1479.「リアリストたちの反乱」(その七)



byコバケン 03-12/19
	
▼自由討論の時間に突入
前回まで紹介したように、ネオコン、リアリストの両サイドからそ
れぞれ二人づつ、合計4人の発表が一応終わった。5分という短い
時間ながらも、切れ味鋭い分析で圧倒的な存在感を示したのは、や
はりリアリストのミアシャイマーであった。

この討論会では4人の発表のあと、休憩をはさまずに討論会の最大
の山場である、自由討論の時間へとすぐさま突入した。ここでは観
客などの質問から上ってきた問題点(イシュー)をネタにして、好
き勝手に話合うというスタイルで行われることになる。

外国の講演会などに行ってみるとわかるのだが、このように発表を
短めに切り上げてすぐ討論会に入るというのは全然珍しいことでは
ない。むしろ三分の一が発表で、あとの三分の二は質問の時間とい
うのさえザラである。欧米では講演者の発表が終わる頃になると、
観客が質問したくてウズウズしはじめているほどだ。

この違いは何なのかというと、やはり欧米人は質問して自分の疑問
を解消させることによって、自分のつぎ込んだ時間(投資)の元を
取ってやれという損得勘定が大きく働いているからである。

これを「なんともハシタない」と考えていてはダメである。この忙
しい時代にワザワザ貴重な時間を割いて聞きにくるのだから、昼寝
してムダにすごすよりも、つまらなかったらすぐ帰るぐらいでちょ
うどいいのだ。日本人もこういう積極的な(?)姿勢をもっと見習
ってもいい。

▼両方とも「リアリスト」?
自由討論の時間では、まずはじめにこの討論会の司会を担当してい
た外交評議会会長(当時)のレスリー・ゲルプから簡単な説明があ
った。余談だが彼はつい最近、「イラク三分割案」を発表して話題
になったばかりの人物である。

ゲルプ会長が述べたのは、リアリスト、ネオコンの両陣営とも「保
守派リアリスト」という政治思想に属するということである。「え
えっ!両方ともリアリスト?!」と驚くかもしれないが、安心して
欲しい。ゲルプ会長の言わんとしているのは、彼らはアメリカの国
益の計算をまったく「共通のもの」を基礎として分析しているから
である。だから大きくみれば「リアリスト」だと言うのだ。

この「共通のもの」とは何か?これをうまく説明しているのが、チ
ャールズ・クラウトハマーというネオコン派のコラムニストが、ナ
ショナル・インタレストという外交誌の2002年冬季号で発表し
た「一極体制の瞬間・再訪」(the Unipolar Moment Revisited)と
いう論文である。ここで彼は、国際政治の捉え方には、伝統的に「
紙と力」(Paper vs. Power)の対立があった、と説明しているのだ
。ちなみにクラウトハマーは最近、日本に核武装をさせろと論じた
ことで話題になった人物だ。

彼によると、リベラル派(自由主義者)は、国際法や国連などの国
際社会の枠組みで問題に対処しようする。彼らが頼るのは、条約や
法律文書などの「紙」(ペイパー)である。日本のメディアで出て
くるのは、ほとんどがこのような議論であることはいうまでもない。

ところが、そんな「紙」だけじゃ何にもならん、やはり軍事力や権
力などによる脅しがなければ、このアナキーな世界の問題は解決し
ない!というのが現実派(リアリスト)の立場である。彼らは軍事
力などの「力」(パワー)を重視するのである。だからアメリカの
外交政策では、常に「紙と力」の思想的戦いがあったというのだ。
うまいたとえ方をする。

たしかに前項までの議論を見ると、両陣営ともに軍事力を基礎にお
いた「パワー」というものを中心に国際社会を論じていることがわ
かる。本稿では便宜的に「リアリスト対ネオコン」ということで二
派にわけたのだが、大きく見れば両派ともに軍事力を重視する右翼
的な「リアリスト」であることには変わりがない。ゲルプ会長の指
摘は正しいのである。

