1503.消費大国米国の不安



消費大国米国の不安・・・S子 

▼弱きをみて強きを知る
私はエマニュエル・トッド著作の「帝国以後」を読んだ。彼の視点
の興味深いのは「弱きをみて強きを知る」というところにある。こ
れはミュータント・メッセージのアボリジニ族と同じ視点に立って
おり、「帝国以後」にずっと通底してある。

この本の中でエマニュエル・トッド氏は米帝国のウィークポイント
を突きながら、米帝国の不安を徐々に明らかにし、ひとつの帝国が
静かに崩壊してゆくさまを歴史の必然として冷徹にみている。彼が
米帝国に限らず、世界の動きを人類学者らしく人口学的、教育学的
な見地からとらえているのは私には新鮮な驚きである。

が、私たちは所詮人間社会という枠の中で生きてゆかなければなら
ないのだから、これが当然の見解だと言えばそれまでだ。あまりに
も当たり前すぎて私たちが根本的なことを見失っているにすぎない。

▼米国の不安
米国の大いなる不安は、まさかあろうはずもなかったソ連の自壊に
よってもたらされたと言っていいだろう。同盟諸国との共通認識が
欠落したのだから「守る側」の米国の不安は、「守られる側」の国
家以上に性急なものだった。9・11事件はその米国の不安を顕在
化させたものとしてみればわかりやすい。

「帝国以後」ではさまざまな視点から米国のウィークポイントを突
き、米国が直面している不安をのべている。ひとつには米国の地理
的な孤立からくる不安がある。
世界の経済と人口がユーラシア大陸に集中しており、その観点から
既に米国は孤立状態にある。

ふたつめは、米国が世界の民主化を推奨することによって生じる米
国の存在意義の無用性を著者は指摘している。これはテロリズムと
いうグローバル戦争を米国が推進することによってもたらされる米
軍の希薄性とあい通じるものがあると私は思っている。

三つめは、自由貿易によって生じた米国の貿易収支赤字の拡大であ
る。グローバリゼーションによる経済的な国家相互依存体質は、米
国を生産大国から消費大国へと大きく変貌させた。この変化は米国
自身も予想だにしなかったことではないか。

四つめは在米イスラム人口の増加に伴う白人勢力人口(在米ユダヤ人
)の減少という不安がある。これは以前に佐々木敏氏も指摘していた
ことであり、米国のイラク戦争突入は、米国になだれ込むイスラム
人口を阻止するためであると彼は主張している。

イラクという貧しい国を民主化して豊かな国へと変え、米国へのイ
スラム移民流入をくい止めるのである。これは戦前戦後の日本にも
同様なことが言えた。米国にはイスラエルという一蓮托生国家がい
る。時間の経過とともに増える在米イスラム人口により、少数派に
転落してゆく白人勢力人口(在米ユダヤ人)の危機に両国ともがじ
りじりと追い詰められている。

両国の相互不安が合致してイラク戦争は起きた。そして長期化する
テロ攻撃により、イラクにベトナムの悪夢がトラウマとなって米国
に甦る。米国の不安は一層増幅する。

五つめは国際法の放棄、無視による米国単独主義からくる不安であ
る。要するに自己中心主義からくる不安。これは私たち人間にも言
えることで、自己中なこころは自分の利益しか考えないから常に不
安の中にいる。私たちは無私無欲という他者との愛に徹してこそ自
己の不安から解放される。国家もそれと同様である。

六つめとして私があげるなら、EUが米国ぬきで推進している宇宙衛
星利用測位システム(ガリレオ計画)だろう。とにかく世界は今米
国を必要以上に必要としていなくなっている。米国の存在意義の希
薄性、無用性が歴史の流れの中で静かに起こっている。その不安を
米国は敏感に感じとっている。米国を戦争へと駆り立てるのは、こ
ういった不安心理の現れだとは言えないか。

▼日本の生きる道
現在、欧州や日本の先進諸国では人口の減少という国家の弱体化へ
の歩みが始まっている。エマニュエル・トッド氏は結局、このこと
がやがては世界の安定化へと向かうだろうと未来を楽観予測してい
る。人口減少の意味するものは教育水準の高さを示すものであり、
最終的にはこれが個人の確立につながり国家も安定してゆく。

