1455.環境と資源について



国際戦略コラム 様        EM&MY

「耕さない田んぼが環境をかえる」NHK  ETVスペシャル11月15
日22:00よりを観ました。以下、そのとき広告用紙にメモした
ものを記します。

「岩沢信夫 藤崎芳秀 不耕起栽培 水苗代 福岡信行 わら一本
の革命(本の題名)自然農法 固い土 イネの野生化 サヤミドロ
 タニシ マイナス面 作物を甘やかす 本物の米 鳥類 Going my way
 成苗 稚苗 カメムシ 無農薬の証 生物トラストイトミミズ 
カエル メダカ 千葉県佐原市 冬季湛水 雑草が減る 微生物〜鳥類
リン酸資源 20年 石油資源 50年で枯渇 日本の水資源 豊富
 代かき 中本信忠(信州大学) 緩速濾(ろ)過 フナガタケイソウ
 1年12ヶ月 8ヶ月冬季湛水 4ヶ月稲 浄水場となる 米糠 
おから 不耕起田んぼ専用田植機開発済み」

 田んぼを不耕起にすることによって、固い土により、イネが鍛えら
れ野生化し、丈夫なものができるそうです。また、稲作期間は年4ヶ
月で、あと田んぼから水が消えているのが現状であるが、冬季湛水と
いうことで残りの8ヶ月の間、田んぼに水をはっておけば、そこに微
生物が作物残滓を分解し、イトミミズが生息し、メダカ、カエル,ド
ジョウ、ザリガニ、タニシ等々が甦り、食物連鎖の頂点が鳥類とのこ
とでした。そしてなにより、冬季湛水することにより、田んぼが「浄
水場」となりきれいな水が海に注がれるとのことでした。
 このような農業手法の方向とEM農法思考の方向が一致しているので
はないかと思いました。

name=EM & MY
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国際戦略コラム 御中

林といいます。
日本が資源国?
驚くべき記事を見つけました。
またもや日本が騙されカモにされていたようです。
進歩的な人が、よく口にし幻想を抱いている何でも「国連中心主義
」は考えを改めなくてはならないでしょう。

それと、中国、韓国、ロシアなどのの調査船がしばしば秘密裏に日
本沿岸を調査していることも納得できます。

http://www.collectors-japan.com/nevada/content/c030615_1.html

貴コラムの見識ある方々のコメントをいただければと思います。
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1.日本復活の鍵:幻の世界有数の資源国が・・・

日本は、世界有数の資源国になるはずだったのですが、官僚のサボ
タージュで幻になりかけています。

日本が資源国?何を寝ぼけているのか!
とご指摘を受けるかも知れませんが、実は、日本にはまだ開発され
ていないとんでもない資源が眠っているのです。

『メタンハイドレート』 

3年前に石油公団は、採取に成功しており、日本の天然ガス使用量
の100年分の埋蔵量があると言われている夢の資源なのです。
ところが、ここでとんでもない事態が起こりました。 

やや話が専門的になりますが、可能な限り分かりやすく解説させて
頂きますので、じっくりお読みください。

日本は、ご存知の通り周りを海で囲まれていますが、この海には、
今まで人類が手をつけてなかった膨大な資源が眠っていることは、
余り知られていません。 

金、銀、コバルト、マンガンという数十兆円にも及ぶ膨大な資源が
、日本の周りの大陸棚に眠っているのです。既に、海洋調査でこの
調査は終わっています。
この資源を採掘するだけで、日本は世界一の資源国になる可能性が
あるのです。

しかも、上記の『メタンハイドレート』は、夢の天然ガスといわれ
ており、日本近海には7.4兆立方メートルという、日本の天然ガ
ス使用量の100年分があると推計されています。
これで、燃料・貴金属全て日本が手にすることが出来、日本は世界
一の資源国になる『筈』だったのです。

ところが、ここで大きな誤算が出てきたのです。
日本が妄信しています≪国連≫が、『日本が資源国になるような事
はまかりならん』、とこの大陸棚の開発に邪魔をいれてきたのです。 

具体的にご説明させて頂きます。 
1982年に国連海洋法条約が採択された後、規定に従い、日本の
『海上保安庁』が、20年に亘る調査を続け、日本は現在の日本の
国土の1.7倍にも亘る<新大陸棚>を日本のものと主張できるこ
とになったのです。
そして、この大陸棚には、膨大な資源が眠っていることが確認され
たのです。 

