1279.S子コラム



1270 「動と静」のコメントについて・・・S子 
F様へ
 
元来人間は孤独です。文明が発達してゆく段階において、その孤独
を忘れていったのだと思います。
F様のお祖母さんは大変にF様を愛されていたということが良く分り
ます。小さい子供にとって仏壇の前で1時間以上も正座させられる
、というのは苦痛の極みであったろうと思われますが、そこでもう
ひとりの自分を発見されたというのは、ものすごい体験でしたね。
 
実体験は信条を超越してしまいますから、物事の考えを根本的に変
える力があります。ただ座っているだけでお坊さんになれると思っ
たのは本当でしょう。
 
実は私はとても信じられないような体験を通して、私達人間は「魂
」の生き物であることを知りました。
肉体は借り物であるということです。肉体は死んでも「魂」は永遠
に生き続けるということです。
 
「魂」は傷つくこともありませんから、肉体を通して痛みや苦しみ
を私達は知る必要があるのです。
ひとつの人生で私達は何かを必ず学びとらなければなりません。
学習してゆくのです。
 
どうやら人類はあまり良い方向には向かわないようです。
それでも私達は、そこから何かを学びとる必要があります。孤独な
人間であると言うことは、F様がそれだけバランスがとれている証
拠です。
 
私はこの「魂」の存在を知ってからは色々なものから解放されつつ
あります。それでもまだまだ未熟な人間であるのには間違いなく、
更にもっと学んでゆこうと思っています。
 
最近は何かに導かれているような感覚をもつことがあります。F様な
ら、私の言っていることが理解していただけるように思いました。
もし、興味を抱かれるようなら下記の本を読まれることをお勧めし
ます。
 
「前世療法」「前世療法2」「魂の伴侶(ソウルメイト)」
ブライアン・L・ワイス
山川こうや・亜希子 訳
 
F様ならもう読まれているかもしれませんね。
私どものような文にコメントいただき、大変嬉しく思います。失礼
します。
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(Fのコメント)
あまり、自分の経緯を話さないようにしてきましたが、S子さんの
指摘が強烈なために、言ってしまった。失敗かな???
魂が不滅であるという考え方はチベット仏教・密教では、当たり前
のことです。自分の身体から魂の分離をすることが、密教禅(チベ
ット仏教)の修行の中心です。魂の分離が出来始めると、自己欲か
ら離れられると言われます。私がしているのは魂との会話とも言え
ますね。

本ですが「前世療法」「前世療法2」は読んでいます。
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私のインターネット論
s子

インターネットが私という人間を変えたというのは、否定できない
事実である。そして、私がこうしてインターネットと関わり続ける
限り、「インターネットとは何か」というテーマは消えることなく
、未知の私と出会うたびに、その都度その思いも変化し続けてゆく
だろうと思っている。

私がどうしてこんなにもインターネット論にこだわり続けるのかと
いうと、その姿勢を否定されたことに始まる。
バーチャルな世界に遊び現実を直視しないと言われた。
しかし、私に言わせれば、この現実世界でさえもバーチャル(仮想
現実)世界と何ら変わらないように思える。

資本主義世界に流通するお金(マネー)でさえ、ただの紙切れにし
か過ぎないようなものに「信用」という付加価値をつけて物と交換
しているが、これさえもバーチャル(仮想現実)である。おまけに
「信用」というもの自体が目に見えないものであり、手にとって
実感することなど不可能である。

実体経済を上回る実体なき経済なんてバーチャル(仮想現実)の極
みじゃないか。エンロンやワールドコムなんかも企業の合併につぐ
合併を繰り返し、実体なき経済を極めたがために破綻した。私達は
資本主義というバーチャル(仮想現実)世界を生き、容認している
と言っても過言ではない。そして、その資本主義も今や崩壊しつつ
あるという現実。

世界支配を目指している米国でさえ、その生き方は虚構の中にある
。嘘につぐ嘘で塗り固めながら、自らを正当化しようとしている。
その米国もまた同じように崩壊し始めているという現実を、私達は
どのように受け止めるのか。

私達は今高度に発達した文明社会に生きていることを誰もが実感し
ているし、これを否定するものはいないだろう。しかし、私達は、
文明の発達段階において人間本来のあるべき姿である「魂」(心と
言ったほうがわかりやすいかもしれない)を置き去りにしてきたの
もまた事実だろう。

外界の現象の移り変わりも文明の発達と共に著しく、心は振り回さ
れ惑わされっぱなしである。そこで「落ちこぼれ」現象が起きたと
しても、それは人間本来の正常な姿であるように思う。

私達人間は本質的に「魂」の生き物であると言う観点に立てば、私
達はもっと自由な存在であり、様々な制約や抑圧や恐怖から解放さ
れるだろうと思っている。肉体を持ったがために、その存在意義さ
え問われるような生き方を強いられることもあるだろう。

世の中少しはましになったように思われても、まだまだ白人優位の
世界観からは完全に脱してはいないのだし。
 
世界不況といわれる中にあっても、物質面においては私達はまだ豊
かである。だから人々は本当に自分が欲しいもの、自分にとって価
値のあるものにしか興味を示さなくなり買わなくなった。
量よりも質の時代と言われるゆえんである。

それだけ人々が「心」の声に正直になったのではないかと思われる。
つまり「心」を重視するようになった。そしてこの「心」を重視す
るということにインターネットが一役買っているような気がしてい
る。

実際、インターネット上でやり取りする場合、幸いにも(?)お互
いの容姿は不問にされるという利点がある。自分の容姿は相手の想
像におまかせしておればいいのであるから、ああ、何てラッキー!
ここでは「心」と「心」の対話(ダイアローグ)になる。

これまで、物質に振り回されていた私達が、やっと辿り着いた本来
の道に戻ることができるのである。私はこれはとても良いことだと
思っている。

「心」と「心」の対話(ダイアローグ)を通して、知識を分かち合
い感じ合うことで、そのうちに大々的な意識改革が私達の上に起こ
りえるのではないか。意識改革が生じることにより、私達は本能に
目覚める。文明の発達と共に衰退していった五感も元に戻り更に冴
え渡るだろう。

第六感と言われる直感力だって研ぎ澄まされるに違いない。
そうして起こる様々な事象を体験することにより、私達は信条を超
越し、物事に対する考えも根本的に覆され、意識改革に目覚めてゆ
くのだ。そこにはこれまで私達が見たこともない、感じたこともな
いような世界が誕生するかもしれないのである。

インターネットは一対多数という情報発信を知れば、その外向性を
持つという反面、自己の内面を深く探求するという内向性をも持ち
合わせている。この内向性をうまく活用すれば未来は明るい。

もう、私達は物質に振り回されることなく「心」の声に正直になり、
「心」と「心」の対話(ダイアローグ)を重視していれば良いので
ある。

こうなるともはや現実世界とバーチャル(仮想現実)世界との境界
線は薄れなくなりつつあるようにさえ思える。私達はもっと自由な
存在であることを知るべきだ。何も恐れることはない。
私達の中にある宇宙は無限なのだ。

そして、素直に「魂」の声に耳を傾けてみよう。
私達の原子は激しく揺さぶられ私達の生きるべき道を教えてくれる
だろう。インターネットがその手助けをしてくれるはずだ!


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