1359.過去の歴史的事実&木村コラム



件名:過去の歴史的事実に対する判断の根拠について  

伊賀@パリ大学です。

いつも大変興味深く拝見させていただいています。

ところで私が所属している生命科学系のML で太平洋戦争の話題とな
り、従軍慰安婦の真偽が問題となって激論に至りました。私がこの
論争で不思議に思ったことは、いったい公的に歴史のイベントの真
偽を問うときに、何をリファレンスとするのが最も相応しいのか?
ということです。

例えば我々が学会で議論するときや、論文を執筆するときに、ブル
ーバックスを引用することはありません。一般には科学雑誌として
受け入れられているものをリファレンスとして使います。これらは
スコア化されていて、数値の高い雑誌ほど良い雑誌とされ、信用さ
れていると思います。一般に知られているものとしては Nature や
Science などです。

従軍慰安婦の真偽の議論のときに、いろいろな人がいろいろなもの
をリファレンスとして引用してきました。個人のインターネットサ
イト、当時の宮沢首相の談話から奏郁彦著「慰安婦と戦場の性」(新
潮選書)まで様々でした。現在、日韓の歴史学者が合同で、客観的に
研究しているということだったのですが、そういう結論が果たして
コンセンサスとして日韓で同じように採用されるのかどうかも疑問
です。日本を初めとして諸外国は何を根拠として政府見解として採
用するのでしょうか?世界歴史学会のようなある程度権威があって
、客観的な国際学会は存在しないのでしょうか?政府の場合は政治
的な立場もあるでしょうから、一概に言えないとして、政治的に中
立な場合は、ある歴史的なイベントが controversial な場合、一体
何を最もリファレンスとして信用したらよいのでしょうか?御教示
いただけますと幸甚でございます。
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(Fのコメント)
人文社会学の難しさは、時代や時の政権によって歴史的な事実の解
釈が違うことです。この原因は相当に政治的な物が絡むので、その
時の国際情勢がいつも着いて回ることになる。

このため、事実を見る眼は現物を参照しているかが重要になってい
る。従軍慰安婦の問題でも、韓国の元従軍慰安婦と言う人の証言を
その当時の日本軍の行動と照らして、日本軍が駐留していない地域
で従軍していたということになり、売春業者に騙されて連れて行か
れたことが判明している。

中村あきら先生によると、南京大虐殺も当時の南京を知る中国人達
は、そのような現場を知らないというが、中国政府は日本からの
ODA増額のために、この南京大虐殺を利用した。左翼の連中は
東京裁判を引用しているが、反日の欧州人の風評を参照しているも
のが多いようである。

東京裁判でも問題が多い部分であるし、日本サイドが弁明書を出し
ているが、そちらの方が正しいと思う。東京裁判・日本弁明は、
講談社学術文庫から出ている。小堀桂一郎先生編集。
東京裁判の全記録を富士信夫先生が出している。これも講談社学術
文庫から、これを見ると相当に無理な裁判であることがわかる。

当時の南京を写した映画で平穏無事な南京を見たり、山本七平が論
破した日本刀では土台無理な千人切りのうそなど、南京大虐殺はあ
りえないという論証ができている。この多くの反証により、やっと
日本の左翼は、この件では沈黙状態に陥っているが、中国が国連に
提訴したために、国連で問題になっている。これを左翼は根拠にし
ている。左翼の連中のいい加減さが、それでも証明されている。

なにしろ、左翼は、よく事実を調査せずに、韓国・中国のいいなり
であるから、その当時の日本軍や状況証拠を見る必要がある。軍に
同行した売春業者はいることは確かであり、ここに勤めていた慰安
婦もいる。ここまでは事実である。ここまでの事実は日本政府も認
めている。

しかし、国家権力で連れて行かされたかどうか問題なのでしょう。
日本人の慰安婦もいたが、そのようなことをいう人がいない。なぜ
、韓国人だけが連行されるのかわからない。全て、元売春婦という
人の証言だけで、韓国サイドは構成している。

もし、強制連行があれば国家機関は命令書があるはず。これが発見
されないし、元高級軍人・朝鮮総督府の官僚に聞いても、そのよう
な事実はないと証言している。元下級軍人の風評の証言で記事にし
た朝日新聞の見識を疑う。

中村あきら先生は、戦中史を構成するために、多くの元軍人・元海
外政府要員からの証言を残している。これが、一番信頼できるよう
に思う。レーフレットにもなっている。
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件名:国連の機構改革が急務  

ウィーン国連記者協会副会長、フセイン・アオン氏に聞く

世界平和実現へ宗教の再評価を
 第五十八回国連総会が来月、ニューヨークで開幕する。国連は冷戦時代の所産といわれ、
 機構の能率化、効率化のためにも機構改革が急務となってきた。国連を二院制とし、政
 治指導者の現機構(下院)と宗教指導者による上位機関「超宗教議会」(上院)の設置
 が提案されると伝えられている。そこで本紙はウィーン国連記者協会副会長でサウジア
 ラビア日刊紙オカズの国連記者、フセイン・アオン氏と会見、国連の現状、国連改革の
 見通し、国連二院制への評価などについて質問した。

