1492.危機を救うためには



超高齢化社会の子供たち Fのコメントについて・・・S子

「日本人の女性・男性の気質が変化しているように感じる。女性が
性に目覚めている。羞恥心がなくなっている。性的相手を変えてい
る。女性上位社会になっている。男性との間では女性が音頭を取っ
ている。」
 
私のようなものがこのようなことを言ってよいのかどうかわかりま
せんが、今日の日本の混迷期だからこそあえて言うべきなのかもし
れません。私が瞑想をし始めたばかりのころ、突然神からの啓示を
うけました。「所詮この世には男と女しかいない。そこのところを
よく考えて。。」私にはまったく何のことかわからずにいましたが
、これ以来折に触れこのことを自分なりに考えるようになりました。
 
いろいろな本を読み、いろいろな人の意見をネットから読んだり、
また私が瞑想して得たいろいろな気づきから、ひとつの到達点が出
てきました。男と女は肉体的相違から、先天的に与えられた役割が
違うということをまずはしっかり認識するということです。対等に
なることはありえない。そのうえで男だ女だと強い自己主張ばかり
をするのではなく、互いに無いものを補完しあい、助け合い、支え
あい、時にはこころを寄せ通じ合い、重ねあい仲良く調和をもって
生きてゆきなさい。そして互いに自己向上に努めあってゆきましょ
う、と神の啓示は説いているのではないか。
 
要するに崩れゆく調和の世界を神は嘆いているのではないか。私の
この啓示の言葉は実は心理学者のカール・ユングが最終的に出した
結論だということを最近知りました。もっと深い意味がこの言葉に
は隠されているのかもしれません。折に触れて考えてゆこうと私は
思っています。
 
それともうひとつ。米国の圧倒的軍事力という暴力がこの世界を侵
し、はじめて、人々から愛が見えにくくなっているということです
。愛の本質から世界が遠ざかりつつある。人間の本質は何度もいう
ように魂です。これは目にみえることもなければ、触れることもで
きません。
が、永遠なるものです。肉体は魂の宿る借り物にすぎず、ひとつの
肉体が滅びればまた新たな肉体を求めて魂は生き続けます。この世
は全て魂にとっては「学びの場」であるということです。良くも悪
くもひとつの魂にとっては、この世は「学びの場」にすぎず、それ
以上のものでもそれ以下のものでもありません。
 
だから裁かれることはありません。愛は全てを無条件で私たちを受
け入れてくれます。それほど愛は寛大であり、圧倒的な愛は私たち
から一切の負の感情を消し去ります。というか負の感情が生まれよ
うがないほど愛が圧倒的だということです。怒り、苦しみ、悲しみ
、憎しみ、怖れ等は存在しえない。そして愛の本質もまた魂と同じ
ように目に見えることもなく、触れることもできませんが、永遠に
あるものです。
 
私たちが愛なくしては生きられないというのはそのためです。愛は
私たちが生きてゆくうえでの原動力そのものです。親子愛、夫婦愛
、兄弟愛、師弟愛、男女の愛等さまざまな愛の形が存在しますが、
私たちはひたすらこの愛に向かって生きているともいえる。
 
現実世界は目に見える圧倒的暴力という形で存在し、私たちは不安
と恐怖の中にいますが、本質は愛であり魂であるところの目に見え
ないものにあります。形あるものに翻弄されてはいけません。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
宗教的なことをこのコラムは目指していないが、正月なので少しだ
け、お話をしたい。仏教の教義の根本は、自分の魂を高めるために、
この世に生まれ、修行して二度とこの世に生まれて来なくてもいい
ほどに魂のレベルを上げることであると。輪廻転生と輪廻からの解
脱ですね。
古神道では、輪廻転生であるが祖先が生まれ変わるというように親
族が近くに生まれると信じられている。

魂のレベルを上げるとは、自分の5欲を捨てて、どう他人や社会に
役立つことをするかで自分を他人とどう同様に見えるかですね。
自分の欲が自分や世界を見えなくさえている。この欲のレベルを下
げることを修行して克ち得る。

欲を捨てると、心は軽やかになり気を集中すると、いろいろな実相
が見えるようだ。気を集中しても欲があると見えない。このため、
私も自分のことはほとんど見えない。このため、株や家等では失敗
している。

このように欲を捨てた他利は愛とも言える。自分より子供をよくす
るために、母親は頑張る。子供のために夫婦は力を合わせて頑張る
。その発展系が、日本のために世界のために努力する。自己の欲や
自利だけを考えると、弱肉強食の世界になり、地獄の世界になる。
これの小さいレベルが男女の関係であり、大きなレベルが国々の関
係でしょうね。

そして、その全てのレベルの愛が崩れて来ている。この愛が崩れた
時に神の罰を人間は受けると黙示録(キリスト教、イスラム教)は
いい、東洋では末法の世(仏教)として言ってきている。

歴史を見ると、自由と民権運動で個人の権限が増加してきた。皆の
魂のレベルが上がってきたことが分かるが、どうも米国の黒人民権
運動以後、民衆の権限が下がる方向になってきた。弱肉強食はしょ
うがないという方向に変化した。特に他民族に対して先進諸国は
民権拡大に警戒し始めた。このため、魂の危機になっているように
思う。人間は平等であり、もし自分の利益の為に他人を苦しめると
、その報いがあると仏教はこれを因果応報と戒めている。
このような原理で考えると、米国ネオコンの「力の論理」が一番い
けない。弱肉強食の世界が正しいと言っている。これは反キリスト
的でしょうね。獣とも言いますよ。

人間が魂のレベルを上げようとしないとこの世のある意味が無い。
そうであるなら、この世が必要ないということになる。このため、
仏教哲学的にも非常に難しい時代になってきている。


コラム目次に戻る
トップページに戻る