956.パレスチナに構造改革を



   パレスチナに構造改革を!       秋好です。
 
 ブッシュがやっと具体策を提示した---
 アラファトの引退と臨時国家建設である。
 
 日本が明治革命のとき、薩摩や長州がばらばらでは革命は成立で
きない、として竜馬などが革命戦線を統一したし、中国では日本軍
を追い出すために、共産軍は国民軍に統一を呼びかけた。
 
 しかし、アラファトでは反イスラエル革命の諸派を統一できなか
った。だから、今でもイスラエル軍はパレスチナに居座っている。
 ビン・ラビンの戦略は、米国を叩くことで、ブッシュにイ軍の撤
退をさせよう、というもの。 アラビアからの米軍の撤退もある。
 
 ここで、パレスチナに「竜馬」が登場しなければ、彼らは国家建
設ができない民であることを世界に証明することになる。
 日本軍が中国の青島を攻撃している最中に、孫文は東京で中華革
命党を組織している。そして、「漢民族の我々が満州民族から、
シナ大陸を取り返そう」という、孫文を多くの日本人志士が助けた
のです。だから、彼の一番弟子の蒋介石は「日本には賠償を要求し
ない!」と、世界に公言して、戦後日本の復興を助けたのです---
ご恩返しですね。
 
 清朝シナは満州民族の征服王朝だったのです。
 元朝シナは蒙古民族の征服王朝だったし---農耕中心の漢民族は
戦争に弱いので、何度も近隣諸国に侵略され、屈服し、征服された
のです。「征服するは正義なり!」という政治思想を帝国主義とい
います。
 
 いま、漢民族は初めて、機甲部隊を保有し、チベットを征服。
 帝国主義の豪快さを味わっているようです。
 台湾を海軍で攻めたが、コテンパンにやられたので、「わしらは
所詮、陸軍国じゃわい」と、納得したようです----なにしろ、軍事
の先生は陸軍大国ロシアだったので、仕方がないですね。
 
 さて、本論に戻って、パレスチナ。
 ゲリラでは、絶対に機甲部隊に勝てません。ベトナムも、最後は
南の解放戦線ではなく、北の戦車部隊が南部を征服して、統一でき
ましたね。
 だから、彼らもヨルダンやシリア、イラクの戦車隊の力を借りる
べきなのですが---王様や独裁者は助けませんね。陰で、鉄砲や爆弾
を横流ししているだけで。彼らはイスラム教という宗教が同じだけ
で、利害は別のようですから。ハマスなどのゲリラが可哀想!
 
 長くなりましたが、一日も早く、若く竜馬のようなパレスチナの
指導者が登場することを願いつつ---。 
                平塚七夕に記す    秋好。

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        「常世の舟を漕ぎて」
得丸
先日ご紹介した緒方正人さんの「チッソは私であった」(葦書房)
についで、同じ著者による「常世の舟を漕ぎて」(世織書房)を読
みました。「チッソは私であった」よりも先に出版された本です。

その中で、環境サミットに参加する人に、ぜひ読んでいただきたい
と思った個所がありますので、煩雑さをいとわず以下に引用したい
と思います。

緒方さんのメッセージは、富山県八尾町で自然農法を営んでおられ
る石黒さんのお言葉(5月19日にMLで配信)と、とても近い。
お二人の言葉こそ、世界に向けて日本が発信(提言)すべきメッセ
ージではないでしょうか。

希望を安易に口にするのはやめましょう。希望で絶望をごまかすの
ではなく、今の世界をひたすら見詰めると見えてくる絶望をとこと
ん味わうことです。そこまで徹底しないと、何も変わらないと思い
ます。

なお本書には、英語訳があるそうです。

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緒方正人著「常世の舟を漕ぎて」(世織書房1996年)P183より

絶望から

 地球の危機、人類の危機ということがさかんに言われていますよ
ね。人口爆発や環境汚染や核拡散の問題は確かに危機としか言えな
いような状況です。俺のようにこんな田舎に暮らしていても、その
深刻さはすでに身近に感じられる。水、空気、土の汚染、ゴミの問
題、薬害、食品公害。これじゃ、あの汚染と公害で有名になった「
水俣」が、日本中、いや世界中のすみずみまで拡散しちゃったみた
いじゃないですか。
そういうことが起こっていると知っているからこそ人々は「危機」
と言うわけだけれども、果たしてみんな本気でそう思っているのだ
ろうか。俺には、まだまだ希望をもっているように見える。破滅が
近づいていると本当に実感していれば、誰も残された時間を家族か
ら離れて過ごしたりはしないはずです。また危機感がおのれの全存
在を揺さぶるところにまで来ていたら、神にひれ伏す姿がそこいら
中で見られるはずでしょう。人類が本当に滅びる時には、誰しもが
祈りを捧げずにはいられんものだと思う。

 救いのなさにうたれ、ひれ伏し、祈る。しかし逆に、救いとは
そうした絶望の淵に芽生えるものじゃないだろうか。ところが、
現在の多くの市民運動や環境運動を見ていると、危機的な状況だと
しきりに叫びながらも、一方では、今からやればまだ何とかなると
いう希望を述べている。

 近代文明を他人事のようにことばであれこれ批評するのは難しい
ことじゃない。しかしよくよく考えてみれば近代文明というのは
おのれ自身なのです。自分を省みれば、少なくとも近代科学によっ
てもたらされた恩恵や「文明の利器」の便利さ、快適さについては
、認めたくなくても認めざるをえないでしょう。そういうおのれに
ついて自白するところから始めるしかない、と思うんです。地球の
危機というけど、本当に危機的なのは、他の生き物との加減がわか
らんようになってきている自分自身なんです。俺が狂った時に、
一番びっくりしたのは、近代化している自分だったな。冷蔵庫、
ティッシュペーパー、車、扇風機に取り囲まれている自分。いわば
チッソをおのれの中に見出して恐れおののいたわけです。

 狂って以降、俺、自分のことを泥棒と思っているんです。イオを
とる泥棒。以前はれっきとした「漁業」とおもっていたばってんが
、社会という枠の内では漁業でいいんだけど、その外に出ると泥棒
。いっぺんこの枠自体を疑ってみる必要がある。枠をとっぱらった
ところでは、みんな多かれ少なかれ泥棒じゃないですか。スーパー
で買えばそれで合法、と言ってすむ問題じゃない。スーパーなんて
いうなれば、泥棒たちの分配センターで、銭はそこの通行証みたい
なものでしょ。我々はそこから持ちきれないくらい、冷蔵庫に入り
きらずに腐らすくらい、いっぱいものをさげてきて、涼しい顔で金
は払いました、と言ってる。


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