1362.古神道への道



F氏のコラム「日本の使命とは」に賛同する!

まさに、F氏のお考えになっていることというのは、私が長年感じ
、また海外での生活の中で、非常に深く日本という国に生まれた者
の、使命として思ってきたことととても近いものだと思います。

まずなによりも、日本人である上は、公明正大、嘘をつかず、
どんな人に対しても、真心と誠意で接し、決して奢り高ぶらず、
善意を尽くして、他の国の人々と関わっておれば、必ずや、
その国において、自然と尊敬の念を持たれ、やはり、「あれが、本
物の日本人だ!」と言われるようになることを、私自身も経験して
きました。

しかし、もちろん現在も自分のやっていることが、先祖や明治時代
の日本人の先輩方などに比べると、まだまだ微々たるものであるこ
とも自覚しております。
なにせ、ロシアではいまだに日露戦争の偉大な児玉の活躍ぶりと、
日本男児としての立派さを称えるような、ブルーカラーの市民さえ
おりました。

その辺りをほっつき歩いているような、酔っ払いにすら、「おい、
そこのサムライの末裔よ!なんで、御前はそんなに綺麗なのだ!」
とか、訳の分からないことを言われて、追いかけられたりするくら
い、「日本=サムライ=明治の大和魂」みたいな感覚が、人によっ
ては、残っていました。

そんな中で、公共道徳の欠片もなく、平気で窓の外に煙草の火が
ついたままで捨ててしまうような、挨拶もろくろくできないような
、ロシアの一般市民、あるいは、共産主義時代から、一向に進歩の
ない愛想も糞もなく、客に怒鳴りつけるような商店の売り子なんか
を相手にしながらも、できる限りの忍耐と努力で、彼等の文化の中
のよさを見つけながら、そこに学ぶことを心掛けた数年間、いろい
ろありながら、心の支えだったのは、やはり神道にある、心を清く
持つ、という単純明快な生き方だったと思います。

たしかに、ロシア人というのは、ある面、欧米人の洗練や、合理主
義もなく、とんでもない常識のなさや、不潔さ、無関心、ずぼらで
いい加減で、約束もあてにならないなど、普通の国とは言いがたい
ところも、たくさんありました。
しかし、ある面では、非常に心を開けば、素晴らしい人々がおり、
彼等にとって、日本とは大方、憧れの国、神秘と高度な文明国家、
また、日本人というのは、自分たちには及びもつかないような洗練
された人々だと思っているようなところもあって、付き合ってみる
と、どんな国の人たちより、一生懸命にこちらのことを理解しよう
と努力し、実際に、研究熱心に日本の文化を学ぶ人々でもありまし
た。

そういうロシアにいたときに、モスクワにどれだけ多くの駐在日本
人や、留学生がいても、彼等が私のことを、「本物の日本人」と呼
んでくれたのは、忘れられないことであり、人生の誇りでもありま
す。
さすがに、4年近く住めば、噂の早いロシア人なら、私がどれだけ
ロシアの演劇を愛し、文化に学ぶ真摯な姿勢を持ち、熱心に学び、
その辺りの乞食や物乞いにも、少ない持ち金を惜しまず、できるだ
け、現地の人々と同じレベルの生活をしながら、彼等と同じ気持ち
で、この国の出来事、日々の生活で喜怒哀楽を共にしていたか、
きっと分かってくれたのだと思うのです。

もちろん、それは我ら日本人で、本当に神道の心を、自然に実践す
る人ならば、おそらく決して、特に自慢すべきことでもなんでもな
い、当たり前の道、生き方を実践していたからに過ぎず、それでも
まだ、私は日露戦争で活躍なさった大将や、歌舞伎役者や芸者であ
りながら、日本文化を代表して、革命前のロシアの演劇人に多大な
影響を与えた方々、または、名もなくシベリアの大地で、最後の最
後まで立派な仕事を成し遂げて、それでも空しくこの世を去られた
兵士の一人に至るまで、いつも、そういう方のことを、片時も忘れ
たことはありませんでした。

