1014.日朝交渉について



1005.日朝交渉について2002.09.02F&Yamaoka
を拝見しました今回の小泉総理の行動は失礼ですがあっぱれと
言うか良く決断された英断は立派ですニュ−スが出てから色々
な言動があり言いたい放題だと思いますが.昔話で「卵が立」の
 話が有りますが後で言うのはなんとでも言えます今回の行動は
総理の信頼を取り戻す事に多いに国民に訴えるに充分の行動.
一番に「拉致」問題が好きな様に色々と話題になっているが
拉致問題は何かの都合で本人の希望で又希望されたから外国に
行った事は有ると言う事です北朝鮮だから日本人は「拉致」と
言いますが他国なら親にも言わずに外国に勉学留学で行く人は
たくさん居られる筈此の際小泉総理が金正日総書記と心割って
話をして「拉致」と言われる核心をぜひ解き明かして貰いたい
戦後60年以上になり此の際どんな事も心して北朝鮮の問題を
解決して頂きたいと願います.
 2002.9.3.  阪本 潔        小泉総理   殿
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件名:北鮮との話し合いに関すること 

北鮮に対する日本の対応が、対中国同様若しくはそれ以上に、愈々
異常な方向へ進行しつつあるとしか考えられません。
各コラムでは夫々優れた有識者の方々による、秀才型の報告乃至論評
がなされており、それはそれで結構なのですが、こと北鮮との問題に
関しては、報道機関も含め、『拉致問題』が全てを解決する如きの
現在の流れに、非常な驚きと失望の感を深めている次第です。北鮮が
、一体どのような体制の国で、その政府は何をやって来たのか、特に
日本との事は、今日まで彼等のやりたい放題で終始して来ていること
を、真艫な頭を持った人なら誰もが知るところである。拉致問題は確
かに突出した社会的関心事で有ることは良く理解するが、日本と北鮮
間に惹起され若しくは継続的に展開されて来た、金日成王朝による出
鱈目と人類に対する犯罪は、数え上げれば限がないほどで有るし、
我々日本人へ及ぼし続けて来た直接・間接的迷惑と損害は、仮に拉致
問題がなかったとしても、目こぼしなどとても考えられない程に悪質
である。しかも、この拉致問題に関しては、あの超異常独裁国家に於
いて、赤十字を通じてでなければ知り得ない『対外悪事』などある筈
がないこと位、誰でも分かっている。にも拘らず、相変わらず、まあ
「奥深い」深謀遠慮なのか巧みな作戦が有ることになっているのかも
知れないけれども、正直「時間の無駄」としか考えられない「間の抜
けた」馬鹿馬鹿しい「会議モドキ」を繰り返しているのには、それを
都度真面目に報道するマスコミにも責任が有ると思うが、時間と金と
人間としての尊厳の無駄遣い以外の何物でもない。調査を進めている
など、馬鹿馬鹿しくて、それを真艫に聞いている交渉担当者は一体何
を考えて仕事をしているのか。「裸の王様」どころか、家に押し入っ
た「泥棒」に「あの済みませんが、此の泥棒をしておられる方がどな
たか、ご調査戴けないでしょうか。」と伺いを立てているのと寸分変
わるところがない。日本人若しくは日本の外交官というのは、昔も怪
しいところが有った様に思うが、戦後五十年で愈々「己の処世術」だ
けとなってしまって居るとしか考えられない。最も、それらと相互共
生している、強欲で野蛮且つコズルイ国会議員連中も同罪である。

