1348.愛国心には大義が必要



愛国心には大義が必要        umdhrs

「近代の愛国心とは、計算可能な分野における国益の追求に他なら
ない。」

には違和感を感じる。愛国心とは具体的には共同体に対する自己犠
牲を求める事であり、そのような打算で人間が挺身的になれる訳が
ない。「計算可能な利益の追求」なら共同体の維持より自己保身が
上位となるからである。

共同体に対する愛は自分たちの持つ「正義」を信じる事に他ならな
い。明治から太平洋戦争終結までの間が歴史上殆ど唯一、日本人が
日本に愛国心を持った時代であったと思う。それは西洋植民地主義
がアジアを蹂躙していた時期であり、それに対する「正義」の昇華
として日本は大東亜開放戦争に臨むに至ったのである。

現在、アメリカは「民主主義を世界に広める」事を大義名分として
高い愛国心を固め他国を侵略している。それが偽りの看板であると
しても表向きの大義は必要なのである。

では、現代に於ける日本人の愛国心の大義とは何であろうか? 誇り
と言い換えてもいい。それはイコール歴史ではない。世界の為に貢
献し得る(と信じ得る)高尚な思想や価値観を現在自らが保持してい
ると信じてこそ、初めて自らの属する共同体に誇りと愛着を感じる
事ができるのだ。

私はその思想がまるでないと思う。それは自虐史観とはまったく別
次元でもっと遥かに深刻な危機である。過去を振り返るのではなく
、現代の我々が高度な思考を持たねばならないのだ。それがまるで
空っぽのまま、徒に愛国心を論じても全く空論なのである。

我々は共有し得る「日本主義」を新たに構築せねばならないのだ。

付け加えるが、明治・大正・昭和初期と言う西洋文明を輸入して作
られた、古来の日本とは明らかに趣や価値観を異にする時代に、
現代の愛国者を自認する人々が強いノスタルジーを抱く理由を考え
て欲しい。
それは、日本が初めて「外向きに」自己の思考を主張した時代であ
るからではないか。明治の価値観に戻る必要があるのではなく、
あの「姿勢」こそが現代の我々に必要なのである。
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(Fのコメント)
その通り。国家に対する愛国心は隣人や自分の家族への愛から始ま
り、国や民族としての自分達の使命感がより愛国心を高めることに
なると思う。

国も自分達の国という意識が必要で、その意識を醸成するために、
国民が選ぶ政治家が国家経営をして、かつ国民の意見を聞いている
という民主主義が必要であるのと、愛国教育も必要である。
この愛国教育では、太古の歴史から日本国としての使命があり、
その使命感を教える必要がある。

日本の使命は異民族が同一の土地に共存した日本の平和観なしには
語れない。聖徳太子の17条の憲法がその礎であろう。
このため、日本は世界の異民族が平和に暮らすために、この世界に
存在している。これが日本の使命であると思う。

このため、日本人は基本的には昔から戦争が嫌いである。特に侵略
戦争に荷担してはいけない。アジア民族解放のための第2次大戦に
負けて、他民族解放の戦争もしないと誓った。しかし、この10年間
世界の平和を確立するためのPKO、PKFの派兵をしている。
これはいいと思うが、米国のイラク侵略戦争に荷担することは、絶
対止めるべきだと思う。やっても、海・空での米軍支援に留めるべ
きだ。

しかし、北朝鮮問題があるから、米国の言う通りにするという議論
があるが、それでは世界平和を確立するという日本の使命を放棄す
ることになる。
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国民国家とは何か          umdhrs 

 田中宇氏のメルマガで興味深い記述を見つけた。
是非、「国家とは何か」について議論を期待したく思う。

近代国家(国民国家)とは、18−19世紀のヨーロッパの王侯貴
族たちが、自分たちの利権を拡大するための戦争に、安上がりな方
法で地域の人々に協力させることを目的として作られた、という
歴史観(国家戦争装置論)がある。

 近代国家になる前の国家では、戦争は傭兵(職業軍人)どうしが
行うもので、一般民衆は破壊の被害を受けることはあっても直接の
当事者ではなかった。ところがフランス革命などを機に近代の国民
国家システムが作られ、人々は「民主主義」という制度のもとに参
政権を与えられる半面、国家を愛する義務を負い、税金を払い、
戦時には徴兵に応じる「国民」となっていった。

