1246.木村コラム



『亜空間通信』582号(2003/04/24)
【シーア派分割統治戦略大失敗でイランはヒズボラにアメリカ中東支配終焉語らす】

 いやはや、そこらの体制べったり小雀らが、いくら何でも、「アメリカ勝った」と
までは言えずに「復興云々」などと、欲得づくでモゴモゴしてる間に、イラクの聖地
カルバラから、猛然と反米の狼煙が燃え上がり、世界中に広がり始めた。

ワシントンとやらには、ネオコンが勢い盛り返しとか、シャロンが強気とか言う向き
もいるようだが、そこにも、すぐに、カルバラ爆発の津波が高々と押し寄せるであろ
う。

 私は、阿修羅戦争32掲示板投稿の電子記録によれば、5日前の4/19/01:26:49より以
前に以下の通信を発した。

----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/?altmedka/aku579.html
http://asyura.com/0304/war32/msg/367.html
『亜空間通信』579号(2003/04/19)
【バグダッドでシーアとスンニの祖国からイスラエル防衛のアメリカ拒否の1万デモ】
[中略]
 ああ、何とも、私個人としては、何とも困ったことには、これを発信せずに寝るわ
けにはいかない緊急事態!!!!!!が発生してしまったのである。

 これほどまでに流動的な事態は、まさに史上空前、絶後であろう。いや、絶後にし
てもらえないと、わが空想科学小説熱狂読者といえども、今のところは、たったの一
つしかない身体が、もう、これ以上は持たない。

  簡潔に言うと、サダム銅像引き倒し「やらせ」の舞台、数千年の古都、バグダッ
ドで、何と、昨日(2003/04/18)、

“No to America, no to Saddam” and “This homeland is for the Shia and
Sunni,” in a sign of unity among the two groups.

「アメリカも拒否、サダムも拒否」、「この祖国は、シーアとスンニのためのものだ!
」、二つの集団の団結を意味の「叫び」を唱和する「1万人のデモ」が巻き起こった
と、寝る前の「ちょっとだけよ」の予定で覗いたアルジャージーラの英語版電網宝庫
が、報じていた(もう過去形なり)のである。

 この自発的なデモが巻き起こったのは、アメリカの戦車がバグダッドに入ってから
では、初めてのイスラム導師の説教の直後であり、そこで導師は、「アメリカはイス
ラエルを防衛するために侵略してきたのであり、イラクには大量破壊兵器はない」と
語ったのである。
[中略]
 ハキーム師は高位聖職者アヤトラの地位にある。22日の集会では、680年にウ
マイヤ朝軍に包囲されて戦死した宗教指導者フセインの殉教をたたえる。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 阿修羅戦争32掲示板には、本日(2003/04/24)午後、以下の連続投稿が現れた。

1)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
米軍撤退シーア巡礼CNN

「米軍撤退」求めるシーア派 巡礼でも「反米」訴え [CNN]
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/850.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 24 日 16:29:57:

2003.04.24
Web posted at: 12:15 JST

- CNN
イラク・カルバラ(CNN) イラク国民の6割以上を占めながらフセイン政権の弾
圧を受けてきたイスラム教シーア派が、政権崩壊後の同国で存在感を増している。米
英軍はシーア派勢力を「フセイン打倒」をめざす同志とみてきたが、その目的を果た
した今、早期撤退を求めて反米色を強めるシーア派の動きに戸惑いを隠せずにいる。

イラク中部のカルバラで22日から23日にかけて行われたシーア派の宗教行事には、
各地から教徒200万人以上が集まったとされる。フセイン政権下で厳しく制限され
ていた行事の復活を喜ぶ声と共に、反米のスローガンが目立った。「アメリカにノー
を」「イスラエルにノーを」「アメリカに死を」――「イラク解放」を掲げて戦って
きた米軍兵が聞けば耳を疑うようなシュプレヒコールが上がる。

シーア派側の要請により、米英軍兵士は郊外まで退いて行事を見守った。巡礼者の1
人は「米英軍はもうすることがないのだから、帰国すべきだ。イラクの将来はわれわ
れ自身が決める」と語気を強める。沿道で売られるシーア派指導者の肖像のうち、最
も人気を集めたのは、イラン革命を率いて反米政権を樹立させた故ホメイニ師の写真
だった。

イランに本部を置くシーア派亡命組織「イラク・イスラム革命最高評議会(SCIR
I)は22日、米英軍の早期撤退を求める声明を出し、「われわれは独立しなければ
ならない。外国による統治は拒否する」と訴えている。

シーア派勢力がイラク再建に大きな影響を及ぼすことは確実な情勢で、米国も配慮を
迫られることになりそうだ。シーア派指導者らは今のところ、閣僚などの地位を求め
るより草の根の運動を進めたいとの意思を示しているが、内部では指導者間の主導権
争いが激化するなど、政治参加をにらんだ動きが加速している。

http://www.cnn.co.jp/top/K2003042400501.html
----- 引用ここまで ------------------------------

2)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
シーア過小評価毎日

ブッシュ政権:シーア派の力を過小評価 米紙報道 [毎日新聞]
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/857.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 24 日 16:45:23:

(回答先: 「米軍撤退」求めるシーア派 巡礼でも「反米」訴え [CNN] 投稿者
あっしら 日時 2003 年 4 月 24 日 16:29:57)

 【ワシントン中島哲夫】23日付の米紙ワシントン・ポストは、米ブッシュ政権の
当局者らがイスラム教シーア派の組織力を過小評価し、イスラム原理主義勢力がイラ
クの政権を握る可能性に対処する準備が出来ていなかったと報じた。

 シーア派はイラク住民の6割強を占めているが、3割程度のイスラム教スンニ派を
支持勢力とするフセイン政権下で冷遇されてきた。同政権の崩壊とともにシーア派の
パワーが爆発的に広がり、反米デモや国内の聖地への巡礼が大規模化している。巡礼
にはやはりシーア派のイラン国民も加わっているとされる。

 ポスト紙によると、ブッシュ政権の一部当局者はシーア派亡命イラク人であるチャ
ラビ・イラク国民会議(INC)代表の世俗的な民主主義路線に目を奪われ、他の当
局者らはフセイン政権打倒に熱中して、その後の宗教と政治の力学に注意が及ばなかっ
た。

 米国は79年に親米パーレビ王制を倒したシーア派のイラン革命を憎み、イラン・
イラク戦争ではイラク寄りの立場をとった。こうした歴史的経緯ににもかかわらず、
フセイン政権崩壊後のシーア派原理主義の台頭を想定していなかったというポスト紙
の報道が事実なら、驚くべき浅慮ということになろう。

[毎日新聞4月23日] ( 2003-04-23-23:54 )

http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030424k0000m030137000c.html
----- 引用ここまで ------------------------------

 この驚くべきか、あきれ果てると言うべきか、大失敗の基本的な原因について、私
は、すでに2年前のアフガン侵略開始に際して、平家の没落に因む次の格言と表現を
紹介している。

