1467.ランドパワーとシーパワー



ランドパワーとシーパワーについて、分析し、定義してみたい。

ランドパワー(大陸国家)は、主に大陸内部、半島部、砂漠を故郷
とし、土地支配に執心し、極めて土着的性格を有し、閉鎖的、集団
的、専制的といった形質を備える。古代ペルシャ、近代プロイセン
、ナチス・ドイツやソビエト・ロシア、中国の華北政権(元、清、
中共)、あるいはプロイセンの門下としての大日本帝国陸軍を例に
とると分かりやすいだろう。

簡単に言えば陸軍国である。彼らは生命の揺り篭たる「海」から切
り離された峻厳なる自然環境の下で、異民族と接しながら生存競争
を繰り返す過程で、生き抜く上での狡猾さ、残忍さ、獰猛さを身に
着けた。第二次大戦中のナチスドイツの残虐行為、中国の天安門事
件、ロシアのモスクワ劇場人質事件における両国の対応はこのラン
ドパワーの獰猛性を抜きにしては考えられない。歴史上の流血を伴
う革命(フランス革命、ロシア革命、文化大革命等)、残虐行為(
ナチスによるホロコースト、カンボジアのポル・ポト派によるジェ
ノサイド等)のほとんどがこのランドパワーによって引き起こされ
ていることも無視できず、これもランドパワーの残忍さ、獰猛さを
考えると説明がつく。これは、隣国と常に国境線を挟み軍事緊張下
にあり、攻め込まれるかもしれないという恐怖心の裏返しなのであ
る。例として、ナポレオンやヒトラーが最終的にロシア(ソ連)に
攻め込んだのは、歴史的に欧州大陸部が東方の蛮族(フン族、モン
ゴル、オスマントルコ等)によって侵略の恐怖を与えられてきたこ
とに対する反射という視点を抜きにしては語れない。

ホッブス(ホッブズ、 トマス(1588-1679)イギリスが近代国家と
なっていく時期の政治思想家)はその著書「ビヒモス(旧約聖書に
出てくる陸の魔獣:後述)」において、 革命、内乱を説いている
のはそういう背景を知らねば理解できない。

これに対してシーパワー(海洋国家)とは大陸の外縁部、島嶼部を
故郷とし土地支配よりも交易を重視し、交易のために必要な情報を
尊び、先進的、開放的性格を有し、個人的、合理的形質を備える。
古代ギリシャのアテネ、中国の華南政権(呉や南宋、明)、近代の
オランダやイギリス、第二次大戦以後のアメリカ合衆国、イギリス
の門弟としての大日本帝国海軍を例にとると分かりやすいであろう
。簡単にいうと海軍国である。

ホッブスがその著書「リバイアサン(旧約聖書の大海獣)」に近代
国家としてのイギリスを仮託したのはその本性がシーパワーである
ことを見抜いていたからである。慧眼というしかない。

ランドパワーとシーパワーの政治・経済・軍事・社会上の相違点を
比較すると次表の通りとなる。

シーパワー(海洋国家)とランドパワー(大陸国家)との比較

区分        シーパワー              ランドパワー
 
代表例      米、英、蘭、スペイン    仏、独、華北、朝、韓、露
            、 ポルトガル、華南    イスラム諸国、イスラエル

生息地      沿岸部、島嶼部          内陸部、半島、砂漠
 
王権        弱い                    強い
 
政治体制    開放、民主              専制、独裁
 
国防体制    海軍重視、志願兵        陸軍重視、徴兵
 
内政        地方分権                中央集権
 
民族性      先進的、開放的          保守的、閉鎖的
 
特質        個人的、論理的          狡猾、残忍、獰猛
 
世界観      共存共栄、パートナー    圧制支配、命令服従
、人間観 
 
社会基盤    商業、金融資本          農業
 
経済観      自由貿易、市場主義      計画経済、国家管理、
                                    自給自足

司法制度    当事者主義              国家主義
 
会計制度    市場中心                国家管理中心
 
若干の例外はあるが、大きく分けると上記のようになるのではなか
ろうか。     
更に言えば、どの国においても、王様や貴族はランドパワーであり
、商人はシーパワーなのである。その商人に対する王権による規制
の度合いによって、上記区分が変わってくる。王権すなわち規制は
地理的条件や時代背景によっても左右され、変容するので、上記区
分も相対的なものと理解されたい。この点は後述する。