ところが、ここで突如、国連(専門委員会)がこのように言ってきた
のです。『大陸棚の確定には、今までの規定の調査では不十分であ
り、より詳細のデータが必要である』と。
今から4年前のことです。
国連の中に、日本が資源国になることを妨害する勢力が居たのです。
民間ならこの突然のルール変更には猛然と反発し、そして全ての力
を振り絞って、新しい規定に従って、調査を行う筈です。
日本人には、その力が備わっているのです。

日本が力をつけてきたスポーツ(ジャンプ等)で、突然のルール変
更がありましても、日本人は、歯を食いしばって何とか克服し、世
界に対抗し続けています。 この精神力・実行力が、日本人の素晴ら
しいところでもあり、外国人が恐れることでもあるのです。

しかしながら、官僚になりますと、この力は全くありません。
現場の係官達は、素晴らしい仕事をしています。
調査を担当しています『海上保安庁』は、荒波の中、今までで延べ
地球を18周するほどの膨大な調査を行い、見事な仕事をなし遂げ
ています。

ところが、この作業を指揮する<官僚>達が、見事なサボタージュ
に入ったのです。
国連がこのような難題を吹きかけてきた事に対して、日本の国連代
表部は一体何をしてきたのか? 
日本の権益・国益を守る為に、当時の国連代表部は一体何をしてき
たのか? また、この突然の変更が決まった後に、日本政府は、どの
ような対応をしたのか?
調べれば調べるほど、不思議な対応が取られています。

上記の新しい規定に従った精密データの提出期限は6年後に迫って
います。 ところが、この精密データの収集には、『海上保安庁』が
保有する調査船では、対応しきれないのです。
では、この調査船が日本にはないか?となれば、実はちゃんとある
のです。文部科学省所管の「海洋科学技術センター」には、世界一
の技術を持つ調査船があるのです。

ところが、“遊び”に使われており、海上保安庁には『貸せない』
、となっています。 また、経済産業省所轄の「金属鉱業事業団」に
は、世界有数の海底資源探査船がありますが、これも、『既に予約
でほぼ一杯』、となっており使用が事実上不可能になっています。

事は国の将来を左右する重大なことなのです。
それを、目先の事しか考えない官僚達が、妨害しているのです。

小泉総理は、国家を挙げて、この対策に取り組むべきだと言えます。 

海上保安庁の大陸棚調査室を、総理直轄にして、最大の権限を与え
、予算も無制限に付け、民間の力も結集して、この6年後の期限に
間に合わすように、全力を尽くすべきです。

何も何兆円も掛かる事業ではありません。数千億円もあれば十分足
りるはずです。 

ここで、官僚のサボタージュで全てを失うことになれば、日本は永
遠に浮かぶことが出来ない島国になってしまいます。 

米国を始め、世界各国は、日本のこの『資源』を虎視眈々と狙って
います。今後も、色々な妨害があるでしょう。
日本復活の鍵は、この海洋資源の開発が出来る6年後から始まるか
も知れませんが、それまでに、権益が全て外国に握られ、日本はお
こぼれ頂戴というのでは、担当した官僚・政治家は、万死に値しま
す。

今、日本は重大な岐路に立たされていると言えます。 
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http://www.geocities.jp/fukucyann80/
拝啓 八王子市の福山と申します、こんなにまともなサイトがある
ことを知り驚きました。早速私が発行しているメルマガにのせまと
もな民主党議員に伝えておきました。このサイトがこれからも応援
していゆきます。
福山 清
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(Fのコメント)
ありがとうございます。今後も頑張りますので、応援お願いします。
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件名:破綻し始めた「神抜きの思考枠」  

科学の側から出てきた“証拠”・説得力ある科学者たちの言葉

「ありがたい」の本質的な意味

 私の学生時代、桑原武夫教授が一般教養の授業にやってきて、「科学者が論文を書いて
 その結論に〈これは大変ありがたいことである〉などと言ったら滑稽(こっけい)なの
 だ」というようなことを言って学生を笑わせたのを覚えている。聞く学生のほうも私を
 含めて、それは当然だと思ったものである。自然科学は事実を探究するものであって価
 値や倫理とは関係のないものだということである。これは五十年前には常識で、当時の
 世界の知的リーダーであったバートランド・ラッセルも、この二つは分けるべきものだ
 とはっきり言っている。

