1057.日本の再設計(1)



ドラッカーのネクスト・ソサエティを見て、その発展形を検討しよ
う。          Fより

ドラッカーの未来社会は先進諸国では少子老齢化が起こり、資金の
資本主義からアイデアを重要視する知本主義化に移行する。資金は
豊富にあるが、アイデアがない。差別化ができない状態になってい
る。それと、インターネットが普及して、どこでも仕事ができるよ
うになり、大中企業に勤めない個人が企業を起こすのであろう。

個人が仕事を請け負うようなことが多くなる。このため、この請負
いを取る個人の競争も激しくなる。このような変化のため、会社も、
不必要な部分はアウトソーシングや個人請け負い化させて、
経営+コアコーピタンスしか会社に残らない。
個人の競争が激しいため、生涯教育が必要になると。

このドラッカーの予測と持続的社会環境システムとの統合系が将来
の世界の姿であろうと思う。20世紀が物余りの世紀であった理由
は、石油という炭水化合物を使い、一年間でできる量に限界がある
植物の光合成による炭水化合物にとって代わって、物を生み出した
ことであろうと考えている。このため、持続的な社会にするために
は、石油を使わないで、植物の光合成で化合できる炭水化物だけの
量で世界を切り回せばいいことになる。

これを可能にするためには、光や風や波などの自然エネルギーを利
用することと、植物、微生物利用のバイオ燃料により世界経済が運
営できればいいことになる。これを可能にする技術を日本から生み
出そうと言うのです。光や風は密度が薄い。このため、光や風を利
用するためには分散電源として使うことになる。それと、石油・石
炭には環境税を掛け、自然エネルギーやバイオ燃料には補助金を出
して促進する。この転換に必要な機械や植物・微生物が日本で開発
されるような気がする。この1つがEMであろう。

この行き着く先がジャパン・エポックの姿である。
ここで言いたいことは、「効率」から「持続(安定)」に経済的価
値観を変化させて、日本や世界の持続を保障し、かつ今の生活レベ
ルを落とさないような技術を開発することですね。個人や会社は税
金や市場等の仕組みでインセンティブが働く必要がある。この市場
経済性を利用する社会的な仕組みを国家が作ることであろう。

こうすると、中東の石油ルートは日本の防衛の中心から無くなり、
菜種畑や小麦畑や太陽エネルギーが豊富な太平洋の島々が重要にな
るため、オーストラリアや米国や太平洋の国々が重要になる。これ
は発展途上国より安定しているため、米国と友好関係であればいい
ことになる。大きく世界の秩序が変更されることになる。

もう1つ、工業国家としての成功により、その基準で日本の組織が
できている。大量生産方式の仕事のため、大企業に有利な法律や制
度になっている。また、地方の差異をなくして、画一的になっって
しまった。このため、日本国内の旅行に魅力を感じない。自治体の
特徴ある施策もできないし、アイデアもないようである。これは
中央からの補助金を貰うために、東京の顔色を伺っているためであ
ろう。

もう地方は中央から独立して、その地方としての特徴ある顔を手に
入れないと、旅行者は来ない。日本国内が競争相手ではなく、世界
が競争相手になっているためだ。このためにはその地方で1つ以上
は他と違う物が必要である。要は差別化できるものがあるかです。
この頃、各地ににわか温泉ができているが、これも東京近郊以外は
今後、売り物にはならないでしょうね。
産業としても、地方の工芸品、工業製品も特徴ある物が作れるかど
うかでしょうね。差別化できている魅力ある製品が作れるかどうか
です。
農業も特徴ある作物が必要であり、かつ安全な物が望まれている。
安物は中国から輸入されてしまうため、日本で生産しても引き合わ
ない。
林業はCO2吸収元となるため、CO2排出市場では大きな位置を
占めることになる。ここの労働力の確保をどうするかですね。

このため、労働力としての農村の人口を増やすために、ある程度の
年金がある都会の老年層を引き付けることがいいと思う。このため
には、農林業の自由化やスローライフ・健康管理・老人医療などの
仕組みを作り、受け入れ態勢を整備する必要がある。もう、工場を
地方に誘致できないと思った方がいいであろう。このため、専業農
家は数える程しかない状態にして、その代わり企業退職者を農村に
住んでもらい、その人と合わせて、その地域の医療や福祉を考える。

企業退職者はインターネットで仕事や趣味を家でできるし、土地代
はほとんどタダであるため住環境は都会より断然いいはず。年金が
あるため生活には困らない。アルバイトで林業や農業をやることが
できる。自給自足もできる。身体が動かなくなったら、近くの中核
都市に住めばいい。

工業国家として全国一律に規制をしてきたが、これも問題が多くな
っている。基準に合わないアイデアを官僚達は、拒否している。
この拒否のベースが30年前や古いのでは100年前の法律の基準
であり、現代技術や現代環境での利便性・安全性の基準ではないこ
とが多い。自己責任の原則を徹底的にして、その代わり、事故など
の情報を公開する法律を規定することが重要なのではないですかね。

一方都会では、個人が企業から仕事を請け負うようになる。企業は
コア以外はなるべく経費を安くしたいためアウトソーシングする。
すると、個人は家庭での過ごす時間が多くなり、家庭生活が変化す
る。ここに需要が発生する。また、家庭では太陽電池や風力発電で
家庭内の多くの電力は賄えることになるでしょうね。すでに米国で
は家庭内での仕事量が増える変化がおこっているようである。それ
と、米国のベンチャーという中小企業の活躍が、米国の景気を押し
上げていた。ITバブル崩壊で今は少し元気が無いが、次を狙って
いる。

それと、個人が仕事を取るためには企業に提出するプロポーザルの
質が問われることになる。このため、その質を上げるための勉強が
必要でかつ、その分野の研究をする人や講師という仕事も出てくる
ように思う。要はアイデア、他との差別化でしょうね。それとプレ
ゼンテーション能力。

この部分の日本の教育はまだまだのような気がする。特に、今の大
企業サイドは、魅力あるアイデア、差別化が乏しくなっているし、
社員も個人でやって行く自信がないため、企業に留まることになる。

しかし、個人が競争の中心になると、どうしても競争に付いていけ
ない人が出てくる。この個人を助ける補助的な公的な仕事が必要に
なる。
このような個人をC02排出認定者に回すことで、ある一定以上の
知能労働失業者を出さないようにするセーフティネットを作る。
しかしその仕事もできない筋肉労働者は、人力発電所や風力発電の
補助動力として雇うか、バイオ燃料生成工場を各地に作り、そこで
働いてもらう必要があるでしょうね。このようにして、公共事業の
質を転換するのはどうであろうか??
農村への補助金も、CO2吸収元としての市場価格に上乗せする方
向ではどうであろうか??これで、都会のCO2排出を田舎の農村
がCO2吸収になれば、そこには当然、金が逆向きに流れることに
なる。

このようにCO2排出市場により社会全体の開発方向を明確にして
日本企業が世界から儲けて、そして、その分け前を地方や失業者を
救済するために配分するというのはどうですか???


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