(聞き手=ウィーン・小川 敏・世界日報)

 ――国連記者協会副会長として国連会議をフォローされているが、国連の現状をどのよ
 うに見ているか。

 「冷戦後、創設された現国連はさまざまなところでその限界に直面している。それは安
 全保障理事会や総会で採決された決議の履行状況にも端的に表れている。多くの決議内
 容は履行されずに放棄されている。国連は平和維持活動や開発途上国の支援、貧困、テ
 ロ、エイズ対策などで重要な役割を有していると信じる。特に、アフリカの安定と治安
 は急務だ。例えば、ソマリア、そして今日のリベリア、シエラレオネなどを見れば明ら
 かであろう。アフリカはその発展のためにも国連の効率的な支援を求めている。しかし、
 国連は加盟国の政治意思を反映した鏡だ。現実の国連は冷戦後の世界の平和構築やグロ
 ーバルイシューでその使命を果たせられない状況に陥っている。世界の状況は大きく変
 遷してきた。だから、国連システムも時代の要請を受け、改善されなければならないは
 ずだ」

 ――国連の改革が進められているが、残念ながら成果はまだ見られない。

 「国連の改革は次期総会の主要議題の一つだ。国連は承知のように、六つの機構から構
 成されている。事務局、信託統治理事会、安保理、経済社会理事会、国際司法裁判所、
 そして総会だ。国連を改革するためには、これらのすべての機構を改革しなければなら
 ない。単に安保理の拡大だけではなく、包括的改革が求められているわけだ。もちろん、
 改革プロセスは困難であり、容易なことではない。しかし、加盟国の政治意思があれば、
 不可能ではないはずだ。問題は加盟国がそのような強い意志を有しているかだ。例えば、
 安保理の拡大問題では依然コンセンサスが得られない状況だ。拒否権を有する五大国は
 安保理の拡大など願っていないからだ。例えば、国際原子力機関(IAEA)の理事国
 (現三十五カ国)の拡大問題も既に二十年以上協議されてきたが、依然実現していない。
 一九九九年の年次総会で理事国数を四十三に拡大することが決定されたが、加盟国の批
 准プロセスがまだ完了していない。ましてや、安保理の拡大問題はそれ以上の時間がか
 かると予想せざるを得ない。安保理や総会で決定した決議内容を履行しないのなら、政
 治意思の裏付けのない国連改革などまったく意味がない。不幸な点は、現在の国連には
 履行メカニズムが機能していないことだ。なぜならば、拒否権を有する五カ国が国連を
 掌握しているからだ」

 ――キッシンジャー元米国務長官は「外交は国益を守ること」と定義したが、国益と他
 の国益が絶えず衝突し合っているのが、国連を舞台とした外交の現実ではないか。

 「グローバルな利益と国益を対立概念としてとらえるのは適切ではない。グローバルな
 利益の中には、一国の国益、地域益、そして地域内益がある。グローバルな利益といえ
 ば、公正なもののように受け取りやすいが、地域益を無視したグローバルな利益なども
 あり得ない。大国の中には、グローバルな利益を建前に利用、地域益を抹殺することが
 ある。大切な点はさまざまな利害をどうやって調和させるかだ。グローバルな国連外交
 とは、世界を一家族と考え、多種多様の利害を統合、調和させることではないか」

 ――国連改革案として国連の二院制が提案されると伝えられている。国連を政治機構
 (下院)と宗教指導者で構成した「超宗教議会」(上院)の二院制にする案だ。人間が
 心と体で構成されているように、国連機構を人間のメカニズムと一致させる試みだ。

 「とても野心的な提案だ。国連機能の再活性化、効率化を目指す提案である以上、同案
 を真剣に検討すべきだろう。政治家たちと宗教指導者たちが、グローバルな問題を真剣
 に協議、コンセンサスを実現できれば素晴らしいことだ。政治と宗教は本来分離すべき
 ではない。相互関連しているからだ。宗教は社会の安定と発展に欠かせない。世界の平
 和を実現するためにも宗教の再評価が必要だ」

 ――あなたは敬虔(けいけん)なイスラム教徒だが、一昨年九月十一日の米同時多発テ
 ロ事件後、欧米諸国ではイスラム教徒に対する攻撃が増加傾向にある。宗教間の統一は
 可能と信じるか。

 「すべての宗教は、平和と安全な世界の実現を目指している。キリスト教もイスラム教、
 ユダヤ教、他の宗派もその点では一致している。宗教指導者は、政治家よりも大きな貢
 献を果たすことが可能だ。その意味で、宗教間の対話は非常に重要だ。対話を通じて共
 通基盤を拡大、宗教の統合へと向かうべきだろう」

