1384.伝統文化の役割



私の年齢のことで面食らわせて誠に申し訳ございません。
まさか私を若くて、美貌の人等と思って下さった訳でもないでしょ
うが。50歳の時、初孫が生まれた時、“婆ちゃんだ”とからかわ
れました。

私、戦争経験者です。終戦は、2歳の誕生日直前です。
雨戸を閉めたり、電気の光が漏れないように電球の傘に布をかぶせ
たり、するので、アメリカの飛行機が飛んで来るからだと言う説明
を憶えています。
防空頭巾を被せてもらい、おんぶされて裏山に逃げた時の大人の背
中を憶えています。
夜、明るく光っている空を見て、大人が「あれは明石が燃えている
んやろ。」と話しているのを憶えています。
 
まぁ、何を言わんとするか、“三つ子の魂、百までも”
私の娘の二歳の息子、即ち孫は、娘に「きちんと!」と自身の親に
指示している。言われた娘は、布団を架け直していました。
夫の両親と同居しているので、我が家と違う几帳面な家風を受け継
いだのでしょう。
 
しかし、無事に還暦を迎えられた事は、嬉しいのです。命の危険を
感じる事が多々あったからかも知れません。馬鹿でも歳をとれば、
多少違うのじゃないかとも・・・。
少しは利口になっているのじゃないか?
よく考えると、無駄に歳ばかりとっているようです。
 
それにしても虚風老氏の
・・・のじゃ。・・・からじゃ。・・・じゃろのう。等々の表現に
憧れます。同人は、書き言葉じゃなくて、どうして話し言葉にされ
るのでしょう。説得力があるのでしょうか。これは、演技かもしれ
ないと思ったりしています。
実際は、若かったりするのでは・・・・・
しかし婆ぁさん言葉では、説得力はないでしょうね。
昔話では、正直爺さん、意地悪婆さんの印象があります。
残念乍ら、私には婆さん言葉など、演技でも使う能力はありませんが。
 
虚風老氏の国家予算のエコ対策費が5億円についての意見がありま
した。全く同感です。こんな額では、やはり一種の演技でしょう。
ポーズに過ぎません。京都府ある自治体で、生ゴミから堆肥とガス
か電気を作っているが、買い上げて呉れる所がなくて、無駄になっ
ている事のニュースがありました。
化石燃料は、いずれ枯渇する。結局、国は原子力発電所しか考えて
いない様に思える。アメリカのように戦争を彼方此方に仕掛けて、
劣化ウラン弾として捨てていますが、このような方法は、非人道的
等と言った言葉では言い尽くせない。“悪魔の所業”です。
戦地の国民の被害は、言うに及ばないが、帰還兵の赤ちゃんの奇形
や流産に難病が多く発生しています。
日本は、日々増え続ける核廃棄物を一体、如何するつもりでしょう。
まさかアメリカの真似をするんじゃないでしょうね。
國井明子
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Akiko Kunii
email: takunii@d1.dion.ne.jp
URL: http://www.d1.dion.ne.jp/~takunii
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(Fのコメント)
インターネットは言葉中心の世界であり、相手が見えないために、
その意見で年齢を推し量る以外ない。国井さんの意見は、古風な意
見ではなく、今風な意見でしたので、40歳代の主婦を想像してい
ました。

しかし、もし40代でしたら、40歳代は忙しい世界ですから、
そんなにネットに時間が取れないのでしょうね。現代、若者夫婦だ
けの家庭になり、家庭で年寄りのアドバイスができないようになっ
ている。このため、ネットを通して、年寄りの熟達した意見で、
若者を引っ張っていく必要を感じています。人生をがんばって生き
て、かついい意見を送ってください
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教育面における伝統文化の役割

近年一般に、家庭の教育力が低下していると言われている。伝統的
価値観が存在する一方で、これと対立する新しいもの(新文化)と
してマスコミから断片的な情報が人々の目や耳に押し寄せる。