今回も、未だに信じられない思いだが、小泉首相までがノコノコ「金
」に会いに行くという。算盤勘定で儲かれば何でも良い、というのが
「当世流」で利巧且つ格好良いとでも言いかねない知識人連中が蔓延
り、そう云う態度並びに発送を以て「世界と物事をよく理解している
」と挙げ奉る様な社会には「大志を抱く」青年など求めるべくもない
。金には「耳印」も「その出生」も関係ない、北鮮への資金は経済活
性化への千載一遇の機会、などと物知り顔でやってしまえば、それは
「構造改革」の問題児の種を創出する愚を犯すことになる、ことは只
今日本が体験していることではないか。日本の「政府開発援助」が果
たしてきた、若しくは惹起してきた現象を思い起こせば、然も、こと
もあろうに、それを誰もが知る「暴力団のチンピラ親分」のような男
を相手に「考えるだけでも」うら悲しい「徳の退廃」であり日本政治
家の(それと呼応する経済屋も含め)低級さを一層公示するものであ
る。(尤も、それを好ましく感じる米国支配層もあるが、安心な自治
領の「PEON」、即「従僕」として)大体、北鮮が日本の植民地時代へ
の弁償だの謝罪だの言っていることについても、真艫に耳を貸す方が
どうかしている。今更ここで歴史の詳細に立ち入ることはしないが、
あの国が戦後二十年くらい何とか、一応「工業国」と称してやってい
られたのは、全て日本人からの遺産に依るものであったこと位、誰で
も分かることである。日本の朝鮮併合が「悪いこと」とするのは、
観念としては、完全に間違っている。日本が行く前に、朝鮮は既に長
く「清朝」、否それ以前も、恒久的に支那の各王朝から庇護を受ける
「属国」で有った。その清朝が朽ち掛けたところを、虎視眈々と狙っ
ていたのは露国であったことも、正常な頭の持ち主なら誰もが知ると
ころである。「じゃあ、貴方たちは露国に統治して欲しかったのです
か。」位のことは、正直な人間なら言うべきだ。満州に入って来た
露国が何をしたのか、連中、パルチザンとか称して露国人と連携して
いたのだから、良く知っている筈だ。鉄道の軌条・電線まで引っぺがし
て持って行った露助である。あれが、露国だったら、北鮮には禿山
(元々自分でやったこと)以外には何も残ってはいなかっただろうに
。(鴨緑江の大発電所など、発電機ごと完全に持ち去られたことであ
ったろう。あれも日本人が作った。)それに、多くの日本人が全ての
財産を残して追放された。あの人達のものを返してやるつもりなどな
いだろう。第一、露国なら、一度取った領土は、永久に返還などしな
い。ラスプーチンみたいな名前の今の露国大統領(米国の真似だろう
)が、日本のために口利きしてくれたなどと、直ぐ喜ばんばかりの報
道連中も、実に情けない。あの国は、露国は、泥棒国なのだ。ことも
あろうに、鈴木何とかと云う金権政治だけを資質とする様な「小悪党
」が暗躍するには丁度手頃な出鱈目社会・国家、を仲介に頼むとは、
手玉にしようとして逆にやられてしまった六十年前の「松岡洋右」の
方が遥かに上だし、朝鮮人の理不尽な歴史的訓戒にびくつく前に、
そのプーチンとやらに「シベリア強制労働補償」を訴える位の構えが
なければ、その両方から取られっ放しにしかならないことは目に見え
ている。それと、朝鮮は「非植民地」化などされてはいない。大日本
帝国の一部として編入されたのである。どちらにしても、そこに居た
人間にとっては同じことだ、といいたい筋もある様だが、その時代の
朝鮮の人達には、多くが日本天皇を盟主として戴くことを名誉に感じ
ていた現実があったことを知らなければならない。あの時代の朝鮮の
地主階級と云うのは,大変な搾取で、最近、日本人に土地を追われた
などと云う実しやかな日本統治歴史批判をする向きがあるけれども、