日本は近代化に際して内政と陸軍をドイツ(プロイセン)に学び、
外交と海軍をイギリスに学んだ点で、ランドパワーとシーパワー両
方の要素を兼ね備えている稀な国である。又、欧州においてイギリ
スはシーパワーであるがその他諸国はランドパワーであり、両者の
溝は我々が思う以上に深い。シーパワーであるがために、欧州大陸
諸国の対立を上手く利用して、勢力均衡をはかり、安全保障してき
たので、裏を返せば、真の友人がいないのである。アメリカは国内
的には大陸国家であっても、外交的にみた場合大きな島国であり、
第二次大戦以後、明確にシーパワーとして台頭してくる。

これら民族、国家はなぜ、ランドパワー、シーパワーとなったのか
、どのような特徴、歴史的背景があるのかを考察してみたい。

ランドパワーは地理的要因で説明できる。海岸線から離れた内陸部
もしくは砂漠で異民族と、あるいは半島で大ランドパワーと境を接
するということは、生存そのものが激烈な闘争である。このような
環境で、常に軍事的緊張を強いられ、猜疑心が強く、狡猾かつ峻烈
なる精神構造となった。読者諸兄におかれては、テレビのニュース
でランドパワー諸国の指導者を見ることも多いであろう。その際、
彼らの目が、握手、抱擁している時であっても、決して笑っていず
、刺すような鋭さがあることに気づかれたであろうか。歴史的に築
かれた人間の精神構造は口ほどに物を言う「目」に良く現れるので
ある。欧州の古い格言、”Homo homini lupus ist”「人は人に(対
して)狼である」はランドパワーの人間観を物語る。このような人
間観を前提として、応報刑に基づくハンムラビ法典、旧約聖書の十
戒や、自然状態を万人の万人に対する闘争として、契約でそれを縛
る、すなわち社会契約、中国の法家という思想が生まれ、犯罪に関
して、一族全てに責任を問うたりもする(その罪九族に及ぶ)。人
間不信の裏返しとしての、厳密な身分制度もこの文脈で理解され、
北朝鮮が自国民を構成成分(親の地位に基づく)に分ける統治のや
り方もこの例である。

更に重要な視点として、農耕の開始が挙げられる。日本では一般に
、平和愛好的な農耕民族と、好戦的な狩猟民族という観点で語られ
ることが多い。そういった面も確かにある。しかし、よく考えてい
ただきたい。狩猟民族が「好戦的」なのは獲物に対してである(こ
れは、好戦的ともいえないかもしれない)。人間に対して好戦的で
ある必要はない。獲物がいなくなれば、他所へいけばいいだけのこ
とである。この例として、GREAT JOURNEYが挙げられる。(農耕開始
の遥か以前、人類の先祖は400 万年前、東アフリカの大地溝帯に誕
生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最
南端パタゴニアへ到った。この 5万キロの大遠征をアメリカの考古
学者B.M.フェイガンは"GREAT JOURNEY "と呼んでいる。)

一方、約6千年前、西アジアで農耕が開始されて以来、土地を耕す
ということはとりもなおさず、土地が生活の基盤となるということ
であり、これは、侵入者には命がけで抗戦するということである。
灌漑や農業のため、大規模な動員の必要から、初期の王権が形成さ
れ、国家を築き、戦争の始まりとなったのである(四大文明)。ラ
ンドパワー諸国の都市は城壁で囲まれていることが多い。裏を返せ
ば、それだけ、土地を巡る戦いが絶えなかったということである。
日本や西欧において、土地を媒介にして封建制度が成立し、武士や
騎士といったランドパワーの戦闘集団を産んだことも見逃せない。
冒頭で紹介した定住農耕の弥生が戦国時代であり、漁労採集(焼畑
はあったようだが)の縄文が平和な時代であったのもこの文脈で理
解される。人類史的に見て、土地に拘る事こそが、戦争を生み出し
た要因なのである。鎌倉幕府御家人の「一所懸命」という誓いこそ
がランドパワーの真髄なのだ。

