1094.自然農法について



福岡さんが実践している自然農法をご存知でしょうか?
今回は、この自然農法に着目して検討したいと思います。 Fより

自然農法は、その農法を自然に任せるためにほとんど農作業が無い。
籾と麦を交互に撒く作業とその収穫物を刈り取る作業と藁を撒く作
業がほとんどの全ての作業である2毛作農業で、直撒する、また収
穫した藁も元の田にそのまま戻すことも特徴です。
水は8月に入れるが、ほとんど水を使わない。稲の高さも低くして
実りを多くするようである。春にクローバーの種を撒く。

藁が肥料になっているのと、蜘蛛などの昆虫が生息して、害虫を寄
せ付けない。籾は麦の刈り取り前に撒く。このため藁と麦の穂に邪
魔されて、鳥が撒いた籾をついばむこともできない。
逆に麦の種は稲を刈り取る前に撒くため、稲に邪魔されて鳥はつい
ばめない。雑草も藁と稲や麦に邪魔されて、あまり生えないようで
ある。このため、農作業がないためにどんどん田畑が拡大できる。
昆虫、土地にいる細菌などの自然力を使った農業になっている。
反当たり10から13俵程度の麦や米ができる。

福岡さんはミカンなどの果樹園でも自然農法を実践して、大きな成
果を収めている。

日本は、高温多湿であるため、発酵菌の繁茂する環境にあるため、
何も手を掛けずに、その組み合わせを考えただけで無作業な農業が
出来るのである。しかし、欧州などは、気候が寒く、手を掛けない
と農業が出来ない。しかし、日本農業近代化で、この日本の気候を
無視した欧米流の機械と農薬を大量利用した農業に転換して、農協
は大きくなっていった。しかし、農家はその犠牲になっている。

何もしない農業を推進すれば、肥料も機械も農薬もいらない。自動
車や農作業の簡単な道具だけでよくなる。米国での例がある。

しかし、この自然農法には、その土地の条件を考える必要があるみ
たいで、野生動物が種を食べてしまう条件なども考えないといけな
いなど、その土地土地の理由で失敗している例も多い。

このため、福岡さんも砂漠での自然農業に向いていると思い始めた
のではないかと思う。
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自然農法HPからの転載です。
http://www.creative.co.jp/sizenfam/
http://www.creative.co.jp/sizenfam/sizen1.html
【一言プロフィール】
 ●福岡正信(ふくおか・しょうしん)
大正2年愛媛県伊予市に生まれる。昭和8年岐阜高農農学部卒業。
昭和9年横浜税関植物検査課勤務。昭和12年に一時帰農し、
昭和14年に高知県農業試験場に勤務。昭和22年以来「自然農法」
ひとすじに生きる。自然農法は、日本国内よりはむしろ海外で広く
実践されている。主な著書に「自然農法・わら一本の革命」
「無」1〜3巻、「自然に還る」「神と自然と人の革命」等多数が
ある。

 ぼくが福岡さんのことを知ったのは、もう30年くらい前のことで
す(いよいよ歳が疑われそうだな…)。そして、すっかり共感し、
以来個人的に、あるいは仕事上でも何度か接点を持ってきました。
最近でも「映像ドキュメンタリー」や「インタビュー」などを通し
ていよいよ接近し、翁の原稿も3本ほど書きました。その中の一文
(一部)をもって、翁の概要をリード文ふうに紹介してみることに
します。
 
 ………………………
  愛媛県の農村で「自然農法」を続けている福岡さんは、マスコ
ミや出版物などを通してすでに世界的に知られている。かつて、
NHKの映像で大々的な報道がなされたとき、たしかにそこには、
いっしょに働く幾人かの「外国人」の姿があった。もちろん現在で
も、まるで「魔法の農法」でものぞきにいくような感覚で、福岡翁
を訪問する者が後を断たない。
 福岡さんが自然農法を始めてから、すでに五十年の歳月がたつ。
その途上、実にたくさんの人々が、はるばるこの愛媛県の「福岡農
場」を訪れた。そしてここから世界各地に飛び立っていった。まさ
にいまの時代にこそ、自然農法とその生き方が強く求められている
…。そんな期待感を込めながら、福岡翁がいるはずの山に向かった。
 福岡さんの山(農場)は、松山市から伊予市へと延びる国道から
少し山道を入ったところに広がっていた。
 車から降りて小道を歩くと、スモモの実があちこちに落ちている
のにまず驚く。見上げればこんもりと生い茂った木々。足元には、
野草や野菜。そして耳に響く澄んだ野鳥の声…。それがそのまま自
然農法の成果でもあった。
 まもなくして、野良着姿の福岡さんが現われた。日焼けした顔に
笑顔がほころぶ。凛とした姿と、すがすがしいその笑顔、これまた
自然農法の結実といえるかもしれない。
 ………………………
 自然農法は収量が問題だという人がいますが、ごらんのように決
してそんなことはありません。見れば見るほどたくさんの実がつい
ているのが分かるでしょ。スモモもあれば、キウイフルーツ、ハヤ
トウリもなっている。果物が三重に、立体的に茂り実っているんで
す(笑)」

