1011.建設中心経済からの脱出



今までの経済体制が無効化してきた。今まで戦後60年間、日本は
戦後復興、バブル経済と建設投資が経済の中心だった。その経済体
制を見直さないといけない状態になっている。   Fより

1945年の敗戦で、日本の建物のほとんどが崩壊して、戦後一貫
して建築ラッシュの時代が続いた。そして、建物が一段落した途端
に1964年に東京オリンピックで東京の街を大々的に模様替えし
て、首都高を作り、新幹線を作った。1970年には大阪万博、
1975年沖縄万博と建設のラッシュで、1980年以降は、バブ
ル経済になり、ゴルフ場や高層ビルが立ち並んだ。
このように1990年までは日本は建設に沸いた時代を長いことし
てきた。しかし、徐々に投資するべき建築物がなくなってきている。

しかし、1990年以降景気が悪くなり、建設業で就業者の増加を
させてきた。この増加は不況対策のための公共投資の増加によるの
であり、本来は必要が無い建設物を建てた。このため、その建築費
や使用コストが嵩み、地方自治体の運営が財政危機に陥ってしまっ
た。

そしても増して、日本を支えるべき大企業の競争力は大きく減退し
ている。国際競争に負け始めているためであるが、その企業からリ
ストラされても、建設業には余剰人員を受け取る余地がない。公共
工事も、財政危機のため、削減せざると得ないことになっているた
めであるが、建設業界も淘汰の波が押し寄せている。それにより、
ビルが建たないとその中に入る什器やIT機器も減ることになる。
日本経済全体が、ビル建設の減少により縮小し、恐慌のような状態
になる可能性がある。

このため、米国は戦争経済に移行して、戦争特需を起こそうとして
いる。しかし、日本はこのようなことができない。日本の国家の原
資を10年上掛けて緩やかに消費して、基礎体力を使い果たした。
それでも、気がつかない政治家のために、日本は破局の方向に向か
っている。
それでは米国のようなテキサス・カーボーイ的な正義の味方ができ
るかというと、日本には真似ができない。日本は、日本の道を見つ
ける必要があるのです。

この状況を解決するためには、動的社会から静的社会になったとい
う認識が必要である。この静的社会の典型がヨーロッパ社会でしょ
う。変化がほとんどない。
人間がガツガツしていない。家も何百年も使っている家を修理して
使用している。全体的には質素な生活である。大きな会社も少ない
。個人でやっている会社が多い。建設会社も多くない。

それでは、この社会の需要創造は何か??
個人でしている事業は、サービス関係が多いし充実している。
このように建設からサービスへの転換が必要なのであろう。
物売りから、サービスへの転換が必要であり、この道具として、
ITが重要なのであろう。サービスが距離を克服する。監視業務は
世界どこでもできる。会計処理サービスもインターネットを使えば
、多くの人にサービスできる。このように個人主体の高度サービス
産業は、インターネットに馴染む性格がある。

ベンチャーもこのようなインターネットを利用したサービス等に
チャレンジしてほしいものである。個人が大企業にできないサービ
スを提供するようになれば、大きな需要がそこから発生するように
思う。大企業より小企業が今、元気である。大企業が2億円で行う
ことを、個人企業は200万円で実行できるようになったのです。
この差は大きい。(*989.企業改革に向けて で事例あり)

信頼性より機能的な条件が満足できれば、価格差があまりにも大き
すぎる。信頼性確保には2台同時に動かせばいいのであるから、
400万円も有ればいいである。
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お家芸の競争力強化に戻れ
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ベンチャービジネスの輩出が決め手
≪「ジャパンナッシング」の時代≫

 不況の続く日本経済にまた大きな衝撃が走った。ナスダックが
大阪証券取引所と提携を打ち切ることを決めたのである。ベンチャ
ービジネスが資金調達の基本となる取引所として大きな期待がもた
れていた。特に、ベンチャーキャピタルがベンチャービジネスに投
資をしてそこで「イグジット(出口)」するためには上場が不可欠で
あり、容易に上場できる証券取引所はベンチャービジネスが発展す
る基礎的なインフラである。

