1495.ロシアのウォッチが必要



いつもお世話になります!今年もとうとう終わりですね。
今日はちょっとしたロシアのニュースを自分のBLOGに書きましたの
で、そちらに送らせて頂きます。
もし、記事を使える機会があれば、掲載お願いします。

■2003年12月31日(水) 
http://www.myprofile.ne.jp/yap
onchuka

ロシアの日系人奮闘す!(大統領選出馬か!) / 国際情勢 

 日本では有名というほどでもないと思うが、ロシアでも数少ない
女性国会議員であった(もしかすると、期間の関係、現在もそうか
もしれぬが、先程の選挙で落選したと読んだような気がするので、
念のため、過去形にしておく)

イリーナ・ハカマダは、かなりのインテリだし日本人の血を引くか
らなのか、あるいは、母方のアルメニア的な外交センスがあるから
なのか、とにかく、以前モスクワ在住のときなんかに、テレビの政
治討論などを見ていても、毎回、女性とは思えない理路整然として
、視聴者にも好感度の高い発言を積極的にする人だった。

(ちなみに、この番組では必ず参加視聴者数十人が手にそれぞれ
ボタンのようなものを持って、発言者の意見に対する好感度を、
その場その場で採点していき、それが折れ線グラフのように後から
見られる仕掛けになっていた。そして、
毎回対立意見を述べる悪役(?)に日本でも知られる過激なおっち
ゃん政治家ジリノフスキーが登場するのだった。)

そんなイリーナが、ついに昨日のニュースから大統領選挙に出馬す
るか否か、一日考えさせてくれと言っていたの答えとして、とうと
う、出馬を決定したとのことである。

正直言って、もちろん、今のプーチンが圧倒的な権力となったロシ
アで、彼女の勝ち目はほぼないと言っていいだろうし、既に休暇に
入ったという口実で、彼女の所属政党すらコメントを避けている様
子。けっこう、こういうとき、でかい図体して、ロシア人のおっさ
んたちは臆病なのである。絶対に負けると分かって、挑もうなんて
こと、たいてい考えまい。

たしかに、裏があるという可能性も、ロシアというややこしいお国
柄、考えられないこともあらへんわな。対立候補なしで、プーチン
が大統領当選ということになったら、国際社会(特に欧米)から批
判が出ないとも限らないから、多少元気のいい対立候補を出してお
く必要があるのかもしれん。

しかし、それにしても、ロシアのような危険極まりなく、女とて、
政治やビジネスの世界に進出した人間で、下手にマフィア絡みや金
権問題などでこじれると、簡単に殺すような国で日系人であるイリ
ーナが、ここまで大胆に政治の世界に挑む姿は、なんか感動的にも
思えるねんな。

日本にいると分からんけど、フジモリさんが初めて大統領として、
ペルーの国民に選ばれたときでも、やっぱり私なんかは、なにか、
ものすごく同じ日本人としてうれしかったし、感動したもんな。
イリーナの結果がいかにあれ、そこまで堂々と、味方がいようとい
まいと、自分の望む道へと邁進していく姿は、やっぱり素晴らしい
と思うねん。

まあ、海外に行って、特にヨーロッパとかは表面的にはかっこえー
から、ただかぶれてしまって、日本の悪口ばっかり言って、英語と
か、ちょっとそこの国の言葉ができるくらいで調子に乗ってしまう
馬鹿もいるけど、ほんまに凄いのは現地で、その国の人間に認めら
れる事やと思う。そういう意味では、国籍は日本じゃなくても、
日本人の血を引く人間が立派に認められて頑張っていることは、
喜ぶべきことやし、いっちょ、応援したりたくなるやん!

来年がどういう年になるとしても、アメリカなんぞに追従するだけ
の日本ではいかんと思う。イリーナみたいに、絶対的な権力にも立
ち向かう勇気があれば、これからの日本も決して暗くないで。彼女
と同じ独立心と気概が自分の中にも流れていることが、とにかく、
誇らしくて、なんだか来年も頑張ろうと思う関西人であった!