更に重要な視点として、この土地にこだわるということは、陸上で
防衛線を張ることに繋がり、人間の本性として、敵と距離を保つた
めに、常に防衛線の前方展開の衝動に突き動かされ、結果として国
家崩壊に至る例があまりに多いことである。帝政期以降、欧州内陸
部への拡大から破滅を招いた古代ローマ、アレキサンダー、元、ナ
チス・ドイツ、大日本帝国陸軍そしてソビエト・ロシア等、枚挙に
暇がないというよりも、これがランドパワーの宿命であろう。現在
のアメリカはシーパワーの本分を忘れ、このランドパワーの落ちた
罠に嵌ろうとしている。 

ランドパワー、シーパワー両者には、土地支配重視か交易重視かま
たはその精神的な構造、マインドについて決定的な相違があること
が分かる。地域的に両者が離れている場合利害は対立せず、むしろ
相互補完関係となるが、同じ地域、国内で両者が対立した場合、妥
協はなく、歴史上の紛争、諸事情もこの対立軸を通して読み解くと
非常にわかりやすい。大事な点は、往々にしてランドパワーはシー
パワーを文化的に劣等と見るということである。これは、上記のよ
うに、シーパワーがランドパワーによって追い詰められ、その結果
シーパワーになったという過程を見れば、分かるであろう。フラン
スのイギリスに対する、あるいは、中国、韓国の日本への文化的に
劣等とみる見下した見方はこの視点を考えると分かる。

彼らの本音は、「陸では自分たちが勝った」ということである。ラ
ンドパワーとシーパワーでは、パラダイムが変わったことに、その
閉鎖性ゆえ気づいていないのである。

注意するべきは、ランドパワー同士やシーパワー同士はそれぞれ土
地支配、市場支配を巡って利害が対立するということである。第二
次大戦における独ソ戦争はランドパワー同士の東欧支配を巡る対立
であり、古代ローマとカルタゴは海外市場と地中海制海権を巡って
必然的に利害が対立したのである。このような場合、殲滅戦になり
がちである。近親憎悪とでもいうべきか。独ソ戦は捕虜を取らない
、泥沼の死闘であったし、ポエニ戦争も最後はカルタゴは廃墟と化
した上殲滅され、歴史から消えた。

しかし、シーパワーとランドパワーの対決は必然ではない。何故な
らシーパワーは海上封鎖によりランドパワーを封じ込めることがで
きるが、逆はあり得ないからである。つまり、シーパワーが制海権
を保持するという前提でいえば、ランドパワーはシーパワーに手を
出せないのである。冷戦期のアメリカの世界戦略である封じ込め政
策、又は古代ギリシャにおける、サラミス海戦後のアテネとペルシ
ャの関係、さらに、イギリスが海軍力を駆使して、大陸欧州諸国の
パワーバランスを図った勢力均衡などが例である。この観点から、
アメリカも北朝鮮を封じ込めていけば、早晩瓦解するのであり、戦
争に訴える必要はない。言い方を変えると、ランドパワーとシーパ
ワーは陸と海にそれぞれ棲み分けることができるのであり、あえて
対決する必然性はないというのは 歴史上の法則である。例外は、
同じ国内でランドパワーとシーパワーが対立した場合であり、妥協
の余地のないデスマッチとなる。ここで日本が特殊な点は、上記の
ようにその形成過程において両者の影響を同じ程度受けている、世
界的にみても稀な国なのであり、歴史を通じてある時点ではシーパ
ワー、ある時点ではランドパワーという二つの間を振り子のように
ゆれている点である。私の見るところ、これは大陸からの距離が原
因であろう。朝鮮半島のように大陸と地続きの地域が中国の華北政
権といった大ランドパワーの影響から脱しきれず、小ランドパワー
で終わってしまったことをみればよくわかるであろう。大陸と適当
な距離をもった島国であり、かつ、黒潮により華南や南方とつなが
っていたことが幸いしたのである。

ご理解いただきたい。日本において、否、世界史的にみてランドパ
ワーとシーパワーの問題とは歴史を通じての大命題であり、このこ
との理解なくして何一つ世界情勢、さらにはそれと連動した国内問
題は、認識、把握できないと断言する。90年代初めまで継続した
戦後の枠組みである東西冷戦の本質もこのランドパワーとシーパワ
ーの対立なのであり、資本主義と共産主義の対立は表面的見方に過
ぎないのである。資本主義国のほとんど全てがシーパワーであり、
共産主義国のほとんど全てがランドパワーであることは議論の余地
はない。社会学者のウィットフォーゲルは著書「オリエンタル・デ
ィスポテズム」の中で、これを東洋的専制主義と呼んで、共産主義
ではないことを喝破した。しかし、彼の説では日本を説明できない
ため、点睛を欠くのである。              

