998.ヨハネスブルグに持っていく一冊として



ヨハネスブルグに持っていく一冊として   得丸

きまじめ読書案内 ミッシェル・ボー著「大反転する世界 地球・
人類・資本主義」(藤原書店、2002年、3800円)

ヨハネスブルグ・サミットの話題が盛り上がらないというけれど、
それは地球環境問題の深刻さが参加者に伝わっていないからではな
いだろうか。著者は、国境・国籍におかまいなく混乱を極めつつあ
る世界を直視し、「迫りくる危機への対策を見いだすための意識の
覚醒をうながしたい」という動機にもとづいてこの本を書いた。
この本を読んで、サミットに参加するための意識づくりをしてはど
うだろう。

「紙、排気ガス、家庭ゴミから始まって、化学汚染物、重金属と放
射性廃棄物にいたるまでのゴミと廃棄物を現代の人類は世界中に撒
き散らしている。」

「肝心なことは非難することではなく、確認することだ。地球を傷
つけている点で、事態は急激に進行している。すでに確認されてい
る危険だけでも枚挙にいとまがない。」

「水俣、ボパール、チェルノブイリ。工業化された現代の本質を示
す灯台の役割を果たすこうした事故を考えるとき、過去二世紀間に
わたる労働災害と職業病、鉱工業における大災害について、また
一定の時を置いて継続的に発生した汚染、または偶発的つまり突如
として発生した汚染について、思いをめぐらせざるを得ない。なぜ
なら、、、、世界のすべての場所で企業は、労働者の健康、水、空
気、周辺の土地に害を与え、その結果、住民の生命を脅かしている
からである。」

 現代の人類は、自分さえよければいいという考えに陥って次の世
代、こどもたちの世代のことを考えずにいる。2015年には、「こう
なるまでどうしてほったらかしにしておいたの」という問いかけが
若い世代から寄せられるであろう。

 未知の病によって人々は次々に死んでいく。女も動物も、大地も
不毛のまま。
テーベの地を襲ったこの呪いからどのように逃れたらよいのか。
この呪いの原因を尋ねるギリシャ神話のオイディプス王に対して、
盲目の予言者テレイシアスは、逡巡の末に答える。
「聞くがよい。それはあなただ、この地を汚す罪人はあなた自身な
のだ。,,,,あなたは今この時点において自分がどんなに悲惨な状態
にあるのか、共に暮らしている人が誰であるかも見えていない。,,
, あなたが気づいていない禍いはまだはかり知れず、それによって
子供たちと同じ低いレベルまで身を落とすことになるだろう。」

 これは聞くに耐えない真実なのである。現代を生きる人類は、
ギリシャ悲劇のオイディプス王と同じ過ちを、無自覚に行ってしま
っているのだ。

「私たちの社会も自分自身も、地球、生物、人間と人類に対して深
刻な脅威を生みだすような生活しかすることができない。そして
依然として現代社会の大きな底流となっている進歩主義のイデオロ
ギーは、歴史の必然性の迷路の中で、人々を行き止まりから行き止
まりへと引っ張りまわしている。」

 環境問題を深刻化させるように競い合って作用している各種パワ
ーは強烈で、きわめて強大だ。人口増大、欲望の膨張、不平等の拡
大、経済成長への欲求。金銭にその基礎をおく新しいアパルトヘイ
トが姿をあらわし、そこからも社会、文化、環境の破壊は拡大して
いく。

 私たちは、現実を見なければならない。自分たち自身の存在が、
生活が、この地球上に災厄をもたらしているのだという厳然たる事
実をひとまず受け入れなければならない。勇気を出して、現実から
目を背けないで。環境問題が解決されるためには、厳しく悲惨な
現実を直視するところからはじめるほかはない。

まずは、徹底的な絶望を味わいなさい。すべてはそこからしか始ま
らない。こうして我々は水俣の緒方正人さんの「チッソは私であっ
た」(葦書房、2001年)とほぼ同じ結論へと導かれる。

 ボーは言っていないが、緒方さんが言っておられるのは「生命と
しての記憶をよみがえらせなさい」ということだ。人間だけがもっ
ている過剰な欲望や消費社会の記号から逃れて、ひとつの生き物と
して生きてごらん、と緒方さんはいう。
(相思社のHP参照)