小泉政権発足以来日本は政治、経済ともに米国に依存している。属
国日本をまっしぐらにばく進中である。日本がドルや米国債の買い
支えさえしなければ、あっという間に米国経済が崩壊するのは世界
の周知の事実だ。

そんな属国日本が賢い選択をしてこれからを生き延びてゆくにはど
うすればよいのか。ありがたいことにその答えを米国はきちんと私
たちに提示してくれている。生産大国から消費大国へと変わった米
国は、「ものを奪う」ことでしか生きられない。

そのあさましい、貧しい精神と消費のみに徹しものづくりを忘れた
ことから生まれる忍耐強さや繊細なこころ、発展性の欠落が今の米
国から窺える。要するに消費大国米国はポジティブな生き方ができ
ず、ネガティブ指向になっている。ネガティブな生き方に明るい未
来はない。属国日本はそんな米国を反面教師に、ものづくりと技術
国に徹し教育水準の質を向上させて精神的国家として歩んでゆけば
、人口減少という国家の弱体化はあってもずっと安泰でいられると
私は思っている。

参考文献  「帝国以後」 エマニュエル・トッド著 藤原書店
      「米国の人口戦略」(イラク戦争の深層) 佐々木 敏
        http://www.akashic-record.com/y2003/pop.html
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国際戦略コラム 様        MYです。
「325−1.環境問題の解決にむけて  Fより

 塩害の土地改良が必要である。この技術は聞いたことがない。
もし、知っている読者がいれば、ご紹介願いたい。」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/1210223.htm
 を、うけて。 
「新世紀 EM環境革命」総監修 比嘉照夫 綜合ユニコム 2003
年2月初版P48~49より(注意・・・ 「人・くらし・生命が変わる 
EM環境革命」1994年12月初版 では、ありません) 

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「砂漠化防止
 これまで、長年にわたって塩分が集積し砂漠化したパキスタンや
エジプトの農地でEMの普及を行ってきた。その結果は信じられない
ほどの多収になり、砂漠の塩類が肥料と化したのではないかと思う
ほど革命的なものである。

 塩分は塩化ナトリウム、炭酸ナトリウム、硫酸ナトリウムが中心
であるが、EMと有機物を混和し、施用すると同時に、灌漑水にEMを
加えて使用するだけで、塩類は消失し肥沃な土壌に変わるのである。

そのメカニズムの解明は、今後の課題であるが、EMによって土壌の
抗酸化レベルが上がり、非イオン化状態になると塩類がイオン化し
ないため、有害な反応が起こらないことが確認された。

その次に、非イオン化したナトリウムは有機物と結合し可溶化する
ため、有機物は有機肥料として機能し、炭酸は放出または光合成菌
の炭素源として利用されていることが明らかとなった。

塩分のもう一方の元素である塩素や硫酸は抗酸化レベルが高まり非
イオン化すると、土壌中のミネラルと結合し、そのミネラルを可溶
化する。そのミネラルは植物の栄養として利用されるものが多く、
まさに塩が肥料に変わるのである。

この技術は、エジプトやパキスタンでは実用化されており、中国の
ウイグル地区や青梅省の砂漠でも着々と成果を上げ、黄河の河口の
広大な塩類不毛地でも着実な成果を上げつつある。 

このような技術がエジプトやパキスタンのように国策的に広がれば
砂漠の緑化はもとより、砂漠化防止の決定打になり得るもので、要
は政策しだいである。」
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という記述がありました。

自然農法家の福岡正信氏の本で、「雨が降らないから砂漠化するの
ではなく、草がなくなるから雨をよばないのだ」旨の記述が印象的
でした
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!!小泉総理の靖国参拝は間違っている!!

今年も又靖国問題で近隣諸国の「背信行為」との声が上がっている
一国の総理大臣としてもう何年になるのか?