逆に言えばシーパワーの功利システムが資本主義であり、ランドパ
ワーの閉鎖的、自給自足社会システムに社会主義、共産主義という
看板をかけ、さらには、周辺国、関係国支配の理論武装、あえて言
えば「餌」としただけである。この餌にどれだけの優秀な頭脳の持
ち主が飛びつき、結果として、多大な機会損失をもたらしたことか
。羊頭狗肉も甚だしいのである。

マルクスの理論では何故、共産主義が資本主義のシーパワーではな
く、ランドパワー諸国で受け入れられたのかを説明できない。伝統
的な閉鎖的集権自給自足体制に共産主義の計画経済が若干似ていた
から利用されたにすぎない。実態は似て非なるものであったことは
歴史が証明している。かっての左翼知識人はこのことをなんら総括
していない。資本主義が共産主義に勝ったのではなく、シーパワー
がランドパワーを封じ込め、軍拡競争に追い込んだから、交易をし
ない、貧しいランドパワーが自壊したというのが真相である。すな
わち、冷戦を通じて、自給自足システムと交易自由のシステムの優
劣、更には、陸上支配権と海上支配権の優劣に決着がついたという
ことである。彼らのシステムは歴史を貫くランドパワーに特有の社
会システムを読み解くことによって初めて、説明、理解される。今
後の日本と中国の発展もこの文脈で理解すべきである。 

ランドパワー、シーパワーを分ける大きな点が輸送、安全保障コス
トである。シーパワーの利点の一つが海を活かした低コスト、大規
模輸送であり、海洋の存在する所は船により、どこへでも国境に関
わらず、自由かつ低コストで多量の物資を運びえることから関係国
、地域との国際貿易や国際分業化達成により、シーパワー間を相互
依存の関係(対等なパートナーシップ)としている。このため、シ
ーパワーは世界的な自由貿易、協調体制や同盟関係を構築すること
になる(例として古代ギリシャのデロス同盟、アメリカ主導による
NATO、日米安保、ANSUS)。シーパワーは有事に際しても必ず同盟国
を頼んで立ち上がる。第二次大戦の英米が例である。

これに対してランドパワーは、大陸内部又は半島において、国境線
を隔てて隣り合うランドパワーと常に臨戦態勢を強いられているた
め、陸軍重視で徴兵に依存する。経済的にも生存に必要なものを自
給自足するという形になりがちで、相互依存体制をとる資本主義、
功利主義といった商業は無視されるか、弾圧されることが多い。軍
事緊張の下、生存競争がより喫緊の課題で、利益を考える余裕など
ないし、他国への必要な物資の依存である交易を嫌い、自給自足を
求めるのである。日本も太平洋戦争中(そして、それは現在も生き
ている)は統制経済を敷いた。ランドパワーは常時隣国との戦争体
制だと考えればいいだろう。

このため、社会の特質として専制、独裁、閉鎖的になる。さらに、
周辺国、友好国への猜疑心、恐怖心から国家関係は支配、服従、命
令、受動という上意下達方式をとる。中国の伝統的華夷体制、旧ソ
連主導のワルシャワ条約が例である。注意すべきは、このようなラ
ンドパワーの世界観はそのまま対人関係にも当てはまるということ
である。彼らの価値観に対等なパートナーシップはない。これは
我々がビジネスをする上でも押さえておかなければならない重要な
点である。