 フセイン・アオン氏 1946年、レバノンのベイルート生まれ。大学で政治学を学ぶ。
 その後、ベイルートの日刊紙編集長やサウジアラビアの雑誌など担当。現在、サウジ日
 刊紙「オカズ」国連記者。国連記者協会副会長。敬虔なイスラム教徒。▲掲載許可済で
 す。
Kenzo Yamaoka
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『亜空間通信』648号(2003/08/15)
【8.15は敗戦・戦犯・靖国避けて通れず左右に憎まれ愚痴「百人斬り」言論詐欺批判】
 
 ああ、また来たか、この日が、と思う間もなく、阿修羅戦争38掲示板を覗くと、一
般には「右」扱いの読売新聞の社説が、以下のように紹介されていた。これが実に面
白い文脈になっているのである。まずは、全文を紹介する。
 
---------- 引用ここから ----------
[8月15日]「『A級戦犯』とはなんなのか」(読売新聞)
http://www.asyura.com/0306/war38/msg/431.html
投稿者 彗星 日時 2003 年 8 月 14 日 22:40:01:HZN1pv7x5vK0M
8月15日付・読売社説
 [8月15日]「『A級戦犯』とはなんなのか」

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20030814ig90.htm
8月15日付・読売社説
[8月15日]「『A級戦犯』とはなんなのか」

 また、全国戦没者追悼式の日が巡ってきた。戦死した軍人や軍属だけではなく、戦
災に巻き込まれて死去したすべての人々を追悼する日である。

 この日は、また、靖国神社を巡り、様々な議論が熱を帯びる日でもある。近年はと
りわけ、いわゆるA級戦犯の合祀(ごうし)とのかかわりで、歴史認識の在り方につ
いての議論も多くなっている。

 これは、もっぱら中国、韓国が、ある時期から突然、「A級戦犯合祀」を非難し始
めたことによる。 

 靖国神社が、いわゆるA級戦犯を合祀したのは一九七八年のことである。それが明
らかになった七九年以降も、大平、鈴木、中曽根の歴代首相は、従前通り靖国参拝を
続けていたのに、中、韓両国も特段、問題にはしていなかった。

 中韓両国が「問題」にし始めたのは、中曽根首相が八五年八月十五日、「公式参拝」
を挙行したのが端緒である。

 いわゆるA級戦犯との関連では、全国戦没者追悼式の対象に含まれているのかどう
か、という議論も出ている。

 「追悼対象」問題が改めて浮上してきたのは、福田官房長官の諮問機関「追悼・平
和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が、昨年暮れに出した報告書
が一つのきっかけになっている。

 報告書は、靖国神社とは無関係の国立追悼施設の設立が望ましいとの方向性を出し
つつ、追悼対象にはなんの制限もないとした。いわゆるA級戦犯も排除しないという
ことである。 

 全国戦没者追悼式も、同様の考え方で開催されてきたのだろう。厚生労働省もいわ
ゆるA級戦犯も排除されているわけではない、としている。

 ただ、排除されているかどうか、という問題以前に、いわゆるA級戦犯とはなんな
のか、ということも、たえず問い直されなくてはならないだろう。

 A級戦犯とされた人たちを裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)は法原理的に不当
なものであった、という観点からの様々な議論がある。

 東京裁判の性格を象徴するのは、判事席にも検事席にもソ連がいたことだ。ソ連は、
ヒトラーと共謀してポーランドを分割し、第二次世界大戦の引き金を引いた。またバ
ルト三国を併合、フィンランドをも侵略して、領土を奪取した。

 さらには、大戦末期、日ソ中立条約を踏みにじって参戦し、東京裁判中も、国際法
を公然と無視して日本人捕虜をシベリアで奴隷労働に使っていた。そのソ連が判事席、
検事席にいて日本を裁いたというのは、要するに、勝者による敗者への裁きだった、
ということである。 

 原爆による一般市民大量虐殺という米国の「人道に対する罪」に言及した日本側弁
護人の発言の際は、直ちに同時通訳が停止された、ということもあった。

 しかし、東京裁判の進行中も、その後の占領期間中も、連合国軍総司令部(GHQ)
の厳重かつ巧妙な検閲・言論統制により、こうした疑問は徹底的に封じられた。「全
員無罪」としたインド代表パル判事の判決書も、日本が国家主権を回復するまで出版
を許されなかった。 

 他方で、“社会主義幻想”に囚(とら)われた左翼勢力が、「第二次大戦は、『ファ
シズムに対する民主主義の勝利』というのが国際社会の常識」などと、歴史を捩(ね)
じ曲げてきた。ソ連が、民主主義とは縁もゆかりもない専制恐怖支配体制の国だった
ことこそ、「国際社会の常識」だ。