 はっきりと確認したわけじゃありませんが、全部で三十種類くら
いはあるでしょうね。でも同じスモモでも、いろんな種類のスモモ
がこの山にはあるわけでして、一つの種類が、平均してさらに五種
類くらいづつ育っています。ですから、掛け算すれば百五十種類く
らいはある計算になるでしょうか。
 その約百五十種類くらいの果物が、次から次へと実っていく。こ
の山は全部で四ヘクタールほどあるんですが、とても全部など収穫
しきれません。実った果物のほんの一部を、「天の恵み」としてい
ただいているにすぎないんです(笑)。

 そう、自然農法というのは、まさに「生き方」の問題なんですよ
。この農園を自分が苦労して作ったと思えば、全部収穫しなきゃ損
だと思うのが当然かもしれませんが、実際にこの農園を作ったのは
「自然自身」であって、決して僕じゃない。それに、やせ我慢でい
うわけじゃありませんが、これは「人間のため」にだけ作った農園
でもないんですよ(笑)。
 
 実は先日放映されたNHKのテレビ(心の時代)ではちょうどこ
の辺りに座ってお話ししたんですが、なぜNHKがあえてここで映
像を収録したかといいますと、十三年前『大法輪』という雑誌に載
った写真と現在の様子が全く違っていたからなんですね。
 つまり十三年前の『大法輪』に掲載された写真は「まるで荒野の
一軒屋」だったのに、いまはごらんのとおり「まるでジャングルそ
のもの」でしょ(笑)。わずか十三年の間にこんなに様相が変わっ
てしまったということに、つまりNHKが興味をもったというんで
しょうね。

 実際に十三年前のその写真を見れば信じていただけると思います
が、僕がこの山に入ったその当時、この辺りは雑木さえ育たないよ
うな不毛の土地だったんです。土は固い赤土でしたから、一本の
ミカンの苗木を植えるにも、ダイナマイトを使って穴を開けるしか
なかった。それも、二本のダイナマイトを爆発させてやっと小さな
穴ができるほど土が固かった。そんなわけで、この山は農園にする
ことなんてとても考えられないひどい土地だったんです。その山が
、わずか十三年の間にこんなにも変わってしまった。砂漠同然の山
が、いまではまるでジャングルのように変身してしまったんですよ。

 十三年前には、この辺りにはミカンの木が生えていて、あちこち
に鶏が遊んでいました。土はどこを掘っても粘土の赤土で、雨が降
るとどろどろになり、その逆に乾けばかんかんに固まってしまう。
普通なら、十三年の間にこんなに緑が増えたのだから、たしかに土
が肥えたと思っても不思議じゃありません。しかし、実際は、土は
なんにも肥えてはいないんですよ。
 
 ごらんのように、どこを掘ってみても表土は10センチもないでし
ょ。だから自然農法をやれば土ができるとか、いい土ができるから
自然農法ができるというのは、実はウソなんですね(笑)。
 いったいなぜか。五十年も自然農法をやってみて、僕も自然とい
うものが少しは分かったように思っていましたが、しかし五十年が
経ったいまではもう下手にものが言えなくなってしまいました。
 つまり、したり顔で自然を説明することなどもうできない。それ
が正直なところ、五十年も自然農法をやってきた結果の厳粛な現実
そのものなんです。
 
