は、今のところ、世界経済の軸
でもある。

<生産>を手放してはならんのじゃよ。
同時に、地方経済へ、どのような金が回るかが鍵となるじゃろう。

米・中の接近はかなり進んでいて、冷戦期の思考で米・中・日の関
係を見ている戦略家は、置いていかれるじゃろう。日本パッシング
の方が、まだ良くみておる。
軍事的に、アジアにおける、日本の位置の重要性は変わらんから、
まったく無視されることはないがね。で、軍事筋が強いときは、「
日本重視」の声があがるんじゃ。
中曽根は、日本を不沈空母と思ってくれと言ったが、言い得手妙じ
ゃね。

金融戦争は、短期・高収益を求める欧米国際金融資本の志向と、長
期・低収益の日本に思考が、ぶつかって起こった。(事実それを、
社会主義的とみなしたようじゃ)国内的には、機能したが、国際業
務では、彼等のシェアと、システムに対して脅威になった。

実はその時点では成功する、システムであったといえるじゃろう。
で、それの解体が計られたというわけじゃ。
まあ、肥満気味であったし、世界政経に寝ぼけてもおったし、本当
のクラッシュに至らなかったことを喜ぼう。(ここでは、郵貯は、
アンカーの役割があったの)
今は、「引きこもり」の時期じゃがね。

「軍産複合」の利益をはかることが、世界の為という論理は、認め
られんね。世界の覇権が、謀略の歴史であるからといって、流され
る血の為に、世界を危うくしたくはないの。

解かりにくいし、すっきりともしないが、
まだまだ、巧みに全方位睨みの方が、長期戦略であるな。
                       虚風老


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