1028.ヨハネスブルグ・サミットに参加して



心の持続可能性を!  環境でもなく、開発でもなく、

ー NGOとしてヨハネスブルグ・サミットに参加して ー

 先月から今月にかけて南アフリカのヨハネスブルグで開かれた
「持続可能な開発のための地球サミット」にNGOの立場で参加しまし
た。

 私の参加しているNGOは、ヨハネスブルグサミット提言フォーラム
というものです。
私は今年の5月末にこの団体の幹事に就任し、ロジ担当をしており
ました。現地では、NGO会場のブースに張り付いておりました。

1 何が決まったのだろうか
 ですから私は、当然のことながら、政府間交渉には一切関わって
いません。NGO会場は、ヨハネスブルグ南西部のナズレックという見
本市会場で、政府首脳会議は北部のサントン国際会議場で、距離も
だいぶ離れていましたので、サントン会場の雰囲気が伝わってくる
わけではなく、せいぜい現地の新聞に目を通すくらいでした。

 政府首脳会議がはじまった翌日9月3日の朝刊の話題は、ジンバ
ブエ経済制裁をめぐるものでした。ジンバブエのムガベ大統領が
白人農場を接収していることに対して、欧州諸国が今年春以来経済
制裁を行なっていることをめぐって、イギリス、ナミビアなどが何
を発言したか、が最大の関心事だったわけです。

 このサミットで何が決まったのかも、新聞報道に頼るしかないの
ですが、少なくとも現地では、環境でも開発でもなく、むしろ植民
地体制の後始末が最大の関心事であったようです。

2 NGOといっても、、、

 政府は別として、ではNGOはどんなことを主張してきたのか?と振
り返ってみても、何も具体的な主張が思い出せない、、、。

 ナズレックでの展示を行なったり、会場に立ち入るのに、発展途
上国の人には払えないほどのお金が課せられていたこともあります
。途上国のNGOは、別の場所で交流していたそうです。とても残念で
すがそれらの会場には足を運んでいません。ブースのお守をしてい
たので、自由にどこでも行けたわけではなかったのです。

 自分の展示ブースにかかりっきりで、他の展示を丁寧に見てこな
かった私が悪いのでしょう。でも、あえて記憶を呼び覚まそうとす
ると、中国の法輪功など、世界各地から新興宗教団体がたくさんき
ていたことが記憶に残っています。

 地球環境問題という大きな問題は、ひとりひとりの人間が認識す
ることが難しい。
身長2m足らずの僕たちにとって、地球も、海洋も、すべて∞(無限
大)に見えてしまいます。でも、人間が環境を勝手に作りかえてい
ること、人間が贅沢を求め過ぎることの影響を、ここ2、300年
の人口増加率でかけ合わせてみると、いかに環境にストレスがかか
っているかわかるでしょう。

 人類文明が限度をわきまえずに物質的「豊かさ」を追い求めてき
たこと、地球の人口が60億人もいることが、地球環境問題の最大
の原因ですから、小手先で解決するものではありません。ちょっと
まじめに考えたら、宗教にでもすがりたくなるというのも、わかり
ます。(僕は入信しそうにはありませんが)

3 じゃあ、何をしてきたの?
 じゃあ、得丸は何をしてきたの?と言われそうです。行ったこと
に意味はあるの?と。自分なりにはあるつもりです。

1) 僕は、水俣病センター相思社の人たちといっしょに黒人居住
区ソウェトに寝泊まりして、彼らの展示を支援してきました。

 サミット向けに新たに文集とビデオを作成して、それらを配布・
上映しました。6分のビデオは、いろいろな人に見てもらいました
。多くの人が、胎児性患者のリハビリの様子に、釘付けになってい
ました。そこから地球規模海洋汚染についても、議論をしました。
(このビデオと文集は、水俣病センター相思社で、入手可能です。
もしよろしければ入手してください。 0966-63-5800)

 日本国際ボランティアセンターの津山直子さんの御尽力もあって
、8月24日の夜は、水俣病犠牲者の慰霊祭を、黒人居住区ソウェ
トで、地域起こしを行なっているグループといっしょに行ないまし
た。

 水俣からは患者さんも二人参加しておられたのですが、病状も悪
化せず、無事にご帰国されたので、まずはよかったと思っておりま
す。

2) NGO会場で、9月3日に、元モザンビークの大統領サモラ・
マシェル夫人で、現在はネルソン・マンデラ南ア前大統領婦人をし
ておられるグラシャ・マシェルさんの講演を聞く機会がありました
。彼女の講演は、とても魅力的であり、内容もすばらしかった。

 持続可能な開発といっても、経済や物質ではない。今まで私たち
が苦しみの中で助け合って生きてきたこと、これこそが持続可能性
なのだ、といったことを、心をこめて、自信たっぷりに、話してお
られました。