CHOCO 
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ロシア政治経済ジャーナル No.209

★下院の議席配分が(ほぼ)確定!
というわけで、下院の議席配分がほぼ決定しました。

1、統一ロシア(222議席)親プーチン
2、ロシア共産党(53)反プーチン
3、ロシア自民党(38)親プーチン
4、祖国(37)親プーチン
5、人民党(19)親プーチン
6、無所属(65)
親プーチン政党の議席は、222+38+37+19=316 なんと70%を占めて
います。

○メールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」
投稿文+応援メールは tjkitano@mtu-net.ru
発行 北野 幸伯
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件名:ロシアの改革派勢力、統一候補擁立が難航  

大統領選不成立狙う共産党に同調し、同選挙ボイコットも
プーチン大統領、再選出馬を表明
 プーチン大統領はこのほど、来年三月十四日の大統領選への出馬
を表明した。70―80%の支持率を保つプーチン大統領の再選は確実
視されており、今月七日の下院選で惨敗した改革派勢力「ヤブロコ
」「右派連合」による統一大統領候補の擁立交渉は難航。両党は大
統領選の投票率を50%以下にして選挙不成立を狙う共産党に同調し
、大統領選ボイコットに動く構えも見せており、これを阻止したい
クレムリンとの駆け引きが進んでいる。
(モスクワ・大川佳宏・世界日報)

 改革派勢力のヤブロコと右派連合は、七日の下院選でそれぞれ
わずか四議席、三議席を獲得したにすぎない。今後の生き残りを懸
けて両党の合流を模索する動きが一部であるものの、具体的な成果
は出ていない。

 現在のところ両党は、@大統領選への統一候補擁立A下院選の「
不正集計」証明に向けた集計活動B将来の合流、もしくは共闘に向
けた共通の運動目標の設定――を掲げ、改革派勢力の再編を模索し
つつある。

 が、この三項目の中で実際に動きが進んでいるのは、下院選の「
不正集計」証明に向けた独自の集計活動のみ。ヤブリンスキー・ヤ
ブロコ代表は早々に大統領選不出馬を表明し、さらにヤブロコは党
大会で、党として大統領候補を擁立しないと決定した。これにより
両党の統一候補擁立の動きは大きな打撃を受け、実現する可能性は
極めて低くなった。

 もっとも、統一候補を擁立したとしても、70―80%の支持率を誇
るプーチン大統領に勝つことはまず不可能。このためヤブロコは大
統領選で「すべての候補に反対」票を投じるか、もしくは大統領選
をボイコットする方針を固めつつある。右派連合のネムツォフ代表
も大統領選ボイコットの可能性を示唆しており、最終的な決定は
一月二十三日に予定される右派連合の党大会でなされる方向だ。

 大統領選ボイコットは、もともと共産党が検討を始めたもの。
下院選で惨敗し、ジュガーノフ共産党委員長が大統領選に出馬して
も、プーチン大統領に大差で負けるのは目に見えている。一方、
ロシアの選挙法の規定により投票率が50%以下ならば大統領選は不
成立となり、四カ月以内にやり直し大統領選が実施されるが、不成
立となった大統領選に参加した候補者は、やり直し大統領選挙には
出馬できない。有権者に大統領選ボイコットを呼び掛けることで
三月十四日の大統領選の投票率を50%以下にできれば、どれだけプ
ーチン大統領の得票率が高くても、再選を阻止できる。

 共産党などのもくろみ通り、実際に大統領選の投票率を50%以下
にできるのかは不明だ。が、それでも再選を目指すプーチン大統領
にとって、極めて不快な試みであることには変わりない。プーチン
大統領は大統領選ボイコットについて「愚かで有害な考えだ」と強
く非難。一方でクレムリンは大統領選ボイコットを避けるために、
ヤブロコと右派連合に対し、政府閣僚への登用などを含む提案を行
ったとの情報が流れた。

 一方で、「クレムリンの回し者」とも呼ばれるセミーギン下院副
議長(左派愛国戦線代表)は、ジュガーノフ共産党委員長の退陣と
、左派統一大統領候補として、下院選で躍進した「祖国」のグラジ
エフ代表などの擁立を主張し始めた。

 左派勢力が統一候補を擁立することは、共産党などによる大統領
選ボイコットを阻止するだけでなく、プーチン大統領へのある程度
有力な対抗馬を出現させることで“民主的な”大統領選を演出した
いクレムリンにとって極めて好都合である。「大統領選ボイコット
」をめぐり、さまざまな駆け引きが進んでいる。▽掲載許可済です
Kenzo Yamaoka
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件名:文明の戦いはイスラム社会内部に  