「満つれば欠くる世のならい」
「あおのけにのけぞる」


 今、アメリカは「帝国」の幻影を追いながら、この法則的な没落の奈落への道を辿
り始めたのである。

 私の脳裏には、直ちに、アメリカが模範と仰ぐローマ帝国の格言、「分割し統治せ
よ」が浮んだ。この支配の原則は、中国デモ日本でも、長い間、通用してきた。

 しかし、裸の猿の社会、もしくは国際社会は、少しづつ、進化だか退化だか変化だ
か、とこかく状況を異にし出したのである。情報の流通は、それを加速している。

「スンニ」と「シイア」、もしくは「アラブ人の国のイラク」と「ペルシャ人の国の
イラン」を「分割し統治」し続けてきた積もりの傲慢なアングロ・アメリカンは、情
報社会の戦端を走っていると、錯覚していたのであろう。英語と称するデタラメ言語
の国際化も、彼らの盲信を支えてきた。ところが、何とも皮肉なことに、イラクのア
ラブ人と、イランのペルシャ人、アフガニスタンのパシュトゥン人が、いわば敵性言
語の英語で、電網交信するに至ったのである。

ソ連は崩壊したが、ロシア人が、この交信の輪に加わっている。日本人は不器用だが、
それでも、いや、66歳の私でも、英語情報の転送ぐらいはできる。呵々。

 てなことで、「分割し統治せよ」(divide et empere)を電網検索したら、ああ、何
とも痛快な記事が出てきたのである。

 簡略に言うと、すでに3週前の4月7日に、イラクのロシア大使が、「アメリカは
「分割し統治せよの原則に齧り付いた」と皮肉っていたのである。

 さてさて、この状況下、ロシア軍情報部関係者らの電網宝庫には、以下の最新記事
が載っていた。

 これも簡略に言えば、アメリカが、シーア派のイスラム教を「国教」とするイラン
に対して、「イラクに干渉するな」と警告したというのである。

基本的に、ほとんどが宗教を同じくし、隣国でもあるイランに対して、自分が破壊し
尽くした国土の「復興」の協力すらについても、「手も出すな」という気なのであろ
うか。

----- 引用ここから ------------------------------
ru/U.S. Warns Against Iranian Interference in Iraq/we would oppose any
outside interference in Iraq/23.04/WASHINGTON (Reuters)

http://www1.iraqwar.ru/iraq-read_article.php?articleId=3809&lang=en

info@iraqwar.ru 
24.04.2003 

U.S. Warns Against Iranian Interference in Iraq
23.04.2003 [18:28] 

WASHINGTON (Reuters) - The United States said on Wednesday Iran has been
told not to try to interfere with Iraq's Shi'ite population and advance
Iranian interests. 

"We've made clear to Iran that we would oppose any outside interference in
Iraq's road to democracy," said White House spokesman Ari Fleischer.
"Infiltration of agents to destabilize the Shi'ite population would clearly
fall into that category."

Fleischer said the message had been sent through "well-known channels of
communication" with Iran, with which the United States does not have
diplomatic relations.
----- 引用ここまで ------------------------------

 これに対して、イランが、どのような態度を取っているかと、テヘラン・タイムズ
を覗くと、この「シーア派分割統治戦略」の大失敗に関して、イランの国営通信の位
置にある同紙は、アメリカとパレスチナが最も警戒するヒズボラの代表に、この事態
が、イラクに止まらず、アメリカ中東支配全体の終焉の始まりだと語らせているので
ある。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長
==============================
『亜空間通信』581号(2003/04/23)
【アメリカのイラク戦争の大義の大嘘「毒ガス」の裏にイラン・コントラゲートあり】

イランでは「国教」の位置にあるシーア派が、イラクで「反米」姿勢を強めている折
から、「イラン・イラク戦争の後遺症、「サダムが自国民のクルド人を毒ガスで大量
虐殺」というアメリカのデマ宣伝に関しての批判を、今回で一応、まとめ上げること
にする。

 私は、すでに、以下の通信を発した。

3)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------

http://www.jca.apc.org/?altmedka/aku574.html
http://www.asyura.com/0304/war31/msg/1205.html
『亜空間通信』574号(2003/04/15)
【アメリカの戦争犯罪を裁く大義なし2本柱の悪魔化「毒ガス使用」は嘘の簡略英文】
----- 引用ここまで ------------------------------

2)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/?altmedka/aku554.html
http://asyura.com/0304/war30/msg/226.html
『亜空間通信』554号(2003/04/02)
【再論:ラムズフェルド国防長官の最後の根拠デマ「サダム自国民大量虐殺」砕け】
----- 引用ここまで ------------------------------

1)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
http://www.jca.apc.org/?altmedka/aku548.html
http://asyura.com/0304/war29/msg/959.html
『亜空間通信』548号(2003/04/01)
【サダムは自国民を毒ガス虐殺のデマを広めつつ反戦の主張のフリ感傷に浸る愚衆】
----- 引用ここまで ------------------------------

 その後、阿修羅戦争32掲示板に、以下の投稿が出た。

----- 引用ここから ------------------------------
ハラブジャ大虐殺の真相
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/553.html
投稿者 ヤス 日時 2003 年 4 月 21 日 00:50:32:

阿修羅の常連さんでしたらすでにご存知の方も多いかもしれませんが、ハラブジャ大
虐殺の真相を暴いたStephen Pelletiere氏の講演ビデオおよび彼が1月31日付けのニュー
ヨークタイムズに発表した報告は以下のサイトで見ることができます。

http://www.informationclearinghouse.info/article2097.htm

イラク −ポルトガルは事実を全て知っていたのだろうか?
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/549.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 23:14:32:cje0BUN7ztE2U

(一部抄訳)
ポルトガル・ニュースは元CIA上級政治アナリストC. Pelletiere氏が作成したレ
ポートの完全な写しを入手した。

 報告書には、「イランは、1988年のハラブジャ大虐殺(クルド人5000人が化学兵器
で殺戮された)の責任を有する」と、ある。

 ハラブジャ大虐殺は、フセイン政権打倒のためにアメリカ政権が提供した口実の一
つである。
ガーディアン紙(イギリス)のマシュー・ノーマンなどの数人の政治コメンテーター
たちは、もし、このレポートが衝突前に公表されていたら、ポルトガルとスペインは、
米英によるイラク侵攻支持を再考したかもしれないと語った。

 ハラブジャ大虐殺に関するPelletiere氏のレポートの一部は、今年の1月にニュー
ヨーク・タイムズで公表されたが、他のメジャー紙およびテレビ局はこれを無視した。

関連リンク http://www.jca.apc.org/?altmedka/gulfw-12.html

19/04/2003

Iraq- Did Portugal have all the facts?
 [後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

上記の「関連リンク」:
http://www.jca.apc.org/?altmedka/gulfw-12.html
は、わが電網宝庫の下記の拙著の『湾岸報道に偽りあり』の以下の部分である。

----- 引用ここから ------------------------------
『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
(その12)第二章:毒ガス使用の二枚舌疑惑
「黒い水鳥」と並んで、イラク悪魔化に大きな役割を果たしたのが「毒ガス」である。
 果たしてイラクは、毒ガスを「自国民の」クルド人弾圧に使用していたのであろう
か。
 私は、この難問への回答の一部を、以下の文中に記した『文芸春秋』(91・4)で
発見し、早速、『噂の真相』(91・5)に引用した。その後に現われた材料を加えて
同誌(91・11)にまとめなおし、さらに加筆したのが以下の小文である。
───────────────★────────────────
次々に暴かれるデマ宣伝の真相
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------


