1308.無限の可能性 ==マトリックス==



無限の可能性 ==マトリックス==
                            S子

新作「マトリックス・リローデッド」を見た方は、もう随分おられる
だろう。IT時代を生きるものにとっては、他の何をおいてもやはり興
味を抱かずにはおれない映画である。かくいう私もそのひとりで、「
見たい」衝動にずっと駆られていたが、どうやら見に行けそうにもな
いので前作「マトリックス」をテレビで見ることにした。

実は前作を見るのはこれで二度目である。一度目はビデオを借りてき
て見たが、当時の私と現在の私とでは「コペルニクス的転回」以上の
内面変化があっただけに、大きくその視点が違っていたことは否めな
い。だから同じ映画を見たはずなのに、まったく違った世界を垣間見
たような気になり、興奮の度合いが桁外れだったのである。

一度目はコンピューター世界の話、仮想現実の話、あり得るはずもな
い空想の話として見た。まあそれはそれで、それなりのおもしろさ、
楽しさがあったのだが、これは表面的なとらえ方でしかなかった。二
度目を見た時は、というか見続けているうちにこれは人間世界の話で
はないかと驚いた。

モーフィアスがネロ(主人公)に「現実の定義とは何だ。」という問
いかけをしたが、これはかなり衝撃的である。即座に答えられるもの
はおそらくいないだろう。そして、モーフィアスは続ける。「この世
界では自分が思ったような存在になれる。」これはあまりにも私達人
間の本質を突いており正鵠を得ていた。私はドキリとして生つばを飲
み込んだ。

相対する敵のエージェントスミスはその姿を自由自在に変化させ、ネ
ロに戦いを挑み続ける。結局ネロはその戦いに敗れ、肉体は滅び死ん
でしまった。その死んでしまったネロをひとつの「愛」が救うのであ
る。ネロを愛する女の渾身のキスが、滅んだ肉体に新たな魂を吹き込
んだ。再生されたネロは精神的にも肉体的にもより強化され、「マト
リックス」となっていた。

ネロの存在は、私達人間の内なる無限の可能性をみせつけるものであ
り、エージェントスミスは、その可能性を妨げる理性のようなもので
あろうか。この映画では結局、私達人間は「愛」が全てのうえに立つ
ことを理解しているのである。「愛」は不可能を可能にし、無から有
へと変えることができるほど偉大であると知っている。知っているは
ずであるのに、人類は21世紀突入と共に、破滅的な世界を生きよう
と選択し始めていることは、とても恐ろしい。

この地球上にはさまざまな民族が共生していることは、誰でも知って
いる。しかし、少数民族や先住民族といわれる人々は、白人の侵入と
共に迫害されてきたという悲しみの歴史を背負ってきた。単一民族だ
と思われている日本においてもアイヌという先住民族を、単一民族と
いう意識統一に向けるために消し去ろうとした。

又、米国におけるインディアンの迫害の歴史はあまりにも有名である。
彼らは土地を追われ奪われ、彼らが培ってきた文化を否定され、白人
がもたらした貨幣経済に翻弄されたがために、精神を病みアルコール
や麻薬に走り、果ては自殺に追い込まれる。

否定されながらも生き延びてゆかなければならないことを覚悟した時、
彼らは同化という選択をし、自らの存在を明らかにしなくなる。これ
はアイヌとて同じである。少数民族や先住民族の中には文字をもたな
い民族もあり、同化や自らを否定することで、その民族固有の文化や
歴史は知らぬまに消えてしまうのである。これはひとつの民族にとり
とても重いものがある。

彼らが文字をもたないのはそれなりの理由によるものであり、決して
知能が低いこととは関係しない。むしろ文字をもたないからこそ精神
的繋がりを重視し、結束を強めたとも言える。そこへ白人による物質
文化が強制的に押し付けられるのであるから、彼らの精神的混乱は避
けられない。

こうしてみると、現在ある日本がまさしくこの少数民族、先住民族の
辿ってきた歴史と似通っている点が多く、非常に興味深く、それゆえ
に空恐ろしいものがある。物質文化の壁に突き当たり精神性を否定し
てきた今日、多くの日本人が根無し草のごとくに漂流している。これ
は大人も子供も同じである。