 同じく裁く側だった中国も、過去、現在とも民主主義とは無縁の国である。

 ただ、東京裁判をどう評価するにしても、国内法的には、いわゆるA級戦犯たちは、
とっくに名誉回復されている。

 A級戦犯として絞首刑になった東条英機元首相ら七人も、国内法では、「公務死」
の扱いになっている。「刑死」ではない。従って、一九五三年以降、遺族は、国内法
による遺族年金または恩給の支給対象にもなっている。

 現在では、いわゆるA級戦犯とは、絞首刑にされた七人だけというイメージに限定
されがちだ。だが、A級戦犯として有罪判決を受けたのは、軍人、文官合計二十五人
である。 

 そのうち、禁固七年とされた重光葵元外相は、戦後、鳩山内閣の副総理・外相となっ
た。終身刑だった賀屋興宣元蔵相は、池田内閣の法相を務めている。“A級犯罪人”
が法務大臣になったのだとしたら、こんな矛盾した話はない。

 「A級戦犯」が閣僚になったことについて、とりたてて諸外国からの異議はなかっ
た。「A級戦犯」問題は終わってしまっていたのである。

 とはいえ、戦前の日本には、繰り返してはならない過ちが多々あった。

 昭和初期からの軍国主義ファシズムへの傾斜が、重苦しい時代だったことは、まぎ
れもない歴史的事実だ。東条内閣時代が、苛酷(かこく)な憲兵政治だったことも忘
れてはなるまい。 

 しかし、戦後の日本には、議会制民主主義がしっかりと根を下ろしている。軍国主
義復活などあり得ない。

 日本政府、日本国民は、そのことを、自信を持って、近隣の偏狭、強烈な愛国主義・
反日ナショナリズム諸国に発信し続けなくてはならない。
(2003/8/15/08:41 読売新聞
---------- 引用ここまで ----------

 以上の内の、どこが「面白い」かというのは、以下の2行を比較しながら、熟読す
ると、自ずから明らかになる。

1)これは、もっぱら中国、韓国が、ある時期から突然、「A級戦犯合祀」を非難し
始めたことによる。 2)中韓両国が「問題」にし始めたのは、中曽根首相が八五年八
月十五日、「公式参拝」を挙行したのが端緒である。

 つまり、「ある時期から突然」というのには、まったく「突然」というのではなく
て、時期的な理由があったのであり、元「青嵐会」の「青年将校」こと、「右」で売
り込んだ元主計中尉、実戦経験無しで、はったり専門の中曽根康弘の方が、「突然」、
「公式参拝」を挙行したからなのである。つまりは、中曽根の「挑発」が、未だに跡
を引いているのである。これは「右がけしからん」例である。
 
 以下、比較のために、一般には「左」寄りと理解されながらも、実は、読売新聞と
一緒に戦犯企業として名高い朝日新聞、毎日新聞の社説の関係部分のみを抜粋する。

1)・・・・・・・・・・ 
---------- 引用ここから ----------
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
社説
■58回目の8・15――新たな戦争の時代に 
[中略]
アジア諸国との間で、いまなお靖国神社への首相らの参拝問題がわだかまりとして残
る。 

 靖国神社には今日も、戦没者の遺族やその家族が集うだろう。戦争で死んだ肉親を
思い、悼むのは、どこの国でもごく自然なことだ。しかし、最近そこを訪れた欧州の
在京大使は「ここでは戦争が終わっていない」と語った。戦争には当然相手があった。
その相手との和解が靖国神社には感じられないという趣旨だった。 [後略]
 ---------- 引用ここまで ----------
 
 朝日新聞は、A級戦犯合祀」と「公式参拝」の問題から、完全に逃げている。「首
相らの参拝問題」と、ぼかしている。いかにも似非紳士らしい右顧左眄の上手な対応
振りである。
 
 2)・・・・・・・・・・
 http://www.mainichi.co.jp/eye/shasetsu/200308/15-1.html
社説
2003年08月15日
終戦記念日 もっと悩んだほうがいい
[中略]
 戦死した英霊を祭っていることになっている靖国神社に、首相や閣僚が参るかどう
かが国内の世論を分裂させ、素直に迎えられない。中国や韓国などとの国際関係のよ
しあしに影響する。靖国に対する内外での認識の違いが、いまだに解消されないどこ
ろか解消する努力も貫徹されない。結局時の首相の思いつきが左右する状況がずっと
続いている。せっかく出された追悼・平和祈念問題を考える会の報告書も言いっぱな
しで今年もうやむやのままだ。
[後略]
---------- 引用ここまで ----------

 おい、おい、「もっと悩んだほうがいい」などと言いながら、何で、「戦死した英
霊」などと、「右」好みの表現をせにゃならんのかね。いかにも「マヤカシ」らしい
好い加減な「斜」説である。聖教新聞の印刷を引き受けても、まだまだ、経営が傾い
ているから、「右」に寄り掛かるのだろうか。
 
 さて、ここで、「戦犯」には、A級と、B,C級があったことを指摘して置くべきであ
ろう。B,C級戦犯が靖国神社に祭られていることは、特に、問題とはされていないの
である。ところが、次は、その双方を取り違えた好い加減な「左」の唖然たる実例と、
わが批判である。
 
