1201.まとりコラム



様々なものの、流動性を回復しよう。
経済が、デフレ状況に入り、打ち手がないように見える。確かに、
人件費がかかる組み立てなどの生産拠点は、中国等の低賃金国へ流
れた。しかしこれは、日本が歩んだ道でもあるし、世界の一体化が
進む以上、避けられないことだろう。

日本の機能不全が、それ以上に問題なのは、流動性の阻害がはなは
だしいことである。
金融は、銀行のBIS規制という、日本の金融機関の、国際取り引きか
らの排除を狙った、ルールによって傷ついた。(それ以前に、土地
という担保主義と、過剰融資による、愚かな貸し出しで、自らもこ
けていたが。)それが、日本の、あらゆる部門での、流動性の危機
を招いている遠因になった。

しかし、金融セクターのみの、自立反転を望むのは、無理があるよ
うだ。
ならば、周辺から流動性を起こし、その力で、中心部(金融等)の
流動性を回復するしかない。

通信は、電電公社時代の殿様商売の残滓が、本当の経営努力から遠
ざけている。携帯の出現が、どれだけ、日本の構造を変えたか考え
て見るがいい。
光ファイバー事業の興隆も重要である。通信の理論上の最高速値は
、光である。コンピゥータ上で、情報処理速度が勝敗に絡む場合、
必ず必要となる。期限(2年程度)を決めて、事業での収益を免税
、あるいは大幅な優遇措置にするという手もある。競争原理が最大
に働くであろう。光ファイバー技術、生産シェアが、日本が一番で
あることを考えれば、世界標準をとれる技術の、一番手ではないか?

電気事業にしたところで、寡占のなごりで、既得権を守ることに汲
々とし、新しいアイデアに消極的だ。その上、最後には、国に泣き
付こうとしているではないか。(原発が、いかに経済的か、吹聴し
ていたのは誰だ。そんなに、他と比べて、利がでるなら、最終行程
まで、責任をもったらどうだ。)

発電の、新しい分野、方式の採用は、確実にモノ・人・アイデアを
動かす。エネルギーこそが、すべての基礎にある。価格競争のみに
おける淘汰は制限されなければならないが、技術革新の興隆は活性
化せねばなるまい。

高速道路にしたって、国家戦略だといいながら、守っているのは、
建設省(国土交通省)OBの、利権にあるようにさえ思えてくる。
例えば、夜間(PM 9時〜AM 5時まで)トラック等に限って、半額に
するとかしてはどうか?また、都会地から離れるほど、料金を安く
するなどの料金体系の見直しをしてはどうだろう。都会には、所詮
車は集まってくるのである。地方のほうが、物流コストが安ければ
、乗り入れの集中も防げるし、地方展開する企業もあるのではない
か。そして、流動性が増せば、経済は活発になる。

東京のカジノなんてよしてくれ、もしやるのなら、沖縄しかない。
飛行機と、ホテル代を使う人間にしか用はない。

要は、新陳代謝の活性化が重要であるということだ。
様々な分野で、流動性を回復させなければいけない。

そして、消費だけを最大の目的にするのは、もう、やめたほうがいい。
消費は、後からついてくるものと考え、<生活を創造すること>を
眼目にするほうがいい。物的拡大の限界は、地球という制限、環境
負荷の問題もでてきて、先が見えてきた。
しかし、飽食の時代を経た後、本当の楽しみが、モノの消費ではな
く。自分が価値を創造することにあるということを、我々は、うす
らうすら気がついてきたはずだ。

生活を変えよう。単なる<生活水準>の追求ではなく、<生活の豊
かさ>を追求するのだ。<生きる>ことについて、日本人の精神の
底にはまだ、東洋の知恵が横たわっている。
楽しもう、しかし、工夫し、頭を最大限に使うことだ。

モノの消費に頼るだけの成長経済の時代は、終わろうとしている。
また、単なる所有が、力を持たない時代をもむかえている。いかに
<財>が使えるか、流動させ、価値を生み出すこと(金銭に換算さ
れる、されないにかかわらず。)の方が、重要になっているのだ。

そして、いかに、<自身の内側>から、創造していくかが、大切に
なる時代に変わっていくのだ。

文明は、今、新しいステージに移ろうとしている。
<創造性>こそが、日本を、そして、自身を救うのだ。
                          まとり
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驚くべき無能なのだろうか?