そういう歴史の中で、生かされ生きている日本人だということを、
一人一人が感謝し、それに対して、報いることこそが、自分の人生
であるとどこかで思う心があれば、きっと、その生き方は、自然に
古代神道に近いものになっていくのではないかと、私は思うのです。
そういう意味で、F氏の考えに心から賛同致します。

如月(CHACO)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
ご賛同、ありがとうございます。もう少し、現代人に通用する理論
立てが必要であろうと思いますが、日本の方向としては正しいと思
う。世界のために日本があるのですから。
==============================
問い)  <日本的感性>また、<霊性>とは何だろう?それは、
身につけたり、身についたことを確認したりできるものなのだろう
か? 

 <日本的感性>というものは、染み入り、在るもので、身につけ
る為に、どうこうするものではないのではないでしょうか?
川端康成は、「美しい 日本の わたし」と言い。大江健三郎は、
「あいまいな 日本の わたし」と言った。違うところに立ってい
るようにみえて、やはり、同じところに居る。
そこには、日本人で「在る」ことしかない。だから、枠をはめてし
まうこともできない。

 もちろん、「文化」や「歴史」や「言葉」等に囲まれて、醸成さ
れたものの中にあると言うことは、簡単かもしれない。アメリカ風
とか、フランス風、ドイツ風でもやはり、イメージとして存在する
から、それぞれの<感性>というものがあるのだろう。

 よく、外国映画に、彼等が「和風」と考えるみょうちきりんなる
モノがでてくるが、「そんなわけ、ないだろう」と突っ込みを入れ
たくなる。井戸端会議で、「そうよね」「そうだわ」「違うわよ」
の世界なのである。身についたことを、確認するという類のもので
はないのでしょう。(インテリアなどを、和風でとか、準和風でと
いうと、大方の人は、理論などなく、ちゃんと選びぬいていく。
といって、我々の生活では、テーブルで食事をする方が多いいし、
和服にいたっては、着ることすら希だ。すなわちそれらは、既に消
化されているということだろう。だが、いくら洋風の家にしたとい
っても、靴を脱がないで上がる家をわたしは見たことがない。その
ことを確認する設計士もいないだろう。)

しかし、そう言うと、実もふたも無い。
身に付ける、そのことを確認する、と言うより、<認識し直す>こ
とが必要なのであろう。
言葉にすることによって、分析対象化しうるモノとして考えること
も必要なのかもしれない。日本人には、情緒的一体感があり、論理
性のふるいにかけることは苦手だ。<あいまいさ>の心地よさを利
用している。それも、代表的<感性>の一つか?(ただ、それでも
、すべてを検討できるとは思えないが…。)

 安吾は、「堕落論」を書いて、時流の中に変化しつつも、その底
流を含むそれを、ひっくるめて肯定してみせた。日常では、新しい
層の文化の支配を受けるが、それも膨大な過去の文化的遺産(言語
を含めて)に依っている。だが、祝祭的日には、日本人の生活を支
配してきた文化が、明確な形で立ち現れる。実際には、もう少しや
やこしい、複層構造なのだろう。
<感性>は現実の<風>にかかわりつつも、過去の<思い>の集積
の上にある。(ちょっと、言い方があいまいか…。)

 ところで、 歴史を見る時、<日本史>として見るのと、<世界
史>として見るのでは、かなり感覚が違ってくるのに気づかれたろ
うか?自分自身の個的な<感性>からは逃れえぬにしても、視野と
して、<地球>を意識せねばならない時代が来た。ほんの数世代前
までは、よほど特殊な人以外は、<地球人>であることなど、意識
することはなかっただろう。

 わたしが、「自己の思想」を組上げるのには、東洋的な思考を中
心に、所詮<日本的感性>を足場にするしかないのだろうが、その
中にある<普遍性>を、信じてもいるのだ。
いわば、あらゆる思想は、「文化」という上皮、果肉に包まれた、
普遍的な<核>(サネ)があると思っているせいでもある。(でな
ければ、外国の人々と価値を共有できまい)