 この考え方は比較的最近まで変わらなかったと思う。私の属していた教養部を改組する
 時も、文系・理系という言い方はやめて、価値と没価値というような基準で学科を分け
 たらどうだろう、と提案した有力教授がいたものである。

 それが今「当然」ではなくなりつつある。「人間原理の探究」という題目である雑誌に
 連載記事を書きながら、いろんな文献を読みあさるうちに、その確信を強めるようにな
 った。要するに、「ありがたい」ということが科学の概念になりつつあるということで
 ある。われわれは普通、言葉の元の意味を意識しないで使っているが、「有り難い」と
 は「存在し難い」ということであって、「有り難き幸せ(に浴する)」というのが本来
 の使い方であろう。「人間原理」とは、まさに存在し難い、つまり奇跡的な、それしか
 ないという、自然的条件(物理化学的な常数や性質)の積み重なりの上に、われわれの
 存在が可能になっているということを示そうとするものである。

「絶妙に細工されている」宇宙

 これは私の説明より、何人かの科学者の言葉を引用するほうが説得力があるだろう。

 「〈永遠に生命の存在しない宇宙なんて勿論考えることはできない。それについて論ず
 る人間のいない宇宙について論ずるなどということは馬鹿げたことだ〉と、古代の哲学
 者なら言ったであろう。ところがコペルニクス以後、生命のない宇宙について論ずるこ
 とがそれほど馬鹿げたことではなくなった。人間は宇宙の中心から引きずりおろされ、
 世界を機械として見るモデルが広まった。そこから更に、人間や心や意味にとっては格
 別の出番のない科学が始まった。人間? それは純然たる生化学の問題だ。心? 電気
 回路によって説明できる記憶装置だ。意味? なんでそんな捉えようもない面倒な問題
 をもち出すのだ。

 しかし宇宙が人間のことを念頭においているとしたら人間とは何なのか。いや、やはり
 古代の哲学者が正しかったのだ。意味が重要なのであり中心でさえあるのだ。人間が宇
 宙に適応しているだけではない。宇宙が人間に合わせられているのである。基本的な物
 理常数のどれか一つでも、ほんのわずかに実際の数値からずれている宇宙を仮定してみ
 よ。人間はそこに生まれてくることはできなかったのである。これが人間原理の核心で
 ある。生命を生み出すある要因が、全宇宙機構と計画の中心にあるということである」
 (物理学者ジョン・ホイーラー)

 「宇宙の特性について研究する人々との対話において、またその問題についての本や論
 文を読むなかで、私は誰一人として、宇宙が生命のための住処として絶妙に細工されて
 いるという結論を否定する人に出会ったことはない。天文学者というのは何かにつけて
 反対したがる人種であるが、この宇宙の微調整と入念な細工の問題については、あまり
 にも有無を言わせぬ証拠があるために、異議を唱える人のことを聞いたことがない」
 (宇宙物理学者ヒュー・ロス)

人格持つ一人の創造者を想定

 科学者は今までの行きがかり上「神」という言葉を避けようとするが、彼らの使う「誰
 かが自然を微調整した」「超知力」「手を加えた」「驚異的デザイン」「奇跡的」「神
 の手」「究極の目的」「神の心」「絶妙の秩序」「非常に微妙なバランス」「きわめて
 高度な頭脳をもった」「超自然的行為者」「超自然的計画」「誂(あつら)えて作った」
 「至高の存在」「摂理的に考案された」といった表現はすべて、明らかに人格をもった
 一人の創造者を指すのみならず、その創造者の性格まで指し示すものである。(ヒュー
 ・ロス)

 また例えば、我々にとって最もありふれたものである水というものが、実は「存在し難
 い」奇跡的なものである。「水はその物理化学的諸特性の、一つとか多くが、というの
 でなく、その一つ一つすべてが、生命のために合わせられている」(生物学者マイケル
 ・デントン)。水は単にそこにあるのでない、作られたものである。「このような事実
 を常識的に解釈するならば、ある超知力が化学や生物学のみならず物理学にも手を出し
 ているということであって、自然界には盲目の力といえるようなものは何もないようで
 ある」(天文学者フレッド・ホイル)

 要するに、長年持ちこたえてきた「神」抜きの思考枠がいよいよ破綻(はたん)を来し
 たということ、それが科学の方からも証拠が出始めている、ということなのである。
  摂南大学教授 渡辺 久義 世界日報 ▽掲載許可済です
Kenzo Yamaoka
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件名:「セカンドオピニオンの推進」  