近隣諸国になぜ誠意を尽くして総理自身が了解の労をとらないのか
「いくら言っても同じ」と考えているのでは
3日の朝刊に総理と記者のやり取りと題した記事を見た
(記者−自衛隊の安全も祈りましたか)の問いに

一部略す「日本の今日があるのは現在生きている方々の努力だけで
はない戦争の時代に生きて心ならずも命を落とさなければならなか
った方々の尊い犠牲の上、今日の日本が成り立っているんだと思う
」とあるこれが間違いの元

比の文句は小泉自体の考えなのか恐らく総理官邸のその筋の人間の
文句と思うなぜなれば比の文を見れば総理もそうだが戦争を知らな
い者の何かの文章を見て作り上げた物と思う、

日本の戦争は日本人は勿論近隣諸国の国民に多大の恐怖と
損害「特に人命」を奪った事を第一に考えるべきだ

尚文中有る戦争の犠牲になったの一言が靖国問題を引きづっている
何も戦地で戦闘に参加して犠牲になつたものばかりでないはず「廣
島・長崎・原爆被害者」日本国の大都会
東京・名古屋・大阪・等々国内の人々が何の罪もないのに
米軍の爆撃にあって「死」に追いやられている、

靖国だけが日本の為に死んだのと違う事を小泉初め比の
文句を考えた「バカ」どもに考え直して欲しい、

其の上でもういいかげんに靖国問題に終止符を打つことだ
小泉内閣の「バカ」どもに比の文面を読ませて欲しい。

靖国問題も解決出来ない小泉に「イラク」問題を語る事は
出来ない、小泉は亡国の徒だ。

  2004.1.3.ks_kiyo4@yahoo.co.jp 阪本 潔
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!!ドル安円高の本当の狙いはロスチャイルド?!!

最近特にドル安が激しい日本が望むドル高「円安」とは程遠い今日
1月8日のニュースで米国財務長官が世界の金ゆ相場は相場がきめ
る米国と言えども介入は?前日欧州ユローも今後対ドルが1.35.を越
える事が有れば金利引下げも考えるとニユースになっていたが今日
の米国財務長官の言動で如何になるのか?

20年前ニューヨークへ行ったとき「初孫」で英語も出来ず日本語は
娘だけがたより1ケ月のあいだ仕方なく
「赤い盾」を持参全2巻読みごたえあつた初めて知った恥ずかしい
が「ロスチャイルド」の家系世界に対する恐ろしいまでの綿密な行
動を読み感動した
「ダイヤモンド・災害保険・」等々一族の果てしない家系を守るこ
との執着今までの世界で起きた重大なニュースは全てロスチャイル
ドの関係があるとか「ユダヤ一族?」

書簡の最終に明治維新の力に日本人にもロスチャイルドの息のかか
った人間が何人か居たとか勿論維新後の日本の運営にそれとなくか
かわり利益を上げていたとか私の考え過ぎかも私は常に日本の金ゆ
は日本だけのものでなく今回のドル安をドル買いで阻止しょうなど
もっての外「私は何度も言っている」昔の大蔵大臣も其のつど言っ
ていた
「新聞記者」がバカ呼ばわりしていたのを覚えている、

私の理想は経営者も大変だが対トルを100円で想定して製品を出荷で
きるよう努力「此の際」する事だ
其のうち相場は恐らくドル高円安がかならず来る其の時は先の対応
が効果して思わぬ利益が出て株配当で株主を喜ばす事にならないか、

以前にも投稿したが小さな一国で世界の相場は動かせない「ロスチ
ャイルド」もし現在も存在していれば
恐らく世界に存在するであろうとてもじゃないが米国ですら太刀打
ちできないほどの強大な力と腕力があると思わねば今しばらくあせ
らずに見守るべきだ「ロスチャイルド」も自分も潰す事はないだろ
う。

学のない私如きがのべるべきでないが何かの足しにしてもらえれば
「暴言」をお詫びします。

  2004.01.08.pm10.15. ks_kiyo4@yahoo.co.jp   
  阪本 潔
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 社会的自立 
 
昨年、10月13日横浜で、娘の入会する会の主催する講演会に出
掛けた。講師は、「粗食のすすめの」の著者、幕内秀夫と新潟県で
ひまわり歯科医院を経営する歯科医師鈴木公子の両氏であった。
 
