1258.国井&山中コラム



『件名:“心の闇”深める子供たち  
“心の闇”深める子供たち―現代教育文化研究所所長、小川信夫氏
に聞く
家庭文化のマネジメントを親子が向き合う空間設けよ/プライドな
いと援助交際へ忘れられた“心の保全”/道徳教育で家族の原点問
え』
 
小川信夫氏へ
  少女達の援助交際は、本当に心が痛みます。“援交”と言う言葉
さえもできてしまいました。
しかし、この少女達を買う大人がいます。
「家庭文化のマネジメントをしなさい」と言われても、子供を虐待
する親の家庭は、どうするのでしょう。
いつも犯罪事件が起きると、犯人の生育歴に興味を抱きます。一体
どんな家庭で、どのような地域で育ったのだろうかと。
大阪学芸大学付属小学校の殺傷事件の痛ましさ、犯人のお兄さんは
、事件以前に既に自殺されています。「親の顔が見たい」等と不謹
慎な事を言っては、いけません。正しく、プライバシーの問題です
が。
浅原ショウコウこと松本知津夫や信者達の生育歴も知りたいと思い
ますが、それも一寸公開は、出来ないでしょうね。
野次馬根性じゃなくて、科学的に犯罪者の生育歴を知りたいと思い
ます。犯罪心理学の分野がありますが、家庭に大きな問題があるの
ではないかと思います。
 
家庭を健全にマネジメントできる親は、どの位いるでしょう。
私の愛読書、坂口安吾の「堕落論」 “親はなくても子は育つじゃ
なくて、親があっても子は育つ” と言ってます。 親なんて、子供
に碌な事しか吹き込まないんじゃないんでしょうか。良い学校に入
って、良い所に就職しなさい、とか。 学校も同様の事を言ってい
るのです。
子供を学業成績で評価する。評価は、よくないなんて言われて、運
動会の競技に等級を付けないなんて、”恰好”つけて、顰蹙をかっ
ている。

日本の教育は、良質な労働力を生産する場であると言われる事があ
ります。これは、紛れもない事実だと思います。学校の教育課程か
ら脱落した子供は、援助交際に走る、そうでない子は、健全なので
しょうか。
会社で、有能な労働力とし働ける時は、良いですが、リストラに遭
い、自殺(3万人)、過労死(1万人)の人が毎年、多数います。
  
官僚は、立派でしょうか。政治家は、立派でしょうか。あの月尾嘉
男さんをはじめとする東大教授は、立派でしょうか。
裁判官が立派でしょうか、弁護士が立派でしょうか、これ程、デタ
ラメな人間はいません。私は、いくらでも証明してあげます。警察
、検察の腐敗も酷いものです。
水俣のチッソの工場長は、立派でしょうか。チッソに就職するのに
は、東大の応用化学をトップで卒業し、主任教授の推薦で可能と聞
きました。
 
現実の悲惨さを家庭教育に起因するとの見解は、余りにも安直過ぎ
るのではなかろうか。
家庭教育といっても、千差万別である。勿論、それが家庭教育の本
質であると言えばそれまでですが。しかし、ここでは、教育の荒廃
を親や家庭の所為にする、ちょっと恐ろしい。

地域の人間関係は、希薄で、他者を好奇心で非難する事があっても
、互いに思いやる事はない。
 
子供たちの性的逸脱行動を“心の闇”として、殊更に問題にするの
には、疑問を覚える。社会が病んでいるのです。
援助交際する子供だけをプライドがないと決め付けるのには悲しい
です。社会的地位にある人ほど、プライドがない。他者を見下す事
で、社会的優位性を感じる。これはをプライドと言えるのでしょう
か、プライドでは、決してない。

“寂しいから援助交際をする”・・・・・・気持ちは解る。しかし
、解決にはならない。大人にも、この種の人が男女を問わずいます
。男女関係の激しい人は、精神的自立をしていないのです。
“責任で(援助交際)やってるんだから、いいじゃん”
    ・・・・・・売春は、違法ですよね。

“援助交際に走るのは、たいがい望みを失った者に多い。受験勉強
している子には、援助交際は少ない。なぜかというと、目的を持っ
ているから。”
・・・・・・援助交際をする子供を差別的、冷ややかに見ています。
  
情報を悪として、捉えるにも問題を感じる。
子供達に正しい情報を伝えないから、援助交際に走るのです。“愛
する人のために体を保つ”って、ことより、性病の恐ろしさをちゃ
んと認識させるべきだ。
   
母親の自己実現を問題にするのにも問題である。
・・・・・何かを目指して生活するのは、子供に好影響を及ぼすの
ではないか。
 
親の離婚についても、毎日喧嘩ばかりしている親を見るより、離婚
している方が良いのではないだろうか。
両親が揃っているのがノーマルと言った考えにも問題である。
 
子供達の生活は、社会が反映します。小手先の事で、解決は無理で
す。大人が社会の一員として、市民意識に目覚める事が第一です。
國井明子
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国際戦略コラム 御中

いつも楽しく購読させていただいております。
私事ですが、しばらく産休に入ります。
その間購読をストップすることになりましたので
お礼方々ご挨拶申し上げるしだいです。