むしろ大人の姿が子供に反映されているといっていい。大人も手本を
示すことができないでいる。そんな大人を見て子供だけに良いことを
強要しても、ますます大人への不信感を募らすだけである。学校教育
の崩壊も言われて久しいが、私達大人があまりにも外界の事象を重要
視し、それらに翻弄された結果だとしても当然のような気がする。

私達に今必要なのは、自らが捨て去った精神性に立ち返ることであろ
う。しかしながら、今日の日本人は精神的にも物質的にも両方を失っ
ているというダブルの悲劇に落ち込んでいる。そこから立ち上がるの
は容易なことではないように思える。が、ひとつの民族にとっての誇
りとは何であろうかと考えたとき、その民族が培ってきた精神文化は
やはり民族の根源となりうるものであろうと思う。

現存する固有の価値とでもいうべきものだろう。優先されるべきは精
神性であり、これをなくしては個人も民族もなりたたないと思うので
ある。

私達が社会生活を送るうえで常識や理性というものは必要である。が、
不必要にこれらを用いることは自らの内なる可能性を閉ざしてしまう
恐れがある。何かに挑戦しようと思うときに私達の心を支配するのは、
未知ゆえの恐怖である。それゆえに自らが「できない」と思い込んで
しまい、あきらめるのであるが、人間本当に成し遂げたいものがあれ
ば、周囲のどんな声も耳に入らなくなり、成し遂げたいものしか見え
なくなる。

言うなれば無我夢中、忘我の境地である。
何事においても中途半端が一番いけない。趣味であろうと何であろう
と、一度やり始めたらそれをとことん極めることだ。渡辺浩弐氏はそ
れを「好きを加速させる」ことだと言っているが、我を忘れるほど惚
れ込みなさいと言っているのである。

そして自分の中にある無限の可能性を信じて生きなさい。あなたの本
当に望むもの、欲するものに正直に生きなさいと言っているのである。
「この世界では自分が思ったような存在になれる」のだ。映画「マト
リックス」の世界は、私達人間の内面世界そのものである。無限の可
能性は誰にでもある。未知なるものへ挑戦し、変化し続けてゆく姿勢
にこそ「精神性」が培われ、揺るぎない精神力が確立されてゆくと思
っている。

それには、ただひたすらに自己を信じきることにある。

参考文献   「ひらきこもりのすすめ
         (デジタル時代の仕事論)」 渡辺 浩弐 著

       「民族の世界地図」  21世紀研究会編
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遠藤と申します。
国際戦略コラム毎回楽しく読ませていただいています。
さてFさんのコメントで気になった箇所がありましたので参考まで
にメールを送付します。


パリにはルノー車が多いですよ。ドイツ車は見かけても、日本車は
あまり見かけない。トヨタ車はほとんどない。ホンダ車はまだ見か
けるが。事実認識が、違うような気がする。公平な見方をお願いし
ます。

フランスに限らずヨーロッパの国々で自動車産業が盛んな国では、
輸入車制限をしています。現在の正確な数字は分りませんが、イタ
リアでは日本車は3000台まで、フランスでは日本車は、国内販
売台数の3パーセント以下等の規制が存在しています。
フランス人が日本車に乗りたくても、輸入台数が限られていて、
自由に自分の好きな日本車に乗れる状況にありません。また日本車
のメーカー間で、販売する車の車種や比率等の割り当てを決めてい
るようです。20年前は日本車の中ではマツダ車が多く、マツダに
乗るタクシーの運転手が、、この車は30万キロ走って故障が一度
もない日本車は素晴らしいと、褒めていました。
また日本人の私がルノーに乗っていると、日本人が何故日本車に乗
らない、我々フランス人は日本車に乗りたくても、輸入制限があっ
て何年も待たなければならないんだと言われた事もありました。
ルノーは第二次大戦においてナチスドイツに協力的であったため、
国営企業化されました、そのためフランスの自動車メーカーの中で
は優遇されていました。
フランスの自動車工場は、出稼ぎのアフリカからの労働者がほとん
どで、低賃金で言葉も通じない環境で、故障が多いという評判でし
た。
シトロエン、ルノーは故障が多く、プジョーがフランス車の中では
故障が少ないという事でした。
さてカルロスゴーン氏の評価ですが、うっちゃんさんの意見も一理
あります。日産の工場や社宅、テストコース等広大な土地が売却さ
れ、人員削減により利益が出ても、しがらみの無い外国人なら当た
り前、自動車メーカーなら車を売るのが商売、ゴーン氏のこれから
のお手並み拝見というのが、多くの日本人の気持ちかと思います。

