1141.読者の声



新春のお慶び申し上げます。
貴コラムの繁栄を心よりお祈り申し上げます。
さて新春の世評を見てますと政治は国民に取って芸能界並の興味し
かなく国政は誰がやっているのか期待も無く小泉総理は国民のアイ
ドルと云う感がします。

総理の年頭の所信声明も国民を奮起させる言葉も無く、将来の日本
の有るべき姿が国民に見えない状態です。
近隣諸国に対する外交も日本国民をないがしろにして北朝鮮に対し
ても毅然とした態度もとらずぬるま湯に浸かってうとうとしている
日本政府と云う感は否めない状況です。

政府は日本国民の生命と財産は近隣諸国より価値が低いと思ってい
るとしか考えられない言動です。国民が石原知事の総理出馬を期待
するのは当然と思います。
日本の日本人たる大和魂はもう古くさい考えなのでしょうか?
貴コラムのFさんのお考えを伺いたいと思います。
宜しくお願い致します。
鈴木 麗加 
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(Fのコメント)
日本人は古代、世界の中心であったと吉田さんは言う。シュメール
文字より古い文字が日本の古代遺跡から出てくる。日本の縄文土器
が、ペルーからも出てくる。このような古代日本の輝かしい過去は
自然の虫や草や花々との共生で構成されていた。この自然と人間と
の共生から神道の八百神ができたのです。日本古代の伝統は、戦前
まであったのですが、残念ながら戦後、その伝統は石油物質文明の
幻惑で消滅してしまったのです。

そして、石油文明は人間の物質欲・金銭欲に迎合したために、自然
破壊を起こして、人間の生命まで危機にさらすことになっているの
です。日本の伝統である自然との調和を再起動させることが必要で
す。また、聖徳太子は日本に来る大陸の民と日本古来の民が戦わな
いように「和」の精神を言い始めました。このような意味での大和
魂は好きである。

しかし、大和魂という言葉は明治時代に軍国主義的な変更を受けて
いるため、江戸時代の古代復興をした本居宣長としての大和魂は好
きですが、明治以降の西洋文明的な感化を受けた強い大和魂は好き
になれない。日本も古代は自然を愛し、民族の融和を志向した平和
な心でいたのですから西欧的な精神性の強い大和魂はおかしいので
す。

軍事国家としての日本は明治以降、強い大和魂を通用させているが
、どうも右翼陣営の人たちは明治の日本への復古で、江戸時代まで
の復古した日本へ未来を立ち戻りたくないような印象を受ける。
明治以降の西洋文明の日本でしか考えない。それでは石油文明が終
了した時の次の文明像が描けない。日本を背負って立つエリートた
ちは勉強としていない。自然農法など、欧州は常に良いものを取り
いれようとしている。日本のエリートは、まだまだ西洋の石油文明
の中にいたいようだ。

しかし、日本の周りはすべて西洋論理的、石油文明的な狩猟民族で
あり、日本はこの諸国と対応しなければならない。ここでは民族の
存亡を賭けた戦いになっているのです。日本古代の平和的な大和魂
ではなく、西洋的な論理(弱肉強食)で対応することが必要になっ
ているのです。平和的で精神性の高い姿勢で欧米に対応しないこと
が必要です。あくまでも欧米的な狩猟民族的な思考で対応するべき
です。そして、民族の存立を守るべきです。次の非石油文明構築は
日本古代の平和的な精神性の高い大和魂で見ることが必要です。
そのように感じますがどうですか??

このコラムの国際政治分析は、毎日世界から情報を集めて、それを
西欧的なロジックで考察しているのです。このことも知っておいて
ください。
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先日、米・ブッシュ政権が打ち出した経済浮揚策をみれば、選挙目
当ての大減税だとしても、アメリカドルの基軸通貨にあぐらをかい
た、通貨発行益(シニョレッツジ)の誘惑におちいり、ドルの責任
の放棄(あるいは、他国に手はないとたかをくくって)しているの
が解かる。

つまり、財政赤字・貿易赤字の、双子の赤字と言われた、レーガン
流の財政運営に戻るということだ。アメリカ国内では、ドル安にな
ろうと、ちっとも困らないし、むしろ日本からの輸入が減っていい
くらいと考えているのだろう。湾岸を占領してしまえば、石油も低
価格で仕入れられるというわけだ。

日本は、<ドルの罠>に陥っているため、どうしようもないジレン
マに立たされている。(ドル安=円高になると輸出産業が大打撃を
うけるため、米・財務証券を買っては円安に誘導しようとした結果
が、多額の外貨準備金の保有なのである。
しかも、ドル資産を、円に戻せなくなってしまっている。

その上、橋龍が「売りたいという気持ちにかられたこともあった…
。」と表明しただけで、暴落したため、次の大臣(誰かは忘れたが
)は、「金輪際、米・国債は売りません。」と宣言させられる始末
。(どういうこっちゃ!)