西洋は無知で粗暴な侵入者/進歩より無秩序をもたらす・宗教に対する無知や無関心

 オランダでの最近の調査によると、プロテスタントの26%、カトリックの29%が、クリ
 スマスの起源あるいは重要性について、筋の通った答えをできなかったことが明らかに
 なった。オランダはこの二世紀の間の大部分、キリスト教文化の中にあった。彼らは三
 十年戦争を宗教問題として戦い、ベルギーとの土地の分割は宗教をもとに行ったほどだ。
 (ご存じない読者のために申し上げると、クリスマスはナザレのイエスがベツレヘムで
 誕生したことを祝うものである。イエスは後にローマ総督ピラトによって十字架につけ
 られたが、キリスト教徒にはメシアと考えられ、神がユダヤの人々と交わした契約とし
 ての旧約聖書には彼の誕生が予言されている)

 宗教に対するこうした無知や無関心は、現代ではそれほど驚くことでもない。しかし、
 つい十年前に、旧ユーゴで宗教戦争(しかもまだ完全に終わってはいない)を始める原
 因をつくった近代的ヨーロッパの力とも共存しているのだ。

 欧州の至る所にある革新主義社会は、イスラム圏からの移民に、社会的にも宗教的にも
 危機感を抱いている。反乱的な政治屋だったオランダのピム・フォルタインは二〇〇二
 年、「オランダに移民はもういらない」と発言して、まともな考えを持ったオランダ人
 やその隣人たちに衝撃を与えた。

 フランスは、回教徒の少女たちが国営学校でスカーフをかぶることを許すべきかどうか
 について、頭を悩ましている。スカーフは、こうした学校において進められている非宗
 教的で中立な姿勢に対する攻撃的挑戦だと考えられているのだ。学校でのその非宗教的
 な姿勢はしかし、カトリックと反聖職者勢力との間の長きにわたる知的、政治的対立を
 解決するための一つの方法として、二十世紀初頭から承認され始めたものだ。だが近代
 的フランス共和国をつくることにおいて、それは決定的なステップであった。

屈辱的立場に甘んじてきた反動

 移民が文化的に同化しなくてはならないというフランスの概念は、近代の北欧やアメリ
 カが約束する多文化主義を拒絶するものだ(同化というのは、もちろん、国家の創立時
 からベトナム戦争直後まで、紛れもなくアメリカの移民政策であったが)。「対テロ戦
 争」というのも、ある意味宗教的である。それはイスラム文明と、ユダヤ教やキリスト
 教、世俗的啓蒙運動に始まる文明を持つ近代西側諸国との間の衝突であると広く考えら
 れている。こうした対立について、まだ語られなければならない多くがある。

 失業率が比較的高い間のフランスにおいては、回教徒の少女は少年と比べ、同化する可
 能性がより高い。それは、教育を通じての社会的向上が彼女たちに作用することや、ま
 たしばしば婚姻によってより広いフランスの共同体に入って行くためである。スカーフ
 は共同のアイデンティティーの声明である。それらは、原理主義への信念を表明するも
 のであるととともに、彼ら自身の共同体内部における原理主義者への圧力から身を守る
 ものである。

 ヨーロッパのイスラム原理主義は、米国と同じく、ヨーロッパ社会と雇用における差別
 への政治的反抗姿勢を表明している。若者にとって、それは相違と反抗的態度というア
 イデンティティーをさらに強化するものであり、それゆえ彼らはしばしば自らを犠牲に
 する。好戦的形態を取るイスラム原理主義者の集団(イラクやアフガニスタンやパレス
 チナで“ジハード”<聖戦>を展開しているアルカイダなど)は、西欧、特にアメリカ
 合衆国の力やうわべだけの全能性に抵抗している。それらは、オスマントルコ後の相次
 ぐ国家主義者の失敗により、長い間屈辱的立場に置かれてきたことへの反動である。そ
 の最初は、一九二〇年代から四〇年代における植民地政策(最初の戦闘的行動としては、
 一九二八年の、イスラム教徒友愛会のもの)だった。