勝手な意見を述べましたが参考まで、
今後もためになる議論を展開させ日本の未来に役立つ意見の場を提
供して下さい。ではお元気で
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(Fのコメント)
トヨタはフランス工場を持って、フランス製の車を作っている。
そのヤリスを見かけないのです。勿論、このヤリスは販売制限を受
けていません。EU内での工場製品は、域内での製品販売を制限さ
れていないため、域内での摩擦はあるが、貿易制限は基本的にない。

しかし、英国工場からフランスへの輸出は制限されていて、このた
めトヨタはフランスに工場を建てたはずです。勿論、域外からの輸
入には、制限が今も付いているため、日本からの輸出車には制限が
あります。
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1298 「米国ヘッジファンドの動き」を読んで

 仮に、日本の株価が20000円を目指すことになれば、アメリ
カのヘッジファンドは資金を日本に集中し、アメリカのダウ平均は
大きく下げることになりそうだ。そうなれば株価本位で維持されて
いるドルの基軸通貨としての地位は、喪失されることになる。

 日本の株式市場の株価の動きが、米国とEUの主導権争いの戦場
となりそうだ。米国の延命化を図れるか、それとも没落するかの試
金石として日本の株価が世界の注目を浴びる。

 日本のデフレ不況から脱出できるか、出来ないかはそれによって
決定される。何故なら、日本国民は自国のデフレに対して何の対策
も執ってはいないし、自らの意志も存在していないようだ。

tanaka
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<投稿>国債とは?

TVなどで「財政再建のために増税せねば、国民一人当たり700万円借
金があるようなものなんですよ」と聞くことがある。
これは国民に対し債務者であるような言い回しであるが、国債の購
買しているのは大手機関投資家であり、結局は国民ではないのでし
ょうか。
よって、「財政再建のために増税せねば、国民一人に対して700万円
ほどお借りしていますから」といいなおしたほうが正確ではないで
しょうか。
国民への返済のために国民から搾り取るということですね。

八木
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消費税率  小長井 
魚を人間が食べれば章句良品ですが、猫に食べさせれば
えさです。肉も人間が食べれば食料品ですが犬が食べれば
えさです。えさなら缶詰などもあります。えさなら消費税がかかり
食料品なら消費税がかからないとするなら、その線引きは困難を
極めると思います。
 でんぷんなども食料品にもなれば工業用の基礎資材にもなると
聞いたことがあります。何とも悩ましい事柄だと思います。
全てに一律に課し、逆累進制の低所得者向けには還付などの
別の手段を考えたらいかがかと思います。
 
もっと議論をすべきは”益税”として手にしている商工業者が、
それを既得権益として死守しようとしていることです。
日本商工会議所の会頭が年商の引き下げに反対している事に
明らかです。自民党の橋本派、江藤・亀井派、堀内派などこぞって
年商の引き下げに疑義を唱えていたと思います。曰く
「中小零細企業の保護」
裏町のラ−メン屋が消費税として公然と取る。何千万円も年商が
あるはずがないのに。正に”既得権益”しかも大蔵省・税務署公
認のあぶくぜに。
 
サラリ−マンは源泉所得で静かに真面目に納税している。
この益税を排除し、国民が正直に納税することを進めるべきだと思
います。
 
大いに議論を巻き起こし、不条理な”益税”を是非葬って欲しいと
思います。
 
15.06.26
平塚 小長井
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国際戦略コラム御中

送信者:山口 将俊

いつも、さまざまな観点の提供有難うございます。

最近いろいろな文章に手を出しすぎて収まりが付かなくなってしまうという愚行
をしてしまい、おかげでせっかくの貴コラムを拝読するのも後回し後回しになっ
てしまっていました。溜め込んでしまった都合で少々ずれた話になるのですが、
すこし前の山岡コラムを拝読して、素直にああそうだなという共感を得られたも
のがあったので、それに賛辞を送らせてください。それが今回メールする理由で
す。文末から引用をさせていただくことで、該当部分を見ていただけるとわかる
と思うのですが、ほぼ全面的に共感しております。青線が左についている部分を
お借りしています。