---------- 引用ここから ----------
 
 http://www.jca.apc.org/?altmedka/aku473.html
http://asyura.com/2003/war20/msg/850.html
『亜空間通信』473号(2003/01/07)
【米戦犯裁く自称アフガン民衆法廷「偽の友」前田朗教授2重3重の欺瞞の果て唖然】
[中略]
http://postx.tripod.co.jp/NHK-kaizan/tennou_fr.html
フランクフルター・ルントシャウ2000年12月13日
論評天皇の罪責
カール・グローベ
[中略]
 日本社会は総体として自らの歴史と向き合ってこなかった。歴史の真実と正義を求
めたのは日本の国家ではなかった。国家にとっては、1946年から1948年にか
けての東京裁判での主たる責任者7名に対する死刑と16名の終身刑で、十分こと足
りただろう。受刑者が1959年に(裕仁の個人的な指示で)都心にあるあがめの場、
靖国神社の、国家的英雄や偉大な指導者らの連綿と続く列に加えられたことは、それ
自体数少ない連合軍裁判の判決を相対化してしまった(訳註1)。
 [中略]
 訳註1:この部分戦犯合祀に関して、朝鮮人BC級戦犯裁判を考える会の田口裕史
さんから以下の御指摘をいただいた。1959年に合祀されたのはBC級戦犯で、A
級戦犯は1978年10月に合祀された。合祀されたのは14名。「裕仁の指示で」
と明言してある個所は、疑問のあるところだ。(バウネット評)
[中略]
 上記の「訳註1」で指摘されている「A級戦犯」の「合祀」が、1978年10月」
に強行されたこと「こそ」が、いわゆる靖国神社「参拝」問題の最大の焦点であるこ
とは、批判的な歴史研究の初歩中の初歩である。
 このような、まさに決定的な論争的問題点で、初歩的な間違いを平気で犯す幼稚な
連中が、全共闘時代こと、無秩序な学園紛争時代の学園祭さなながらの「法廷茶番劇」
を演出してしまったのだから、この失敗については、当然、主催者が頭を丸めて詫び、
訂正を発表すべきところである。
 それなのに、もしかすると、「無辜の若者」たち相手なら、その間違いを隠し通せ、
今後も、同じようなお粗末「平和売人」商売を続けることができるとでも、思ってい
るのだろうか。
 こういう連中が「平和」を語っている内は、この私までが、「また騙っている」と
思われてしまって、誰もが歴史の真相を知ろうとしなくなり、誰もが本気で平和の実
現のために戦おうとは思わなくなるだろう。
 [後略]
---------- 引用ここまで ----------

 さらには、上記のごとき、1978年のA級戦犯合祀と中曽根の1985年の「公式参拝」
の中間には、以下のごとき、「左」による「挑発」お粗末があったのである。わが2
年前の旧稿が、電網検索で、実に簡単に探しだせた。
 
---------- 引用ここから ----------
全言語のページから教科書、実教出版、侵略、進出を検索しました。 約39件中1 -
25件目 ・検索にかかった時間0.27秒

---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/?altmedka/d-1-7-4.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
7.4.(水)「アジア諸国からの猛烈な批判」を武器とする主体性なき偽善系の右往左
往と教科書問題誤報
送信日時 :2001年 7月 4日 水曜日 11:15 PM
件名 :[pmn 15467] 教科書問題誤報と偽善系の主体性なき右往左往

 自分の国の日本の教科書を論ずるのに、「アジア諸国からの猛烈な批判」を武器と
して振りかざすのは、いわゆる「他人(ひと)の褌を借りる」典型、まことに主体性
のない屁っぴり腰のへぼ相撲さながらの議論の組み立て方でありまして、下手糞漫画
家にまでしてやられるのは、当然の帰結です。

 そこで、この主体性のなさを、典型的に示す「世紀の大誤報」を紹介して置きます。
この問題は、発端に私の古巣、日本テレビ放送網株式会社とその隣組みの位置関係に
ある教科書専門の実教出版社が関係していたので、かすかに記憶に残ってはいたので
すが、このほどの新たな騒ぎを切っ掛けとして、国会の議論に再浮上し、『正論』
(2001.6)に、当時の社会部記者、現・産経新聞・石川水穂論説委員による一文、「教
科書問題の発端/『世紀の大誤報』の真実」が掲載されるに至りました。

 簡単に言うと、1982年に、教科書検定で「侵略」を「進出」に書き改めさせたと、
各紙が一斉に報道し、中国や韓国からの抗議を誘発し、日本国内でも教科書問題が政
治的紛争の目玉となったのですが、これが実は誤報だったのです。

 確かに、多くの資料に基づき、当時の文部省は、「侵略」という表現を「進出」に
改めよと求めていたと認め得るのですが、それに応じて書き直した出版社は、実は、
なかったのでした。