両氏は、講演には、相当、熟練しておられる。実に、聴衆を沸かせ
ていた。勿論、管理栄養士、歯科医師の立場での講演である。
 
幕内氏は、健康を害する物として、親指を示し、酒。人差し指は、
たばこ。中指は、甘い物。薬指は、博打。小指は、女。これを面白
く聞かせていたが、聴衆は、女性が多いので、小指から始めるべき
ではなかったか?(@_@)ーこれらの指の他にパナウエーブにオーム真
理教と。
日本は、ブルガリア人が増えた。乳酸菌飲料、牛乳、乳製品等は必
要はない。漬物には、乳酸菌がある。日本の伝統食、米食で健康管
理を。小麦の麺類、パン食は、日本人にはよくない。
 
歯を磨くのは、歯磨き粉でも塩水でもない、唾液で磨くのである。
唾液は、血液である。これは、一寸、衝撃的であった。鈴木氏の歯
磨きは、歯茎のブラッシングと言った方がいいのではないかと聞い
た。私は、塩水で磨いていた。歯によくない飲み物として、ポカリ
スエットにヤクルト。これらの製造会社から、抗議があるとか。
 
このポカリスエットの話は、以前にも聞いていた。子供が風邪など
を引いて、脱水症状を起こした時、医師がポカリスエットを奨める
のである。親は、ポカリスエットがいいものとばかり、以後、子供
に飲ませ続けるのである。生えてきた歯は、虫歯である。乳歯だか
ら生え変わるなどと高を括っていては、いけないのである。 
同氏は、原因について、言及されなかったが、清涼飲料水や加工食
品の大方には、リン化合物が添加されている。
人間の一日のリンの必要摂取量は、微量で、余った量は、体外に排
出されるのであるが、リンだけでは、排出できないのである。カル
シュームと結合して排出するのである。
 
心身ともに健康を保つことは、現代社会にあって、至難の業と言え
るのではないだろうか。
精神科医療に依存症、嗜癖症といった領域がある。依存症といえば
、アルコール、薬物が、先ず頭に浮かぶ。私も専門家ではないが、
義父がアルコール依存症で入院していたので、病院の家族会があり
、参加して、医師の講話を聞いたり、患者家族の悩みを聞いたりし
た。義父は完全に断酒が出来た。外泊で帰宅して、来客がお酒を飲
んでいても、決して飲まなかった。主治医に退院を言い渡された。

私は、裁判をしていたので、不安に陥ってしまった。裁判が終わる
まで、病院においてくれと頼んで、主治医にこっぴどく叱られてし
まった。医師の立場として、当然であろう。
退院後、案の定であった。義父は裁判の相手に振り回されてしまっ
た。裁判さえしていなかったら、歯牙にも掛けられる事もなかった
であろう。「おまえの世話になることはない。」と村長や裁判の相
手方に振り回され、捨てられ、ショックで口が利けなくなり、涎が
垂れっぱなし。下の神経も切れてしまった。
脳梗塞の症状が勃発してしまったのである。四肢には、障害は出な
かった。私にとっては、地獄の介護の日々が続いた。半年続いた。
もう私にも限界が来ていた。
 
自立して生きる。これは、実に困難な課題である。経済的自立は、
常に社会の問題になっている。しかし社会的自立と精神的自立につ
いては、あまり、問題にされないのではなかろうか。健康に心身を
保つのは、大きな課題である。
 
社会的自立は、社交的である、人を操る事に長けているといった事
ではないだろう。又、社会的地位が高いからと言って、自立してい
るとは、言えない。
かっては、自立していなくても、家族や地域社会が支えていた。そ
んな組織の中で個人は、守られていたのであろう。 
近代社会にあって、家や地域社会の組織は、崩れてしまった。しか
し、個人は、自立されないまま、今、国民は、迷走しているのでは
ないだろうか。
  