そうではなくて、そう云った気の毒な朝鮮の貧農達の救済を企図し、
満蒙開拓の地へ移動したと云うのが現実であった。それに、植民地時
代の補償など、つい最近まで百五十年もの長きに亘り植民地であった
香港など、係る「補償」らしき話しすら聞いたことがない。一体、何
を根拠に「補償」を要求するのか。実質でもなければ、国際法上でも
ない。これは単なる「ユスリ」以外の何物でもない。(尤も、その知
恵をつけているのは、間違いなく日本人であろう。然も、恐らく「自
民党」系の連中が、それを強力に後押ししている様だ。)加えて、
日本の政治家(屋)と云うのは、部内、詰まり国内での「料亭談合」
だけが、得意らしくて、外人相手となると、白人であろうが黒人であ
ろうが支那人であろうが、兎も角「真艫に」お話が出来る人は非常に
少ない様だ。実におかしなことばかりで、話は尽きないが、もう何年
も「人道的見地からの援助」と称して莫大な食糧援助をし続けている
ことも許せない。米など、我々は屯当四十万円も出して買っているも
のを、請われる度に(時々は断っているが。然し、残念そうに。)
気前良く「何十万屯」も献上している。あれは一体、何処の誰の権限
事項なのか。国会で審議され採決されたと云う話は、少なくとも自分
の記憶にはない。知るところでは、前回の六十万屯は「野中」先生の
「鶴の一声」で最終決裁となった如くであるが、自分の金でもないの
に、大層羽振りと気風の良いことではある。あの人たちは、概して皆
、そうだ。労働などしなくても、運動(殆どが、私に言わせれば、揉
み手と虚勢が元手と云う面白ヤクザ行動)で「大枚」が天から降って
来る式の、悪銭的不労所得に耽溺して、金銭的・営業的平衡感覚を失
っている。その上に、政権党の構成員、然も、その幹部ともなれば、
政治献金であろうが国の金であろうが、其所有者としての責任からも
義務からも完全に自由な形で、使い放題。(成金は、とかく、その品
の悪さを以て蔑視を受けるが、彼等は税金を払っているのだから、
未だ立派なものだ。)証拠がないだろうと、居直るだろうが、北鮮に
対して微笑を振り撒く日本の国会議員達は、大体「掴まされている」
と云う噂が、通説の如くになっているらしい。彼等は朝銀にもパチン
コ屋にも足を向けて寝られないと云う冗談を言う人もいる。それで、
北鮮は、「戦後」関係で、一儲けする最後の機会と「したい」輩が問
題なのである。民間では、嘗てODA頂戴式で東南亜細亜等に於いて稼ぎ
捲り、そして今や「尾羽うち枯らした」状態のゼネコン等、恐らく
神棚に三拝しているところも多い筈だが、それを直接的・間接的手法を
持って「ピンはね」する夢を抱く「政治屋」連中の動きが活発化して
来るだろう。何が人道援助であろうか。自国の子女を誘拐する国に
人道援助とは、全く、笑い話だが、そんな輩が「偉そう」にしていら
れる日本は、間違いなく、戦前以下である。今は、「軍閥」と云う常
套句で「悪」の代名詞にされている、終戦前の軍部でも、太平洋に於
ける米軍との戦いが始まる以前であれば、例えば「満州事変」の当事
者達など、その生き方の礎は「私利私欲」ではない。現在の権力者達
が、これから何十年か後に歴史として、そのあり方が正しく伝えられ
たとしたら、真摯な学生たちはそれを読んでどんな印象を持つであろ
う。即ち、「強欲で理想も持たない、真っ当な努力もしない、品もな
く、程度の低い人達がこの国を代表していたのだ。その結果、僕達は
今 ・・・・・・・。」
mersey1fmsf
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(Fのコメント)
それでは、あなたはどう拉致問題を解決するのですか??