 もしかして、民族基盤型コスモポリタンというのが、新しい方向
性なのかもしれない。
だからこそ、<日本的感性>を持つことで、世界に、<ある価値観>
を発信することで、貢献することになるのだろう。
 世界を「一つ」に染め上げるのではなく、<多様さ>の美しさを
語ることだ。、多様であることで一つなのだ。スマップが、「世界
にたった一つの花…。」と歌い、ナンバー1より、オンリー1に
価値を置いたのに、あれほど、日本人全体が共感したのも、そのこ
とに気づいているのであろう。

 <感性>は、しっかりした果肉で、それによって、<日本風>と
いう花を咲かせることができるのである。だからこそ、スカスカや
グズグズには、したくないもんだ。

                     まとり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
日本的霊性とは、という問いは面白い。この深堀をお願いします。
==============================
わしゃ、現代に「日本主義」と呼ばれる思想を構築するなら、
<命>を、その中核に据える事じゃと思うね。
 これは、別段新しい思想でも、目を引くほどの独創的考え方じゃ
ないじゃろう。しかし、真理は、ありふれたモノの中にあるはずな
んじゃよ。

 <命>といっても、ただ、人道的な、意味じゃあない。
生まれ来たりしモノ、すべてに<命>がある。それは、山川草木、
そして、人が作りし物にも、<魂>と<命>を実感として感じた、
我ら、日本人の持つ、古神道の流れを汲む考え方(感性)でもある
。また、<命>に、素直になれるのは、<全体性>と<自分という
部分>の合一感でもあると思うよ。<和>は、大きな魂の本源に、
自身の個個を、共々に所属させることでもあろうよ。
そこには、排除の論理はない。ただただ、<大肯定>の中に融かし
込むことなのじゃ。<命>というのは、すべからく<肯定>でもあ
るのじゃ。

 それは、殺さぬことでもなく、食さぬことでもないのじゃ。自分
に流れ込む<命>に感謝することなのじゃよ。<命>の大循環に、
謙虚になることなのじゃよ。
そうすることで、帰るべき、遍在する<魂>と、また一体となるこ
とができるという思いを知ることなのじゃね。

 ワシは、つらつら考える…。
もし<創造神>にあたるものがいるならば、ただ、唯一の望みは、
<生まれよ>ではなかったのかと。その最初の<意志>のみが、
<創造>のすべてではなかったのかと。産神とは、その<発動力>
のことではないのかと…。
阿字(a音)真観とは、<空>でもある<一>からの<初発の波動>
の姿を尊ぶことにほかならない。それが、すべての始まりであり、
すべての存在を生んだのじゃから。
<生まれよ>即ちそれは、宇宙的が起こす<肯定>の意志なのじゃ。

 その肯定によって、自然は、<変化と創造>を続け、生命は、生
まれ続けて、人の<精神世界>は広がり続けているのではないかと…。
そして、人は、その精神世界において、神の子として、同じように
<創造>を繰り返すのではないかと…。
<モノ作り><精神世界の作品>も、<命を育む>のも<遊ぶ>の
も、また、その為なのじゃと…。
 
<魂>の遍在と(今風に言えば、ユビキタスかの)、<今>という
時と場に、結晶した、<命>…。大潮流として、循環する<命>の
縁。だが、しがみつけば、苦しみとなることを、諦観(とらわれな
いこと)を得、<空>に帰す道理<諸行無常>を知ることで、解い
たブッダ。
また、それが起こす<波動>の世界。<言葉>(音)(光)は波動
となって、<物質宇宙>と<精神宇宙>に共鳴を起こす。歌は、
音楽は、整斉された波動の分割なのじゃ。

 神に接する方法で、違いのある人も、<命>と<魂>には、素直
に向き合えるのではないじゃろうか。祈りは、複雑なようで、実は
、原始の我々の<想い>から、遠く離れることはなかったのじゃろう。