そこで、私は、以下の礼状をしたためた。


----- 引用ここから ------------------------------
わが11年前の旧文紹介感謝。このブッシュ親「毒ガスの嘘」を重視し、英語も入力せ
り。Re: イラク−ポルトガル?
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/552.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 21 日 00:41:07:

(回答先: イラク −ポルトガルは事実を全て知っていたのだろうか? 投稿者 ドメ
ル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 23:14:32)

わが11年前の旧文紹介感謝。このブッシュ親「毒ガスの嘘」を重視し、英語も入力せ
り。

 以下は、「反米」アメリカ人に問い合わせて入手せし最近の記事なり。

http://www.jca.apc.org/?altmedka/engl-n030411-1.html
Update News in English
English News Selected by Kimura Aiji

030411-1 / THE HALABJA GASSING AND OTHER LIES/April 2003/Arthur Kemp reveals
the lies behind Bush's war in Iraq

http://www.bnp.org.uk/articles/iraq_lies.htm
April 2003

THE HALABJA GASSING AND OTHER LIES ABOUT IRAQ
Arthur Kemp reveals the lies behind Bush's war in Iraq
----- 引用ここまで ------------------------------

私は、上記の拙著『湾岸報道に偽りあり』
隠された十数年来の米軍事計画に迫る
(その12)第二章:毒ガス使用の二枚舌疑惑

 の中で、簡略に、以下のように記した。

----- 引用ここから ------------------------------
[前略]
「毒ガスはイラクとイランがお互いに使ったのであって、自国民(クルド族)に使用
していないことは当時イラクの死者を検診したトルコの医者たちが、毒ガスの内容か
ら証言している。それはイラン側の所有するシアン化物であった」
『イラン・イラク戦争』という元陸将補鳥井順の大著によると、イラクがイランに対
して使用した毒ガスは「マスタード・ガス」と「タブン神経ガス」であり、「シアン
化物」または「青酸ガス」はふくまれていない。
[中略]
 問題となった地帯では、イラン・イラク戦争中、両軍が入り乱れて何度も戦ってい
た。毒ガスは風で流される。下手をすると味方まで殺してしまうという、危険な兵器
なのだ。近隣の住民に被害が及ぶことは充分にありうる。
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 拙著『湾岸報道に偽りあり』では、「ガス使用の二枚舌疑惑」だけを立証すれば、
一応の目的は達せられるので、上記のように簡略に記したが、そこで引いた『イラン・
イラク戦争』には、さらに詳しい記述があった。それを少し論じて置く。

 鳥井は、上記のごとく、毒ガスの種類については、正確な記述をしているのだが、
イラクが「停戦後」、[中略]「イラン軍と共同作戦」をしていた「クルド・ゲリラの
壊滅作戦に乗り出し」、「クルド人村を化学剤爆弾で襲い、住民数百人が死傷した」
などと記している。

 しかし、この情報源は、鳥井の記述を辿ると、どうやら、「トルコに避難してきた
クルド人の言」だけらしいのである。このような「被害者」の言には、多くの場合、
同情を引くための誇張や歪曲が含まれるので、要注意なのである。

 その一方で、『イラン・イラク戦争』の中には、以下のようなイラク側の主張につ
いての記述もある。


----- 引用ここから ------------------------------
(イラクのハイララ国防相は)、クルド・ゲリラ掃討作戦を実施したことを認めた。
しかし、化学兵器による攻撃については、作戦現場が峡谷の底で、毒ガスを使用する
とそれが滞留し、イラク軍にも被害が出ると主張、「技術的に化学兵器の使用は不可
能だ」と否定した。
----- 引用ここまで ------------------------------

 私は、次のように考えた。

 イランとの停戦後、クルド人のゲリラを掃討するのは、イラクの正規軍にとって、
容易なことだから、あえて毒ガスを使用する必要はない。毒ガスを所持する軍には、
それなりの「取り扱い注意」があるはずである。しかし、領土の上では「侵入者」だっ
たイランには、上記の地理的条件の知識が不十分だった可能性がある。

 これらの諸点を考慮して、私は、上記のように、「問題となった地帯では、イラン・
イラク戦争中、両軍が入り乱れて何度も戦っていた。毒ガスは風で流される。下手を
すると味方まで殺してしまうという、危険な兵器なのだ。近隣の住民に被害が及ぶこ
とは充分にありうる」と指摘して置いたのである。

 国際的な決着に至るためには、これらの諸点を基礎として、さらに詳しい議論を必
要とするであろう。ともかく現在までのところ、イランでは、イラクとの敵対関係が
続いていて、自国の毒ガスがクルド人を襲ったのだとは認めていない。この関係が改
善されないと、アメリカのデマ宣伝は、いつまでも続くであろう。

 私は、そこで、この問題を巡る土俵を、もっと広くして、まずは、中東の紛争に関
するアメリカの責任を、徹底的に問うことを提言する。

 アメリカは、そもそも、ホメイニ革命でイランから追い出されたので、イラクを挑
発し、「双方が殺し合うことを望む(キッシンジャー国務長官)と公言したのである。
その上に、著名な「イラン・コントラゲート事件」によって、イランに3000発のミサ
イルを供給し、「イラン・イラク戦争」を、ますます凄惨な大量虐殺の地獄に仕立て
たのである。

 以下、その経過を電網検索で得た情報の要約によって示す。

----- 引用ここから ------------------------------
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/usa/iracongate.htm

イラン・コントラゲート事件関連年表

1981年

1.20 レーガンが大統領に就任.副大統領ジョージ・ブッシュは政府の麻薬対策
キャンペーンのヘッドに就任.

1.28 レーガン,ブッシュの「南フロリダ・タスクフォース」構想を承認.フロ
リダに麻薬が流入するのを阻止するため,各連邦機関が協調するという構想.

3.25 NSC内にブッシュを議長とする「危機管理スタッフ会議」が選出される.
[中略]
8月 ニカラグア北部および南部国境地帯で反政府勢力が再編成される.

12月 大統領,CIAによるニカラグア反革命の政治・軍事行動を承認.下院はコン
トラへの軍事援助千9百万ドルを承認.

1982年
[中略]
5.14 NSCメンバーに向け,秘密メモ「国家安全保障決定指令3」が出される.
NSC内に「特殊状況グループ」(Special Situation Group:SSG)が作られ,ブッシュ
副大統領が議長をつとめることとなる.さらにその中に「危機想定計画作成グルー
プ」(Standing Crisis Pre-Planning Group)を設立.NSCスタッフ,CIA,軍,国務
省の代表が,ホワイトハウス戦況指令室で定期に協議することとなる.これにより,
ブッシュはすべての隠密活動と情報活動のチーフとなる.

5.20 危機想定計画作成グループ,初の会合.NSCスタッフのオリバー・ノース
中佐が事務局を勤めることとなる.

8月 ブッシュ,自らの安全保障首席補佐官に,CIA長官時代の幹部ドナルド・P・
グレッグを指名.グレッグはブッシュのオフィスに,CIAの暗殺専門家フェリック
ス・ロドリゲスを引き込む.ロドリゲスはベトナム時代にグレッグの部下を務めた.