 この辺りはまだ十三年しか経っていませんが、しかし二十年、
三十年と経ったところなら、いまはもうジャングルそのものです。
あんなふうになってくると、土の養分を吸収して作物や木が育つん
だなどとはとてもいえません。栄養分や水分についても、果たして
水は下から上がっていくのか、上かや降るのか、あるいは植物その
ものが互いに出しあうのか、そういった基本的な水の循環について
もまるで分かっていないんですよ。
 とにかく、いままでの説明ではもうとうてい説明がつきません。
いまでもこんな赤土というのに、たったの二年や三年で、どうして
こんなに木や植物が成長できるのか。正直な話自然というものの不
思議な営みについては、もうなにもいえませんね
(笑)。

 まず初めに、肥料木としての役割と、日陰を作ってもらおうと思
って、最初は藤の苗木を植えました。ところがその藤の上にいまで
はハヤトウリが覆っている。ほら、あの小屋の屋根の上にもハヤト
ウリが茂っているでしょ。あれは実は小鳥が蒔いてくれたんです(笑)。
 ハヤトウリというのはとても面白いものでして、一本の苗から少
なくても平均三千、五千もの実がなります。普通に育てても二百や
三百個がなるといわれています。ところがこの山で冬を越させたも
のならば、もっともっとたくさんなる。多い場合には一万個くらい
を平気で実らせてしまうんですよ。
 ということは、たった一本のハヤトウリで、一反もの面積を緑の
葉っぱで覆ってしまう計算になります。ですからインドやアフリカ
などの砂漠に植えたとしたら、わずか一年で一本が一千平方メート
ルもの緑の覆いを作ってくれることになる。しかもそこに約一万個
もの実をつけてくれるわけですから、砂漠の緑地化にはハヤトウリ
を使ったらいいと僕は言っているんですよ。しかし実際に誰もそれ
をやってはくれるわけではありませんから、なかなか実現しません
ね。
 
 それはともかく、この山に入って五十年、五十年が経ったいま
つくづく思うことは、人間が自然に介在すればするほど自然をだめ
にしてしまうということです。
 僕もこの山に入った当時は、この荒野を「エデンの園」にしよう
と心を燃しました。が、結局は、僕が人間の浅知恵を加えたそのぶ
んだけ「エデンの園」は遠ざかっていった。人間がやればやるほど
自然はうまくいかないんです。
 
 でも、いくら失敗を見ても、必ず「エデンの園」は実現するとい
う確信だけは絶対に揺るぎませんでしたね。実際、五十年が経った
いま、この山の目の前には、スモモ、クワ、キウイフルーツ、モミ
ジ、サクランボ、アカシア、山桃などの木々が生い茂っています。
それにハヤトウリや大根などのたくさんの野菜も地面を覆っている
。見ればお分かりのとおり、これではとても農園には見えないでし
ょうが、昔夢見た「エデンの園」がまぎれもなくいま眼前に広がっ
ているんです。
 
 結果的にいえることは、植物の植生レイアウトは人間の頭で決め
るんじゃなく、自然自身に自由に決めてもらうのが一番ということ
です。
 つまり最初の種は自分で蒔いても、実った実は小鳥が食べて糞に
して蒔き直してくれるのに任せたり、また風が運んでいってくれる
ままに任せたりする。実際、自然がなすままに植物をほっといてみ
たら、こんなふうにどんどん育っていったんですよ。しかし「自然
に任せる」ことと「放任」することとは微妙に違うもののようで、
人間が植えて放任したミカンは結局は全滅してしまいました。
 
 その原因は分かったような分からないような…。しかし人間が知
恵を使って植えた木は、いくら熱心に管理してみても放任しても、
結局はだめになるということでしょう。
 同じミカンの木でも、自然に生えてきたミカンなら、あるいは勝
手に豊かに育ったかもしれませんね。こうしたことからいえること
は、自然がやったものはすべてが結局は善に帰結し、人間が介入す
ると結果的に悪になる。そういうことなんじゃないでしょうか(笑)。

 五十年前に、この山で「エデンの園」を夢見たときから、僕の
「自然農法」は出発した。そして、自然農法を説明するためにいろ
いろとやってきた。が、五十年という歳月を費やして得たその結論
は、人間が手を入れれば入れるほど自然はだめになるということ。
考えてみれば僕が必死でやってきたことは、あるいは自然の邪魔を
したにすぎないということだったのかもしれませんね(笑)。
 もしもそれが最初から分かっていたら、なにもせずに初めからほ
っておいたことでしょう。つまりは「なにもせず、自然がなすまま
に任せてしまう自然農法」…。
 