このコラムでも「高齢化・少子化問題」はたびたび話題にのぼって
参りましたが、「女性が子供を産まなくなった」現状は私の周囲で
も非常に顕著です。
私はこのことを「人間が動物としての本能を失いつつある証拠」と
して危惧しております。

女性が子供を産まなくなったのは「経済的自立による晩婚化や選択
肢の広がり」あるいは「子育てにかかる経済・住宅の問題」等いろ
いろと言われておりますが、もっと根本的なところで、女性が母性
を失い「別に子供を産みたいと思わない」し、男性は「別に子孫を
残したいと思わな」くなったこと=本能の喪失が一番の原因ではな
いかと考えます。

子供達の反応を見ているとわかるのですが、
特に意識して「男の子らしさ」「女の子らしさ」を教えなくても
女の子は小さな赤ちゃんに愛情を感じ、母親のような態度を取ろう
とします。
これは本来、生まれながら女性にそなわっている母性で
「お腹が空いたら食べたくなる」「疲れたら眠りたくなる」のと同
じくらい「女性に生まれたら子供を産みたい」のが本能ではないか
と思うのです。
それが最近、拒食症や不眠症といった病が広がると同時に
子供を産みたくない女性が増えてきました。
私の周囲にも、妻の側の要求により産まない決断をした夫婦がたく
さんいます。
彼女達から「どうしてそんなに子供が欲しいの?」という質問を
度々受けました。私としては「女性だから」としか返答のしようが
ないのですが、彼女達には理解できないようです。

さらにこの問題は、決して女性だけの問題ではなく男性の変化にも
原因があります。私は結婚7年目にしてようやく一子を授かったので
すが、これまで授からなかった原因は、夫の精神的トラウマでした。
男性にも本来「子孫を残したい」本能が備わっていると思うのです
が夫の場合、「子育ての責任に対する恐怖」が本能よりも勝ってき
ました。
「おまえに出来るはずがない」という言い方で能力を否定されつづ
けて育った夫は「明日も自分が生きているという自信」すら持てな
いほどの精神的ダメージを抱きつづけてきました。
夫のケースが一般的とは思いませんが、「自分の子供」に執着しな
い男性が増えているのは確かだと思います。

女性差別撤廃運動を阻害するのは常に女性である、と言われますが
おそらくは私もその妨害者の一人で、現在、いわゆる先進諸国で進
められている男女同時参画社会の考え方には多いに疑問を持ってお
ります。
男女の身体のつくりが全く違うのは、それぞれに違った役割を担う
ための自然の摂理であって、同じことを同じようにするのは自然の
法則に反しています。
「男性は外で働き、女性は内を守る」というのは、日本の風土の中
で暮らす人間にとって動物的本能に基いた結果ではなかったのでし
ょうか。
もちろん、外で働くことと内を守ることの間に優劣の差はありませ
ん。どちらの仕事も平等に評価されて然るべきです。
外で働くことが優り、内を守ることは劣るとされた差別は不当です
が、だから女性も外に出ろ!では問題の解決になっていないと思う
のです。
内を守ることの重要性が外で働くことと同様正当に評価されてこそ
の差別撤廃だと考えます。

進化(?)した社会では、人間は本能を失っていってよいのでしょ
うか?
より洗練された人間になるためには動物的本能は脱ぎ捨ててしまっ
たほうがよいのでしょうか?
それがさらに発展した社会を形成してゆくのでしょうか?
日本は将来、どのような社会をつくろうとしているのでしょう。
「人に優しい社会」といったフレーズをよく見かけますが、
「男性と同様女性も外に出て働きやすい社会」を目指しているよう
に思われます。
でも私が自分の子供に残してやりたいのは
「許される限り本能のままに、のびのびと生活できる環境」です。
どんなに貧しくても、病に侵されても、一日でも長く生き延びたい
と願う生存本能や自分達の種を未来永劫残していこうとする生殖本
能をしっかりと持った動物の一種としての人間が生き生きと暮らせ
る社会、それを目指してほしいと思います。

私事に終始いたしましたが、
これからも貴コラムの益々の発展(内容の更なる充実と議論の盛り
上がり)と日本の繁栄(さまざまな意味での)を祈念しております。
やまなか
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(Fのコメント)
元気な子供さんを産んで、そして、またこのメルマガを見てくださ
い。
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『そんなことを言えば、地球に人類が発生したのが間違いのもとだ
ったということになるでしょうね。(笑)人類が発生していなかっ
たら、地球上の人類以外の動植物はどれほど幸福であることか。
人類のせいで絶滅した動植物の恨みの声が地の底から聞こえてきそ
うです。』
 
  上記の箇所、とても西洋的、特にキリスト教的な発想で、とても
東洋的でとても面白いです。
  仏教者の一人として、キリスト教等の特に西洋で信仰されている
宗教と仏教等の特に東洋で信仰されている宗教の違いがここに如実
に現われいるので、一言。
  キリスト教は、二元論。即ち、神と人間、人間とその他の生物。
  仏教は、一元論。仏も釈尊も人間も生物もみな平等です。一切衆
生悉有仏性です。

國井明子
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得丸さんへ
“行く春や、鳥泣き、魚の目は、泪”
私の句では、勿論ないです。
これは、本能の詠ですね。
芭蕉の生命は、空を飛ぶ鳥と魚が共鳴しあっていたのでしょうね。
一元論なんて、下らない事言うのは、止しましょう。
國井明子


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