9月 コントラが本格攻勢を開始.
[中略]

1983年

2月 オリバー・ノースが中心となり,「危機想定計画」に基づき「危機管理セン
ター」(Crisis Management Center)を立ち上げ.
[中略]
4.14 レーガン,コントラへの秘密援助は合法的なものと述べる.発言の中でレー
ガンはコントラを自由の戦士と讃える.

5.25 シュルツ国務長官,レーガンにメモを提出.ブッシュが中米で進めようと
している作戦を中止するよう求める.さらに命令系統がNSCをバイパスしているこ
とについて警告.
[中略]
7月 ボランド=ザブロツキ法,コントラへの援助を禁止.ただし武器の販売は許さ
れる.下院はサンディニスタ政府への援助を全面凍結する決議を可決.
[中略]
9月 レーガン,CIAによるコントラ支援,補給,訓練活動を承認.
[中略]
2月 2400万ドルのコントラ援助を含む防衛予算が成立.
[中略]

1984年
[中略]
4.08 レーガン,ニカラグア政府の国際司法裁提訴を前に,司法裁の権威を否定
する声明.

4.09 ニカラグア,国際世界に米国のゲリラ支援が違法であると宣言するようも
とめ提訴.
[中略]
5.10 ハーグの国際司法裁,米国がニカラグアの港湾封鎖を停止するよう評決.
[中略]
6.25 レーガン,ブッシュを含む国家安全保障企画グループ(National
Security Planning Group),ホワイトハウス戦況指令室で秘密会談.ボランド法を
避けるため,コントラへの迂回援助の道を検討.
会議の要点
最初にブッシュが第三国を経由しての援助を提案.シュルツはその違法性を指摘.ベー
カー財務長官が「第三国から我々が資金提供を受ければ,それは弾劾の対象となる」
といった言葉を引用.これに対しケーシーCIA長官は,「ベイカーがその後考えを
変え,迂回援助支持に回った」と指摘.マクファーレンNSC担当補佐官は,具体的
な候補が現われるまで,この話は極秘のまま保留するよう提案.レーガンもこれに同
意.

9月 コントラ関連予算を削除された国防総省およびCIA予算が成立.コントラ
支援計画は終わりを告げる.

10.03 下院,ボーランド?修正を可決.これまでの中米での秘密戦争を非合法
とするもの.いかなる形でも,いかなる組織を使っても中米への武力干渉は許されな
いこととなる.
[中略]
12.21 フェリックス・ロドリゲス,ブッシュのオフィスでドナルド・グレッグ,
オリバー・ノースと会談.

84年末 国家安全保障会議(NSC),コントラ向け現金,物資の調達工作を開始.
86年5月まで続く.

1985年

1.21 レーガン,二期目の大統領に就任.
[中略]
2.07 「特別状況グループ」(SSG)管轄下の「危機計画グループ」(CPPG),ボー
ランド改正を回避する手段を議論.スアソ大統領あてのレーガン親書送付について同
意.コントラへの支持と引き換えに,軍備への援助,債務超過のため保留になってい
る経済援助の再開などいくつかの見返りを提示.

2.12 ノース裁判における政府提出文書によれば,ノースは,CPPGへの提案
内容をマクファーレンに説明.「大統領親書」はやめ,特使が口頭で要請するよう提案.
この結果,ブッシュが自らホンジュラスに赴くことになる.

3.15 ロドリゲス,ホンジュラス領内のコントラ基地に赴き,軍需物資供給を監
督.

3.16 ブッシュ,テグシガルパでスアソ大統領と会見.ホンジュラス政府からコ
ントラへの資金提供を組織.ホンジュラス政府には,米国による補償(経済・軍事援
助など約1億ドル)を「個人的」に約束.

4.01 ロバート・オウェンからノース宛にメモ.コントラ南部戦線について報告.
エデン・パストラの元部下アドルフォ・カレロが南部戦線司令官となったと述べる.
「幹部には麻薬との関連が疑われる人物が含まれる.たとえばホセ・ロベロである.
セバスティアン・ゴンサレスは,今もパナマで麻薬密輸に関係している」

5.01 レーガン大統領,ニカラグアとの全ての貿易の禁止を宣言.

6月 パストラ,コントラから追放される.ARDEを含むニカラグア反対連合(U
NO)が結成される.
 [中略]
7.12 ノース,退役空軍将軍リチャード・シコードと電話連絡.コントラが武器
を購入する予定の,ホンジュラス国内の武器倉庫について意見交換.「購買資金14
M,麻薬から来る」(ノース・メモ)

7月 「反テロリズム特別委員会」(Task Force on Combatting Terrorism)が設置
される.イラン・コントラゲートの実行部隊となる.ブッシュが責任者となる.

8.01 対ニカラグア人道援助法の成立に伴ない,国務省内に援助事務所(NHA
O)が設立される.
[中略]
8.09 ノース,コントラ内における彼の連絡役であるロバート・オウェンと会談.
ニューオリンズからコントラへの空輸作戦を,アドルフォ・カレロFDN代表の弟マ
リオに担当させることとする.ノース自筆メモ.

9.10 グレッグとノース,ジェームズ・スティール大佐と会談.スティール大佐
は,エルサルバドル駐在軍事顧問団長としてコントラへの物資空輸作戦を統括してい
た.ノースのメモによれば,会談ではコントラへの武器供給元である武器ディーラー,
マリオ・デル・アミコに関する情報,空輸作戦の状況,コントラ司令官ベルムーデス
に関する情報などを交換.
[中略]
12.05 コントラ人道援助がふたたび議会で承認される.ニカラグア人道援助事
務所(NHAO)が設立される.オリバー・ノース,米州担当補佐官エリオット・エイブ
ラムズ,CIA将校アラン・ファイアーズらによって運営される.

12月 情報認可法が成立.CIAにコントラへの通信装置および情報の提供の許可を
与える.
[中略]

1986年

1.02 イスラエルの対テロ対策部長アミラム・ニル,ワシントンを訪問.ノース
とポインデクスターに会見.イスラエル占領下のレバノンにおける政治囚3千人,米
国製TOWミサイル3千発と引き換えに,イランに捕らえられている米国人の解放を
求める案を提示.さらに武器売却代金をコントラ支援に横流しすることも提案.

1.20 作戦担当小委員会(Operations Sub-Group)が設置される.ブッシュの裏
の行動を支えるべく,次々に作られたこれらの小委員会の機能は,未だ不明の点が多
い.このほかにもまだ多くの小委員会が存在した可能性がある.

1月 大統領指令.コントラに対する軍事援助を停止.

2.10 オウェンからノースへの手紙.「コントラへの人道援助のための飛行機は,
以前麻薬密輸に用いられていたものである.持ち主はマイアミのボーテックス社で,
社主は全米最大のマリフアナ業者マイケル・パーマーである」と報告.

2月 国務省,ニカラグア人道援助局(NHAO)の物資輸送をパーマーに委託契約.
パーマーは総額30万ドルを受け取ったといわれる.

3.26 オリバー・ノースはロバート・マクファーレンあてにメモを送る.メモの
中で彼はコントラのためのミサイル獲得の方法,米国内法,関税,警察の追及を逃れ
る方法について述べる.