3) 余った時間を利用して、本業である、人工衛星地球観測と
海洋汚染に関する集まりにも、ウブントウ会場とウォータードーム
会場にまで出かけて、それぞれ半日ずつですが参加してきました。
内容的には大したことはありませんでしたが、旧知の人たちとの顔
つなぎです。

4 これから地球環境はどうなるの
 人類は、地球規模で環境がおかしくなっているのに、真面目に
対応しませんでした。
でも、環境問題は悪化する一方ですので、いつかかならず現実が
しっぺ返しをしてくるでしょう。その時のために、心の準備をして
おかなければならないと思います。

とりあえず思い付いたことを書きました。何か質問があれば、どう
ぞ。
得丸久文
==============================
各位、

このところ、異文化交流術についてしばらく考える暇がなかったの
ですが、久々に今日考えがそっちのほうに向かいました。異文化交
流術に戻るための準備体操として、以下の文章を書きます。

題して、「味噌は日本の文化じゃない」

味噌は日本の文化じゃない、と聞くと、「エッ、また、どうして」
、「そんなはずはない」と思う人もいらっしゃるかもしれません。
そこが味噌です。

これから、「味噌は日本の文化じゃない」ことを証明したいと思い
ます。

ー1ー
まず、台所から味噌をもってきて、机の上にでも置いて、よく観察
してください。

その味噌は、買ったものですか、自分で作ったものですか。あるい
は親戚か知り合いが作ったものですか。あなたはその味噌が切れた
ときに、どうしたらいいかわかっていますか。いつも同じ店で、同
じ味の味噌を買っていますか。毎年一年分の味噌を自分で作ってい
ますか。

赤ですか、白ですか、八丁味噌(僕は外国人に説明するときは、
黒味噌といいますが)ですか。赤も白も黒も、今台所に全部揃って
いますか。 麦ですか、米ですか、大豆ですか。

その味噌を使って、あなたができる料理、味噌汁、豚汁、ニガウリ
の味噌炒め、豆腐の味噌田楽、ぬたの酢味噌和え、カキの土手鍋、
などなど、、、数え上げてみてください。

今度は、お母さん、あるいはおばあちゃんが、味噌を使って作って
いた料理を思い出してください。あなたは、全部作れますか。どれ
だけ受け継いでいますか。

ー2ー
つぎに、あなたの代わりに、昨日アフリカから日本にはじめてやっ
てきた留学生が、その机の上にある味噌を見つめる場面を想定して
ください。

彼はそれが何であるか、見ただけでは分からない。おそらく、匂い
を嗅いでも、それが何で、どうやって作られたものか、わからない
。多分。(よほどの発酵食品に関しての天才があれば別ですが)

彼は今はまだ味噌について、何ひとつ思い出もなければ、料理法も
思い付かない。そもそもどんな味がするか、さっぱり想像できない。

でも、もしかしたら、彼はこれから何年か、何十年か日本に滞在す
るかもしれない。
そのときに、少しずつ食べ慣れていくかもしれない。

その時に、味噌の味に目覚めるかもしれない。もしかするとココナ
ツミルクやヤシの実ジュースの入った新しい味の味噌を日本社会に
提供してくれるかもしれない。

あるいはアフリカに日本の味噌を伝える伝道師になるかもしれない。

ー3ー
ものとしては同じ味噌が机の上にあったとしても、誰がそれを見る
かで、まったく意味が違ってくる。その人と味噌とのかかわり合い
次第です。

たとえば、アフリカのどこかの国に、輸送ヘリで1トンの味噌を
援助物資として運んでいっても、それは日本の文化を運んだことに
なりません。もしかすると、食料を運んだとすら認めてもらえない
かもしれない。

かりに国籍的に同じ日本人である人が味噌を見たとしても、世代差
や個人差によって、上の1と2くらいの個人差がありえます。

文化は継承や獲得の努力がなくなった時点で消えていきます。たと
え味噌は日本の文化だといきまいても、日本人が誰一人として味噌
を食べない時代が来てしまったら、どう頑張ろうと、味噌を日本の
文化とはいえないでしょう。

味噌は日本の食品です。発酵食品は、文化の代表選手と言われるく
らいですから、「味噌は日本の文化じゃない」というと驚かれる方
もいるでしょうが、味噌は文化そのものではない。

味噌は文化的な食品ですが、文化そのものではない。

「味噌を仕込む(作る)」、「味噌を使った料理を作る」、「味噌
を味わう」、「さまざまな味噌の味の違いを楽しむ」、こういう
行為が文化なのです。

ー4ー
文化は、モノではない。むしろ文化は、行為、動詞だ。行為が人間
の意識によって引き起こされるから、文化は心、意識の作用だとい
える。

文化は、人間の意識の上に、後天的に獲得される技。

文化は、後天的に個々の人間が獲得するものであり、伝達・継承可
能である。

言葉でも料理法でも、複数の異なった民族や地域の文化を、ひとり
の人間で身につける(実装する)ことができる。やる気とちょっと
した適性があれば。

得丸久文(2002.09.15)


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