セカンドオピニオン/医療受ける側も積極さが必要
 「セカンドオピニオンの推進」と題する医療講演会(東京都主催)が最近あった。「第
 二の意見」などと訳されるが、この地味で、扱いの難しい課題に取り組むことができる
 というのは、首都ならではのことだろう。
地域や診療科超えた連携

 副題にあった「患者が選択できる開かれた医療」という言葉は、“マニフェスト選挙”
 といわれた先の総選挙にも似てスローガンだけが先行し、近い将来の実現は期待薄であ
 る。

 それだけに、医療で言えば患者が賢明な選択を求められていることは確かだ。医療不信
 を招くような実態が次々と明らかになっており、政府の対応が後手後手に回っていて、
 もはや待っている時間がないといえるからだ。

 ところで、セカンドオピニオンの行使は患者側に負担を課すことになる。まず、米病院
 協会が制定した「患者の権利章典」(一九七三年)を見ると、そこには@思いやりある
 ケアを受ける権利A知る権利B処置や治療を受ける間にインフォームドコンセント(医
 師による説明と患者の理解・選択に基づく同意=東京都医師会訳)を受ける権利C医療
 を拒否する権利Dプライバシーに配慮を求める権利――などが記されている。

 患者側の新たな負担とは、患者の権利には何があり、それぞれがどんな内容なのかをし
 っかりと勉強し、かつ、日ごろから意識して医療の在り方を考えていなければならない
 ということだ。

 そこで、セカンドオピニオンのあるべきシステムの一例を考えてみる。

 Aさんが、ある病院で「がんの疑いがある」と思いやりのある言葉で、告知されたとし
 よう。告知したB医師はさらに丁寧に「紹介状を書きますから、別の医師の判断も聞い
 てみてください」と説明する。AさんはB医師からの紹介状(診断書を含む)や既に撮
 影したレントゲン写真を携えて、C医師を訪ねる――。

 こんな光景を、今の日本で見ることはないだろう。だが、セカンドオピニオンの長所は、
 レントゲン撮影など同じ検査を二度受けなくて済むことだ。患者の心身の負担は軽減さ
 れる。医師同士が情報を交換し合うことで治療法の範囲が広がり、医師同士の地域や診
 療科を超えた連携も期待できる。

 有料でセカンドオピニオンを専門に応じる施設が出てきた。東邦大学大森病院のセカン
 ドオピニオンセンターもその一つ。相談料金は三十分で一万円(健康保険の対象外)と
 いう。

 インターネット時代を迎えた今日、ネットを通じて無料の「セカンドオピニオン」を受
 け付けているサイトがある。だが、医師会にとっては、これはセカンドオピニオンでは
 なく、“他の情報”でしかないという。このあたりが分かりにくいところだろう。

 東京都医師会はじめ医師が再三強調するのは、セカンドオピニオンは「主治医の了解の
 下で」という大前提だ。これが得られないと、患者は第二の外来、第三の外来と巡るた
 びに苦痛な検査を繰り返し受けることになる。共通のデータに基づいた診療があって初
 めてセカンドオピニオンが成立する。 

主治医との信頼関係必要 

 セカンドオピニオンの必要性は、がん患者だけでなく、生活習慣病で長い期間、薬の投
 与を受けている患者などにも当てはまる。

 掛かり付け医のニーズが高まる中、主治医との信頼関係を築くことが肝要だ。そのため
 に、目先の損得や情報の多寡だけを基準としない目を養う必要があろう。(世界日報)
                            ▽掲載許可済です
Kenzo Yamaoka
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件名:注目される「スローフード」  

食環境ジャーナリスト、金丸弘美氏に聞く
日本農業を守る新しい運動/商品開発や宣伝が中心/グローバル化の動きに対抗
 最近、日本の「食」環境を改善するキーワードとして「スローフード」が注目されてい
 る。グローバル化の中で生き残りが課題になっている農業や過疎化にあえぐ地方の振興
 にも、いろいろなヒントがあるようだ。イタリアのスローフード協会に詳しく、また日
 本全国の農村を歩いている食環境ジャーナリストの金丸弘美さんに話を聞いた。

 (聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

 ――食に注目したきっかけは?