選挙には、組織票と呼ばれるものがある。後援会組織で選挙民を上
手く操り、得票を確実なものにする。当村の選挙は、告示の時には
、票読みが終わっている。後援会員は組織の一部品になって、社会
の現実を見ることもなく、自己の意思を決定することも出来ないで
いる。腐敗した社会の中で、権力の手先になって、自身も含めた弱
者を踏み躙る行為に及んでいることを知るべきである。
國井明子
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Akiko Kunii
email: takunii@d1.dion.ne.jp
URL: www.d1.dion.ne.jp/~takunii
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件名:東洋と西洋の「塔」の違い  

絶対者に向かう「尖塔」・輪廻転生的構造の五重の塔
 寺院に付属している五重塔は、仏の骨(舎利)を葬った塚の盛り
土や石が徐々に天に伸びていったかたちがそのルーツになっている。

 舎利という聖なる存在への崇敬や信仰が地上にそれを放置していることを許さずに、権
 威の高まりとともに目線より高いものへと位階を視覚的にも上昇していった。人間は崇
 拝するものを見下ろすことを畏怖し、見上げることによって精神の中に、偉大な存在に
 対するあこがれと帰依の気持ちを定着した。

 それは具体的な社会生活の反映でもあり、世俗的な権威のあり方と一致するものといっ
 ていいだろう。

 例えば、この墓の上昇傾向は、近世の対馬で埋葬の階級差というのを、山の上に墓を設
 置することによって投影した形態などにもうかがわれるものである。

 地上の権威をあの世における権威と一致させるというのは、建築やその他の施設におい
 ても、具体的な表現として表されていると言えよう。

 古墳時代における巨大な古墳も、そのような権威の象徴が墓の巨大さへの意識と等距離
 にあったことを示すメモリアルとも言える。

 聖なるものが地上のそうした権力者よりも、天上への世界、聖なる神の世界を空の果て
 に想定して、塔を造り上げるという発想になるのは洋の東西を問わない現象である。

 その意味で、西洋における中世ゴシック建築の大聖堂は、まさに仏教における五重塔の
 ような意味合いを持っていたということができるだろう。キリスト教の権威と象徴とし
 て、地上の城のように横に広がるのではなく、空中へ果てしない神の世界のアンテナと
 して突き刺さるように伸びる聖堂建築は、その代表的なものと言えるだろう。

 と同時に、この針のように空を目指して一点集中的に伸びる切っ先は、まさに一神教的
 な純粋とその反動である排除の構造を示しているようにも思われる。空へ向かう意思と
 は、まさに狭い門をくぐるように難しいという表象でもあるのかもしれない。

 それに対して、五重塔はまさに不可思議な対照の妙を持っている。それは天に向かいな
 がら、天から帰る地上への帰還をも意味している構造のような気がする。

 ゴシック建築が天に帰り二度と地上を顧みない姿を思わせるのに対して、五重塔は常に
 上がり、そしてその階層ごとに地上に戻ってくる、いわば輪廻転生的な構造を持ってい
 るような感じがする。

 これは個人的な感慨であるけれど、それでも、宗教的な世界の反映が建築の構造である
 とするならば、五重や六重、七重に仕切られた塔の階層ごとの構造は、人間の罪業がそ
 の階層ごとに徐々に救われていく、螺旋(らせん)的な救いの構造を示している気がす
 る。

 ゴシック建築を見て思うのは、このとがり切った構造には、日本においてよく使われる
 美的な感性「行きて還(かえ)る」という地上と天上、自然の往還を楽しむ気持ちがな
 いということである。自然を征服し、改造し、そこに都市を築いてきた精神のありよう
 が、そこには端的に表れていると言える。

 ゴシックの尖塔(せんとう)は、最終的には太陽へ向かう、絶対支配者の象徴である太
 陽へ向かう構造だと言えるだろう。ヨーロッパの光を求める精神、その光が神の象徴で
 あることをみれば、太陽信仰というキリスト教以前の信仰もそこには見えてくる。

 その意味で、中世に栄え、その後、衰微していった形式であり、やがてその緊張に耐え
 切れなくなっていったというべきだろう。(山川修一・世界日報)△掲載許可済み
Kenzo Yamaoka


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