972.得丸コラム



このところミナマタにはまっています。
本当に面白い思想が生まれているのです。

水俣によったついでに、熊本在住の渡辺京二さんに電話でごあいさ
つしてきました。東京の講演会で一度お顔を拝見し本に署名をいた
だいただけで、お電話を差し上げるのは初めてでしたが、水俣・相
思社から電話をしたというだけで、旧知の間柄のような感じでお話
しさせていただきました。この点でも、ミナマタはすごいパワーが
あるといえるでしょう。

得丸
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        聖地ミナマタ 
なぜ水俣は地球環境問題にとっての聖地であるのか
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1 はじめに
 私がヨハネスブルグ・サミット提言フォーラムの幹事になったの
は今年の5月23日であった。現地ロジ情報があまりに得られず
みんな困っていたので、南ア・ウォッチャーとして黙って見すごす
ことができず、幹事に立候補したのだった。

 ヨハネスブルグ現地での移動、宿泊、食事そして展示やセミナー
といったロジを、もっとも効率良く行なうためには、現地の情報入
手に加えて、日本からどのような人々が何をするために、どんな
情報発信や交流を求めてやってくるのかということも配慮しなけれ
ばならない。

 日本のNGOが世界の人々に向けてどのようなメッセージを発信した
いのか、を把握しないことには、ロジ対応はできない。

 提言フォーラムやヨハネスブルグ(J_BURG)2002のメーリングリス
ト上のメールのやり取りをみていた限りでは、世界に向けての具体
的なメッセージはあまりなかった。

 提言フォーラムの分科会として成立したのは、エコツーリズムと
、環境教育であり、実際に熱心な分科会活動が行なわれたのは、
環境教育だけだった。この環境教育においても、具体的な現場での
教育実践の具体的な中味というよりは、国連に環境教育の10年を認
めてもらおうというどちらかというと政策提言型の活動であった。

 誰か具体的なメッセージをもっていないだろうか、現実体験に根
ざした重たい言葉を世界の人々にぶつけようという人はいないだろ
うか、と模索した。たまたまJ_BURG2002のMLに参加しておられる
柳田耕一という方から何度かメールをいただいていたことを思い出
した。たしか柳田さんは水俣病センター相思社や水俣生活学校を作
った人ではなかったか。
 
「柳田さん、いっしょにヨハネスにいきませんか」と顔も見たこと
もない人に向かってメールを出すと、8月は日本のこどもたちを連
れてモンゴルに行くのでヨハネスブルグには行けないが、代わりに
相思社を紹介します、とメールが返ってきた。こうしてミナマタと
のコンタクトが始まった。5月27日の週のことだった。

2 生きているのではない、生かされているのだ

 6月3日の週には、ヨハネスブルグ現地事前調査(調査期間6月
17ー27日)の準備作業と、私が直接関わっていたヨハネスブルグ
・サミット八尾地域セミナーの開催(6月8ー9日)があり、ミナマ
タのことについて本でも読んでみようかと思うゆとりが生まれたの
は、翌週も末の6月15日の土曜日のことだった。

 近所の図書館で文献検索を行なってできるだけ新しい本を探し出
し、緒方正人著「チッソは私であった」、「常世の海に漕ぎ出して
」、水俣病患者連合著「魚湧く海」を借りてきた。また、自宅には
「水俣病の科学」が積ん読になっていたので、それも読んだ。
(なお、「チッソは私であった」、「水俣病の科学」、石牟礼道子
「苦海浄土」を、ヨハネスブルグに住む友人に持参した)

 緒方正人さんの著作には衝撃を受けた。緒方さんは、国やチッソ
という非人格的な存在(法人)を相手に訴訟することの不毛さや、
結局裁判闘争で勝ち取ることができるのが補償金という名目のお金
でしかないことの虚しさを実感して、1985年の時点でいちはや
く患者認定申請を自ら取り下げた人だった。感覚が鋭く、かつすぐ
に実行に移す方である。

 緒方さんは、チッソを加害者と呼び、水俣病患者を被害者と呼ぶ
が、それは所詮人間の世界に限っての話にすぎないという。公害闘
争も労働運動も、近代化への抵抗といいながら、結局のところ近代
化に対応するもうひとつの近代化であっただけのことだ、とクール
に見る。

 補償金を得ることも、医療補助を受けることも、それらはすべて
ちっぽけな人権という名前の制度にすぎず、人間のことしか考えな
い人間中心主義を抜け出てない。いつのまにか人間は、人間だけに
しか通用しない概念や制度(人権や市場原理など)の中でだけ生き
る存在になってしまった。

 これまで当たり前だと思っていた人間社会の中でしか通用しない
さまざまな取り決めや常識を逃れて、ひとつの生命体としての自分
自身に立ち返ると、世界の見え方が変わってくる。目の前の世界が
深みを帯びてくる。生命体として帰属すべき世界が目の前にひろが
ってくる。

 そうするとチッソの補償金をもらって、チッソの工場から出荷さ
れた製品を買うのは、患者自身がチッソ文明を生きているというこ
とと同じだ、かつて水銀をタレ流したチッソと自分自身は同じだ、
ということに気づく。自ら気づいていく。気づく存在へと自分が変
わる。