 子供を保育園に連れて行ったら、肌がきれいだと言われた。今は肌がつるつるの子は珍
 しいらしい。妻に聞くと、魚や海草、野菜をよく取りバランスのいい食事を心掛けてい
 るという。彼女は十八歳の時に食環境が変わったのがきっかけで腎臓を悪くし、肌はア
 トピーに、髪は白くなり、入退院を繰り返していた。二十歳まで生きられないと言われ、
 栄養士から食の大切さを学んだ姉の勧めで退院し、食事療法をするようになって立ち直
 った。妻にそんな過去があることを初めて聞かされ、アトピーと食に興味を持つように
 なった。

 ちょうどそのころ、出版社にアトピーの本を書かないかといわれて、お母さんや医者な
 ど二百人以上を取材し、アトピーがまん延している現実を知った。お母さんたちに原因
 を尋ねると、大きかったのは環境と食。ファストフードやインスタント食品、農薬・化
 学肥料を用いた野菜などが複合的に子供に影響していることが分かった。

 次に、安全な食べ物を探して田んぼに行ってみようと思った。そして十年間、北海道か
 ら沖縄まで足を運び、有機肥料や無農薬で野菜を作っている農家など訪ね、アイガモ農
 法や不耕起栽培などを見て、循環型農業に感動した。

 そうした農家の多くは規模の小さい良心的な生産者だったが、流通や価格決定の知識は
 ほとんど持っていなかった。いくらいいものを作っても、売り方が下手だと農業の未来
 はないのではないかと感じた。

 取材を続けるうちに、新しい農業の形態を見るようになった。岡山県の美星(びせい)
 町では自分たちで市場をつくって露地栽培の野菜を直売し、創立五年で既に五億円の売
 り上げがあった。ながさき南部生産組合では、小さい生産農家が集まり、自分たちで内
 容や品質を決めて市場を開拓していた。彼らは農協に出荷している一般農家より収入が
 四倍で、農業にも流通や商品化の知識が重要なことを示していた。

 中でも注目しているのは三重県阿山町の農事組合法人「伊賀の里 モクモク手づくりフ
 ァーム」。養豚農家などが出資し、ハムやソーセージ、地ビールを生産、直販し、地元
 の食材を使ったレストランまで経営している。そのころ、「スローフード」という言葉
 を知った。

 ――発祥の地イタリアのスローフード協会はどんな活動をしているのか?

 現地を視察すると、小さな生産者を訪ねて商品開発をしプローモーションを行うNPO
 (民間非営利団体)だった。バローロ地方の貧しいブドウ生産農家は後継者も少なく、
 ブドウは業者に買いたたかれていたので、農家がワインの醸造・直売をすることになっ
 た。それにバローロ愛好協会という地元のワイン愛好家たちが協力し、品質の向上を目
 指したのがスローフード運動の始まりだ。

 スローフード協会は一九八六年に発足し、本部は北イタリアのピエモンテ州にある。同
 年、ローマにマクドナルドが進出し、反対運動が起こった。そこで、ファストフードに
 対抗する「スローフード」という名称が生まれた。農家に情報を与えることで、グロー
 バリゼーションに負けない、商品力のある農産物や食材を開発しプロモーションをする
 のが活動の中心。そして、高品質で販売できるワインや、野菜なら価格を一・五倍から
 二倍に設定できるものに変え、農家に経済性をもたせた。

 彼らの中にはメディア関係者がいて、一九九〇年から九四年までの間に千人ものジャー
 ナリストやワイン愛好家を地元に呼んだ。その人たちが、ブドウの種類から醸造法、瓶
 のラベルのデザインまでアドバイスした。また、ワイン農家や郷土料理のレストランな
 どのガイドブックや地図を作って観光客を呼び込み、ワインを売り出す手立てをつくっ
 た。それが発展して、今ではイタリア最大の食品フェアを開催している。

 彼らがやっているのは要するにマーケティングで、特産品の商品力を高めるアドバイス
 をする。日本の農家や農協は農業技術は優れているが、一番欠けているのがマーケティ
 ングだ。モクモク手づくりファームや高知県の馬路村農協などは情報交換しながら、独
 自の販路を開拓し、顧客を獲得しているのでスローフードに近い。

 日本では、スローフードが郷土料理や地産地消の意味に誤解されている感がある。その
 部分もあるが、メーンは商品開発とプロモーションだ。一番力を入れているのは宣伝や
 出版、集客、イベント、消費者教育、そして農家に対するアドバイス。農家からお金は
 取らないが、自治体や入場者からはお金を取り、それによって運営する。試飲・試食会
 も有料で運営費を賄う。有料にすることで評価がきちんと出るという効果もある。スロ
 ーフード協会には専従スタッフが百十人もいて、その九割が地元の若者なので、地元の
 雇用拡大にも貢献している。