 サウジアラビアは、石油によって豊かになる代わりに改革されず、富裕で機能しない中
 世の君主国家のまま取り残され、アメリカに依存することで去勢されてしまった。一九
 四八年にアラブ人は、アラブのパレスチナであった場所にイスラエルが建設されるのを
 妨げることができなかった。そして、ナセル主義と「アラブの社会主義」は失敗した。
 バース運動(アラブのクリスチャン知識人によって設立され、非宗教的であることを意
 図して言われた社会主義的汎アラブ的運動)は、イラクでは退廃した専制的なサダム・
 フセイン体制へ、そしてシリアでは世襲の絶対制へと堕落していった。

アメリカ自体が“起爆装置”に

 今アラブ人は、合衆国が地域を超えて政治的、経済的宗主権を確立しようとしているの
 に気付く。これに対して、成功した唯一のイスラムの革命はイラン革命である。それは、
 当時のイスラム世界の中で、もっとも急速に近代化と世俗化がなされていた社会におけ
 る宗教的動員に起因する。それは人々に思想を与えた。

 中東それ自体であろうと、西側諸国に移住した回教徒であろうと、国家主義、アイデン
 ティティーの強化、そして宗教的原理主義はすべて、この問題で密接に結ばれる。実際
 に今も続いている文明の戦争がある。しかしそれはイスラムの社会内部で起きているの
 だ。西洋は、このすべてにおいて、粗野な不法侵入者である。自らの宗教的歴史や歴史
 的文化に無関心で、イスラム原理主義が激しく拒絶しながらも打ち負かすことができそ
 うもない、浅薄で営利的な世俗主義を代わりに用いている。

 このすべてにおいて、アメリカ合衆国は文化的、政治的フラストレーションという導火
 線の付いた起爆装置である。それは進歩をもたらすと想像される。だが、実際それらが
 これまでにもたらしたものといえば、深刻化した無秩序だけなのである。
 在仏米コラムニスト ウィリアム・ファフ 世界日報 ▽掲載許可済です
Kenzo Yamaoka
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件名:アメリカという国  

 アメリカという国については、いろんな人がいろんな風に書いているのであろうが、私
 には、吉田和男の見方がわかりよい。吉田和男が、その著書「ものの見方・欧米と日本
 (平成6年、同文書院)」にアメリカの個人主義について書いているのでその要点を紹
 介しておきたい。 

『 アメリカの個人主義は、ヨーロッパの個人主義と違って、極めてイデオロギー的であ
ることが特徴である。すなわち、多数の価値観をもった人々が集まり、社会を構成してい
るのであるから、その基礎となる考えは自然に歴史の流れから生れたものとは異なること
になる。結局、異なる人種、文化の中で、共通して持てる理念は個人主義でしかない。し
かも、それが道徳的、宗教的重要性をもっているところがアメリカ的である。個人主義を
保障する「自由」に対しては、時には力をもって守ろうとする。 クルーズは「アメリカ
精神・・・・自由への愛、自由企業の精神、自由な束縛されない機会」という表現をして
いるが、まさに個人の力を重要視するアメリカの精神といえよう。個人が個人の能力を自
由に最大限に発揮することが道徳的に価値をもつのである。これが政府による個人への介
入を拒否し、市場における自由な経済活動を重視させる。 』 

 短い文章であるが誠に言い得て妙である。今回のイラク戦争も松井選手のヤンキーズ入
 団もこれでよく理解できるのではなかろうか。ヨーロッパ各国の個人主義は各国ごとに
 特徴があって一まとめにすることはできないが、ヨーロッパの個人主義とアメリカの個
 人主義とはやはり随分と違うものらしい。それはやはり歴史や伝統、それに風土が違う
 ということらしい。アメリカの建国の精神は、自由と民主主義だと思うが、その建国の
 精神に裏打ちされた競争社会にあって、力のある個人はイキイキと生きていける。それ
 がアメリカという国の競争社会ではないか。吉田和男が言うように、アメリカのフェア
 は競争社会の倫理を意味する。強いものが生き残るのは「正義」なのである。 

『 アメリカが、外国にも軍事力で干渉し、世界秩序の形成に力を入れてきたのも、この
ような考えによる。アメリカの問題点は、多様な価値を認めるものの、基本的な枠組みを
維持するためには強大な権力が必要という連邦制度にある。正義を基本とする限り、国際
政治で容認できないのは国内政治でも容認できない。日本をアンフェアとして攻撃するの
は、そのやり方を認めれば国内政治がもたないからである。イラクのやり方を認めれば、
アメリカ国内が崩壊するのである。 』 