引用部、出だしの二文目に象徴されるように、「観光」はここに挙げてある要素
を主だった構成要素としていると思います。前提知識を詰めて予習した人が歴史
や伝統などのデータを踏まえた上で、景観や風土や気候に自分が溶け込み、それ
を五感・五官をもって体感します。理念と現実の融合が生じます。言い換えるな
らば、体感によって知識の洗い直しをしていく。それがデータの単なる焼き直し
にならないためには、さらにそこで自分の解釈を加えることが必要になります。
(むろん、この順序ではなくてもよく、いきなり対象に飛び込んでから、興味を
もった点を図書館で調べるということがあっても良いと思います)

しかし、私たちの世代はすでに西洋化されたものの中に生まれてしまい、資料の
中から、かつての日本の美というものを推し量ることしか出来ないのです。つま
り、博物館などに「剥製化された知識」を垣間見ることが出来たとしても、京都
の市街地のように、出来る限り史跡と共存しようという試み自体がこの国の都市
部には皆無なのです。これと対照的な例を挙げます。例えばヨーロッパの市街地
では屋根の色が統一されるとか、教会の大聖堂と溶け合った景観を要求するとか
一定の縛りがあります。(それはそれで不便なこともあるのですが、その町が嫌
いなら引っ越せばいいという気軽さがどこかにあります。)

もっとも、こういう例を出した上で京都のケースに戻ると、日本でも最良と思わ
れる古都保存の形式でさえ、ゆかりある諸寺院とコンクリートの町が本当の意味
で「調和的」一体となっているのかは疑問の余地があります。つまり、確かに
「保存はされている」のです。しかし、先ほどの博物館の話ではありませんが、
剥製としての史跡が都市とパッチワークのように継ぎはぎされているだけなので
はないでしょうか。ここで、都市を人体に例えてみます。その上にある「縫い
目」で連想するなら、自然な人体か、フランケンシュタインのような人造人間か
という分け方が一つの観点として思いつきます。

そういう、生きた史跡を統一的に後世に伝えていくという流れは、実は環境政策
などとも積極的に結びついてくることだと思います。例えば、世界の遺跡は酸性
雨によって老朽化が急速に進んでいるというのは周知の事実です(アンコール
ワットなど多数)。それを食い止めるにはCO2規制をするのが第一歩です。その
意味でトヨタが先鋒を走っているエコプロジェクトなどは、貴コラムでも紹介し
ていただきましたが、水素の有効活用という次元にまで到達してきています。こ
ういった企業(群)の努力もさることながら、都市保存は行政の領域ですから、
公務員の意識が変わることが先決です。にもかかわらず、すぐには変えられない
と言うなら、早々にこの領域も民間に移譲したほうがいいのではないかというく
らい、急務の領域だと思います。

そして、結局はここにたどり着くのですが、個々の人間のモラルや到達点の話に
なっていきます(ここではあえてCO2排出との絡みでだけ限定的に申します)。
例えば、先ほどの車を運転するのは誰かというと個々の人間です。また、喫煙の
よる煙の発生があります。アメリカの禁煙の動きは異常なくらいの進み具合です
が、石油文化である以上、人の出す「排気」くらいはきれいにしておくというこ
となのでしょうか(これはかなりの皮肉のつもりですが)。

というのも、かの国では国土が巨大すぎ、また車の量も膨大すぎるためCO2規制
が全然行き届いていない実態が、禁煙促進のすぐ裏にあるからです。また、この
ことを踏まえると、「禁煙促進も個人の嫌煙権保障ということかもしれないけ
ど、世界の大気汚染はどうでもいいっていうのか」という気になるからです。た
しかにアメリカは世界に貢献している面も多大にあります。しかし、環境悪化は
結局未来の子供にアレルギーなどの先天的問題を残すし、遺伝上の変異ももたら
す恐れがあるし、喘息などは高齢者や現役の働き手にまで及びます。またそうい
う悪化した環境下でとれた動植物を食することも食物連鎖として人間に跳ね返っ
てくるわけです。それらの悪循環を考えるとき、優先順位の混同もいいかげんに
してほしいという静かな怒りが胸のうちにあるからです。