 実は、<仏陀>も<道>も、根元にある<いのち>を大切にして
おる。そして、逆に<仏陀>は、個々の<命>への執着しすぎるこ
とが、<苦しみ>と<迷い>を生むことを指摘しておるのじゃ。  
その超克のために、<とらわれない>という諦観を見つけ出し、
<空>即ち<一>という魂の大海への帰還を説いておるのじゃろう。
<今>在るのは、諸行無常の、ほんの小さな<波の形>にすぎない
と…。
 おそらく、<悟る>ことは、それを知って行くことであり、
<祈る>ことは、信じていくことことなのじゃろう。
 また、洋の東西、時の今昔を問わず、<いのち>こそ尊いと説く
先賢が、たくさんいるではないか。 西洋の底辺を流れる、神秘主
義にも、<命><魂>は強い基盤をなしておる。

 今、転換されるべきことは、モノを消費するのではなく、モノを
活かし、大切にする心でもあるのじゃないかね?時間を捨てるので
はなく、時と共に、魂を揺らすことを楽しむことじゃないかね?。
 <欲>もまた、<命>の<火>なので、重要な要素なのじゃが、
その<火>が<いのち>の力を越えてしまうと、「人」や「社会」
を<炎>に包み、滅ぼしてかねないのじゃよ。
<命>が、時空の中で、螺旋状の循環を繰り返す中で、 <いのち>
と向き合うこと、<生きる>という、不思議な縁を楽しむこと…。

わしは、すべてを<肯定>する為に、ここにいる気がするのじゃ。
   <命>が輝き、また回帰するのを。
すべては、いつか<滅び>へと回帰するのじゃろう。それは、果て
の時でもあり、また、あらゆるものの<合一>の時でもあるのじゃ
ろう。

 永劫の時の中で、<命>が、<今>だけの唄う歌を聴く…。
<今>在ることの、つながりと、連なりを見る…。
一切のものが、始めに唄われた歌の、七色の波の為に<在る>のを
、わしは見る。   だから…。

 出会い、笑い、哀しむ…。様々な<揺れ>が、永遠の<波>に、
変奏を加え、世界を膨らませる。そしてそれは、けっして希薄にな
ることはない<波>なのじゃ。

 形而上的な思考から、行って、帰ってくると、<いのち>にぶつ
かる。そして、<水>や<土>や<木>に思いが向くのじゃね。
<光>を尊崇する、自然なこころばえがあるのじゃよ。
<環境>という言葉も、<自然との共生>という言葉も、循環する
生命の中でしか、人類が生きられぬことに気づいたせいじゃろう。
その心は、日本人には、馴染みの深いものじゃ。もちろん、西洋思
考に首まで漬かった現代が、そのままであるとはいえんじゃろう。
しかし、<日本的感性>の根は枯れてはおらぬはずじゃ。 必要な
のは、静かに、しかし力強く、世界へと発信していくことかもしれ
んのう。
 
 現実に生きることは、難しく、苦しい。
一つの<いのち>が、もう一つの<いのち>に出会うために、時空
があるとしたら、<生きる>ことのは、果てし無い<旅>のようで
もある。<生かされる>ことの感謝、それは、<祈り>という形を
とるのじゃ。

    「強くなければ、生きていけない。
        やさしくなければ、生きていく資格がない。」

有名な、ハードボイルド小説の、この言葉が、やけに身にしむ、
今日この頃じゃよ。
                        虚風老
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
<命>と命名した。しかし、日本人であれば、だいたい分かる。
しかし、このような議論はほとんど普通の米国人(WASP)には
伝わらない。
==============================
Re:日本の使命 Fさん       umdhrs 

 私は右翼的と分類される神道は天皇制を補強する為の装置であり
、明治以降の天皇制は儒教的モデルであったと考えています。

私はそもそも神道は超人的な神や思想や教義に依って存在するので
はなく、万物が「むすび」と言ったような曖昧な連携で共存してい
る、「アミニズム的古代信仰」であったと考えております。