 何もしなかったら、この山はいまでも荒野のままだったかもしれ
ません。が、それはわずか五十年や百年の単位で自然を見るからで
あって、もし五百年、千年の単位で見たとしたら、あるいはこの山
にも風や野鳥が種を運び、徐々に「桃源郷」を作りだしていってく
れるのかもしれません。
 人間は、とにかく急ぎすぎますし、焦りすぎるんです。「効率的
な人間のための食料づくり」だけを考えるから、結局は自然を破壊
しつくしてしまうんですよ。
 だから僕が行き着いた究極の「自然農法」とは、人間は最小限の
手を加えるにとどめるべきだということ…。そしてその最小限の手
というのが、つまり「粘土団子を蒔く」ということなんです。
 ………………………
 粘土団子というのは、耕さず、肥料をやらず、除草もせずに作物
を育てるためのいっさいが集約されたものですが、簡単にいえばこ
の中に、実は耕すことの意味、肥料をやることの意味などのすべて
が詰め込まれているともいえるんですよ。
 その作り方はしごく簡単で、とにかく手当たりしだいにいろいろ
な種を百種類以上集めて混ぜ合わせ、それを粘土といっしょに混ぜ
て団子状にすればいいんです。
 たったこれだけのことですが、こうして作った粘土団子を適当に
ばら蒔きます。するとその中で一番その時どきの環境と時期に合っ
た種が芽を伸ばして、やがて根を張って育っていくというわけです。
 百種類以上もある種の中からどれがまず芽を出すか、それは自然
そのものが決めてくれることです。生命力のない種やその土地の環
境に合わない種は、とうぜん芽を出すことはありません。しかし百
種類以上もの種をいっしょに蒔けば、必ずやその中のいくつかの種
が芽を出すことになる。つまりそこで育つにふさわしい種だけがま
ず芽を出し、土に根を張っていくというわけです。

 人間は、米なら米だけ、大根なら大根だけを作ろうとして、一種
類の種を蒔こうとします。しかしそういった人間管理的な勝手な秩
序は自然の中にはありません。だから自然は本来のバランスを回復
しようとして、いろいろな植物をそこに芽吹かせてくるんです。
 しかし人間はそれを「雑草」と呼び、あるいは「害虫」と呼んで
、そういった計画外の邪魔ものを駆除しようとする。そしてそのた
めに必要になってくるのが除草作業や除草剤であり、殺虫剤という
わけです。
 
 どんなに虫がいたとしてもそのままにしておきます。普通なら「
害虫」といって嫌うわけですが、虫が食って食べられない大根は一
本もない。いったいなぜだろうと、大学の先生たちも不思議に思う
。その理由は害虫も多いけれど天敵もたくさんそこにいるからです
。だからどんなに虫がいても被害が出ない。すなわち、自然はちゃ
んとバランスを保ってくれるというわけです。
 
 よく害虫で畑や山林が全滅したなどといった話を聞きますが、害
虫や病源菌というのは、植物の寿命がきて、80%は枯れてもいいと
きにやってくるものなんじゃないでしょうか。
 つまり害虫がついたから作物に被害が出るというんじゃなく、実
はもう弱りきって死期が近づいているからこそ害虫が発生してくる
ともいえるわけです。
 だから害虫というのは決して作物に被害を与える「原因」ではな
く、むしろ「結果」であって、植物の健康度を教えてくれる存在で
あるのかもしれないんです。もっと分かりやすくいえば、自然から
死ねと申し渡されるときに害虫がきて片付けてくれる(笑)。

 自然はとにかくいろんなことを私たちに教えてくれているんです
。実は、たとえ乾燥した場所であっても大根が生えるということを
教えてくれたのがこの場所なんですよ。
 いったいなぜ、こんなに固くて水分の少ない土に大根が育つるの
か。しかも肥料など全くやらずに…。ただ土があまりにも固いもの
ですから、大根は根を下に下ろすことができず、上に伸び上がって
大きくなるんですが(笑)。
 こんな土でも立派に大根が作れるわけですから、砂漠で作れない
はずがありません。要は、まず大根の育つような環境を砂漠に作り
だしていくことなんです。
 
 十三年間で固い荒れ地がこんなジャングルになったのですから、
それと同じ方法でやればいいんです。すなわち、まず粘土団子をば
ら蒔いて、砂漠の中でも芽を出す最初の植物に期待する。その点で
は、ハヤトウリなどがぴったりだと思います。ハヤトウリなら一本
が根付けばかなり広い面積を緑の葉っぱで覆ってくれますからね。
 