一方現在の学校教育では、異質なものを排除し規格化された同質性
を保持しようとしている。これは産業社会の要請であったり、教育
管理上の問題かもしれない。いづれにしても、この教育自体が、
異質なものを排除する、社会を形成しそして、マスコミから垂れ流
される新文化を身につけられない者は淘汰される。

このような状況下にあって、伝統的価値観は分断され断片的になっ
て、将来消滅するかもしれない。伝統文化は時代を貫通した一種の
英知が含まれている。従い、これの取り扱いは慎重でなければなら
ない。伝統的な文化及び価値観が失われることは、現在の経済性の
問題で収まらず、歴史的な損失を招きかねない。

このような事は過去にも繰り返されたのかもしれない。文明は直線
的に進化したとは思えない。現代人より古代人が劣っていることは
ない。古代には現在の先端技術こそ無いが、その他の技術はすでに
あり、その精神世界は大変豊かであることが多くの文献で知る事が
できる。「古代インドの科学思想その他」優れた文明を築いている
。大局的には物質文明と精神文明とは比例せず、現在の日本社会を
見ていると、むしろ反比例しうる場合もあることが分かる。

伝統文化の本質は精神文化であり、これを継承していくために形が
あるのだと思う。まず形から入り、次に精神性を習得し、様々な局
面でこれを応用できるようにするのが、伝統的教育法である。この
教育法は一定の伝統的価値観を有し、時代を貫き通す力を持ってい
る。しかし今マスコミから垂れ流される情報は、伝統的価値観を
相対的に低下させて、その結果、我が国の社会的教育能力(学校教
育と区別)は大きく低下した。

現代の我が国の学校教育に、伝統的教育に代わる精神教育教育方法
は存在しない。というか、現在の学校教育に精神的教育はそぐわな
い。精神教育は家庭教育であり、おそらく幼児期に勝負は決しよう
。その後伝統武術や、習い事で、自分を磨くことは可能である。

伝統的価値基準を失う事は民族としての活力を失う危険性がある。

とら丸
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イラクの現状と北朝鮮の・・・ってところで、戦後の日本の少年犯
罪が増えていると書いてありましたが、実際には戦前より戦後〜現
在のほうが件数は減っていると学校で習いました。この頃はテレビ
とかで大げさに伝えているから専門家まで洗脳されているのかな?
って思いました。私も習うまで少年犯罪は増えているもんだと思い
込んでいましたしね!
あやっぺ
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(Fのコメント)
戦後の1970年以降、急激に少年犯罪が伸びてきている。1970
年を1とすると15倍ぐらいになっている。ここが問題でしょうね
。それと、70年代より日本は豊かになり、ほとんど未就学児童と
いう問題もなくなっているのに、犯罪が増えることが問題です。
教育がされていない。教育の意味は、人としての礼儀・作法・物の
考え方を学ぶことですから。

それと、外国人犯罪が急激に増えていますが、この問題も厄介でし
ょうね。検挙率も下がっているので、外人を入国させるなという意
見が出てくることになる。

戦前は修学人口が少なく、早くから社会に出ていた人が大勢いたた
めにトラブルを起こすことが多かったようですね。そもそも貧富の
差が大きくて社会階級の分裂問題があり、今の黒人と白人の事件の
ようなことを起こっているようです。

江戸時代は、武士とそれ以外では、教育も思想も違う、異階級とい
うような状態で、犯罪が明治時代や戦前よりも多いはずです。

そういう意味では、日本の社会が豊かになり礼節を守れる社会環境
が整備されたはずであるのに、そうならない理由は、礼節を教えな
いからで、子供を教育しないで猿のままにして、社会に親たちが出
しているためであろうと思う。親を教育する必要があるようです。
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http://www.h4.dion.ne.jp/~kero101/index.html

はじめまして。
おもしろいので、ときどきおじゃまさせていただいております。
いきぬきになるかわかりませんが、ご縁があれば私のページ
にもいらしてください。
草々

kero
sononawa101@m2.dion.ne.jp
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人口が増えなくても、ホンダのアシモを増産して、ロボットに働か
せる事が出来る。イラクへも100万体の戦闘ロボットを送って、テロ
を無くす事が出来る。
大体、若い女性に1億円づつ持たせれば、黙っていても子供を産んで
育てて呉れる。今は、一般国民を富ませる政策が無いから駄目なん
だ。
内藤 晃一は、国民一人一人に1億円持たせる運動をしている。
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件名:終末期における救済の違い  