4月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),コ
ントラと関連した不法な銃の流れと麻薬密輸について調査を開始.
[中略]
5.16 レーガンも出席した国家安全保障企画グループの全員会議,コントラ戦争
を続けさせるための緊急財政課題について議論.中米戦争と直接関係しない第三国を
経由したコントラ援助の可能性が検討される.この後,ジョージ・ブッシュの元ビジ
ネス・パートナーであるブルネイのサルタンが,1000万ドルをコントラに寄付.この
金はスイスの銀行の秘密口座から紛失.

5.29 レーガン大統領,ジョージ・ブッシュ,ドナルド・リーガン,ジョン・ポ
インデクスターが会談.マクファーレンとノースが,テヘランで開かれたイラン高官
とアミラム・ニルの武器対人質交換交渉に関して説明.ホメイニとのあいだに秘密の
通信回路が形成されたと報告.
[中略]
7.29 ブッシュ,エルサレムを訪問.アミラム・ニルと秘密に会談を持つ.会談
はレーガンにも伏せられる.会談後,ブッシュはクレイグ・フラー首席補佐官にメモ
を手渡し,オリバー・ノースだけに送るように指示.

7.30 イスラエルから帰国したブッシュ,オリバー・ノースと密談.この会談に
ついてブッシュは否定し続けたが,90年5月にノースの日記が公開されたとき,会
談の事実を認めた.

1986年
[中略]
9.22 ロンドン市内のホテルでノリエガとノースの会談.パナマでコントラとア
フガン・ゲリラのためのコマンド訓練計画を実施すること,指導にはイスラエル軍人
があたることで合意.また,ニカラグア国内での破壊施設目標についても議論.マナ
グア地域で,空港・精油所・電気・電話システムを含む目標を設定.これらの計画は
11月のイラン・コントラゲート事件発覚後,ご破算となる.
[中略]

10月 米議会,87年度予算でコントラへの非軍事援助1億ドルを承認.ただし麻
薬関連疑惑のグループへの援助は禁止される.

10.05 9:30AM ユージン・ハーゼンファスの操縦するC123輸送機,AKラ
イフルと弾薬,手榴弾,ジャングル・ブーツなど1万ポンド相当を積み,サンサルの
イロパンゴ基地を出発.飛行プランでは,飛行機は太平洋岸を南に向け飛行.コスタ
リカに入ってから東進,北進し,ニカラグア領内に侵入する予定だった.

10:30AM ハーゼンファスの輸送機,誤ってニカラグア領空内に侵入.サンディニス
タ民兵,地対空ミサイルを用いハーゼンファス操縦の輸送機を攻撃.輸送機は右エン
ジンと翼に被弾炎上し,撃墜される.この事件で乗組員二人が死亡,パラシュート脱
出に成功した機長のユージン・ハーゼンファスが,捕らえられる.この飛行機はテキ
サスの南部航空会社所有.

10.07 ヘンリーB.ゴンザレス下院議員(D-Tx.),ニカラグアの飛行機事故
が,サンディニスタ政権打倒のためのCIAの秘密作戦だった可能性があるとし,調
査のために委員会を召集.

10.09 ニカラグア政府,コントラへの物資支援のC-130貨物輸送機を撃ち落と
したと発表.ハーゼンファスは記者会見で,マックス・ゴメス(フェリックス・ロド
リゲス)の指示によりエルサルバドルから飛び立ったことを認める.当時,米国の法
律は,このような行為を戦闘行為として禁止していた.

10.11 ワシントン・ポスト紙,「捕らえられたアメリカの飛行士,ニカラグ
アで裁判」と,「ブッシュ,コントラ支援網のトップと関係」の二つの記事を一面に
並べる.世界のマスコミはいっせいにハーゼンファス・ストーリーと,ブッシュの部
下ロドリゲスとポサダ・カリレスの記事を流す.

10.11 ブッシュ,遊説先のチャールストンで,自らがコントラへの不法な武器
援助を指揮していたことについて否定.ロドリゲスを「愛国者」と賞賛.「私は,彼が
エルサルバドルで何をしていたかを知っているし,それを強く支持している」と述べ
る.
[中略]
10.19 ユージン・ハーゼンファス,ニカラグアでCBSテレビ番組「60分」に出
演.マイク・ウォーレスと会見.「ブッシュは,秘密武器供給作戦を熟知していた」
と述べる.

86年11月 アルシラア紙の暴露

11.03 レバノンの新聞アルシラア,米国がひそかに武器をイランに販売したと
報道.

11.06 レーガン大統領,武器がイランに販売されたことを否定.

11.13 レーガン大統領,一転して,武器がイランに販売されたと認める.しか
しアメリカの人質解放のための取引だったことは否定.

11.19 レーガン,記者会見を開き釈明.86年1月に武器が出荷されたことを
認めるが,それ以前にはなかったと述べる.

11.22 レーガン,ブッシュを通じてシュルツ国務長官に,「私を支持するか,
さもなければ私のチームから離れなさい」と伝える.

11.25 ホワイトハウス,イラン武器販売代金がコントラ支援に回されたことを
あきらかにする.

86年12月

12.01 レーガン,イラン・コントラゲート事件解明のため,三人の議員からな
る大統領特別検討委員会(President's Special Review Board.通称タワー委員会)
を指名.テキサス州出身の上院議員ジョン・タワーを委員長に指名.他にブレント・
スコウクロフトとロバート・マスキー.

12.04 ミースは,イラン/コントラ事件に関する独立検察官の指名を要請.レー
ガンは特別検察官の任務を,ウオーターゲイト型の隠ぺい工作のみに絞るよう要求.
[中略]
.19 最高裁,ローレンス・ウォルシュ判事を,イラン・コントラゲート事件調査
のための独立捜査官に指名する.

1987年

1.06 上院,イラン・コントラゲート委員会を設立.翌日下院も委員会を立ち上
げ.

1.29 上院の情報特別委員会,イラン・コントラゲートについてのレポートを発
表.

87年2月

2.02 ケーシー,CIA長官を辞任.まもなくガンのため死亡.イラン・コント
ラゲートについては一言も話さず.
[中略]
2.26 タワー委員会は,イラン・コントラゲート事件に関する報告を発表.混乱
を招いた主犯として,大統領主席補佐官ドナルド・リーガンをきびしく非難.いっぽ
うで,ブッシュを,あらゆる形のテロともっとも活発に取り組んだとして賞賛.後に
ブッシュはタワーに感謝するため,彼の政権の国防長官に指名(議会での信任を得ら
れず).委員の一人ブレント・スコウクロフトは国家安全保障担当補佐官に指名され
る.
[中略]
2月 カリフォルニア州バークレーに住むコントラ支持者のデニス・エーンズワース,
「FDN幹部が麻薬取引に関与している.彼らはサンディニスタと戦うよりも麻薬商
売のほうに血眼になっている」と,FBIに通告.

87年3月
[中略]
3.18 ウォルシュ,上下院イラン・コントラゲート委員会との協定.ノースとポ
インデクスターに免責特権を与えた上で証言させることを確認.
[中略]
5月 ニカラグアの抵抗(RN)が結成される.コントラの各グループを寄せ集めたも
の.

5.05 イラン・コントラゲート事件に関する両院合同聴聞会が始まる.

5.06 リチャードR.ミラーが証言.武器代金の横流し陰謀に参加したことを認
める.
[中略]
7.07 ノース,免責特権を得て議会で証言.
[中略]
11月 サンディニスタ政府,コントラとの間接対話の準備があると声明.