 これは思想的大転換である。人間が自然環境を守るとか大切にす
るとかいったおこがましい思想ではなく、自然環境から人間活動を
見るとどうなるかと逆照射する視点だ。

 杉本栄子さんの言葉を借りれば、「生きてるのではなく、生かさ
れている」ことに気づく。この発想の転換は、徹底的な自己否定な
しには生まれない。
 
 水俣病で家族を失い、周囲の人々に差別され、チッソ社員やお役
所の心ない対応に傷つけられ、自らも病み症状に苦しみ不安におの
のき、長い年月のすえにようやっと到達した安住の地の自己否定な
のかもしれない。その自己否定のうえに、自分をとりまく自然環境
への愛着や信頼、あるいは帰依があって、はじめて生かされている
という実感がわくのだろう。

 ミナマタでは、思想が生まれている。長い間人間が見失っていた
世界を、意識の中に取り戻す思想が生まれている。そんな予感がし
ていた。

3 21世紀におけるミナマタの意味
 水俣からヨハネスブルグ・サミットには、患者2名、支援者2名
の計4名が参加される。ほかに写真展のための写真パネルや、ビデ
オ、パンフレットなどの貨物も出る。
参加者のための現地情報ブリーフィングと、運送会社との打ち合わ
せのために、6月21ー22日に水俣を訪問した。

 前日午後に鹿児島大学で地域セミナーが開かれたので、それに参
加して鹿児島で一泊し、始発の特急で日曜日の午前8時前に水俣入
りし相思社の弘津さんに出迎えていただき、月曜日は、午後になっ
て緒方さんから電話をいただいたために予定を変更して午後5時近
くまで緒方さんのご自宅でヨハネスブルグ・サミットに参加する世
界の人へのメッセージを伺い、相思社の遠藤さんに鹿児島空港まで
送っていただいて、大阪行き最終便に乗った。わずか一泊二日では
あったが、聖地のパワーに圧倒された。

1) 海洋汚染をわがこととして感じる意識
 今回の水俣訪問では、21世紀にミナマタを語る意味はどこにあ
るのかということを、自分なりに理解したいと思っていた。

 かつて日本で報道されていたような加害者と被害者の対決や、
なかば国家事業のような形で行なわれているチッソによる補償金支
払いを、外国の人に伝えてもあまり意味はない。制度や社会構造を
取り去って考えられないかと思った。
 
 水銀汚染そのものの恐ろしさ、あるいは海洋に投棄した水銀など
の汚染物質が魚に蓄積され魚の健康や命を損ね、さらに食物連鎖に
よって鳥や猫や人間の体を蝕み命を奪ったという事実、それがミナ
マタで現実のものとして起きたという事実そのものを伝えることに
意味があるのではないかと思っていた。

 実は私は職場ではこの2年半、人工衛星を使った海洋汚染のモニ
タリングが可能かどうかの検討を続けている。その検討のためには
、そもそも海洋汚染とは何か、なぜ海洋汚染がおきるのかというこ
とも、自分で調べなければならなかった。

 たまたま今年3月に東京で開かれた「繋がる日本海」というシン
ポジウムで、その調査の結果を発表する機会があり、そのために
用意したパワーポイントの原稿があったので、それをOHPにして持参
し、相思社の方には「人数は少なくてもいいから、ぜひとも水俣の
人たちに話をきいてもらいたい」とお願いしていた。

 不思議なもので、東京で活躍する環境NGOの多くは、それが社会人
の組織であろうと学生組織であろうと、環境問題に政府が何を語る
かといったことには熱心なのだが、現実の海洋汚染がどれくらい深
刻なのかといったことには、あまり興味を示さない。
現実よりも、言葉を重んじる傾向にある。

 私は環境問題においては、言葉よりも、現実のほうが大切だと思
うので、いつも欲求不満で、この人たちにはどうして現実の汚染や
化石燃料消費を直視しないのかと疑問に思い、思い悩んでいた。
東京の環境NGOとは、環境の話題ができない。そもそも彼らは、海洋
とは何かを知らない。知らないから興味もわかないのだろうと思う。

「人間は自分がすでに知っていることしか、新たに知ることができ
ない」という「知の逆説」に打ち克つことは容易ではない。人間の
意識はきわめて保守的にできていて、新しい考えや知識を排除する
傾向をもつ。

 生まれてこのかた、大都会の雑踏とコンクリートの中でしか過ご
したことのない人が、自然に帰依するという言葉を自らの言葉とし
て理解するのは難しい。海の汚染と聞いても、地図帳に掲載されて
いる海の部分というのはわかるかもしれないが、現実の海、波があ
って、水平と上下に流れていて、生命体が生活している空間として
の海となるとイメージできないのではないか。東京の環境NGOが、
現実の環境に興味を示さないのも仕方ないことだと思う。

 では、水俣の人たちはどういう反応を示すだろうか。「盲蛇に怖
じず」、あるいは「釈迦に説法」という無謀な行ないだとは思った
が、私自身がミナマタの人たちとこれから付き合っていくためには
、自分のありったけの知識や思考をさらけだす必要があると思った
。これは避けては通れない入門儀式のようなものだと割り切ってい
た。

 そして、私の講演の首尾だけいうと、悦ばしいことに「釈迦に説
法」であることが証明された。水俣の人々は、私なんかよりもずっ
とずっと海洋汚染について長く深く考察しており、日常生活の中で
意識しておられたのだった。

 ミナマタでは、海洋汚染に共感できる人がいる。海洋汚染を自ら
の意識としている人がいる。それだけでも、ものすごいことだ。
(前半終わり)


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