▼ベトナムの悪夢
両陣営が軍事力を重視するリアリストであること、そしてこのよう
な保守派のなかでもこれほど意見が対立するほどイラク侵攻問題は
難しいということを確認してから、いよいよ自由討論の時間に入っ
た。まず司会のゲルプ会長が、ネオコン派のマックス・ブートの「
参戦しないと国際社会でのアメリカの信頼性に傷がつく」というポ
イントには大きな説得力があることを指摘して、最初の議題とした
のである。

ところがすかさずミアシャイマーは「『国際社会での信頼性』なん
かクソ食らえだ」「ベトナムの時だってアメリカの戦略家たちは『
国際社会での信頼性』が失われるから介入しろと散々論じてたじゃ
ないか!」と反撃したのである。これには司会者のゲルプもビック
リして「反論の余地ナシですな」といっており、当のブートも「ベ
トナムの話はいわないで下さいよ〜」とやや茶化している。

ところがこれに噛み付いたのがネオコンのビル・クリストルである
。かれはまず「チョムスキーみたいな分析のしかたはしないで欲し
い」と言って軽く会場の笑いをとった。最近日本でも名前が売れて
きたノーム・チョムスキーというアメリカの左翼系の知識人は、こ
のようにアメリカエスタブリッシュメントの人間たちからは陰謀論
を唱える変人のようにあしらわれている部分がある。

続けてクリストルは、「プランがなくてドロ沼にはまって行ったベ
トナムとはちがう!今回のわれわれにはハッキリとしたプランがあ
るのだ。」「だからこれをベトナムの時と比べるのはアホである」
とまで言いのけたのである。かなり機嫌が悪そうだ。

このようにネオコンは「ベトナム」を持ち出されるあからさまに不
快感を表す。なぜなら彼らのようなタカ派の戦略家の間では、当た
り前だがベトナム介入は歴史的大失敗と考えられているからだ。

▼二つの歴史的教訓
アメリカの対外戦略には、大きくわけて二つの歴史的教訓から出た
考え方がある。一つ目が「ベトナムアナロジー」であり、もう一つ
が「ミュンヘンアナロジー」である。

「ベトナムアナロジー」(Vietnam analogy)はご存知のとおり、ベ
トナムの教訓から生まれた、海外軍事介入恐怖症である。これは別
名「ベトナムシンドローム」という現象としても知られているが、
この軍事介入に失敗したおかげで、アメリカ政府の執行部では常に
「ベトナムのようにドロ沼化してしまうんじゃないか?」という恐
怖感に悩まされるようになったのだ。

ブッシュ・パパが第一次湾岸戦争を、そしてクリントンがコソボを
空爆だけにして早めに切り上げたのも、すべてこの泥沼化を恐れて
いたからだというは周知の事実だ。彼らは「ベトナムの状況に照ら
し合わせて」(ベトナムアナロジー)、早めの撤退を判断したので
ある。

これとまったく逆の、歴史の教訓がある。これが「ミュンヘン講和
」(1938年)でヒトラーの増長を許してしまった反省から生ま
れた「ミュンヘンアナロジー」(Munich analogy)である。これは
軍事介入をしなかったおかげで、アメリカは大きな失敗をしてしま
った、だからヒトラーのようなやばい奴がいたら、早めに介入して
積極的に叩いておけ!ということなのである。かなりタカ派の理論
である。

アメリカ上層部ではこのように、ベトナム戦争以降、海外軍事介入
の時にはつねにこの二つの歴史的教訓を元にした状況分析で議論が
白熱するのである。もちろん今回のブッシュ政権のなかでもこうい
う議論があったのはいうまでもない。

なんだか大げさだが、単純にいえばこの二つは「介入するべきか、
介入せざるべきか」という話なのである。

▼泣き喚くネオコン
「ベトナムアナロジーはアホだ論」をひと段落させ、「キッシンジ
ャーのような現実政治(リアルポリティーク)はまったく現実的じ
ゃない!」と毒づいたクリストルが発言を終えると、ミアシャイマ
ーが再び登場してきた。これによって議論はとたんに活気づいてき
た。

そしてついに「その時」が来た。クリストルがミアシャイマーと正
面切って議論を交わし始めてから突然、激しく取り乱したのである
。そしてここからついに、ネオコンの論理が崩壊をはじめたのだ。

★以下、次号に続く。

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