11月 イラン・コントラゲート事件に関する両院調査委員会の報告が発表される.
[中略]
11.13 下院イラン・コントラゲート調査委員会(イランとの秘密武器取引調査
特別委員会),共同報告を発表.下院特別委員会の共和党代表リチャード・チェイニ
ー,調査の妨害と無力化に全力.この結果ブッシュの責任についてはほとんど言及さ
れず.後にチェイニーは,タワーが議会で不信任された後の国防長官に指名される.

11.18 議会,イラン・コントラゲート最終報告を発表.
[中略]

1988年

1月 オルテガ大統領,コントラとの直接対話に乗り出す意向を表明.
[中略]
3.16 ノース,ポインデクスター,シコード,ハキームの4名,米国資産を詐取
した罪などで起訴される.
[中略]
6.08 イラン・コントラゲート事件を担当するゲセル判事,議会での免責特権を
回避するため,4人の被告の分離裁判を命じる.
[中略]
7.28 2人のDEA職員,ケリー委員会で証言.メデジン・カルテルに対して実行さ
れたおとり捜査に関して陳述する.これによると,ノースはカルテルに対し150万
ドルの賄賂を要求.この金はおとり捜査官の手により運ばれ,コントラに手渡された.

12月 「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会),
報告書を発表.「米国の政策立案幹部は,麻薬資金がコントラ援助のための完全な答
えだ,とする考えに,無関心ではいられなかった」と断罪.

1989年

1.13 機密情報問題にかかわるとして,ノースに対する中心陰謀,窃盗告訴は退
けられる.

1.20 ブッシュ,合衆国大統領に就任.

1.31 ノースに対する裁判が始まる.

2月 ニカラグア選挙監視とコントラの武装解除に向けたテソロ・ビーチ協定が締結
される.
[中略]
8月 テラ合意.コントラ武装解除と総選挙の日取りがセットされる.
[中略]
11.21 ハキム,武器代金の一部を着服したことを認める.レイク資源会社は,
コントラへの支援のために,イラン武器販売収益を流用したことを認める.
[中略]

1990年
[中略]
2.06 ノース裁判,控訴裁での口頭弁論.
[中略]
4.06 ファビオ・エルネスト・カラスコ,議会でコントラ・コカイン疑惑につい
て証言.カラスコはコロンビアの麻薬業者ジョージ・モラレスのシンジケートで,輸
送機のパイロットを務めた.彼は,84年と85年の2回,コスタリカのコントラ部
隊のために武器を輸送したこと,そこから麻薬の入った袋を積み米国へ向かったこと
を認める.またモラレスの指示で数百万ドルの現金をパストラ部隊の幹部オクタビア
ノ・セサルとアドルフォ・チャモロに手渡したとも証言.
[中略]
4月 ビオレッタ・チャモロがニカラグア大統領に就任.コントラの武装解除始まる.

7.20 コロンビア特別区巡回控訴審,ノースの有罪判決を取り消し,予審法廷に
おいて免責範囲についてさらに審理を進めるよう命令.
[中略]

1991年

4.05 タワー元国防長官,飛行機事故で死亡.彼は死の直前から,イラン・コン
トラゲート事件に関する疑惑を本に書きはじめていたという.

5.29 連邦最高裁,ノースに関する裁判の再調査を拒否.

9.16 ノースに対する訴訟,予審法廷による審理の後,棄却される.
[中略]
10.07 エリオット・エイブラムズ,情報秘匿の罪を認める.

1992年
[中略]
12.11 ホワイトハウス,独立検察官にブッシュがイラン・コントラゲート事件
に関する日記を持っていることを知らせる.

12.24 ブッシュ大統領,ワインバーガー,クラリッジ,,マクファーレン,ファ
イアーズ,,エイブラムズ,ジョージに恩赦を与える.独立検察官は恩赦を非難する
声明.
[中略]
1993年
[中略]
2.08 独立検察官,第四次中間報告を発表.ワインバーガー事件,大統領の恩
赦に関して見解を述べる.
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 以上。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長
==============================
『亜空間通信』580号(2003/04/23)
【目下最大の謎イラク主要閣僚と数十万の軍勢はどこに消えたかへの答えは地下か】

このところ、イラク戦局の急変を反映し、 私は、未曾有の情報洪水の処理に、て
んてこ舞いである。

亜空間通信号外を発行し始めたり、英語だけの頁を作ったり、阿修羅戦争掲示板に著
kすえつ投稿したり、まさに、講談の「見てきたような嘘を搗き」、岩見重太郎、傍
らの岩をば掴み、千切っては投げ、千切っては投げ、さながらなり。

  しかし、6日の菖蒲に10日の菊」、時期に遅れれば、情報発信の価値は激減する。

 そこで、この件は、以下の情報を羅列し、その中で、すでに述べた私見の根拠を強
調する。

 以下が、最新情報である。サダムが生きているとか、バグダッドに」いるとかいう
情報は、些細な話である。

----- 引用ここから ------------------------------ 
主要閣僚、バグダッド潜伏か=米特殊部隊が捜索−イラク [時事通信]
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/727.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 22 日 23:07:27:

 【バグダッド22日時事】米特殊部隊とイラク旧反体制派、イラク国民会議(IN
C)の軍事部門「自由イラク軍」は22日までに、フセイン政権下の主要閣僚数人が
バグダッド市内に潜伏しているとの情報を得て、捜索を開始した。イラク情報筋が明
らかにした。 

http://www.jiji.com/
----- 引用ここまで ------------------------------

 その前に、以下の情報が出現していた。


----- 引用ここから ------------------------------
サダムは市街戦を指示していた、しかし、将軍達はそれを無視した 【ガルフニュー
ス】
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/684.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 22 日 15:52:13:cje0BUN7ztE2U

全てが計画通りに行ったなら、サダム・フセインの軍指導者は、体制を守るためにイ
ラクの都市でゲリラ・スタイルの市街戦を戦ったことだろう。
サンデー・テレグラフが回収したイラク情報機関の文書(開戦前の最高幹部会議の
「覚え書き」)によると、
サダムは、軍事的優位にたつアメリカに如何に抵抗するかについて、的確な指示をだ
していた。
しかし、戦いの最中に、サダムの将軍たちはそれを殆ど無視した。(以下略)

http://www.gulf-news.com/Articles/news.asp?ArticleID=84955

Dubai:Monday, April 21, 2003

Saddam called for urban war


Baghdad |By David Harrison | 21-04-2003

If all had gone according to plan, Saddam Hussain's military leaders would
have fought a guerrilla-style urban war in Iraq's towns and cities to defend
his regime.

"Every Iraqi house will be a place for fighting," he said in a speech that
was recorded in a report entitled 'Notes' from a meeting with the President
- but, in the event, was almost entirely ignored by his generals in the heat
of battle.

According to a cache of Iraqi intelligence documents recovered by The Sunday
Telegraph, Saddam issued precise instructions on how to resist America's
superior military strength during a meeting of his most senior aides shortly
before the war began.