シーパワーとランドパワーとどちらが国家発展上有利かについて考
察してみたい。鉄道や馬車が物資輸送の主役であった時代には、ラ
ンドパワーにも有利な点があった。道路しか道が無い場合、その道
を押さえた国が優位に立つのも当然である。しかし、科学技術の発
展による港湾の整備や船舶の大型化により、輸送効率や国際的分業
体制などのシステムが確立したため、シーパワーの優位が明確にな
り、近世における蒸気機関の発明はこのことを決定的にした。海か
ら離れた内陸部や山間部を抱えること自体が、輸送、移動、通信、
エネルギー等の社会インフラといった点で高コスト体質を構成する
。陸上では国境を越えることにともなう、コスト、リスクも計り知
れず、新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)における中国
の状況に見られるよう、近隣国で疫病が流行した場合の被害拡大も
早い。さらに、極論すれば、シーパワーは海空軍だけで安全保障で
きるが、ランドパワーは人手(人件費)のかかる陸軍を大量に保有
する必要から、安全保障コストも計り知れない。戦略ミサイルにつ
いては、ランドパワー、シーパワー双方にとってコストは同じと考
え、考慮しないこととする。決定的な問題点として、国境線を持つ
こと自体が、安全保障を難しくし、国家破滅の要因となりうるので
ある。この事は、隣国の政治状況の影響をまともに受け、戦争にお
いては陸上での補給線維持に困難が伴い、或いは難民の流入がある
ことを意味する。人口が多く、人種や民族的に多様であれば、それ
だけ政治的社会的不安定要因を増すことになり、外国勢力の介入に
も繋がる。これは、米ソ冷戦や19世紀後半から20世紀前半にか
けてのイギリスとドイツを考えれば理解できよう。19世紀後半、
ドイツの工業生産力はイギリスを抜いた。二度の世界大戦において
も、工業力、軍事技術力に優れ、国内に資源をもつドイツが有利と
考えられるが、実際は大陸内部の国家であり、東西に長大な国境線
を有し、二正面作戦を余儀なくされ敗退した。イギリスは国内資源
、工業生産力、軍事技術力等のハード面でドイツに破れても、島国
という地理的条件を活かした外交、海上支配によって、ドイツに対
して敗北を免れ、かつ、内陸国ドイツの地理的条件が死命を制した
のである。なお、ヒトラーはこれらの要因より、国内のユダヤ人が
利敵行為をしたことをもって、ドイツの敗因とした。しかし、真の
敗因は東西の国境線の存在と、この条件を考慮せず周辺国全てを敵
に回した稚拙な外交戦略である。この一事をとっても、国家にとっ
て、地理的条件とそれを踏まえた外交政策がいかに重要かが分かる。

この事は極めて重大である。何故ならば、冷戦終結後、中露や東欧
諸国を初め、ランドパワーがアメリカのようになろうとして資本主
義を導入しようとしている。しかし、本質的にランドパワーであり
、長大な国境線、膨大な内陸部を抱えるという条件が変わらないか
ぎり、経済システムを変更しても安全保障、社会インフラといった
面での高コスト体質は変わらないのである。アメリカを始めとする
陣営の繁栄の本質は資本主義ではなく、シーパワーとして、海への
アクセス(制海権)を押さえた点にあり、後述する金融資本にフリ
ーハンドを与えたことが理解されない限り、ランドパワーが経済発
展することは難しい。ありていにいえば、シーパワーたる可能性を
秘めた上海の発展は華北や内陸部、さらには、共産党王朝といった
不良債権によって相殺されるのである。   

この観点から、日本と中国の今後の経済発展についても予測ができ
る。上述のアメリカとソ連、イギリスとドイツのどちらが最終的に
勝利したかを考えれば、島国と国境線をもつ大陸国では、どちらが
有利かは明白である。現在では、大陸内部の環境破壊の問題も勘案
する必要がある。一時的経済疲弊や中国の大嘘の経済成長率にだま
されて自信を失いつつある日本人はこの事を肝に銘じるべきである。