 ヨハネスブルグに行く途中の読書として、緒方さんの本ともども
お勧めの一冊である。
(2002.08.19)
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各位、
私ごとですが、地元の新聞に紹介されましたので、ご参考までお届
けします。

最後の部分「地球を環境悪化から守るための具体策を話し合う」は
「話し合いたいものだ」という希望の現われです。

得丸久文

http://www1.coralnet.or.jp/kn/

水俣病の教訓世界へ  国連サミット参加の得丸さん
平成14年8月19日

 二十六日から南アフリカ・ヨハネスブルグで国連が開く「持続可
能な開発に関する世界首脳会議(環境・開発サミット)」に、県内
から環日本海環境協力センター(富山市牛島新町)の得丸久文次長
(42)=富山市東中野町=がNGO(非政府組織)の一員として
参加する。海洋汚染監視に携わる得丸さんは、熊本県で人々を苦し
めた水俣病を「魚など の生物を介した世界初の公害」と位置づけ
「世界にあらためて伝えたい」と話している。

 得丸さんは県環境科学センター(小杉町中太閤山)内のアンテナ
で受信した人工衛星画 像を解析し、海洋環境汚染の現状を調査。日
本と韓国、中国、ロシアが共同で海洋環境保全に取り組むNOWP
AP(北西太平洋地域海行動計画)富山本部事務局の発足に向けた
準備を進めている。

 NGOのヨハネスブルグサミット提言フォーラム(東京)の一員
として準備を進める中で、水俣病への関心を深め「苦しんだ患者は
自然に対する恐れを抱き、地球環境汚染を自分のこととしてとらえ
ている」と感銘を受けた。サミットでは水俣病患者数人と協力し、
 同病の写真展を開催。患者が公害の悲惨さを訴える場も設ける。

 水俣病については一九七二(昭和四十七)年にストックホルムで
開かれた国連人間環境会議で、患者らが現状を訴え世界に衝撃を与
えた。得丸さんは「三十年経ち、当時のショックは薄れつつある。
今回は地球規模で進む海洋汚染の象徴としてとらえ、現状に警鐘を
鳴らしたい」と話している。

 同サミットには、世界百七十カ国以上から政府代表やNGOら約
六万五千人が参加。地球を環境悪化から守るための具体策を話し合
う。
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件名:忘れた頃にくる天災  
忘れたころにやってきたのは日本の天災だけではなかった。中東欧
を襲っている大洪水だ。
チェコを流れるモルダウ(ブルタバ)川の水位はようやく下がりつつ
あるが、一時は古都プラハの街並みが濁流にすっぽりとのまれてし
まった。
 
 プラハは小説家カフカが生まれ、生涯の大部分を過ごした町であ
る。無二の親友マックス・ブロートの『フランツ・カフカ』によれ
ば、若いころのカフカは夏、モルダウ川で泳ぎ、ボートに乗るのを
好んだ。病弱な印象の強いカフカだが、川は心身を快活にしたようだ。
 
 特にブロートとはボートの上で、時にケンカ別れするほどの激し
い議論を繰り返した、という。それが『城』などのカフカの思想を
形成していったと言ってもいいだろう。いわば、モルダウ川がカフ
カの小説を育(はぐく)んだのだが、今その流れがプラハ市民を襲っ
たのだ。
 
 欧州を旅行した日本人は、その川の情景に驚く。川幅の広さや
ゆったりとした流れ、行き交う船の多さである。日本人が暴れ馬の
ように川を飼いならし治めてきたのに対し、こちらはおだやかな流
れを利用し、川に育てられてきた。気候や地形の違いである。
 
 しかし、そんな母親のような流れも「百年に一度」の大雨にあえ
ばこれほどの牙をむく。
 流れがゆるやかなだけに一度氾濫した水はなかなか引かないのだ
ともいう。これはもう、自然の脅威に畏怖せざるをえないが、カフ
カは日記に次のような言葉も残している。

 「激しい雨。この雨に身をさらして立ち、鉄(くろがね)の雨足の
貫くに任せよ。…でもちょっと立ち止まれ、身体をまっすぐに起こ
して待つがよい、突如として無限の光を注ぐ太陽を」。精神の絶望
に対して述べた警句であるが、ここは文字通り太陽を待ちたい。
産経新聞 産経抄から。
Kenzo Yamaoka

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