 では、なぜ、このような誤報が各紙を飾ったかというと、記者クラブと称する大手
メディアの情報独占機関は、特にスクープ競争をする気はないけれども手間の掛かる
問題については、各社分担して取材結果を持ち寄り、総合的な記事にまとめるという
カンニング習慣に馴染んでいたのでした。実は、今も、この習慣は密かに続いていま
す。

 で、その当時、世界史に関して近所の実教出版社を取材した日本テレビの記者が、
聞いた通りに報告し、それを各社が一斉報道してしまったのでした。つまり、出版社
の編集者も、いい加減だったのです。

 これを切っ掛けとして「アジア諸国」の抗議を自分の武器にする主体性のない自称
平和主義者、自称左翼が続出し、今に至っているわけです。実に情けない話なのです。
自分で納得できる教科書でも、単行本でも、せめて雑誌記事でも発表してから初めて、
発言の資格ありとすれば、もっとまともな議論になるのかもしれません。いや。もっ
と混乱を極めるかも。

 ともかく、金魚の糞よろしく、「つくる会」許さずなどと口から泡を吹いても、水
面がかすかに揺れるだけで、物笑いの種になるだけです。ぶりっ子の偽善系なんて、
言われてしまうかもしれませんので、お気を付け下さい。今年の3月12日に、この誤
報を信じて参議院の予算委員会で質問して、赤っ恥をかいたのは、民主党の竹村泰子
議員だそうです。悪いのは大手メディアの記者とか編集者とかなのですが、気の毒な
ことです。
---------- 引用ここまで ----------

 ところが、何と、このような教科書」問題の底辺には、実は、「右」でも「左」で
もない「胃袋」の事情が潜んでいたのである。
 
---------- 引用ここから ----------
http://www.jca.apc.org/?altmedka/d-1-7-5-2.html
電子手紙の送信日付け順・注釈付き一般公開文書館
7.5.(木)「つくる会」教科書の最大の成果は現在の教科書免責のメビウスの帯「会
社擁護」編と指摘
送信日時 :2001年 7月 9日 月曜日 12:13 PM
件名 :[pmn 15526] 教科書問題メビウスの帯「会社擁護」編
[中略]
日教組の担当者は、現在までの教科書にも問題は多いことは自覚しており、内輪の議
論にはなっているが、教科書全体を再検討せよという方針にはなっていない、と認め
ました。出版労連との関係では、作っている人自身が自分の仕事を批判するのは難し
いでしょう、との感想でした。

 このことへの批判を自由な立場で展開したいこともあって、私は、6月末日をもっ
て、出版労連加盟のネッツ労組から退会したのですが、出版労連の方には、そのこと
をも伝えつつ、後述の民放労連での経験をも話し、実情を聞いたところ、やはり、現
在までの教科書への批判の運動方針はないと認めました。

 問題の核心は、ちょっと考えてみれば、まったくもって何のことはないことなので
すが、「つくる会」批判運動をやっている出版労連の組合員の社会的身分なのです。
出版労連の教科書共闘は、教科書会社の企業内組合の組合員によって構成されていま
す。悪く言えば、自社製品の売り場を確保すための運動だから、会社は、この「労働
組合の活動」を妨害しないのです。

 ところが、日教組や、かつての社会党やら共産党やらは、親亀の上に子亀、その上
に孫亀が乗るような状態なのに、上に乗っている方ほど、威張りくさるという実に間
抜けな構造になっているのです。本来という言葉を使うならば、亀より先に人間の親
の方が動くべき問題なので、誰が悪いのかと言えば、皆が悪いのです。

 私が、この構造を詳しく知っているのは、昔からのことです。民放労連の放送問題
の担当をしていたからです。出版労連の内部事情も知っていましたが、基本は同じな
のです。

 1960年安保闘争で戦闘化した民放労連は、最初、「放送を国民のものにしよう」と
いう宣伝文句を作りました。これに対して、国労の綱領制定にも関わった堀江正規さ
んが、そんなことできるわけはないよという主旨の批判をしたので、「放送の反動化
に反対し、民主化を獲ち取る闘い」と変わりました。

 事実経過を見れば、これも、じり貧の敗北の連続です。民放労連の場合には、出版
労連の教科書問題に対する闘い方よりも、少しは反体制的でしたが、やはり、「企業
内組合の連合体」の域を出ていませんでした。「反動化に反対」と言いましたが、そ
れだけでは、現状が「反動」ではないかのような誤解をされかねません。事実は、す
でに「反動の極」なのでした。特にテレヴィ放送の場合には、最初から全国放送網が
アメリカの意図の下に、張り巡らされたのでした。

 私は、それだからこそ、個人として、いくつかの組合新聞の連載記事を書きました
し、単行本としては、1979年に「征矢野仁」の筆名で、『読売新聞・日本テレビ・グ
ループ研究』(汐文社、絶版)を発表しました。これも含めて、私が出した関連の単
行本はすべて、佐野真一さんの『巨怪伝/正力松太郎と影武者たちの一世紀』の資料
リストに収録されています。