Iraqi soldiers must not "chase the enemy with large numbers of troops when
they are far away from us," Saddam instructed.
Instead, they should wait for the Americans to reach highly populated areas
and use "simple, clever" methods - a reference to suicide attacks and other
guerrilla-style tactics, according to military analysts.
But the generals, it seems, listened more keenly to another part of his
address in which Saddam seemingly prepared them to flee rather than fight.
They should, he urged, keep fit, and learn new skills such as horseriding
and motorcycling.
The report is undated, but Saddam refers to the failure of the United
Nations to pass a resolution for war on February 14 - just over a month
before the war began.
Many of Saddam's predictions about the Americans' conduct were spot on.
He told the inner circle of military and intelligence officers that American
warplanes would target "leadership centres", and instructed senior aides to
move out of their headquarters.
They should disperse instead "all over Baghdad, even on farms and under palm
trees".
He cited the UN Security Council's failure to back the war and the anti-war
prote-sts as evidence that Iraq was winning the "war of principle", and
would go on to win the military and political war.
America might be the most powerful country but it was not the most able.
God was with the Iraqis because they were fighting for higher principles.
"The milk of our mothers is purer than theirs," he concluded.
 ----- 引用ここまで ------------------------------

 以上に私は、以下の「フォロー」をした。

----- 引用ここから ------------------------------
 この新情報は、意外に真相に近いのではないか。軍部がアフガン戦士と意思統一し、
ゲリラ戦への転換と、バグダッド南部への急襲、補給線寸断作戦を、急速に行った可
能性あり。

 私は、以下の既存情報、および関連のイラン、ロシア、パリ、バグダッド取材ロン
ドン方面発の諸情報を総合し、現状と照らし合わせて、どうやら、ソ連で教育を受け
た職業軍人と、アフガン以来の戦士たちが、もともと軍人ではなくてアメリカの手先
でもあったサダムとクサイから、主導権を奪ったのではないか、と推測していた。

 以下は、阿修羅戦争32掲示板情報である。

1)・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
クサイ氏と軍幹部が首都防衛で対立…早期陥落背景 [読売新聞]
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/581.html
投稿者 あっしら 日時 2003 年 4 月 21 日 17:33:45:


 【カイロ=黒瀬悦成】エジプトの野党系週刊紙「アルウスブーア」(20日発売)
は、イラク戦争で米英軍がバグダッドを電撃的に陥落させることができた背景には、
イラク軍指導部の首都防衛を巡る路線対立があったと報じた。

 それによると、共和国防衛隊の実権を握るフセイン大統領二男のクサイ氏は、バグ
ダッド空港での戦闘が激化していた4月初旬、陸軍首脳に対し、進攻してくる米英軍
をあえてバグダッド市内に誘い込み、市街戦で勝機をつかむよう指令した。これに対
し軍首脳らは、「敵は想像以上に強力だ」として、逆にバグダッド市外で米英軍を攻
撃し、相手の補給線を断つ作戦を進言した。しかしクサイ氏はこれを拒否。軍部は、
フセイン氏にも市街戦回避の決断を迫ろうとしたが、連絡がつかなかった。

 このため軍部は「敗戦は決定的」と判断。米英軍はクサイ氏の望み通りバグダッド
に入ったが、イラク軍幹部に米軍への内通者がいたこともあり、バグダッド防衛部隊
は組織的に抗戦できぬまま壊滅した。

(2003/4/21/02:41 読売新聞 無断転載禁止)

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20030420id27.htm
----- 引用ここまで ------------------------------

2)・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
亜空間通信号外03.04.20.(2)昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャ
ヒディン情報と符合
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/490.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 20 日 07:42:48:

亜空間通信号外03.04.20.(2)昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャ
ヒディン情報と符合

昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャヒディン情報と符合

以下が「ムジャヒディン情報」

 ----- 引用ここから ------------------------------
バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/466.html
(htmをhtmlに訂正)
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

以下がTBSi電網動画報道。

----- 引用ここから ------------------------------
米軍、イラク計画省に砲撃加える [TBSi] (映像あり)
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/456.html
投稿者 ひろ 日時 2003 年 4 月 19 日 23:15:06:YfXbGWRKtGRPI

米軍、イラク計画省に砲撃加える

 イラクのバグダッドで 現地時間の19日昼前、アメリカ軍がイラク計画省に対し
て戦車から砲撃を加えました。

 これは、計画省横の共和国橋を渡っていたJNNの取材班が砲撃の様子を捕えたも
ので、建物には およそ5発の砲撃が加えられ、3階部分から火の手が上がって黒い
煙が周辺を覆いました。

 アメリカ軍は既にバグダッド全域を支配下においていますが、民兵組織やアラブか
らの義勇兵がバグダッド市内に潜伏し、アメリカ軍へのテロ攻撃を企てているとみら
れていて、今回の攻撃は、その壊滅に向けたものとみられます。(19日 20:51)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye735030.html

[映像](Real/high)
http://news.tbs.co.jp/ram/news735030_5.ram
----- 引用ここまで ------------------------------

4)・・・・・・・・----- 
引用ここから ------------------------------
バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/466.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 00:07:35:cje0BUN7ztE2U

(ごく一部の抄訳)
イラク軍がバグダッドを含む全都市から撤退した理由を説明することから始めよう。
この撤退に伴って起きたことは全て、聖戦士指導部とイラク軍指導部との協議に従っ
て起きた事だ。
[中略]
正規軍ではアメリカと戦えないと理解したイラクの指導部も、我々のシューラ(会議
での決定)を受け入れた。
 [後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

 以上の「バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ」に
対して私は、以下の「フォロー」をしていた。

1)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
亜空間通信号外03.04.20.(2)昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャ
ヒディン情報と符合
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/490.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 20 日 07:42:48:

亜空間通信号外03.04.20.(2)昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャ
ヒディン情報と符合

昨日午後8時放映のバグダッドTBSi電網動画報道がムジャヒディン情報と符合

以下が「ムジャヒディン情報」

 ----- 引用ここから ------------------------------
バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/466.html
このURLの尻尾のhtmlを、最初は手違いで尻尾を切っていまったものか、htmと誤記し
ていたので、後に訂正)
[後略]
----- 引用ここまで ------------------------------

以下がTBSi電網動画報道。

----- 引用ここから ------------------------------
米軍、イラク計画省に砲撃加える [TBSi] (映像あり)
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/456.html
投稿者 ひろ 日時 2003 年 4 月 19 日 23:15:06:YfXbGWRKtGRPI

米軍、イラク計画省に砲撃加える

 イラクのバグダッドで 現地時間の19日昼前、アメリカ軍がイラク計画省に対し
て戦車から砲撃を加えました。

 これは、計画省横の共和国橋を渡っていたJNNの取材班が砲撃の様子を捕えたも
ので、建物には およそ5発の砲撃が加えられ、3階部分から火の手が上がって黒い
煙が周辺を覆いました。

 アメリカ軍は既にバグダッド全域を支配下においていますが、民兵組織やアラブか
らの義勇兵がバグダッド市内に潜伏し、アメリカ軍へのテロ攻撃を企てているとみら
れていて、今回の攻撃は、その壊滅に向けたものとみられます。(19日 20:51)

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye735030.html

[映像](Real/high)
http://news.tbs.co.jp/ram/news735030_5.ram
----- 引用ここまで ------------------------------

2)・・・・・・・・・・
----- 引用ここから ------------------------------
ムジャヒディン情報のトンネルは、1989年、つまり、湾岸戦争の前に造られたものと
なっている。バンカーとは違うものらしい。
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/485.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 20 日 05:20:40:

