1204.得丸コラム



チェルノブイリとチャレンジャー

この間、アメリカのスペースシャトル コロンビア号の事故の後のテレビニュースの
街頭インタヴューで、イラクだかアラブ系の人が、「アメリカに天罰が下ったのだ」
と発言していた。

アメリカへの天罰なのか、それとも人類全体への天罰なのか、と私は思った。

ふと気になって調べてみたところ、前回のチャレンジャーの事故は、1986年1
月。チェルノブイリ原発事故は、同じ年の4月。少なくとも前回の事故はアメリカ向
けというよりは、人類への天罰だったと考えるべきではないか。

偶然にもチェルノブイリは、ニガヨモギという意味だそうで、ヨハネ黙示録の中の一
節を思い出させる。「第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えてい
る大きな星が、天から落ちてきて、川という川の三分の一と、その水源の上に落ち
た。この星の名は、『苦よもぎ』といい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くなっ
て、そのために多くの人が死んだ。」 松明のように燃えている星を、チャレン
ジャーの爆発事故ととらえることも可能だ。

世界の耕地面積は、1980年代後半より減少傾向にある。人類は1986年前後に
成長の限界に到達したのだ。あのときにもっと反省をすべきだった。

しかしながら翌1987年には、ブルントランド委員会が、「持続可能な開発」とい
う、経済発展と地球環境を両方とも手に入れられるかのような怪しい概念を持ち出し
てきた。その延長に位置する2002年の「持続可能な開発のための地球サミット」
でも、人類はさらなる開発、さらなる豊かさを求めた。

人類は、反省することよりも、自己欺瞞を選んだ。もはや可能なかぎりの土地が人類
の好きなように開発されつくして、開発可能な土地など残っていないのに。人間の生
み出した廃棄物や化学物質によって、水も大気も土壌も汚染の度合いを深めていると
いうのに。

1986年以降は、成長の限界を超えた成長であり、揺れ戻しとしてまもなく地上を
襲う惨劇のマグニチュードを大きくするだけだ。

人類が地球環境の現実を直視することなく自己欺瞞を続けていることへの天罰が、2
003年のコロンビア号の事故だとすると、この後も大量の人口減少をともなう災い
が降り続けるのだろうか。
(2003.03.11、得丸久文)
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野村秋介の「空」の悟り

得丸です。富山のアパートを引き払って余分な本が送られてくるので、東京の自宅の
本棚で、古本屋とゴミ箱に送る本の整理を日がなしているところです。

ときどき未読の本のページをめくって、おもしろい言葉に出会います。

ご紹介するのは、行動派右翼そのものを生き、獄中生活18年の中で新右翼理論派と
して成長をとげた野村秋介の本。彼が平成5年に上梓した「さらば群青 回想は逆光
の中にあり」(二十一世紀書院)の中の言葉。

彼が獄中で空について悟ったときのことが書かれています。とてもわかりよいので、
以下ご紹介します。(P373-4)

「空」とは、「今」。過去にも未来にもとらわれることのない絶対的な今この瞬間だ
という話です。

*****************

 私はひょんなことから「空観仏教」の壁を突き破る体験をする。「両頭裁断すれば
一剣天によって寒し」という禅語があるが、この”両頭”が己の「過去」と「未来」
であり、この過去と未来の連続性が、実は人間の頭の中に”虚妄”としてのありとあ
らゆる価値観を創り上げていて、人類はその価値観によってがんじがらめに縛りつけ
られる。その「両頭」をスパッと截断してしまうと、それまで自分を縛りつけてきた
一切の”価値”は瓦解する。その瞬間を、表現する言葉がないので、ブッダは「空」
といったのであろう。彼は不増不減・不生不滅(増えもしなければ減りもしない。生
まれることもなければ死ぬこともない)等等、一切の人間が持つ”価値”を切り捨て
ている。

 と自知自得した瞬間、それまで私の周辺にきらびやかに存在していたことごとく
の”価値”は、瞬時にして色褪せ、神通力を失った。自分自身が中心であり、すべて
の善悪もすべての美醜も、現実俗世の他人が勝手に創出したものであることも、涼や
かに理解できた。私を押し込めている監獄という化け物でさえ、無知なる人間を何者
かが恫喝するために創出した笑うべき石の塊であることも知った。ブッダが言った
「天上天下唯我独尊」という意味もここでよく分かる。自分自身を縛りつけている
様々なる”価値観”を解きほぐしてしまえば、結局そういうことになる。

 猫が、ヒョイと鉄格子をすり抜けていく姿を見て、私は笑いが止まらなかった。猫
は、我々をがんじがらめに縛りつけている価値観などとは、ほど遠い本能のみの世界
にいる。

(2003.03.11)
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グローバル化した地球をさまよい、傷つき、疲れ果て、あの世に旅立ってしまった男
の残したエッセー