 詳しくは、その後の『読売新聞・歴史検証』(汐文社、1996)にも記しました。こ
れはまだ残部があります。民放労連の方針を上回った一番象徴的な問題点は、日本の
テレヴィ放送網の建設がアメリカの議会での「共産主義との戦い」「B52爆撃機2機分」
とい演説の文句にも露骨に表明されていた事情です。

 そこで再び、かなり前の教科書問題のメビウスの帯の指摘を繰り返すと、現在の日
本の教科書は、「アメリカ王朝」時代の歴史粉飾なのです。「つくる会」の方は、そ
の粉飾に逆らう「かのように」見えるから、一般受けするのです。「いじめ」っ子諸
君! 「つくる会」に対抗して、自分の歴史書を作ってみんしゃい。呵々。
---------- 引用ここまで ----------

 さてさて、ここで、再び、B,C級戦犯の問題に戻る。その典型の一つは、東京裁判
こと、極東軍事裁判と称する日本支配のためのアメリカの猿芝居では、無罪となりな
がらも、当時は国民政府の中国の「対日報復」気運の犠牲者として、中国で有罪判決、
死刑に処せられた二人の日本軍下級将校である。
 
 これまた、自称「左」の実に醜い「言論詐欺師」による「平和売人」行為の典型で
あるが、以下の産経報道を、わが目で見て、聞いた木村愛二本人が、間違いのない
「真実の報道」であることを、保証し、以下、再録する。この原告の「陳述」は、
「報告会」でも再び読み上げられ、私は、その録画を所持している。近く編集し、複
写して、「遺族」田所千恵子さんと弁護団、支援者に贈呈する予定である。
 
 ---------- 引用ここから ----------
 http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/030708-4etc.html
2003.07.08 
■百人斬り訴訟 口頭弁論で遺族切々「父の汚名そそぎたい」
苦痛からの解放願う

 東京地裁で七日開かれた「百人斬り」訴訟の第一回口頭弁論で、向井敏明少尉の二
女で原告の田所千恵子さんが意見陳述し、「『百人斬り』が真実ならどんなことでも
耐えますが、うそなのです。汚名を着せられ、歴史に残るのは残念」と訴えた。
百人斬り報道

 昭和12年の南京攻略戦に参加した第16師団の野田毅、向井敏明両少尉が、どち
らが先に100人斬れるかを競ったとする記事を、東京日日新聞が同年、4回にわた
り掲載。2人は戦後、南京軍事裁判で無実を訴えたが処刑された。朝日新聞は昭和4
6年、本多元編集委員が執筆した連載「中国の旅」の中で取り上げ、「南京で捕虜・
市民30万人が日本軍に虐殺された」とする“虐殺派”の証拠として再三持ち出され
るようになった。東京日日新聞の記事は、同僚カメラマンの証言やノンフィクション
作家、鈴木明氏の大宅賞受賞作「『南京大虐殺』のまぼろし」によって、戦意高揚の
創作記事だったことが明らかにされたが、その後も中国各地の記念館では記事が拡大
展示され、中国側のプロパガンダに利用されている。国内の学校教育現場でも度々引
用され、「真実」であるかのように独り歩きが続いている。 父親が無実を訴えなが
ら処刑された後、田所さんは昭和二十三年、千葉にあった祖母と叔父の家に預けられ
た。周囲の人が「あの子は戦犯の子供」とささやく言葉を耳にし、祖母に「戦犯って
何?」と尋ねて困らせたこともあった。

 周囲が一気に波立ったのは、結婚後の昭和四十六年、朝日新聞の本多勝一元編集委
員が執筆した「中国の旅」が連載されてから。記事は翌年、同社から単行本として出
版された。家庭では口論が毎晩絶えなくなり、次第にうまくいかなくなった。夫は、
会ったこともない向井少尉を悪く言い、「人殺しの娘」呼ばわりされて、ついに離婚
を決意した。

 職場でも「戦争だったのですから仕方ないですよね」としばしば励まされた。「百
人斬り」が事実であるという前提の言葉に、逆に傷つけられた。

 マスコミへの恐怖と失望を抱き、「戦犯・南京・抗日」といった言葉には常に過敏
に反応してしまう。気持ちを張り詰めた生活が続き、今も心穏やかに過ごせる場所は
ないままだ。

 「中国の旅」の文庫本では、実名表記がイニシャルに改められているが、「周りの
ほとんどの人は誰のことか知ってますし、注釈では『捕虜を据えもの斬りする虐殺競
争をした』と、ますます残虐な人間に描かれている。本多さんはどこまで私たちを侮
辱するのか」と声を震わせた。