「弥勒菩薩と再臨のイエス」
 仏像の姿には、人の心を森閑とさせる鎮静作用があるのかもしれ
ない。穏やかな表情を刻み込んだ豊かなほおや半眼の瞳を見ている
と、時間を超越した空間と宇宙が広がってブラックホールのように
あたりを包むのを感じる。
 仏像の中でも、特に弥勒菩薩像と言われるものは、ことに不思議
な微笑をたたえている。あるかなきかの笑みは、本当に笑っている
のか、それとも外界のすべての窓を閉じてひたすら自分の中に潜む
内面の宇宙を見詰めているのか、心なしか判断に迷う。

 この不思議な表情は、未来仏と言われて、末法・終末の時代の衆
生を救うという弥勒菩薩の使命にかかわりがあるかもしれない。何
しろ弥勒が下界に救済のために現れるのは、釈迦の予言によれば
五十六億七千万年の後であるというから、時空をはるかに超えた未
来にしかお目にかかれない仏である。

 それだからこそ、人間的な時間を超えた抽象的時間、抽象的空間
に存在して抽象的な表情を浮かべているのだろうか。五十六億年と
いうはるかな時をその表情ににじませているということなのだろう
か。

 しかし、この五十六億七千万年については、象徴的な数字であり
、実際の時間を意味してはいないという解釈もある。

 いずれにしても、はるか未来を見詰めている視線は、人間の喜怒
哀楽を超えたメッセージを伝えているように感じられる。

 終末の時に現れる弥勒菩薩とキリスト教の終末に現れる再臨のキ
リストというのは、どこか共通点があるように思われる。再臨のイ
エスもまた、衆生を救うために、終末の時代に現れる。

 しかし、この両者においては、その現れ方が違う。弥勒菩薩は衆
生を救うための慈母のような姿として現れるが、キリストは「最後
の審判」を下すために地上に再臨する。許しの弥勒と裁き主として
のイエス。

 哲学者の梅原猛は次のように述べている。

 「もしかしたら、終末観といわれるキリスト教の未来図の源をな
したユダヤ教の終末観と、弥勒信仰がそこから出て来る大乗仏教の
未来観とは、古代メソポタミアあたりに源流がある同じ思想から出
ているのかもしれない。(略)しかし、弥勒はイエスと決定的に違
うのである。(略)弥勒の像は半跏思惟像、彼はあくまで思惟の仏
なのである。しかし最後の審判のために雲にのって現われるキリス
トは、武器をとって、地上の悪を退治して、最後の審判を行ない、
地上に天国を実現する神なのである。われわれはこの未来の図を、
バイブルに入れられている『ヨハネの黙示録』において知ることが
できる。
 ヨハネの黙示録のすさまじさ。神の国の到来の前の地獄図のもの
すごさ、あらゆる天災、地変が一時におしよせて何万何十万という
人間をいとも無残に殺すのである」(望月信成・佐和隆研・梅原猛
著『続 仏像』NHKブックス)

 続いて、梅原猛は弥勒菩薩がヨハネの黙示録の地獄図と対照的に
平和的な方法で理想の国をもたらすと述べている。闘争的なキリス
トの知恵ではなく、弥勒の知恵に学ぶ思想が必要だとしている。
しかし、同時に弥勒の知恵は無力かもしれないとも付け加える。

 その意味では、両者の調和こそ求められるといえるかもしれない。

 だが、果たして弥勒菩薩と再臨のキリストは別人なのだろうか。
梅原氏も述べているように、弥勒と再臨のイエスの救済思想が古代
メソポタミアに源流があるとしたら、両者が同じ人物を指している
可能性もあるのではないかと思うからである。
(羽田幸男・世界日報)△掲載許可済です。
Kenzo Yamaoka

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