MDの話である。具体的な命中水準も「軍事機密の為、米国があき
らかにしない。」(防衛庁幹部談)解からないまま、MD購入予算を
求める動きがある。
子供が、ピカピカのおもちゃを欲しがるようなものだ。北朝鮮のミ
サイルの恐怖を利用した、あくどい商売としか思えない。

発射から、東京まで7分。(しかも、ターミナル段階での打ち落と
しでは、より被害を拡散する可能性があって、防御効果はより薄れ
る)そんなものを防御するシステムは、存在しない。

米国は、戦闘機を日本に売り渡すさいも、攻撃システム(ソフト)
については、ブラックボックスとしたままだった。まったく同じこ
とが起こるだろう。
つまり、発射の権限は、在日米軍司令部が握るということだ。(ミ
サイル発射探知システムがいる。)

超高額のカカシか、張りぼてのミサイルでも買うつもりだろうか。
「やあ、残念。今回は失敗したが、ついてなかったようだ。次はう
まくいくと思うよ。」などと、ジョウクのように言われるだけであ
る。

もう一度言う。発射の時間・場所を特定できない、複数のミサイル
を、7分の間で打ち落とせるMDシステムなど存在しない。しかも、
地下サイトからの発射では、尚さらのことである。

わたしも、人一倍、<日本>の安全には関心がある。だからこそ、
全体性を見る眼が必要なのだ。あるサイトを見ていたら、面白いこ
とが書いてあった。「アメリカは、危機の<解決>を目指そうとし
ている。ヨーロッパは、危機を<管理>しようとしているようだ。」
これは、日本国内での二つの意見にも当てはまるようだ。
日本は、ミサイル問題を片づけただけでは、安全が確保できない。

軍事思考では、常に戦術的優位性を求めるために、ありとあらゆる
モノを手に入れた方が良いと考えがちだ。しかし、それは、軍拡競
争の罠におちる、入り口である。<死の商人>が、ほくそえんむだ
けだろう。密やかに、両方に兵器を売りつけながら。

根本の解法を頭に描きながら、その流れを強化する形で、達成法(
現実案)を選び取らなければだめなのだ。時間がかかろうと。最終
地点が見えているかどうかが、死命を制する。
経済失政にしても、先が見えずに、過去に戻ろうとするから、混乱
する。たどり着く先の形を示し、その合意を持って、運営すべきな
のだ。場当たりでは、遭難するに決まっている。

1千億とも言われる購入予算を考えると、もっと、警察装備の向上
や、消防の防災装備の拡充にあてる方が実際的である。
第一に、ミサイルを発射させない外交力が、必要なのだ。
感情を抑制し、したたかに、しなやかな外交こそが、ミサイル抑止
力なのである。今、日本の外交は、目暗(差別用語)だ。
                   まとり
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今の経済状況に対して、特効薬はないですね。など他人事みたいに
言われたくないものだ。医者を信じて変えたのに、これでは、気持
ちも落ち込んでしまう。

<病は気から>というが、まさに<気>の病に、油を注いでいる。
必要なら、毎日国民に語り掛けるがいい。協力が必要なら、毎日、
説得してまわればいい。
近頃、国民に話しかけるのを、忘れてしまったようだ。
指導者と国民に、一体感があればこそ、痛みに耐えようという気も
起きるのだ。それには、フンダンに語り掛けなければならない。

実体経済に、活力を与える方法はある。
チャンス(好機会)という、モチベーションを与えることだ。
方法は、3つある。

一つは、大胆な規制緩和である。
官が経営してロクなことがないように、(第三セクターは、ほぼ行
き詰まる。)事業のアイデアや経営の柔軟性は、民間に任せた方が
よい。

一つは、産業創造誘導である。
将来の需要が確実にあることは、初期リスクを軽減し、参入競争を
うながすし、様々な優遇政策は、投資意欲をよぶ。

もう、一つは、転換支援であろう。
構造転換には、膨大な棄却費用もかかる。新しい産業に転換できな
い企業は、必然的に既得権益にしがみつき、転換をさまたげる。
ムチだけではなく、フォロウすることが重要になる。期限付きの特
別措置なども必要だろう。

重要なのは、どれも、縦割り行政の発想から離れることだ。縄張り
争いをしている間に、日本は、沈没してしまう。滑稽な話ではない
か?

近頃、ヘルパー・介護職員の話を読んだ。常識的なことすらも、
<医療行為>に該当していて出来ないという。これも、おかしな話
だ。これも、職能が専門化し過ぎて、人間としての<全体性>を失
っているのだ。家族には認められているのなら、家族の要請の元、
家族に準じるとしてはどうだろうか?

少し、話は離れるが、法哲学には、慣習法から発展した英米法と、
法体系の整合性が強い大陸法があるというが、経済・政策法に関し
ては、新しい法と、旧来の法がコンフリクトしたとき、最新の法が
優先するとは出来ないものだろうか?決定も早くなるし、法匪の跋
扈も防げる。法学に詳しい方に聞いてみたいものである。

どちらにしろ、旧来の思考と方法が袋小路に入ってしまったのが、
<今>、である。部分的な継ぎ接ぎが、もう持たないのだ。
世界の大転換期に突入した今こそ、<全体性>を見詰め直す作業が
、必要なのだ。
官僚は、その部門のエキスパートであろう。だからこそ、小さなア
ラが見え過ぎて、トラワレテしまうのだろう。省庁の垣根を越えて
行く<力>と<意志>が必要なのだ。

<全体性>を見つめ、グランドデザインを書き直すことが、重要な
のである。
焼け野原から、徒手空拳で立ち上がった、先人の偉業を思えば、再
び出来るはずだ。

我々には、<美しい国土>がある。今、足りないのは、立ち上がる
<意志>だ。
                まとり


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