上記の皮肉と関連することがあります。石油文化ということです。アメリカがイ
ラク攻撃をしたことを正当化する大量殺戮兵器の報道はやはり収縮してしまった
ようです。復興について日本の役割を模索する報道はされていますけれども。貴
コラムがイラク戦争の実行行為時にも警鐘を鳴らしておられました点があります
ね。つまり、イラクの戦後、パイをどう分配するかという問題を解決するために
はアメリカに噛み付かないほうがいい。だから、開戦までは対抗した国々も、国
連の公開の場でやったような明らかな反対姿勢というものはないかに見えます。
仮にあっても、「内実についての」報道はされていないように思われます。

こういった点を踏まえると、たしかに、エビアンサミットはイラクや北朝鮮の問
題を処理する上で、各国にとって「経済的損失がないためにはどう動くべきか」
という打算的産物だったのではないかと言う疑念が湧きました。むろん、旗印と
しては、デフレ対策のために世界レベルの微調整が必要だから各国で共通認識を
構築しなおそうということでしたし、事実そうだったのだろうと期待したいので
すけれども。

観光、環境、石油などとすこしずつ脇に話がそれてしまったようですが、遠因と
しては因果関係にあります(苦笑)。経済を上向きにしようと言う話で貴コラム
が話題として観光を持ち出してこられたのに対し感想を書くわけですから、もち
ろん、観光という話題とリンクしているはずだ、それを何とか表すためにすこし
逸れたのだとご理解ください。

環境政策・都市政策と表裏一体の観光誘致を21世紀型でどう進めるかといったと
き、やはりこれは国内の産官学共同という「お上」の問題、会社の問題というだ
けではなくなります。それだけではなく、自分たちの喫煙マナーをより改善でき
ないかとか、環境還元型の洗剤を購入するかとか、いかにリサイクルの分別をす
るかとか、もっと政治的に言うと不当労働によって作られた製品の不買運動をす
るとか(大げさではなく、ナイキの第三世界から労働搾取による製品大量製造が
国際的な不買運動にまで発展したと言う事例もありました)、そういう草の根と
しての我々個人の思考が問われると思います。全てのチョイスが地球にリバウン
ドしていく。その中に観光誘致の問題も位置付けられると思うのです。

そして、表現こそ違え、このような有機的関連を貴コラムにて発信し、指摘して
あることはすばらしいことだと思います。

かなり話を押し広げてしまいましたが、基本的には下記引用を賞賛するもので
す。基本的性格はそこにあります。上記のような認識に私が立っているために、
貴コラムから下記文面を発見したことを嬉しく思う、そういうことの発表にすぎ
ません。今後も観点を供給してくださることを期待しております。また長くなっ
てしまいましたが、ご容赦ください。失礼いたします。

(引用ここから)


>我々大衆庶民が海外観光に出かける目的を考えれば分かる。
>とにかく先ず日本では味わえないトコトン面白い体験が出来るか、さもなければその国の
>歴史・伝統・文化・風光・景観が味わえない所へは行く気がしない。
>このトコトン面白い体験とは、言うは易く多くの国や地域で事業として継続させるのは殆
>どの場合困難。ディズニーランドやラスベガスなど世界でも、そんなに何カ所も成功出来
>る代物ではない。日本ではTDR位で、後は日本のどこに作っても成功しないだろうと考
>える。石原知事の「ラスベガス」も果たして事業として継続しうる価値があるや否や?!
>しかし面白いだけでは経済に貢献する様な永続する観光客は誘致出来ない。
>
>だとすればその他の分野では、人間の教養・知識欲を満たすか、その国・地域特有の資産
>・歴史的遺産に接する喜びを求める心を満たすかである。
>何百年・何千年の歴史が脈々と漂う伝統・文化・風光・景観に接することによって、心が
>満たされその歴史知識が裏付けされ、具体的遺物・証拠品で裏付けてくれる博物館・美術
>館などを訪れることで充足感をもたらしてくれる。
>
>ところが日本の観光誘致策たるや、すぐに箱物を作りたがり、それで観光誘致策だなどと
>自己満足する。物理的に作った観光施設・観光地で今のところ成功しているのはTDR・
>TDSだけだと言える。長崎と言い宮崎・北海道もすべて倒産している。
>観光地などとは、頭で考えて出来るものはほんの一握りのプロジェックトにすぎない。
>六本木や汐留めの大ビル群などは、一時の集客が出来ても永続するものではなかろうし、
>況や外国人の観光客を永続的に呼び込めるなどとは到底考えられない。
>
>その国・地域に脈々と伝わってきている伝統や歴史を基礎にした文化・風光・景観がなけ
>れば、観光対象として構築したモノは、一時の宴の施設にしか過ぎなくなるだろう。と言
>うのが私の考え。
>
>戦後の日本は、日本古来の伝統を批判し、日本文明を否定し、日本人の伝統的風習や行事
>を否定し、日本人の心=道徳・礼儀作法まで否定し去った「戦後の文化人・知識人・マス
>コミ」が、最近「自虐史観」と批判されるようになった「観点」を、全く「反転・逆転」
>させることからスタートしないと、世界に訴える「観光国」にはなれないだろうと思って
>いる。
==============================
@@バタン漂流記@@