きまぐれ読書案内 「地球の迷い方」高木功著、東京創元社、1995年

 「人生は体に悪い」と言い残して死んでいったシナリオライター高木功。彼が19
91年3月から半年かけて、大阪、沖縄、台湾、マカオ、香港、シンガポール、マ
レーシア各地、バンコク、アテネ、イスタンブールからトルコ各地、ロンドンと貧乏
旅行したときの旅についてのエッセーが「地球の迷い方」だ。

 各地を旅して何をするわけでない。ひたすら歩き回って、安食堂でビールをあおっ
て、安宿に帰って寝るだけ。そんな単純な旅でも、好きな町、嫌いな町があり、好き
な生き様、嫌いな生き様がある。気持ちのいいときと悪いときとがある。それだけの
ことを淡々と書き綴っているのが本書だ。

 映画の仕事にあぶれた著者は、バイトのような仕事をして小金をためるとアジアに
貧乏旅行に出かけることをもう六回も繰り返している。旅に出てリフレッシュすると
いうわけではまったくない。旅から帰ってくるたびに、疲れきって、より貧しくなっ
ていく。

「わたしにとって旅は逃避なのだ。仕事からも家庭からも鬱々とした日々からも逃げ
出したくてたまらなくなり、あとさき考えずに飛び出してしまう。言葉もろくに通じ
ないアジアの片隅で、何をするでもなくノラクラと日々をやり過ごしていると、羊水
に漂いながら存分に四肢を伸ばしているような安らぎを覚え、社会から隔絶した開放
感を味わう。
 
 その一方、たとえばわたしはマレーシアの田舎で、たった一人で屋台の麺類をす
すっている時など、自分がまぎれもなくアジアの子であることを強く感じる。アジア
との確かな帰属感を嬉しく思い、そっと安堵の吐息をもらしたりするのだ。」

 ガイドブックも、カメラも、地図も、寝袋も持たない。行き先は行き当たりばった
りに選ぶのだが、たいていは人間がうようよいる街中で時間をすごす。とくに市場な
んて大好きだ。秘境を訪ねたり、名所旧跡を追い求めたりはしない。人間の温かみを
求めているくせに、出会いや発見を求めるわけではない。著者は英語もあまりできな
いということもあるのだろうが。

 ひたすら世界の片隅をさまよい歩き、ときには病気で何日も寝込む。路銀が底をつ
くと、疲れ果てて日本に帰ってくる。これはたしかに逃避以外のなにものでもない旅
だ。

 結局、人生は無意味なのだ。人生は体に悪い。人類は地球にも悪い。だからもうみ
んながんばらずに生きていこう。いやできれば死んでいこう。無理なことは一切しな
いで、どんな状況にあってもあくせくせず、さらりと死んでいったらいいんじゃな
い。そんな終末論的なメッセージが込められているような気もする。不思議と引き込
まれるエッセーだ。

 何にでも寛容な著者が、めずらしく腹の底からこみ上げてくる怒りを感じたことが
ある。旅の終わりのロンドン。ジャパン・フェスティバルという日本人の夏祭り会場
で、三人、四人と連れ立って会場のそこかしこでたむろしている日本人パンク少女た
ちを見たときのことだ。

「なんだお前ら、日本には居場所がなくなって、安住の地を求めて遥々ロンドンまで
やってきたんじゃないのか。パンクという人生を選択した以上は、未練たらしくジャ
パン・フェスティバルなんかにのこのこ顔を出すな。しらけた顔をしながら、その
実、うまそうに日本食なんて食うな。徒党を組むな。アウトサイダーとして生涯を送
る覚悟なら一人で生きろ。家庭なんか構えようなんて夢にも思うな。子供なんか産む
な。野垂れ死にする覚悟を持て。

 パンク少女たちよ、日本を見かぎれ、日本を捨てろ!(略) お願いだから・・・
・・・。」

 おそらくこの言葉と怒りは、著者自身に向けられてのものだったのだろう。自分の
中にあっ
た甘さに向けて、そんなもの捨ててしまったさと思っていた自分の甘さに気づいて、
それを一掃するために発せられたのだろう。

 そして、これがきっかけだったのかどうかわからないが、この旅が著者にとって最
後の旅となった。地球の反対側まで逃避しても、
逃げ切れるものではないということに、著者は気づいたのかもしれない。

 帰国した著者の精神は異常をきたす。日本の日常の中の逃避を続け、この連載を書
き終えるなりそのままあの世へと旅立ってしまったのだ。

 著者の生き様は、僕自身の生き様とは違っているのだが、なぜか共感が持てる。世
界に対して自らの心を裸のままさらけだして、心に傷をつけているところなどは、
「夜の果ての旅」を書いたフランスの小説家セリーヌを思い出させる。実に多感なの
だ。
(2003.03.12ver2、得丸久文)


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