 裁判長に「遺族にとってこの裁判は最初で最後の機会。公正な裁判を信じ、父たち
の汚名をそそぎ、精神的苦痛から解放されることを願っています」と訴えた。
---------- 引用ここまで ----------

 この件では、日本国内で、毎日新聞、朝日新聞、柏書房、】本多勝一が、「被告」
となっている。しかし、1947年に2人を死刑に処したのは「国民政府」であった。当
時、中国共産党との内戦を抱えていた国民政府は、一方で妥協、一方では民衆の対日
報復気運への迎合という矛盾を抱えていた。それまでの勢いからすれば、「昭和天皇
を処刑せよ!」と叫ぶのが筋だったのだが、その代わりに証拠不十分な2人の将校を
殺してしまい、しかも、それを中国共産党の政権が、そのまま、引き継いでいるので
ある。
 
 中国も、相当に好い加減である。中国に対しても、2人の名誉回復の処置を要求す
べきなのである。それができるメディアが、組織が、あるのか無いのか、個人が、い
るのか、いないのか。
 
 ああ、また、私は、名乗り出てしまうかもしれない。ああ。4歳から8歳までを暮ら
した北京の風景を、脳裏に想い出しつつ、ああ。

 以上。

木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長
==============================
『亜空間通信』646号(2003/08/09)
【「責任はイラク」首相発言と「第三者的」とすら言えぬ朝日腰抜け記事にも唖然の
夏】
 
 ああ、台風一過なれど、ああ、またもや、エセ紳士、朝日新聞の記事が問題になっ
ている。これが「客観報道」とか称する腰抜け、恐米萎縮症の典型である。
 
 ポチ首相が、ブッシュと同等のモーローン、軽度精神薄弱であることは、周知の事
実であり、それだけでも、同国人であることが、何とも情けないのであるが、その軽
度精神薄弱を、「いたわる」かのようなエセ紳士報道と、それへのフォロー投稿を見
て、超多忙とは言え、一応、何か言わないと気が済まなくなった。
 
 以下のような軽度精神薄弱発言があった時には、長崎市長からはもとより、周囲に
反論、いや、怒りの声が、沸騰していたはずである。それを積極的に取材するのが当
然である。
 
 要するに、この記事は、世間的には「超エリート」と思われている朝日新聞の記者
が、デスクが、部長とか、局長とかが、やはり、軽度精神薄弱でしかないことの、何
よりの証明なのである。

「責任はイラクにある」小泉首相、長崎で戦争に理解求める [asahi.com]
http://www.asyura.com/0306/war38/msg/258.html
投稿者 ひろ 日時 2003 年 8 月 09 日 16:36:30:YfXbGWRKtGRPI
「責任はイラクにある」首相、長崎で戦争に理解求める
 小泉首相は9日、長崎市長の平和宣言が米英両国によるイラク攻撃を非難したこと
などについて、「日本としては国連決議にのっとって(米英を)支持した。イラクが
国際社会の声を聞いて査察を受け入れれば、戦争は起こんなかった。イラクに責任が
ある」と述べ、改めてイラク戦争について理解を求めた。同市での平和祈念式典に出
席後、記者団の質問に答えた。
 首相はその上で、「人々にはいろんな意見がある。それはそれでけっこうだと思い
ます。日本政府としては日本の平和と独立、世界の平和の構築に向けて努力していき
たい」と語った。また、平和宣言が専守防衛の順守や非核三原則の法制化を求めたこ
とについては「日本は専守防衛、非核三原則。この方針に変わりありません」と述べ
るにとどめた。
(08/09 13:45) 
http://www.asahi.com/politics/update/0809/005.html

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Re: 「責任はイラクにある」小泉首相、長崎で戦争に理解求める [asahi.com]
http://www.asyura.com/0306/war38/msg/270.html
投稿者 古いライター 日時 2003 年 8 月 09 日 18:06:19:8o/6L0VKq0Xvc
(回答先: 「責任はイラクにある」小泉首相、長崎で戦争に理解求める [asahi.com]
投稿者 ひろ 日時 2003 年 8 月 09 日 16:36:30)
 国連は米英のイラク武力攻撃を最後まで認めていない。小泉バカ殿様は、「国連決
議にのっとって(米英を)支持した」と言うことで、国連があたかもイラク武力攻撃
を容認したかのような錯覚を市民に起こさせようとしている。
 これには、上の記事を読んでもわかるように、メディアの癒着という問題も大きい。
こんな記事は「第三者的な立場」のものとすら言えない。国連は米英のイラク武力攻
撃を最後まで認めていないという事実は、世界的な認識であり、第三者的に見て、そ
れを指摘しておくことが公平であり、事実の記述というものだからである。
 小泉バカ殿様は「人々にはいろんな意見がある」とも言う。しかし、米英のイラク
武力攻撃に関する口実は、現在両国においてさえ真偽が追及されているものであり、
「意見」などといった能天気なものではない。「事実」はどうであったかが問題になっ
ているものである。
 史上最低最悪の首相である。

木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長


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