栽培農業を知らず全ての生活を自然に依存せざるを得なかった古代
人類にとって、自然は理不尽である事が当然であり、神としての理
性を求める事など発想すらなかったでしょう。また自然に対抗し克
服するべき「自我」もなく、よって救われない大きな苦悩もなかっ
たのではないでしょうか?
古代、世界中で似たような信仰体系が自然発生的に興ったであろう
と思います。

農業によって発生した生活の計画性や所有権の確立、季節変化によ
る時間の認識などが、自然と一線を画した「人間」を作り、外部自
然のみならず心身と言う内部自然とも対抗しなくてはならない
「自我」を意識させたのではないでしょうか?

現代は人類が自然を支配的にコントロールする能力を持った時代で
あり、所有関係を高度にシステム化した資本主義の時代であります。

もちろん神道は古代信仰から始まり、時代を経て思想化・体系化さ
れ色々肉付けがされていったと思います。
近代の神道が農業と対立する信仰でない事も理解しております。

しかし、神話的世界の宇宙観が、例えば「自我」と強烈に向かい合
う仏教などと比べて、現代に於いて実質的な存在価値があるのかと
、率直に言って疑問を感じます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
元の多くの理論体系を道教の神道時代の物を持ってきているため、
神話世代とは違うよ。歴史書がない日本の縄文時代中期
(BC400)に中国の呉が滅亡して、多くの呉人が日本に来た。
この時、持って来たのが、道教の神道派の宗教と稲作文化である。

この道教の神道派は日本土着の宗教を取り入れたようだ。呉は長江
文明を継承していた。このため呉は平和な民族であるために、春秋
戦国時代に滅亡する。

今の中国道教はその後も発展して、仏教哲学の影響を受けている。
日本の古代史における中国との関係が明確化する必要があると思う。
==============================
件名:救国の指針としての「武士道」  

作家 岬龍一郎氏に聞く・仁と義で愛と厳格さ備えよ
道徳の模範だった為政者/私利私欲に迷う今の政治家/師を失った
現代日本/戦後教育では人格養えず

 政治家や政府高官自ら不正を働く事件が目立っているが、本来、
わが国には為政者自らがモラルの手本としてきた指針、武士道があ
った。「武士道精神を取り戻すことが日本再生のカギだ」とする
『新・武士道――いま、気概とモラルを取り戻す』の著者、岬龍一
郎氏に聞いた。

 (聞き手・山本 彰・世界日報)

 ――なぜ今、武士道なのですか。

 今の実情を見たときに、上に立つ者が不正を恥も外聞もなく行っ
ている。上の者がそういう見本を示すと、当然、下の者もそれに倣
うので世の中は悪くなる。

 武士道は、士農工商のトップにある階層だから、生まれながらに
して公の人であり為政者側に付く。山鹿素行という人が基本的には
武士道を理論的につくり上げるのだが、その時に、「上に立つ者は
民の見本となれ」と言っている。「自分たちは生産者ではない。生
産者で苦労している人に比べれば、われわれはただの遊民にすぎな
い」という。そうであってはならないから、人の道を鍛えて人間に
なるべきであり、その一番の根本精神を武士道と言った。

 これを簡単に言うと、『武士道』を書いた新渡戸稲造は「勇猛果
敢なフェアプレーの精神」とした。つまり正義ということで、正義
を貫く人々だ。その前に日本の道徳は、儒教から多く教えられてお
り、儒教の根本精神は仁義礼智信の五つである。

 仁というのは優しさで、キリスト教で言う愛、仏教で言う慈悲に
相当する。だから、すべての人間には根底に優しさが必要だとして
いる。これを王者の徳と言っている。すべてにこの徳さえあれば本
来良かったのだが、優しさだけでは気性が荒い人が出てくるとどか
されるなど、どうしても弱くなってしまう。