このように、国家繁栄、安全に決定的に重要な役割を果たす制海権
を最初に唱えた15世紀の海洋先略家ポルトガルのアルバカーキ提督
は「海洋覇権を制し、大陸や島国を占領するにはその港を奪え」と
の名言を残した。これは16世紀のイギリスにおいて1588年スペイン
無敵艦隊を破ったキャプテンドレイクによって「英国の防衛線は海
岸線や英国海峡内に無い。相手側大陸の港の背後にある」との言葉
に通じるものであり、19世紀に入り、海洋戦略家マハン(Alfred 
Thayer Mahan 1840-1914:ウエスト・ポイント陸軍士官学校工学科
教官の息子として生まれ1859海兵卒後北大西洋艦隊司令官ルース少
将に見いだされ第2代海軍大学校長となり「海上権力史論The 
Influence of Sea Power in History, 1660?1783 (1890)」を発表、
ルーズヴェルト大統領の絶賛を浴び、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は
ドイツ語に翻訳させて全艦艇に配布する等、世界中反響を呼び、日
本海軍も教官として招聘を試みた大佐で退役後ジャーナリズムに身
を投じて活躍した。)は1890年に『海上権力史論』で、商船隊や漁船
隊、それを擁護する海軍とその活動を支える港や造船所などをシー
パワー(海上権力)と規定し、シーパワーが国家に繁栄と富をもたら
し、世界の歴史をコントロールすると論じた。彼はアメリカ海軍大
学校の教頭で海軍大佐であった頃の1890年に著した『1660年より
1783年に至る歴史に対するシーパワーの影響』(日本では『海上権
力史論』と訳された)という書物において、初めて「シーパワー」
という概念を提示している。シーパワーとは、「海域における自由
な使用を確保し、平時・戦時の両方において、自国の商船、軍艦等
が自由な航行をする能力を維持して、反対に相手国の自由な航行を
阻止する能力を持つこと」、といった意味を持つ。つまり、自国の
周辺やシーレーンにおける海域を自由に使用する能力、または必要
ならば敵国のこの能力を拒否する能力ということができる。この「
能力」のことをシーパワーというのであって、海上において優勢を
誇る国が持つ影響力はその範囲の海域をコントロールすることがで
きる。そのコントロールのことを「コマンド・オブ・シー(制海覇
権)」と呼ぶ。英米の世界支配とはまさに、制海権によるものであ
り、港や島嶼部を支配し大陸に深入りしないことを鉄則とする。現
在でも、世界中の大洋に浮かぶ孤島をアメリカやイギリスが領有し
ているのはこの港の支配による制海権確保のためなのである。

余談であるが、日本海軍は、日露戦争の勝利により、このマハンの
シーパワーのコンセプトを大いに歪めた形で受け入れた。すなわち
、ロシア以後の仮想敵たる英米との大鑑巨砲主義に基づく西太平洋
での待ち伏せによる直接対決を戦略の主眼においた。早い話が、日
本海海戦の二匹目のドジョウを狙ったのである。そのため、補給線
の確保という制海権の重要な使命は見失われ、南西太平洋に伸びた
重要な戦略拠点への補給路、輸送路は省みられることはなくなり、
米海軍にそこを狙われ、壊滅した。逆にドイツは二度の世界大戦を
通じて弱小な海軍力を埋め合わせるべく、潜水艦を使った商船攻撃
を主眼に置く戦略を建て、イギリスを降伏寸前まで追い込んだ。

戦術の上では、制海権思想をよく理解していたというべきであろう
。戦略上はイギリス、ソ連というシーパワー、ランドパワーを同時
に敵に回したのであるから大失敗であった。

これに対してイギリスの地理学者マッキンダー(Halford Mackinder 
1861-1947)は1904年に「歴史の地理的な展開軸(The Geographic 
Pivot of History)」という題名の講演で、マハンの海上権力論では
陸地に関する要素が不充分であり、地球は大陸と海洋から成り立ち
、その大陸の3分の2を占め、人口の8分の7が住んでいるユーラシア
大陸を「世界島(World Island)」、世界島の中央部でシーパワーの
力が及ばないユーラシア北部を「ハートランド(Heartland)」と名づ
け、ハートランドの外側に2組の三日月型地帯(Crescent)を設定し、
ハートランドの外側にあり海上権力の及ぶ大陸周辺の地域、すなわ
ち西ヨーロッパ、インド、中国などを内側三日月型地帯(Inner 
Marginal Crescent)、その外方に海を隔てて点在するイギリス、日
本、インドネシア、フィリピンなどを外側三日月型地帯(Outer or 
Insular crescent)と名付けた。そして、近代工業が発達すれば鉄道
などによる交通網が発展し、ハートランドに蓄積されたランドパワ
ーがシーパワーを駆逐し、やがてはシーパワーを圧倒するであろう
。「東欧を制するものはハーランドを制し、ハーランドを制するも
のは世界島を制し、世界島を制するものは世界を制する」と主張し
た。このハートランド理論=「東ヨーロッパを制するものは、ハー
トランドを制し、ハートランドを制するものは世界を制する」は、
ハウスホーファー (1869-1946、ドイツ出身地政学者、ミュンヘン大
学で地理学を講義)によりドイツ風のアレンジを加えられ完成(「国
家は生きた組織体であり、必要なエネルギーを与え続けなければ死
滅する。国家が生存発展に必要な資源を支配下に入れるのは成長す
る国家の正当な権利である」という)し、ナチス・ドイツの東欧、
ロシアへの侵攻の指導理論となった。ゲルマン民族の生存圏を東方
(東欧とソ連)に確立し、スラブ民族を奴隷にするということであ
る。この理論は形を変え、日本にも導入され、満州国建設の指導理
論となった。(満蒙は帝国の生命線) この構想をアジア全域に拡
大したものが大東亜共栄圏である。正に、ランドパワー連合構想で
ある。