 ところで問題は砂漠のようなところで、いかにして根付かせるこ
とができるかという点ですが、そこに実は粘土団子にして蒔くとい
うことの意味があるんです。
 すなわち一つの粘土団子には水分も養分もちゃんと含まれていま
すから、そのぶんだけでも一日に四、五十センチもの根を伸ばすパ
ワーをもっているんです。
 こうして粘土団子の力に支えられて芽を出し、根を伸ばし始めた
ハヤトウリの根が二、三メーターも伸びれば、砂漠とはいえその辺
りには必ず湿りけのある土があります。すると根は、地下にある水
源に向かってさらにいっきに伸びていく。その結果ついにしっかり
と水続け脈にタッチすることになるわけです。
 ハヤトウリが砂漠に根づけば、一株で約一反(一千平方メートル
)もの空間を緑で覆います。そうすればいくら灼熱の太陽に焼かれ
ていた砂漠の地表であっても、温度が下がる。すなわちハヤトウリ
が、それまでの砂漠とは全く違った自然環境をそこに新しく作りだ
してくれるわけですね。
 
 緑の葉っぱで大地が覆われれば、地表温度が下がるだけでなく、
とうぜん露も葉っぱにつくでしょう。それが砂漠の土に湿りけを与
え、さらに自然環境を整えてくれる。こうなればもうしめたもので
、粘土団子の中の他の種も発芽できる環境ができあがります。しか
も砂漠とはいえ、全く雨が降らないというわけでもありません。雨
が降ればさらに環境が変化していきますから、やがてさまざまな種
が発芽して緑に覆われていくというわけです。
 こうして一度砂漠を緑で覆ってしまえば、逆に植物が出す水蒸気
が雲を作りだすという現象も生じてきます。こんなふうにいいます
と、じつに都合のいい勝手な理論と思うでしょう(笑)、しかしこ
れは実際にすでに実証済みのこと。インドで実際にやってみせてき
た事実なんですよ。

 いま砂漠の緑地化には、アカシアとかポプラとかユーカリといっ
た、砂漠に有効と考えられる木だけを植えようとする試みがなされ
ていますが、しかしいままでに成功したためしがありません。むし
ろ砂漠化に拍車をかけるだけなんです。
 現在行なわれている緑地化の方法とは、たとえば砂漠にユーカリ
などの苗木を植えて、それが枯れないように毎日せっせと水をやり
続けるといった方法です。これにはたくさんの人々の手がかかるの
は当然で、しかも実は木そのものに対しても決していい影響を与え
ません。
 というのも、人間がせっせと毎日水を運んできてくれるものです
から、植物はすっかり安心してしまって自分の力で根を伸ばそうと
はしなくなるからです。おまけに水をまけばまくほど土が固くなっ
てしまって、結局は木が枯れてしまうか、たとえ育っても弱々しく
立っているにすぎない(笑)。
 いきなり木を植えてみてもほとんどむだで、下に草が生えてこそ
木々も育つんですよ。そして、草が土や自然環境を作ってくれる。
これまでは土が植物を育てると思ってきたわけですが、実は植物が
土を作ってくれるんです。
 
 見た限りでは単なる雑木や雑草の山に見えますが、たしかにこの
山で僕はたくさんのことを教えてもらったと思います。
 ここは果たして畑なのか、果樹園なのか、あるいは単なる山林な
のか。日本の百姓は、これを見たらきっと腰を抜かして驚くことで
しょう。実際に税務署でも、いったいどのジャンルに分類したらい
いのか判断に困っていた(笑)。だから一番安い税金を収めること
でなんとか済んでいるんですよ(笑)。
 ………………………
 僕の自然農法は、突き詰めれば粘土団子を蒔くことだけ。その中
にすべてが含まれているんです。こんなことをいうと簡単すぎて、
人はかえって疑うでしょう。しかし繰り返しますが、人間の手を加
えるほどに自然というものはおかしくなる。だから作物や果物を育
てるにも人間が下手に手を加えず、簡単にやったほうが結果は驚く
ほどすばらしいんです。
 その意味においても、自然農法は結局生き方の問題になってくる
んです。でも勇気をもって生き方を変えれば、そこにはそれまでと
は全く違った世界が開けてくる。


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