はじめに
文化とはいかなるものか。その問いに答えて様々な定義がなされよ
うが、ここに記すのは、岡山県立博物館勤務の臼井洋輔氏の著作「
バタン漂流記(叢文社)」の読後感想であり、本書をたどると、
アジアの文化的全体像の手触りに似たような感触を得ることができ
た。

本書の特徴
本書は百六十年前(1830年)の江戸時代備前藩(現在の岡山県
)の藩命を帯びて郷里の岡山城下旭川河口より江戸に向かった千七百
石積みの神力丸が和歌山県潮岬沖で台風と思われる風に船頭他18
人が遭難し、遥かフィリピン北のバタン諸島に漂着した当時の詳細
な記録とその後著者自身による追体験を通して文化の移ろいやすさ
と民族にとって文化とはなにかを考えさせる特徴ある漂流記である。

当事の世界事情
さて当時を振り返ると当時我が国は鎖国を行なっているので遭難で
あれ一度出国をすると二度と故国の土を踏むことはできない世界か
ら隔絶された特異な国であった。しかしその鎖国の向こう岸では時
代はアジアの激動の真っ只中で、メキシコを経由してアジア貿易を
独占していたスペインと、ケープタウン周りの諸西欧新興国との植
民地争奪競争の渦中にあって、幕藩体制の我が国では、幕府は言う
におよばず、見識ある藩はアジアにおける最新の情報を秘密裏に収
集しようとしていた。著者は備前尻海の旧家から発見された記録は
開国前夜の激動する世界情勢下での奉行所や藩の厳しい取り調べの
下に作成された客観性を持った記録であり、並みの旅行記ではない。