アメリカの地政学者スパイクスマンは、マッキンダーやハウスホー
ファーの影響を受けたが、シーパワーであるアメリカの立場から、
特異な「リムランド(Rimland)」理論を主張した。1944年に出版
した『平和の地政学』で、世界はランドパワーとシーパワーが対立
するという単純なものではなく、ハートランドの周辺地帯でハート
ランドの力の基礎となり、かつシーパワーの影響が及んでいる地域
、すなわちランドパワーとシーパワーが激突し、最前線である地域
をリムランドと呼称し、このリムランドが地政学的に重要であると
した。特にリムランドに位置する日本やイギリスは東アジアまたは
西ヨーロッパの外側にあり、政治軍事上に重要である。ヨーロッパ
大陸が一大強国に支配されるのを防止するには、ハートランド周辺
諸国(リムランド地帯の国々)と共同し、ハートランドの勢力拡張を
防ぐべきであると、マッキンダーの警句を修正し「世界を制する者
はハートランドを制するもの」でなく、「リムランドを制するもの
はユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界を制す」と主
張し、戦後のアメリカのユーラシア大陸への関与における指導理論
となった。

リムランド

ハートランド

スパイクスマンのリムランドとマッキンダーのハートランド

ここまでの先行研究と、その各国への影響をまとめると、以下のよ
うになる。

アメリカは上述のマハンの「海上権力史論」に主導され、第一次世
界大戦でドイツを破り、第二次世界大戦で日本を壊滅させた。忘れ
てはいけない事は、日露戦争中からすでに日本はアメリカの仮想敵
であり、このことは、マハンの理論を知れば当時の日本人にも理解
し得たことである。さらに、アメリカの海上覇権はイギリスのそれ
と当然衝突する。第二次大戦でイギリスまでも衰退したことはアメ
リカの望むところであったのである。

第二次世界大戦が終わると、ランドパワーのソ連がドイツに変わっ
て台頭し、マッキンダーのハートランド理論は、ドイツの代わりに
ソ連が実現するかの様であった。ソ連は巨大な陸軍力をもって着々
と内側三日月型地帯を勢力下に収め、次いでアフリカなどの外側三
日月型地帯にも進出した。その後、東欧を制してマッキンダーの警
句の第1段を達成し、第2段の世界島(World Island)の支配に乗り出
し、ユーラシアのリムランド(Rim land)はアメリカの強力な支援が
なければソ連の手に入るところであった。     

そのような背景で現れたスパイクスマンの理論に主導された政策が
「ソ連封じ込め政策」であった。ベトナム戦争以後、シーパワーア
メリカは衰退し、海洋一国支配の歴史は幕が閉じられたかに見えた
。しかし、ランドパワーソ連は国際分業と国際貿易による相互依存
関係をもつ、アメリカを中心とした日本やNATOのシーパワーに対抗
し、その脆弱な国家経済を無視して戦略核部隊、大陸軍、東西両洋
に海軍力を増強したため、経済を破綻させ、国家を崩壊させ、マハ
ンの理論の勝利が確定した。肝心なことは、アメリカとソ連との対
立は資本主義と共産主義の対立ではなく、マハンとマッキンダーの
理論の対立すなわち、シーパワー優位か、ランドパワー優位かの対
立であり、その歴史的な論争に決着をつけたということである。 
この後、アメリカがベトナムやフィリピンから撤退すると、この隙
間を突いて中国が海軍力を増強し、1974年には西沙群島を、1988年
には南沙群島をベトナムから武力を用いて奪取するなど南進を開始
した。このように見てくると、マハンやスパイクスマンの理論はな
るほど勝利した。しかし、肝心なことを説明していない。それはシ
ーパワー相互、あるいはシーパワーとランドパワーの関係はいかに
あるべきかということである。本作はこれを説明し、もって明日へ
の展望を開くことに主眼がある。