この、<ドルの罠>から、したたかに、しなやか抜け出す以外に、
日本の金融の未来は無い。やはりここは、諸葛孔明が説いた、天下
三分の計に、知恵を借りるべきであろう。
もちろん、米ドルとユーロ、それに、北南米、ヨーロッパ、中東を
除いた地域からの、輸入代金支払に円(もしくは、アジア通貨)建
てを当てるべきである。

もちろん、榊原が、財務官当時に、サマーズに猛反対されて、つぶ
されたことは知っている。しかし、やはりどうしてもリスクは分散
させなければならないのだ。

世界に需要はいくらでもある。無いのは、有効需要なのだ。
それを育てることを怠って、日本の未来の市場は見つからない。

               まとり
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命、光輝いて・・・・・・・S子 koo2216

戦争というものは、
人間の欲求を単純化させるものであると知って
なるほどと思った。
平和はその代償として欲求を複雑化、多様化させたとも言われている。

確かにである。
命の保障がされたのであれば、
貪欲な人間は様々なものを欲求したとしても至極当然かもしれない。

最近、真実か否かは分からないが、
ついにクローン人間が誕生したらしい。
永遠の生命を手に入れたと嬉々とした報道が紙上に載っていたが、
まだ疑問符である。

そして、この永遠の生命なる人間の究極の欲求が
果たして最良かと問われれば、これもまた疑問符である。
なぜならまだ誰も永遠の生命を生きたことがないからである。

世界はカオスに突入し日本もまた同様である現在、
命に対する重みが増しているように感じられる。
ただならぬ危機を感じたからに他ならない。

日本ほど国民の命や財産を軽んじている国家も
そうそうないように思われるが、主権国家でない所以かもしれない。

東京裁判史観による自虐的発想から抜け出せないでいる今日、
対日謝罪をアメリカに求める声があがっていることも知っているが、
果たして可能であろうか。

自由気まま、我儘し放題の論理で世界を闊歩しているアメリカである。
すんなりと頭を下げるようにも思われないが、
これが実現すれば、私達日本国民は本当に救われるだろう。

私達が命というものの重みを考える場合、
その命が唯一のものであり、
限りがあると制限されているからこそ光輝くのではないかと思える。

平均寿命が世界一とされている日本であるが、
衣食住に事足りている現在、
あたかも命が永遠にあるように錯覚しているのではないか。

人は死を意識して初めて己の生を猛然と果敢に生きる。
そう考える時、私の中でひとつの時代が燦然と浮かび上がる。
江戸時代である。

当時の衣食住の貧しさは、
今日では考えられないほどであっただろうから人々の寿命も短い。
それこそかけ抜けるような人生であったに違いない。

当時の人々がそれを意識していたかどうかは分からないが、
少なくとも現在よりは主体性をもって生きていたように思う。
個人が確立していたのである。

その根底にあったのが武士道精神ではなかったか。
主体性をもって生きるとは一見自由なようで、
実は己を律することができて初めて可能なことだと言える。

自由を謳いすぎると
アメリカのようにとんでもない国家になるのは明らかである。
アメリカがどうして自由を謳い文句にしたのかというのは、
彼らが多人種国家であるからに他ならない。

人種のサラダボールと言われているアメリカは、
単純明快が一番分かりやすいのだ。
彼らが戦争に固執するのは何も開拓精神だけに限らない。

欲求が単純であるから分かりやすいと言えばそれまでだ。
生きるか死ぬか、それしかないのである。
私は武士道精神なるものは
時空を越えて普遍なるものではないかとさえ思える。
日本が自信をもって世界に誇れるものである。

しかし、その武士道精神も今やこの国においては風前の灯火であるが。
日本男子に元気がなくなって久しいとはよく言われる。
それにも増して妙に元気印であるのが女性だ。

中国の奥地や世界のあちこちで一人旅をしている
日本女性に出会うとびっくりするとは宮崎正弘氏の弁。
一体日本男子は何処へ行ったのだろうか。

ひとつには選択肢が広がってきたことが挙げられる。
以前のように女性の幸福を結婚だけに
求めるようなことはなくなった。

変な男につかまって一生を棒に振るよりかは
遥かにいいに決まっている。
もうひとつには私達女性が産む性であるということが
本能的な部分であるということは避けられない。

つまり次代を担っているわけだ。種をまくだけの男とは違う。
国家の存亡にもかかわると知れば、
いかなる時でも元気でなくてはならないのだろう。

主体性をもって生きる以前に、
女性は本能的な部分で救われているのかもしれない。
何が起こっても男性ほど崩れることはないと思うがどうだろうか。

主体性をもって生きるのは何も人間だけに限らず、
国家にも同様なことが言える。
私達日本がいつまでたっても大人になりきれずにいるのは、
アメリカの呪縛から抜け出せないところが大きい。

だからいつまでも自立できずに、
他国に翻弄されるような国家外交しかできないのである。
その国家外交もつまるところ人間関係が基本であるような気がする。

個人であれ国家であれ、
いかに生きるかが重要であるというのは最近の私の思うところだ。
結果はあとからついてくる。

どうすれば国民が幸福であるのかを選択してゆけばいい。
個人であるなら夢なり明確な目標なりをもつことによって
、自ずと生き方も決まってくるだろう。

夢や目標があれば辛いことも乗り越えることができる。
そして、国家も人間も死を意識すれば、
その生き方もより光輝くであろう。

私達がなぜこんなにも「光」を追い求めるのかと問われる時、
それはこの宇宙が一筋の光から誕生したように
、私達人間もまた光から生まれたのであり、

その光を追い求めて結局は光の中に帰って行くという
ごく自然な摂理によるものであると思っている。
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 Fさん、こんばんは
今日はお願い事で投稿ではありません。

過去ログをMondで検索しますと著者不明になっています。
Mondにでもなっていればそれでよいのですが、
著者不明ではやはり不都合と考えます。

そこで著者を 『大谷武師』としてほしいと思います。これは私の
ペンネームです。
必要とされるならば、姓名、職業を詳らかにするのはやぶさかでは
ありませんが、今後、このペンネームとMondというハンドルネ
ームで通すつもりですので一貫性はあるものと思います。

以上、宜しくお願いします。
                    大谷武師
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(Tより)
この日本語検索ソフトは「まなず」なのですが、著作名がどういう
分けか、すべて著者不明になってしまう。どうすればいいのか知っ
ている人があれば、お教えください。お願いします。
というわけで、すいませんが、今のところ変更が難しいのです。
ご了解ください。


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