以下本文よりの抜粋
では本書を基にその彼ら神力丸乗組員の漂着時の様子を簡単に記す。
辛苦をなめ漂流最後にバタン諸島漂着直前に神力丸はリーフ(暗礁
)に激突し大音響とともに船体はバラバラになり乗組員の内5人は
命を落とした。残りの14人は渾身の力を振り絞って自力で上陸す
る。
着岸したのは十一月七日で寒い時節であるのだが、ここの土地は暖
かく、単物一つで厚さをしのぎかねた。空は抜けるような青さで、
海はカワセミが溶け込むように青く澄んでいる。小高い所から遠く
の海を見れば、向こう側に大きな島が見えた。そして島のほうから
牛のようなものが、海の中をこちらに向かっている。空腹の清兵衛
、才次郎、勝之助は「よーしゃ、あの牛を捕まえて食べちゃらんか
」というなり、牛が泳ぎ着いたと思われる浜へ、いそいで下りてい
った。するとその磯原には、丸木を彫りぬいたような長さ九尺、幅
四尺ばかりで、杓子のような櫂などを備えた船が三隻あった。船は
ゴンドラ形で両端が大きくそりあがり、泳いでいる牛のように見え
たのだ。
付近に人影はなく、清兵衛たちが用心深く尋ねていくと、男達が六
、七人集まっていた。「おい皆、ありゃーなんじゃ」「裸で見慣れ
ん風体の人間が六人ほどいるようじゃ」「ほんまじゃ、縞模様や白
いフンドシをしとるぞ」「頭は坊主のようじゃが、頂にちょこっと
髪が残っとる。何という見慣れん姿じゃ」彼らの風貌は全体に色が
黒く、背が高く、髪は縮れている者もおり、裸で、木綿のフンドシ
をして、また芭蕉で編んだ蓑を着ていたものもいた。その男達の
清兵衛たちを見つけて非常に驚いた。みすぼらしい格好の漂流者た
ちを海賊かもしれないと思ったのか、竹槍を取り出してへっぴり腰
で突っかかてきた。清兵衛達はあわてて誤ったが、言葉が通じなか
ったので、向けられた竹槍を取り上げ、その上で、手を合わせたと
ころ、彼らもまた同じように手を合わせた。
清兵衛達は、彼らに何の用事で来たのか身振りで尋ねたところ、魚
を取り出し見せて、この魚を捕っていたら大きな船が激突して、す
さまじい音をたててバラけ散るのを遠くからも目撃しその後の詳し
い様子を見に来たようであった。
「我々は日本人だ」とばかり、指二本を出して分からせようとする
ひょうきん者もいた。手招きで漂流の顛末を何とか伝えた。恐る恐
る空腹を訴える表現を一人がしだすと、それを支援するように、他
の者も必死で身振りで訴えつづけると、何とか相手に分かったらし
く、木の根みたいなもの二つ三つと、ツグネイモをくれた。非常に
ありがたがった。
漂流地点は無人島であった。その後漂流者たちは現地島民につれら
れ隣の島バタンに渡った。バタンでは現地の手厚いもてなしを受け
、見るものすべてが珍しいものであった。月日が経ち、やがてルソ
ン(現フィリピン)のスペイン総督府の総督に謁見する。スペイン
人の総督及び同婦人からも親切にされる。ルソンでは、中国系役人
に親切にされ、生活物資の補給を受ける。やがて外交ルートを通じ
てであろうか日本を出て、ほぼ9ヶ月後天保2年5月に唐国のマカオ
に渡る。そして中国大陸の内陸部の水路網を通り上海の南の主要港
町乍甫に到達する。漂流者たちはこの港から天保2年11月23日
に2隻の唐船に分かれて彼らは待ち望んだ長崎を目指すことになる
。出港に先立って乍甫では唐国関係者の盛大な酒宴を開いてもらっ
ている。士分の一人宇治甚助介は「はなむけに一つ」といって「栄
光納節」という故郷尻海の御舟歌を歌う。異国のめでたい謡を始め
て耳にした唐人たちは、その威勢の良い独特の節回しや抑揚に、
歌詞は分からなかったけれども、壮快な気持ちで惚れぼれと聞き入
った。

帰国後
漂流者たちはバタンから乍甫に至るまで、異国の各地で詳細な記録
を残している。これらは後の著者により追体験がなされ、極めて正
確であったと記されている。船乗りである彼らは行く先々で特に船
の構造について詳細に口述している。またその他文化風俗について
も自国の文化と異なる点及び似通っている点を詳細に口述している
。特に食事面では苦労している。これらの外国諸事情は帰国後口外
することをきつく禁じられていた。しかし時代が明治に入り、最後
まで生き残った遭難者、弥吉は、帰国後家族がバラバラになって「
弥きゅうさんのカラ話」として人々に聞かせていた。そしてあまり
にも希有なその話は人々から信じてもらえず唐と空とが混沌とし、
カラ話となった。弥吉は最後には「嘘と思うんなら行ってみさんせ
い」ともどかしく言ったと伝えられている。
著者は追体験を終えて、弥吉の墓があるはずの御堂にいって雪風で
灰白色にうち枯れた御堂の縁側にて落涙し、「弥吉さん行ってきま
したよ。なにもかも本当でしたよ」と報告するのであった。

あとがき
この漂流記録は当時の時代の要請により作成されたもので、各地の
気象・地形・通運・町の構造・商業・風俗が鋭く観察されている。
しかし軍事上の要衝については、宿舎を出ることは禁止されていた。
逆に、漂流者たちはスペインや唐国官憲によって各所で尋問のされ
たと考えるのが自然でなかろうか。このことは帰国後の供述には一
切でない。この件に関しては、すべて言葉が通じなかったとして
その点は極めてあっさりと書き飛ばされている印象がある。しかし
しゃべったとしても彼らを避難することはできない。逆に彼らを一
つの国の代表として尊重されているふしがある。やはりその影で記
録に残すことができない、民間外交としての駆け引きがあり、この
結果彼らは祖国の支援を得ること無く、自身の難事を乗り切っると
同時に一水主でありながら豊かな見識を認められ、総合として日本
の文化的重みを諸外国の対日本政策の基本路線の策定に何らかの影
響を与えた可能性もある。
とら丸


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