 私は先に、「21世紀の野蛮」というタイトルで・・・、『 いよいよサダム・フセイ
 ンに対する戦いが始まる。いよいよブッシュ大統領の力の政策が始まるのである。サダ
 ム・フセインの次は、いうまでもなく金正日(キムジョンイル)である。日高義樹のワ
 シントン緊急レポート「世界大変動が始まった(2002年11月30日、徳間書房)」
 は、ブッシュ大統領の力の政策をドキュメント風にその全貌を余すことなく書いている。
 実にリアルであり、こういった事実を知らずしてこれからの政治をやっていけないこと
 は間違いない。政治家並びに政治評論家必読の書だ。日高義樹が言うように、世界大変
 動が始まったのである。911テロはアメリカ国民にとって言葉には言い尽くせないほ
 ど衝撃的な事件であり、ブッシュ大統領の決断によって始まるこの世界大変動の流れは
 長期に続くのであろう。 』・・・・と、今回のイラク戦争のことを書いた。 

良い悪いは別である。善悪は別として、アメリカという国は基本的にはそういう国である
ということだが、そういう基本が未来永劫変わらないということでは勿論ない。上記の文
章に続いて書いておいたが、ジョセフ・ナイのような人も少なくはないのである。そこに
大きな希望がある。ジョセフ・ナイがその著「アメリカへの警告(2002年9月12日、
日本経済新聞)で、「テロ攻撃の被害は恐ろしいものだったが、わたしの関心はそれより
はるかに深い。」と述べ、アメリカの将来を心配してソフト・パワーによほど力を入れな
ければならないと警告を発しているのだが、それもまたアメリカの良識である。 

 また、私は先に、浅海保の著「アメリカ、多数はなき未来(2002年8月31日、E
 TT出版)」で紹介しながら、アメリカのもうひとつの注目すべき流れ「ダイバーシテ
 ィー(多様性)」があると述べた。アメリカにおけるこういう底流は世界における大き
 な希望である。 

浅海保によれば、『 アメリカの歴史はそもそも、次から次へと海外からやってくる人々
・・・つまり「マイノリティー」を労働者として必要としながら、一方で彼らを「搾取」
し、さらには彼ら同士の間にくさびを打ち込み「分断して支配」してきた歴史であり、そ
の構造自体は簡単に消えそうにない。 』 

つまり、アメリカの支配層に属する人たちというのは、必ずしも「ダイバーシティー」を
理想にしているわけではないということらしい。むしろ、逆に、マイノリティーたちを互
いに対立させてそれぞれの力を弱め、マイノリティー全体に対する「支配」をよりスムー
ズに行なうための手段にしようと考えている人たちも少なくないということらしい。そう
かもしれない。そうかもしれないが、アジア系やヒスパニックのありようは、まことに強
烈なものがあるというのも事実であるであろう。私は、アメリカのことについては書物の
知識だけでしか知らないししかもきわめて断片的な知識しかないので、断定的なことはと
てもいえないが、浅海保が言うように、そういう葛藤それ自体がアメリカの新たなる挑戦
といえるのであろう。浅海保はこうも言っているのだが、アメリカの支配層に属する人た
ちすべてが「ダイバーシティー」を新たな「分断して支配」する手段とにしようと考えて
いるわけではない。「ダイバーシティー」の可能性をみているエリートも少なくないとい
うのも事実らしい。浅海保によれば、そういう人たちは、「ダイバーシティー」の進展こ
そがアメリカの繁栄を約束するものである、との認識をもっている、あるいは、そう信じ
ようとしながら、社会の最先端で動いているというのだ。そうだろう。アメリカにはそう
いう人たちがけっして少なくないと私も思う。そこに大きな希望がある。 

アメリカという国の持つ二面性・・・、強いものが生き残るのは「正義」であるというア
メリカの傲慢さと「ダイバーシティー」の進展こそが将来の繁栄を約束するものであると
いうアメリカの良識という・・・この二面性について、私たちはそのまま正しく認識して
おかなければならないのではなかろうか。偏見は厳に戒めなければならない。「ダイバー
シティー」の進展こそがアメリカの繁栄を約束するものでもあるのである。 
Kenzo Yamaoka
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件名:犬養道子「聖書を旅する」  