なんでも批判は簡単ですが、その解決を武力でしないとすれば、
解決の手段は交渉しかないのですよ。もし、拉致問題を知らない
とか解決しないと北朝鮮の金正日が言えば、交渉決裂にして帰って
くればいいだけです。失敗しても、日本はこの交渉で失うものがあ
りません。
一方、北朝鮮は日本からのODAの援助や農産物の支援を失います。

その交渉のきっかけもダメと言えば、もう時間的生物的な解決しか
ないことになる。それは拉致された家族の皆さんには絶えられない
ことですよ。

ダダッコのようなことを言わずに、交渉妥協点の条件を議論するべ
きですよ。
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件名:気概と気迫  
打つ・絞める・投げる、何でもありの格闘技ブームのことを先日書
いたが、国と国との外交や交渉もそれに似た格闘ゲームではないだ
ろうか。三日付「正論」で佐伯彰一氏もお書きになっていたが、
「のっけからまず相手に一発かませるのだ」。

ところが報道によると、わが外務省幹部は「拉致問題の解決は常識
的に考えて非常に難しい」などと述べたという。なんだこれは? 
小泉首相は「拉致は日本国民にとって重大な問題」と改めて強調し
たというのに、これでは交渉する姿勢にも何にもなっていないでは
ないか。

外交とは打つ・絞める・投げる、すべての技を総動員した頭脳と
言語と想像力の格闘技といっていい。最近はディベート(討論)学と
いわれる技術の研究もある。言葉をかえれば交渉力の開発で、その
実践者である評論家・北岡俊明氏によると…。

交渉力を決定するのは「言語力」と「思考力」と「ディベート力」
の三つだという。言語力とは交渉の当事者のコトバの能力と技術で
ある。対話、議論、討論、論争などの話しコトバと、文章という書
きコトバが使われるが、明治の政治家に迫力があったのは言語力が
あったからだった。

思考力とは創造性ゆたかな洞察と、考えに考えぬいた論理の力であ
る。外交家には国家を代表する英知がなければならない。そして
ディベート力とはその言語力と思考力とが統一されたもので、
「言語力×思考力×ディベート力=交渉力」となるという。

ありていにいえば国際関係の交渉力とは政治力であり、政治力は
軍事力+経済力だろう。
しかし格闘技では柔よく剛を制し、小もよく大を倒すことがある。
まず何より国益を守る、必ず守りぬくという気概と気迫が必要なの
である。

産経抄から抜粋です。
Kenzo Yamaoka
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件名:『氷川清話』  
またまた産経抄からです。読まれている方にはご免なさい。

夏休みも終わりにきて小泉首相は“宿題”をいっきに片付ける挙に
でた。それもたまりにたまっていた積年の大宿題を。ひとの意表を
つくことこそ外交の神髄といっていいが、しかし北朝鮮訪問の決断
は大いなる賭(か)けにもなることだろう。

このニュースにはだれもが驚いたが、予兆がないではなかった。
外務省局長級協議の共同文書では「政治的意思をもって取り組むこ
とが重要」とトップの政治決断を促している。小泉首相の金正日総
書記あての手紙には「勇気づけられ、感謝したい」という返事が伝
えられていた。

そこで先日も小欄で念を押したのだが、かりに訪朝が破談に終わっ
たとしても困るのはあちらであり、こちらではない。また政治的決
断を下すべきトップとは、金総書記であって小泉首相ではない。
この二点はしっかり確認しておくべきだろう。

幕末の勝海舟は希代の交渉家といわれた。対露外交でも鮮やかな
手腕をみせたが、のちに『氷川清話』でこう語っている。「きっと
戦いに勝とうというものには、なかなか勝ち戦はできない。人には
余裕というものが無くては、とても大事はできないよ」。

“微笑と脅し”は旧ソ連の外交戦術だったが、北朝鮮も同じ全体主
義国家としてそれを踏襲している。こんどはその微笑戦術をえらん
できたわけで、それにどう対応するか。
 日本はきちんとした外交方針と国家戦略をもってのぞまなければ
ならない。

小泉首相に限ってそんなことはないとは思うが、政治家がへんな
功名心を抱く時、国をミスリードする。これを仕上げれば歴史に名
の残る宰相になれる、などといった野心をあらわにする時である。
“宿題”を仕損じるどころか、国そのものを危うくさせてしまうの
である。
Kenzo Yamaoka
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「氷川清話」講談社学術文庫
  
 勝海舟は明治32年まで生きていた。西郷・大久保が倒れ、帝国議
会が生まれ、日本が日清戦争に勝って三国干渉で屈辱にまみれてい
たところまで見ていた。
 晩年は赤坂にいた。明治5年に静岡から戻ってずっといたのだか
ら、25年も棲んでいたことになる。氷川である。松岡正剛事務所と
編集工学研究所は赤坂稲荷坂に越してからは、毎年正月を氷川神社
に挙って初詣をすることにしているのだが、その氷川神社のそばに
寓居した。77歳で亡くなった。