 これは王侯貴族など国家の支配者にとっては、国民を自発的に
国家に協力させ、傭兵に莫大な金を払わなくても「愛国心」を煽る
教育(洗脳)だけで一般国民を献身的な兵士に変える画期的な方法
だった。国家はしだいに「国民のもの」という性格を帯びたが、
王侯貴族らはうまく政権の中枢を握り続けられるように画策し、
上手に政治を動かして「国民主権」をお題目だけのものにし続けた
。安上がりに「国民皆兵」を実現した国民国家は、旧来の傭兵シス
テムの封建国家よりも戦争に強かったから、ヨーロッパ諸国はこぞ
って国民国家制度に移行した。 
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(Fのコメント)
最初の動機はどうであれ、国民が主権を持ち、その行使を行う国民
国家が成立すると、王制に復帰してもあまり長くは続かない。共産
主義のような独裁主義も同様にうまくいかない。他民族支配も同様
で、地域の主権はそこに住んでいる人たちに任せるしかない。他国
の都合で支配しようとしても、ゲリラ戦という消耗戦になる。この
消耗戦を止めるために、戦争を拡大しやすい。

日本の古代は、異民族(中国人、韓国人、中央アジア人)が戦争を
して収拾できない状態になった。和国の大乱と記述されている時代
である。この大乱を収めたのが天皇家であろう。そのため、和を重
んじる日本の17条の憲法ができたように思う。この大乱の状態が
現代の世界に再現している。

もう1つ、日本は伝統的に森を大事にする習慣がある。現在、世界
的に森の伐採が多く、世界の環境が悪化している。京都議定書が
日本で成立したことは、意義深いことである。この意味を考える必
要がある。

2つの理由で日本の使命を果たすべく、出番が来ている。このよう
に異民族同士の戦争防止と環境保護は日本の使命である。日本には
金と技術と思想がある。この3つを持っているのは日本しかない。
また、旧約聖書にも日本の役割が明確に書いている。ハルマゲドン
でメチャメチャになった地球を救う役割である。

240−2.国民主権の『裸の王様』
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/kak2/1207242.htm
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国連女性差別撤廃委員会でも問題に     koko  
   
この1〜2ヶ月で、政治家の女性蔑視発言があいつぎました。「集
団レイプする人はまだ元気があるからいい(大田誠一元総務庁長官
)」「子どもを1人もつくらない女性が年とって税金で面倒みなさい
というのはおかしい(森喜朗前首相)」「女性にもいかにも『して
くれ』っていうのいるじゃない。そういう格好している方が悪いん
だ。男は黒豹(くろひょう)なんだから(福田康夫官房長官)」
なんという人権感覚のない人たちでしょう。

同じ時期にニューヨークの国連本部で開かれた国連女性差別撤廃委
員会では、この一連の女性蔑視発言に対して批判が集中したのです。

「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア」といった
石原慎太郎東京都知事の発言をはじめ、これらの女性蔑視発言に
ついて、本来ならこうした公人の蔑視発言に対応する締約国義務が
あるのです。

「謝罪をもとめるなど政府として対応をとる必要がある」と委員か
ら指摘されたにもかかわらず、坂東真理子内閣府・男女共同参画局
長・日本代表の発言には、コメントもなく本当に残念でした。

福田官房長官が日本の男女共同参画担当大臣で、日本政府の最高責
任者という事態ですから、さすが委員会でもあきれ果てたのでしょ
う。

委員から「女性差別撤廃委員会の審議に参加したらどうか」といっ
た皮肉を込めた発言もおこなわれたそうです。

この委員会では、日本の差別撤廃のとりくみの遅れも「10年前から
進歩が見えない」「日本は資金が潤沢にあるにもかかわらず、(差
別撤廃にむけた)進ちょくが遅い。21世紀になるのに女性をめぐる
民主的な制度が実現できていない」と厳しく批判されました。 
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(Fのコメント)
ジェンダー論については、その背景がある。今後労働力の減少が起
き、女性の労働力も使い、かつ高齢者の労働力も当てにしないと、
日本の産業は回らないことになる。

このため、女性と男性の差別を無くすと言っているのである。社会
的な要請があるのです。この観点も視野に入れる必要がある。
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目減りする通貨の発行が、社会の崩壊を防ぎ、自立した国民を作る。
これは、『幸せ通貨』を発行したい人間が、二人いれば実現する。
内藤 晃一、一人では出来ないが、小澤モータースの社長がヤル気
だから、間もなく実現する。
『幸せ通貨』は、地域経済を活性化し、国民に考える力を与える。
内藤 晃一

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