1159.得丸コラム



千と千尋のクロックタイム

夕べ夜10時少し前に家の前にある銭湯に行くと、金曜日の夜の割に
は客が少ないと思った。

脱衣所のテレビ画面はアニメを写し出していた。「千と千尋の神隠
し」だった。お風呂から上がった後もアニメは続いていた。映画館
でも見たのだが、目が離せずに、とうとう終湯の11時まで脱衣所で
テレビを見ていた。(自宅にはテレビがないのだ)

「8時半からやっとったんね。それで今日はお客さんが少なかったん
やね」と番台のおかみさんが言って、がら空きの理由がわかった。

1 環境危機の象徴としての「千と千尋」
今回は終わりの40分程度しか見なかったが、顔なしが吐き出すヘド
ロや、温暖化による海面上昇により水に漬かった線路を走る電車な
どに、地球環境危機への危機感を感じた。

だが、地球環境危機における最大の問題は、大人たちがガツガツと
食べるだけで、ちっとも環境危機の現実に目を向けないこと、自分
たちの生活のあり方を見直さないことにある。

この映画の冒頭でブタにされた両親が、千尋の勇気ある行動によっ
て救われたのに、最後の場面で、何もそれらしいことに気づいてい
なかったこと、感謝の気持ちをあらわしていなかったこと、まった
く反省していなかったところに、宮崎監督の大人批判は込められて
いるのではないか。

2 自分の体内時計のクロックを高める
「千と千尋」の映画を映画館で見たとき、私には上映時間の2時間が
一瞬に感じられた。そして、この映画は人類が滅びるときに最後に
見るフラッシュバックのようだと思った。海と山と温泉旅館のなつ
かしい風景、膨大なゴミの山、汚染物質によって体が変型した動物
たち、住宅開発によって埋められて姿を消した小川、、、。さまざま
なイメージが、滅びの前の一瞬に意識の中をかけめぐる。

この映画自体が、わずか数分の間に千尋が見ていた夢という構成に
なっている。「一炊の夢」、あるいは「甘潭?の夢」のように、本人
にとってはとてつもなく長く感じられたリアルな冒険話が、実は数
分で見た夢にすぎなかったというわけだ。

しかし、数分の話だから、夢として忘れ去ってよいというものでは
ない。数分の中にたくさんの冒険が本当に起こることもあるのだと
あえて主張したい。

交通事故などの現場に居合わせると、急にものごとがゆっくりと起
こっているように感じられることがある。それは、時間の動きが速
度を遅くしたのではなく、自分の感覚器官の感知周期が速くなるか
らだ。

危機的な状況では、私たちの体内時計は、一気にクロックタイムを
高める。通常数ヘルツだったものが、100倍、1000倍に高まる。そう
なれば、わずか数分の間に、いろいろな冒険を行なうことができる
。(古い話になるが、読売巨人軍の川上哲治選手が、かつて「ボール
が止まって見えるようになった」と言ったのも、このためである。)

だから、この映画を見た人は、自分の意識を地球環境問題に集中し
て、今何をなさねばならないかということについて真剣に考えてほ
しい。「もう間に合わないよ」というのは卑怯だ。自分はわかって
いるけど、何もしないというのは、わかっていないということなの
だ。

真剣に考えれば、体内時計が高速回転するようになり、時間は何十
倍にも、何百倍にも膨らむ。心を浄め、体を動かし、ひたすら地球
環境問題を考える。そうすると、何をすればよいかが見えてくるは
ずだ。

「千と千尋」には、このような宮崎監督の希望も込められているの
だと思う。だからこそ、あの映画はすがすがしく見る者の心を浄め
るのであり、見る者の心の深奥に迫りくる力をもつのだ。
(得丸久文, 2003.01.25)
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國井さん、

>我欲が無垢で生まれて来るのでしょうか。

そうだと思います。

人間は、本能が壊れていますから、お腹一杯になれば鷹揚になると
いうわけではない。
いくらでも所有しておくことができるから、持てば持つほど、がめ
つくなるのでは。

むしろ、何も持たない人のほうが、鷹揚に生きているのではありま
せんか。

もちろん、本来は我欲はないのだが、持つという体験によって、我
欲が芽生えるという言い方もできるかもしれませんが。

たくさん食べたい、たくさん子供を作りたい、お金がたくさんほし
い、といった感情は、何も訓練しなくても、人間が陥る本来的な落
とし穴だと思います。それを抑えるには、厳しい掟が必要なのかも。

> しかし、身体は、公害、薬害によって、先天性の異常で生まれる赤
> ちゃんが少なからずいるのじゃないでしょうか。臓器移植で対応し
> ていますが、環境問題としての公害(食品汚染、添加物も含む)、
> 薬害を人類が自身の問題として、対応すべきではないでしょうか。

自分の子供が、自分自身がそうなって生まれて初めて、その痛みが
わかるのが人間。
他人の痛みを感じ取る能力は、ないみたいです。最近、文学がます
ます低調であるのも、他人の痛みや苦しみを理解する能力が衰えて
きているからではないかと思います。

代わって、プロジェクトXや、物質的現象や金銭的な悲喜ばかり扱っ
た再現ドラマ番組ばかり流行っている。末期的ですね。

> 今の教育は、環境問題に真剣に取り組んでいません。

そう思います。

しかし、環境教育を突き詰めれば、人類の存在自体をある程度否定
してしまわなければならないのでは。だから、環境教育のほとんど
が、小手先のことを教育するという欺瞞的な教育に甘んじています。

これをどうお考えになりますか。

得丸
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引きこもりにテレビは禁物

 日本全体で引きこもりをしている人数は100万人を超えるのだそう
な。
 手に職をつけても生きていくのが難しい時代、地球環境危機で明
るい未来が描けない時代、飽食の時代、、軽薄な時代、引きこもる
ことこそが、まっとうな感性であり、正しい生き方であると思う。
引きこもらない人間は、鈍感なのだ。
 体が疲れたら、ぐっすり寝ると疲れがとれるように、心が疲れた
時には、狭い空間に引きこもってじっと自分を見つめているのがい
い。下品で、もうけ主義で、落ち着きのない世間から隔絶すること
が大切だ。
 だけど、テレビだけは見ちゃだめだ。あるとどうしても見るとい
うなら、テレビを捨てなさい。家族がちょっとくらい反対したって
、気にするな。
 せっかく引きこもって静かに暮らそうという時に、テレビは下品
で落ち着きのない世間を、暴力的に引きづりこんでくる。テレビが
なければ、癒される心が、テレビのおかげでかえって荒れてしまう。
 家族の方へ。お子さんが、引きこもるのは、ある意味健全です。
ご両親もテレビをなくして、お子さんといっしょに悩み、苦しみ、
自分を見つめ、お互いを見つめ、そうして家族みんなで癒されて元
気になってください。
 テレビがなくなれば、家族の会話もいやでも弾むようになります
。しっかりお子さんのほうを見つめて、ときどきは抱き締めてあげ
てください。
(得丸久文、2003.01.30)


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