幕末維新のすべてを見聞した男で、かつ自由な隠居の身で好きなこ
とを喋れる男は海舟しかいなかったから、その氷川の寓居には、
東京朝日の池辺三山、国民新聞の人見一太郎、東京毎日の島田三郎
らがしょっちゅう訪れて、海舟の談話を聞き書きした。それを人よ
んで「氷川清話」という。

新聞連載を編集しなおして吉本襄が大正3年に日進堂から刊行した
『氷川清話』が有名だが、そのほかに巌本善治の『海舟余波』もあ
る。子母沢寛や司馬遼太郎も海舟を描いて存分ではあるが、本人の
言葉だけでできている清話は、もっと格別である。

話は、自分が「海舟」という号をおもいついたのは佐久間象山が「
海舟書屋」と書いたのを見て、それがよくできていたからだったと
いうところから始まり、咸臨丸による渡航ののち浦賀に着いたとき
、桜田門の変があったと聞いた瞬間に、これはとても幕府はもたな
いと見たというように進んでいく。

なるほどそうかと思わせるのは、幕末維新で「広い天下におれに賛
成する者なんて一人もいなかった」というくだりで、海舟はそうい
うときは「道」という一文字を思い描いて、ひたすら自分で自分を
殺すまいと誓っていたらしい。その海舟の気持ちをわずかに理解し
ていたのは山岡鉄舟くらいのものだったという。

それから人物論に入っていく。おそらく聞き手があの人はどうでし
た、この人はどんなもんですかと聞いたからであろうが、海舟は大
人物というのは百年に一人現れたらいいほうで、いまの御時世から
するとあと二百年か三百年のちになるだろうというような見識なの
で、容易に人物批評はしない。

なかで、「いままでに天下で恐ろしい人物がいるものだ」とおもっ
たのが二人いて、それは横井小楠と西郷隆盛だという。小楠は他人
には悟られない人物で、その臨機応変は只者でなく、どんなときも
凝滞がない。つまり「活理」というものがあった。南洲はともかく
大胆識と大誠意が破格で、その大度洪量は相手の叩く度合いでしか
動かない。

それにくらべると、藤田東湖などは国をおもう赤心がこれっぽっち
もなく、木戸孝允は綿密なだけで人物は小さく小栗上野介は計略に
は富んでいたものの度量が狭かった。榎本武揚や大鳥圭介なんての
はただのムキになるだけの連中だ。

そんな忖度のついでに、山内容堂には洒落があったから英雄になれ
たのではないか、近江商人は芭蕉の心を生かしている、芸者や職人
と付き合えない奴はなにほどでもない、おれが放免してやった泥棒
たちの話に時代を読めるものがひそんでいたねえ、などという炯眼
キラリと光る雑談がまじっていく。

海舟は「時勢が人をつくる」という見方を徹している。また、今日
の時代(明治後半)は「不権衡」であるとみなしている。不権衡と
は不釣合いという意味で、バランスがないということ、こんなとき
に何を焦ってもうまくはいかないというのだ。

このあたりの清話はまさに政談で、今日の日本の政治家や経済学者
にもよく聞かせたい。こういうことを言っている。
政治家の秘訣は何もない。知行合一をはかるだけである。ただ、
国家というものは、1個人の100年が国家の1年くらいにあたるから
、この時間の読みをまちがえてはいけない。内政については地方を
よく見るべきで、昔なら甲州・尾張・小田原だ。そこに秘訣が潜ん
でいた。

外交は、いったい誰が外交をするかということが重要で、その外交
にあたった者はともかくいっさいの邪念を捨てて臨む。明鏡止水の
心境をもたなければいけない。しかし、ひとつだけ外交の秘訣をい
えば、それは「彼をもって彼を制する」ということだ。

それから外国に安易に借金をしないこと、軍備を拡張しすぎないこ
とである。軍備がなければ国は守れないが、軍艦ひとつ1マイル走
らせれば1000両かかるのだから、よくよく気をつける必要がある。
逆に軍備縮小については、これを吹聴してはならない。軍事はあん
なに重装備のものだが、実は呼吸なのである。