犬養道子「聖書を旅する」 
難民の姿に「受難」読み解く 愛の奇跡を確信し
 世界中の難民キャンプを訪ね歩いてきた作家の犬養道子氏(82)が、その体験を長年
 の聖書研究と融合させた大著『聖書を旅する』(中央公論新社刊、全10巻)を今月7
 日に完結させる。聖書は現代の「悪」に何を語りかけるのか。それを克服する信仰の力
 とは。クロアチアから帰国後、神奈川県内に居を定めた犬養氏にインタビューした。
 (尾崎 真理子記者)

 1979年、ポル・ポトに追われたカンボジア難民の子と出会った時、「現代の悲惨の
 極致の中に、聖書のことば、2000年前のイエス・キリストの受難の意味をあらため
 て読み解く」、本書を着想したという。

 ローマ法王庁が聖書研究の自由な発展を解禁したのを追い風に、20世紀後半には創世
 記から福音書まで、史実としての解明が飛躍的に進んだ。カトリックとプロテスタント
 の対話も深まり、考古学上の発見や科学的解析、古代言語学の発展にも目を見張るもの
 があった。それらを取り入れ、「古代史」「女性」「日本的心情」など独自のテーマの
 中に、聖書全編からの引用を織り込みながら、再編する――。すでに『旧約聖書物語』
 『新約聖書物語』などのロングセラーを出し、日本人のキリスト教への関心に手ごたえ
 を得ていたとはいえ、果敢な試みである。

 「70余巻の聖書を10巻にまとめようというのが、そもそも私の無謀なところですね。
 しかもスーツケースで移動を繰り返す旅も、同時に始めてしまったのですから!」

◆
 『お嬢さん放浪記』(58年)以来、欧米流の上質な暮らしの知恵を、啓蒙(けいもう)
 的に現地から書き送る仕事を続けてきた。それが一転。80年代にはアフリカの飢餓地
 帯を歩き、インドシナ難民の若者を支援する「犬養基金」を創設した。

 90年代に入ると、「10歳にも満たない子供が兵士にも売春婦にも仕込まれる」、そ
 うした戦禍の実話が無数にころがるセルビアやボスニア・ヘルツェゴビナに飛び、95
 年の本書第一巻刊行後も、コソボなどバルカン半島内にとどまって「資料と現実に引き
 裂かれながら」、自身、重病に伏してなお書き続けた。今夏もルーマニア・ブカレスト
 の、難民がコンピューター教育を受ける現場に赴いた。

 「安穏な書斎にいたなら、決して書けなかったでしょう。ページの背後には1人ひとり、
 難民が立っています」

 〈局地での問題がただちに全世界に及ぶ〉、〈スケールと質の大きさ深刻さにおいて過
 去とは全く違う〉この時代の病の深さはだれより体感した。しかし、マザー・テレサら
 多くの有名、無名の賢者との出会いから得たのは、「愛というものは、人間の次元でも
 奇跡を起こし得る。その確信」であり、「どんな場所からも、必ず希望の灯はともる。
 これも本当に」。それが信仰と著作の源泉になったと語る。

◆
 五・一五事件で祖父・犬養毅を失ったことを遠因として、第二次大戦末、東京・麹町の
 カトリック教会で洗礼を受けた。以来、ブルトマンをはじめとする現代の聖書研究を学
 び続け、文学や歴史、ときにシモーヌ・ヴェイユを読みながら、「神」と信仰を考え続
 けてきた。本書には、ゆっくりと自由に聖書の滋味を味わった人ならではの表現が、随
 所に見つかる。

 〈全聖書は人生の謎という一大推理を解いていく大推理文学〉

 〈救いとは、人間が内面において、本来の健やかさに戻ってゆくこと〉

 そして半世紀にわたる思索の旅を締めくくるように、現代の「悪」を追究し、独自の解
 答を見いだした記述にも及んでいる。

 〈何がいったい化学兵器のようなものを人に考えつかせ作製させるのか〉

 〈人間の心中に、いったいなぜ、抑圧・統制いちずの極左や極右政権志向が生じるのか〉

 その根源には「恐怖」があると犬養氏は指摘する。

 〈自国領土を侵すかもしれぬ他国への恐怖(中略)あたかも恐怖の的が現実のリアルな
 存在であるかのような強迫観念を生み出す〉

 「だから、旧約聖書の中だけでも、〈恐れるな〉のことばは260回近くも出て来るの
 ですよ」

◆
 聖書には、今を生きる人間のリアリティーがすべて詰まっていると繰り返す。「バベル
 の塔の愚かさも、イブの悲しみも、すべては今、この時の人間の罪」

 自信に満ちた、切れのあることばの数々。その語調は巻中にもそのまま流れ、あたかも
 生きた説教のことばを聞くような、迫力ある文章は最終巻の最後の一行まで衰えていな
 い。 
Kenzo Yamaoka
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件名:米国産狂牛病/「食」のグローバル化に対応を  