なお、戦前の大日本帝国陸軍はマッキンダー理論の亜種である上述
のハウスフォーファー理論に主導されたナチス・ドイツに傾倒し大
陸へのめり込んでいったことが間違いであった。土地などいくら確
保しても不良債権化してしまい、維持コスト(安全保障コスト)が
かかるだけというのはバブルを経験した我々には容易に理解できよ
う。

更に言えば、明治以来、陸上で防衛線を張るという戦略思想のドイ
ツに学び、影響を受けた陸軍は安全保障の観点(イギリスの植民地
支配のような富の収奪が目的ではない)から朝鮮半島併合、満州国
樹立、華北でのシナ事変と言うように、大陸内部へのめり込んでい
くが、これは、防衛線の前方への展開を意味する。後世の視点で冷
静に考えると、シーパワーの観点から、防衛線は対馬に置いて、釜
山港を租借するだけで、優勢な日本海軍により安全保障は達成でき
たのではなかろうか。伝統的なイギリスの国防戦略観を如実に示す
、上述のドレイクの言葉「英国の防衛線は相手側大陸の港の背後に
ある。」を思い出していただきたい。「地政学指導理論の採用を誤
ると国家、民族の破滅を招く」という実例を我々日本人は近代にお
いて持っているのである。この教訓は強調しきれないくらい重要で
ある。

ランドパワー、シーパワーという区分は旧約聖書のビヒモス(陸の
魔獣)とリバイアサン(大海獣)にもある。この両者につき以下の
記述を参照されたい。

「ベヘモト、またはビヒモス(ベヒーモス)と呼ばれる。レヴィア
タンと同様、海から生まれたが、あまりに巨大なため、二匹が共に
暮らすことができず神はビヒモスを地上に上げデンデインという広
大な砂漠に住まわせた。この二匹は最後の審判の日には互いに殺し
合うことになっている。その姿は、「尾は杉の枝のようにたわみ、
腿の筋は硬く絡み合っている。骨は青銅の管、骨組みは鋼鉄の棒を
組み合わせたようだ。これこそ神の傑作、創り主をおいて剣をそれ
に突きつける者はない」(『ヨブ記』)と表されている。ベヘモト
は本来は河馬のような姿をしていると考えられたが、イギリスの詩
人ジェイムズ・トムスンが『四季』(1726年頃)で犀であるとし、
ウィリアム・ブレイクもそれに影響を受けたベヘモトを描いたとフ
レッド・ゲティングスは述べている。

 もっともその性質は、「山々は彼に食べ物を与え、野のすべての
獣は彼に戯れる」とあり、穏やかであるらしい。しかしグリモアの
伝統においてはベヘモトは暴飲暴食を助長するデーモンであり、サ
タンの別名であるとされている。

 ルーツとしてはインドのガネーシャ神の姿が模されて生まれたと
もいわれ、後世になると、ビヒモスの名はイスラム伝承の「バハム
ト」に由来するとデーモン学者たちは推測するが、「バハムト」は
巨大な魚であり、犀や河馬にイメージされるベヘモトと、ルーツに
共通点があったとしても、それは名前の点だけであると思われる。

『バルク黙示録』では、ベヘモトとレヴィアタンはともに天地創造
の第5日目に創られ、ベヘモトは男性の魔獣として、レヴィアタン
は女性の魔獣として結びつけられている。」この旧約聖書の記述が
意味するところは「ランドパワーとシーパワーは相互不干渉を貫く
べきで戦ってはならず、両者が闘うとき世界が終わる」ときという
メッセージであると考える。冷戦期のアメリカがとった抑止戦略は
この聖書の教えに忠実に従い海上封鎖により相互不干渉を貫いた結
果ソ連崩壊を惹起した。さらに、ランドパワーとシーパワーはわが
国の古史古伝においても天津神と国津神の時代から語られてること
で目新しいものではなく、人類史を貫くテーマである。このように
、「ランドパワーとシーパワーは相互不干渉を貫き棲み分けるべし
」、というのが聖書の時代から現代にいたるまでの歴史を貫く黄金
律であり、これを破った過去の世界帝国は全て崩壊している。
satoblue01


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