ムジャヒディン情報のトンネルは、1989年、つまり、湾岸戦争の前に造られたものと
なっている。湾岸戦争の当時にも「地下要塞」の情報は流れた。イラン・イラク戦争
の経験を考えれば、イラン・コントラ・ゲイトでアメリカから3000発のミサイルがイ
ランに渡り、それでイラクは苦戦し、毒ガスを使い(クルド反乱鎮圧には使っていな
い)、双方が種類の違う毒ガスを使う悲惨な戦争になったのだから、地下要塞を造っ
たのは合理的である。ドイツ技師設計のバンカーとは違うものらしい。
----- 引用ここまで ------------------------------

最初の「フォロー」は、以下であった。

 ----- 引用ここから ------------------------------
イラク軍指導部との協議の時期が不明ではあるが、基本的には、わが「焦土作戦」構
想の線に沿っている。Re: バグダット聖戦士指導者メッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/482.html
投稿者 木村愛二 日時 2003 年 4 月 20 日 04:52:18:

(回答先: バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ 投稿
者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 00:07:35)

一部の誤訳訂正を含めて全部読みドメル将軍情報の実績を勘案し論理的と判断する。

イラク軍指導部との協議の時期が不明ではあるが、基本的には、わが「焦土作戦」構
想の線に沿っている。

 私は、すでに、残存しているはずの兵力を指摘し、可能性を広く考えるように示唆
した。

可能性の一つは、シリアへの移動であったが、ほぼ平原地帯では、衛星に発見される。
すでにシリアとの国境地帯への空爆強化が報じられている。

もう一つの可能性として、イランとの国境地帯からアフガニスタンに向かう場合には、
イランにいるアフガン亡命政権などの協力だけでなく、イラン政府の暗黙の協力が必
要であろう。

その点で、イラク内部のトンネル内潜伏説は、最も合理的である。

米海兵隊が陸軍と「交代」するとの方針が突如発表された裏には、米英軍が、この可
能性を怖れ、気づき始めたことがあるのかもしれない。

すでに宗派を超えた市民の団結の抵抗だけでも、事態は急変し、国際世論を変えてい
る。アラブ諸国の外相会議も、「イラク人によるイラク」の線で、石油資源に関して
のアメリカの策謀を批判している。

これに純軍事的な反撃体制が加われば、すでに私が指摘した「イスラム教徒全体への
宣戦布告」への世界各地での一斉反撃につながる可能性が出てきた。ともかく、事態
の進展を見守る。 
 ----- 引用ここまで ------------------------------

さてさて、最後は、「バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッ
セージ」の信憑性であるが、この「メッセージ」は、以下の情報を含む電網宝庫に収
められている。

 以下には、「イラクで訓練を受けている義勇兵の映像が掲載されているのである。
ぜひとも訪問して、この命懸けの義勇兵たち、若者たちを拝顔されたい。

 私は、彼らと一緒に、私が「バスラの少女」(the little girl of Basra)と名付け
た最初の犠牲者の墓に詣でることができる日が、一日も早くなることを願っている。

----- 引用ここから ------------------------------
http://worldofislam.info/tonline/mpn/article.php?sid=74

April 21, 2003 

Pictures of volunteers trained in Iraq

Posted on Thursday, March 13 @ 21:14:52 EST By Taliban Online
These are the pictures of volunteers from different parts of the arab world
in Iraq who are willing to die for Islam. The volunteers also include Pan
Arabists[Nasserists] who have united with the Islamists in fighting the
aggression of America.They are being trained by the Iraqi army , in this
particular base in Baghdad.
It is Allah ta'ala that grants life and death to whom he wills. If these men
are lucky enough to be martyred, then they will be victorious, and if they
are lucky enough to live and defeat the americans, then they will be
victorious.
Alhamdulilah for Islam, in both cases we will be victorious due to the
infinate mercy from lord of the worlds to his slaves.
May Allah grant one of the victories we are promised to those that fight in
his cause, and bring every oppresser shameful on his face to the fires of
hell.
----- 引用ここまで ------------------------------

 以上。
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長
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亜空間通信号外03.04.20.合理的と判断し転送:バグダットの聖戦士指導者シェイク・
アブ・イヤドからのメッセージ

バグダットの聖戦士指導者シェイク・アブ・イヤドからのメッセージ
http://www.asyura.com/0304/war32/msg/466.html
投稿者 ドメル将軍 日時 2003 年 4 月 20 日 00:07:35:cje0BUN7ztE2U

(ごく一部の抄訳)

イラク軍がバグダッドを含む全都市から撤退した理由を説明することから始めよう。
この撤退に伴って起きたことは全て、聖戦士指導部とイラク軍指導部との協議に従っ
て起きた事だ。
アッラーの敵は、バグダッドに1万トンもの爆弾を投下した。小型核兵器に匹敵する
威力を持つ新型爆弾を投下した。
我々は、米英は地上戦を望まず、空爆による破壊と殺戮に徹するつもりだと判断した。
彼ら(不信心者)は、イラク軍とイラク市民に反乱を起こさせるには、強力な爆弾が
有効だと判断した。
米軍が爆撃をする間にも、米国によって訓練されたシーア派とクルド人はイラク北部
でイラク正規軍と戦っていた。
かくして我々は、アフガニスタン型の戦術を採ること決めた。

地上戦を避ける臆病な敵と正規戦を戦うことは出来ない。
空軍力に優る敵と戦う唯一の方法はゲリラ戦である。
しかし、イラクにはトラボラがない、アフガニスタンのような山がない。
アフガニスタンの聖戦士(タリバン)は代わるがわる全ての都市から撤退し、全都市
を敵に明渡した。
そうすれば爆撃が止み、無実のムスリム民間人を救うことがが出来ると考えたからだ。
しかし、臆病者は決して爆破を止めず、地上に降りて戦うこともなかった。
それでも、ムスリムは敵に最大限の損害を与えた。アメリカはアフガニスタンで勝利
したと言うことは出来ない。

我々はタリバンと同じ戦術を採ることにした。
正規軍ではアメリカと戦えないと理解したイラクの指導部も、我々のシューラ(会議
での決定)を受け入れた。
我々が市民と共に居たら、不信心者は我々を滅ぼし、そして我々の市民をも滅ぼす。
だから撤退する。しかし、これは政治的には敗北を意味するだろう。
トラボラに優るものを見つけた我々が撤退した唯一の理由はこれである。

1989年にイラク軍が建造したバンカー(えん蔽壕)とトンネル、これは良い知らせだ。
イラク指導部の数人しかこの場所を知らない。
全てのイラク正規軍がバンカーに行くだろう。体制に忠実な15万人の戦士、150機の
ミグ27ジェット戦闘機(ミグの所在をカバーしたメディアは一つもない)、2500台の
イラクの戦車。
合意は次のようなものだ:
イラクの全戦力(砲兵隊、陸軍、情報機関、情報提供者、共和党防衛隊、フェダイー
ン・サダム、他の全軍隊)は武器を放棄して撤退し、
都市を不信心者に明渡してバンカーに向かう。
[後略]
木村愛二:国際電網空間総合雑誌『憎まれ愚痴』編集長


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