 その時、人の道としては義を立てる。正義である。正義は秩序と
いうことだから、秩序の破壊者に対して注意しなければいけない。
その時、武が必要となる。だから武士道は文武両道という。

 礼というのは、仁、心の優しさと、義、正しい思いを形にすると
いうことだ。あいさつ、言葉遣いすべて、そのものを形に表そうと
する精神である。今の社会でもあいさつ、礼は大切だ。その次に智
がある。

 武士道は義を重んじる正義の信奉者で、これら全部を一文字に表
せば何になるかというと誠ということだ。誠の字は、言ったことを
成すと書く。だから武士道は口で言ったことは死んでもやらなけれ
ばいけない。だから武士道は二言はないのである。

 ひるがえって総理大臣や国会議員、会社の社長、学校の先生、親
でも良いが、上に立つ者が、その根本精神を知っているかというこ
とだ。

 私も戦後世代だから、儒教も中国古典、日本の思想も、ただ古く
さいということだけで退けていた。ところが、古くても正しいもの
は正しいだろうとの観点で読み返したら、武士道というのは日本人
が伝統的なものとして持たなければいけない根本精神ではないか、
という点に行き着いた。

 ――著書でも新渡戸、内村鑑三など四人の明治人と「士魂商才で
日本経済を切り拓いた人たち」が取り上げられているように、日本
精神は、言葉として残すより、その人に触れることで伝えられると
いう面が強いように思うが。

 武士道は、宗教の経典のように教えそのものの原典があるわけで
はない。日本で長い間、封建社会の中で徐々に築かれてきた。それ
が人間の生き方を示していく。江戸の元禄時代という平和な時期に
なったところで、山鹿素行が、武士とは何かという点で道筋を示し
た。

 本来、武士は軍人だから戦争のために存在した。しかし、戦争が
無くなったために、彼らは何もやることが無くなったので、改めて
自らの価値観を問うたのだった。

 日本は軍人である武士が為政者になったが、これは世界の歴史の
中でも珍しい。武士がすべて教養・知識階級を担ったから、そのま
ま行政官にもなり、裁判官、警察官、教師にもなった。従って、
為政者としてどう生きるべきかという点を鍛え上げなければいけな
かった。

 例えば、幼少時の吉田松陰が、玉木文之進先生から論語を教わっ
ていた時、暑くて汗が出て、そこに蠅(ハエ)がとまってかゆいの
で掻(か)いた。その途端に鉄拳がとんだ。
 文之進はこの時、「お前は毛利藩三十七万石の軍学の教授になる
べき立場であり、その公の勉強をしている。その最中に、かゆいと
いう、わたくし心を出して掻くというのは何事か。もしこれを殴ら
なければ、お前は長じて私利私欲の人とならん」と、その理由を説
明した。

 こうして、最初からわたくし心を全部抜けと育てられたから、ま
っしぐらに行くのだ。
 その公の精神を、特に政治家は持たなければいけない。にもかか
わらず、党利党略や汚職のために私利に迷っている。小泉首相が、
「民とともに痛みを分かち合う」というのなら、なぜ首相が率先し
て自分の給料を半分にし、国会議員の給料を半分にしてやらないの
だ、と言いたい。

 ――とりわけ、平成になると、土光敏夫さんのような人格的に素
晴らしい指導者が相次いでいなくなり、人間的な接触のなかで継承
される日本の精神がどんどん失われていったのではないか。

 政財界の指南役と言われた陽明学者、安岡正篤さんから、多くの
財界、政界人が学んだが、安岡さんは昭和五十八年に亡くなった。
そして、その勉強会「師友会」にいた人たちが、第一線を退いてか
ら、今の不況を含め、すべてがおかしくなった。時期的には平成に
なってからだ。

 確かに、経団連会長を務めた土光さん、石坂泰三さんら高潔な人
たちがいなくなって、タガが外れていったといえる。皆が勝手にや
っていこうということになった。

 今、日本には師が必要である。土光さんも明治の人だが、明治の
精神が残っていて、「これはおかしい」という尊敬された財界の指
導者がいれば、バブル経済にはならなかっただろう。誰も言う人が
いなくて、皆そちらに行ってしまい、先進国の中で最悪の大赤字国
家を招いた。