 その結果、バローロはもともとワインでは最低の地方だったのが、今ではイタリアで最
 高のワインを生産するようになった。それは彼らが情報を集め、一緒に商品を開発し、
 四百年の伝統があるワインを新しい技術で作り直したからだ。スローフード協会は今や
 世界から十万人以上を集める食のイベントを開き、マスコミも三千社以上集めるプロモ
 ーション力を持っている。そうなると大きな宣伝になるので自治体も補助金を出してい
 る。

 ――無農薬野菜を販売している「大地の会」や生協などとはどう違うのか。

 どちらも農家や消費者と契約して安全な食品を提供する組織だが、比較的クローズドだ。
 スローフード協会も会員の会費がベースになっているが、イベントや本などはオープン
 にしている。むしろ、オープンにした市場にバイヤーやレストランを呼び込んで商品市
 場を形成するのに特徴がある。農産物による地域振興が起点なので、例えば無農薬など
 はうたわないし、もともと安心、安全から出発したものではない。

 ――日本的な発展にはどんな道があるのか?

 日本でもスローフード協会の支部が二十五設立されているので、小生産者に立脚した地
 域の活性化というコンセプトをきちんと学べば、地域ならではの個性的な商品が生まれ
 るのではないか。

 例えば、納豆は一般的に安い輸入大豆を使うが、国産大豆で作る群馬県の下仁田納豆は、
 東京のデパートに納めて一億五千万円も売り上げている。その納豆が生まれたのは、や
 はり国産の大豆で豆腐を作っている人が、仲間がほしくて商品開発の仕方を教え、販売
 にも協力したからだ。そこには本物のミリンも置いてあり、本物を作っている人たちの
 ネットワークがある。本物は食べてみるとすぐに違いが分かるので、消費者にも味わう
 機会をきちんとつくれば商品は売れていく。その仕掛けとシステムが理解できれば、ス
 ローフードは、日本でも本物となるだろう。

 農林水産省もグローバリゼーションから日本の農業を守るものとしてスローフードに注
 目している。農水省が今年、従来の方針を変え、消費者と連携した環境保全型の農業を
 目指すようになったが、欠けているのは商品力のある農業の振興だ。

 最近もイタリアに行って、スローフード協会が来年設立する「味覚の大学」を見てきた。
 州と町と協会が出資して運営母体を設立し、建物は一六〇〇年代の城を修復して使う。
 城の中にはホテル、レストラン、市場、ワイナリーもある。学生や訪問者は、古いお城
 の中の教室でチーズの作り方を教わるなど、町の伝統的な景観を楽しみつつ特産品を味
 わうことができるようになっている。

 ――スローフードはまちづくりとも関係しているのか?

 イタリア人は昔ながらの城やレンガ造りの家などの景観を大事にする。だから、それを
 壊すようなマクドナルドなどは入れたくないという気持ちが強かったのだろう。田舎に
 は自動販売機がないし、スーパーやコンビニも見当たらない。

 グリーンツーリズムのように、ヨーロッパの人たちはある程度お金をためると田舎に行
 って余裕を楽しむという慣習がある。それが生活の豊かさだと思われている。ある日本
 の評論家に、「スローフードは高い」と言われたが、向こうには余裕と永続的な地域振
 興が根底にあるので、そんな言葉は出てこない。日本にはまだそれだけのゆとりがない
 のかもしれない。

 伝統的な景観の中でのスローフードのまちづくりを考えると、金沢や京都、石見(いわ
 み)銀山、日田、水俣、会津などでは可能だと思う。

 かなまる・ひろみ 昭和27(1952)年、佐賀県唐津市生まれ。雑誌編集、俳優マネジャ
 ーなどを経て平成5(1993)年からフリーに。全国200カ所以上の農村を取材し、農業、
 食材、環境をテーマに執筆、講演などの活動を行っている。ニッポン東京スローフード
 協会設立発起人の一人で、生産者セクション代表世話人。著書は『産地直送おいしいも
 のガイド』『まともな食べ物が食べたい!』『メダカが田んぼに帰った日』『本物を伝
 える 日本のスローフード』など多数。(世界日報)▽掲載許可済せす
Kenzo Yamaoka


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