 そして、より広い投資家がこれに参加することが求められる。
ナスダックが成功したのも全米でネットワークを形成して、規模の
小さなベンチャービジネスの株式を取引可能な地域を広げることで
カバーしたのであった。この意味で、ナスダックと大阪証券取引所
の提携は期待がもたれた。すなわち、大阪で世界の市場と直結で取
引の可能な市場ができたことは、日本のベンチャービジネスの発展
のために大きく寄与するものと期待されたのであった。

 結局、ジャパン・ナッシングになってしまった。バブル時代には
ジャパン・バッシングであったが、バブルが崩壊しジャパン・パッ
シングとなり、ついに、ジャパン・ナッシングになってしまってい
る。次の経済の主役と期待のもたれているベンチャービジネスです
ら見放されている。

≪経営者の若返りが改革条件≫ 

 これだけ長期の不況であったのは、単なる需要の不足でなく、
競争力の低下であるとの認識はようやく出てきた。競争力の低下し
た日本経済にはなんの魅力もなくなっている。
 十年間設備投資が停滞していて、ITなどの技術革新に未(いま)
だ対応できていない状況では競争力が落ちてゆくのは当然のことと
なる。

 この長期の不況から脱するためには、不良債権処理や規制緩和が
必要なのはいうまでもないが、本質的には赤字企業はゴーン氏の
日産のような企業改革が必要となる。そして、ベンチャービジネス
が経済のイノベーションの軸になって行くことが日本経済再生への
道である。

 今回のナスダックの撤退は日本経済再生に対して落第点を突きつ
けられたことになる。
 それは、アメリカが長期の経済混乱から脱するために行った様々
な改革に比し、日本経済の改革はまだまだ小手先のイメージが強い
。実際、デフレ経済の下で、企業の競争力強化は厳しい話となる。
不況産業といわれる企業にはもっとリストラや産業再編を求められ
ることになる。日本型経営システムを変えて、現在、世界的な傾向
にあるITでネットワーク化されたモジュール型組織へ変更しなけ
ればならない。IT化で不要になる大量のホワイトカラーを何とか
しなければならない。

 そして、このような改革は経営陣の若返りがなくてこれを実行で
きるわけはない。戦後の多くの企業がそうであったように、改革の
必要な企業では社長は四十歳代にしなければならない。

≪危機感が生まれないデフレ≫
 しかも、危機感の不足が指摘される。実際、多くの人にとって
デフレは決して悪い環境ではない。大部分の国民にとってデフレで
生活は楽になっている。百円ショップの出現によってこれまで千円
で売られていたものを百円で買えるので、一〇倍生活が楽になる。
 ハンバーガーや牛丼を食べている限り、一日千円札が二、三枚で
生活できる。これでは危機感が生まれない。

 このような現象は、十九世紀イギリスで典型的にみられた。十九
世紀には実質の輸入が拡大したのに対して、名目の輸入は増加しな
かった。日本、ドイツなどの後発工業国の追い上げで安い商品が
輸入されたからであった。これによって国民生活は豊かになったが
、やがてイギリスの産業は崩壊し、この結果、生活も貧しくなった。

 戦後、産業の競争力強化は日本の経済政策の最大の目標であった
。すなわち、競争力強化は日本のお家芸であった。これによって、
日本はいわゆる経済大国となり、その後円高となって日本人の生活
水準も急速に向上した。しかし、その後、競争力強化は関心外とな
り、景気対策に移った。そして、競争力の低下はやがて為替レート
の低下によって日本人の生活も悪化させる。ところが、国債発行に
よる景気対策を行って蛸(たこ)が足を食うことで、満足していた。

 今日、本当にその足がなくなりつつある。足を増強して餌をたく
さんとれる仕組みを構築する以外に選択の余地はない。ベンチャー
ビジネスの可能性を最大限高めることに努力し、競争力強化のため
の改革を進める以外に日本経済の進む道はない。(よしだ かずお)
                 京都大学教授 吉田和男
Kenzo Yamaoka


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