 政治家も中曽根さんまでは、安岡先生の弟子だけど、竹下さん以
降の平成の首相は皆、哲学がなく薄っぺらい。平成時代は時すでに
十五年だ。大正年間と等しく、幕末のペリー来航から明治維新まで
も十五年だ。幕末の志士たちは、その十五年で改革を成し遂げたの
に、なぜ今はやれないのか。それは、やる人物もいないし、第一指
針がない。ということは、教育の仕方が違っていたということにな
る。

 人間は教育の仕方によって変わる。玉木文之進が吉田松陰を育て
たごとく為政者やエリートの教育を行えば、バブルに日本中が踊る
ような私利私欲に迷うことはなかった。だから、この状態で十五年
経(た)とうと、二十年経とうとダメだ。

 武士道の和魂をもう一度想起して勉強し直すように、われと思う
者たちが塾を開いたり、ネットワークをつくるなどして生き方を問
い直し、状況を変えていかなければいけない。

 ――日本人は、明治から戦前の富国強兵、戦後の経済成長という
ように目標に向かって走ってきたが、平成でそれが無くなり難しく
なった。

 日本は、江戸時代にお上意識がしっかりつくり上げられた。だか
ら官尊民卑という発想が今でも残っている。その言動から評価しな
いで、その肩書から人を判断する社会になっている。戦後、修身教
育が行われなくなり、人格を見る目があまり養われないで来てしま
った。職業に貴賤(きせん)はないが、人間の生き方には貴賤があ
り、それで判断しなければいけない。

 ただ武士道にもいろいろあって、「武士道とは死ぬことと見つけ
たり」という山本常朝がつくり上げた「葉隠」の武士道がある。
人間の生命は鴻毛(こうもう)より軽い、というのが武士道だとす
る考え方だ。だから、国家を守るのが大義であり、国家を守るため
に死んでいくように、と武士道が教えたと思っている。

 私が支持するのは、新渡戸稲造が江戸時代からの武士の精神を思
想書として著した武士道だ。新渡戸はクリスチャンであり、クリス
チャンが命を簡単に捧(ささ)げなさい、とはいえないはずだが、
『武士道』の中で切腹が名誉ある行為として紹介されている。
 クリスチャンの新渡戸が評価しているという点で、この本は和製
バイブルと言えるものだ。

 ――海音寺潮五郎氏が、戦争中に「武士道は封建道徳だ」として
省みられず、「戦争に利用されたというのは誤りだ」と指摘してい
るが。

 武士道は最後、個人の美学になっていくから、「小義である」と
批判された。忠臣蔵は単に自分の親玉を大事にしただけだが、まだ
国家があるだろう、という指摘だ。しかし、国家にとって大義とさ
れる行動も、個人が滅却されて犠牲になるのであれば個人の美学と
一致しない。民主主義の現代でも、武士道は道徳律として十分通用
する。

 ヨーロッパでは、ノブレス・オブリージュ(高い地位に伴う義務
)という、上に立つものが人のために犠牲になっていく精神を示す
言葉があるが、これがまさに武士道精神だ。
 国家が大変なときにも、自分がまず犠牲になって国家を救おうと
、お金や利益を度外視して立派な行動をした人たちがたくさんいた
ことを、武士道を通じて伝えたい。

  岬龍一郎 昭和21(1946)年、長崎県生まれ。作家・評論家。
早稲田大学を経て、情報会社、出版社役員を歴任。退職後、著述業
の傍ら人材育成の「人間経営塾」を主宰。
  著書に『教師の哲学』『新渡戸稲造 美しき日本』『いま、な
ぜ武士道か』『「上に立たせてはいけない人」の人間学』など多数
。▼掲載許可済です。
Kenzo Yamaoka


コラム目次に戻る
トップページに戻る