 米国でBSE(狂牛病)に感染した牛が見つかった。米国は世界最大の牛肉輸出国で、
 わが国はじめ韓国やメキシコ、ブラジル、タイ、シンガポールなどが相次いで輸入停止
 措置を打ち出した。これまで「安全」とされてきた米国産牛肉のBSE報道を憂慮する。
「安全神話」に関わる問題

 年末年始にかけて牛肉の消費が高まる時期に、米国産牛肉の輸入停止は食卓に影響する。
 二年前、わが国でのBSE問題による混乱の再発だけは避けたい。

 これまでBSEが発生した国は、欧州を中心に二十カ国に上っている。一頭とはいえ、
 牛肉輸出大国の米国でBSEが発生したことの衝撃は大きい。米国の安全チェック体制
 に、「安全神話」を崩壊させかねない何らかの欠陥があったのだろうか。

 二年前、わが国で起こったBSE問題の結果、牛肉処理場に入る牛のすべてを検査する
 ように義務付けられた。その全頭検査の結果、BSEをその後、封じ込めることに「成
 功」している。

 しかし、米国では年間消費される三千五百万頭のうち、検査をしているのは歩行困難な
 ど症状が出ているものにすぎない。その数二万頭。米国の牛肉業界は二年前、新聞広告
 では全頭検査をしているとして、安全を強調していた。消費者の過剰反応は、こうした
 情報と実態との食い違いに起因するところが大きい。この「虚偽広告」に、米国側はど
 う反論するのか。

 もちろん、BSEに汚染されている牛肉の部位は、脳と目、脊髄、小腸の一部などであ
 る。その他の部位を食べても、牛乳を飲んでも安全だ。それでも消費者の牛肉離れは、
 関係省庁や業界などの情報の正確な開示がなされないことへの反発から来ているのであ
 る。

 しかし、脳や脊髄などを原料とする食品があることも事実だ。厚生労働省ではそうした
 医薬品や化粧品の輸入自粛などを指導していくという。これは当然の措置だ。

 それにしても、出荷量が多いために全頭検査を実施し得ないという事情は理解できるが、
 BSEの影響を受けてきた欧州では、生後三十カ月以上の牛については全頭検査を行っ
 ている国が多い。それは、BSEの影響の深刻さを経験しているためだろう。

 従来の検査体制だけで十分と言い切れるのか。米国産の牛肉が輸入停止されれば、安全
 な豪州産の牛肉を緊急輸入すれば済むという問題ではない。豪州の安全基準については、
 どう情報が開示されているのか。豪州からの供給枠拡大を目指す農水省にはその説明責
 任がある。

 「食」はすでにグローバルな世界に入っている。それゆえ、一国の安全基準だけで食の
 安全性を測れない時代に来ている。全頭検査をしているわが国とまったく実施していな
 い米国の間で、果たして牛肉の安全性が確保できるのか。

 米国は、今回のBSE発生の原因を徹底的に調査するとともに、検査体制の抜本的な見
 直しを検討すべきだ。これまで遺伝子組み換え食品の流通問題などについて、先べんを
 着けている米国だが、こと安全性に関して、まだ不安感が一掃されていないのが実情だ。
  

国際的な協議を重ねよ 

 各国間で検査基準や検査体制、流通に関する問題点などを公開し、国際的に協議する必
 要がある。一頭のBSE発生で輸入停止は過剰反応ではなく、安全に対する厳格な措置
 とみるべきだろう。

 二年前、BSE問題で対応などに後手に回った農水省と厚労省は、米国に対し安全な牛
 肉供給のため率先して働き掛けねばならない。(世界日報・▽掲載許可済です)
Kenzo Yamaoka


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