海舟の政談はまだ続く。
問題は経済で、と言う。たしかに経済がいちばんややこしい。
しかし最初にはっきり言えるのは、まずもって経済学者の言うこと
なんて聞かないことだ。政治家が経済学者の言葉に耳を傾けるよう
になったら、おわりだというのである。そのうえで、言う。だいた
い「日本のただいま不景気なのも、別に怪しむことはない」。理屈
では何も変わらない、それが経済だ。人気と勢力がすべてをゆっく
り変えていく。

ただし、「然諾」(約束)というものだけは守らなくちゃいけない
。この、経済の然諾を何にするかというのが難しい。人民が喜ぶか
らといって、おいしいこと、いいことばかりを最初に約束してしま
っては、あとが困る。大切なのは根気と時機(施策のタイミング)
なのである。

海舟は実は経済施策につねに関心をもってきた。関心があるだけで
はなく、実際にもいくつもの手を打っている。
金の配分にも絶妙なところがあって、いつもタイミングをずらして
いる。もともと海舟には貨幣とか通貨というものに国家の秘密を嗅
いでいるようなところがある。『全国貨幣総数大略』などという著
述があるほどなのだ。

けれどもその一方で、経済の本当の活性化は、「待合や料理屋や踊
りの師匠や三味線の師匠たちを繁盛させられるかどうか、そこにか
かっているのだ」という。これはかなりの卓見である。江戸本所に
生まれて赤坂に死んだ江戸っ子気質が言わしめたとは片付けられな
いものがある。実際にも、幕末の江戸の経済のため、海舟はそうい
った連中にお金をまわすのを忘れなかった。そのため、江戸は幕府
倒壊の渦中ですら、おおいに繁盛していたのである。

海舟は行政改革や地方自治についても発言をしている。
行革をやるのはいいが、その方針がたったからといって何もできは
しない。ケチな連中を相手の行革なのだから、そのケチにケチを言
わせないようにやらなければならない。

方針なんてお題目で、それはそれで措いておきなさいというのだ。
「それより改革者が自分を改革していることを見せるのが一番の行
革なんだ」。

もうひとつ、猟官を出さないこと、出したら取締まること、これで
ある。地方自治の問題だって、いまさら珍しい名目じゃない。徳川
を見なさい、すべては地方自治だった。それを真似ろとはいわない
が、上からの地方自治をいくら提案したってダメだろう。名主とか
五人組とか自身番とか火の番とか、かつての工夫があったように、
そういう工夫をもっと大きな仕組みで提案したほうがいい。

もうひとつ注告がある。それは政治家はめったに宗教に手を出さな
いことだ。これはとんでもない大事をひきおこす。それこそ「祟り
」が返ってきかねない。そんなことも言う。

こうして海舟が「真の国家問題」として重視したのは次のことであ
る。「今日は実に上下一致して、東洋のために、百年の計を講じな
くてはならぬときで、国家問題とは実にこのことだ」。
おれも国家問題のために群議をしりぞけて、あのとき徳川300年を棒
にふることを決意した。そのくらいの度量でなければ国家はつくれ
ない。ただ、これからは日本のことだけを考えていても、日本の国
家のためにはならない。よく諸外国との関係を見ることだ。

そのばあい、最も注意すべきなのが支那との関係で、すでに日清戦
争でわかったように、支那を懲らしめたいと思うのは、絶対に日本
の利益にならないということだ。

そんなことは最初からわかっていたことなのに、どうも歯止めがき
かなくなった。これはいけない。支那は国家ではない。あれは人民
の社会なのだ。モンゴルが来ようとロシアが来ようと、膠州湾が誰
の手にわたろうと、全体としての人民の社会が満足できればいいの
である。そんなところを相手に国家の正義をふりまわしても、通じ
ない。これからは、その支那のこともよく考えて東洋の中の日本と
いうものをつくっていくべきだ。

この海舟の読みは鋭かった。まさに日本はこのあと中国に仕掛けて
仕掛けて、結局は泥沼に落ちこんで失敗していった。
かくして昭和の世に、勝海舟は一人としていなかったということに
なる。
Kenzo Yamaoka


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