935.ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム



きまじめ読書案内 緒方正人著「チッソは私であった」
(葦書房、2001年)

各位、ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム ロジ担当幹事の
得丸です。ロジをうまく準備するためには、何がサブにくるのかを
把握しておかなければなりません。
日本から世界に発信するとすれば、まずなんといっても、水俣病で
はないでしょうか。おそらく多くの方が既にお読みになっておられ
ることとは思いますが、水俣病に関連した本を読みましたので、
ご紹介します。
  ヨハネスブルグ環境サミット関連
  *** きまじめ読書案内 ***
  緒方正人著「チッソは私であった」
  (葦書房、2001年, 2200円)
  *** ******** ***
1 チッソを生んだシステムが支配する現代

 著者の緒方さんは、1985年に水俣病の認定申請を取り下げた。「
認定や補償によって政治的にも社会的にも終らされていく。そうい
うことに私自身は歯がゆさ、じれったさがものすごく強くありまし
た。」

 それからしばらく何がなんだかわからない時期を経て、水銀を垂
れ流しした「チッソというのは、もう一人の自分ではなかったか」
と思うようになる。

「私はこう思うんですね。私たちの生きている時代は、たとえば
お金であったり、産業であったり、便利なモノであったり、いわば
『”豊かさ”に駆り立てられた時代』であるわけですけれども、私
たち自身の日常的な生活が、すでにもう大きく複雑な仕組みの中に
あって、そこから抜けようとしてもなかなか抜けられない。まさに
水俣病を起こした時代の価値観に支配されているような気がするわ
けです。」

「水俣病事件に限定すればチッソという会社に責任がありますけれ
ども、時代の中ではすでに私たちも『もう一人のチッソ』なのです
。『近代化』とか、『豊かさ』を求めたこの社会は、私たち自身で
はなかったのか。自らの呪縛を解き、そこからいかに脱して行くの
かということが、大きな問いをしてあるように思います。」

 こういった考えを示されると、水俣病は今もなお私たちの問題で
ありつづけることがわかる。私たちが今住んでいるのは、豊かさを
追い求める消費社会であり、それは不断に『水俣病』に似た環境汚
染起因の病気を産み出しつづけるシステムであるのだ。

2 生かされて生きる自分と魂
 著者は生きることの意味をつくづくと考え、かつては、自分で生
きていると思っていたものが、『生かされて生きている』という
感覚をもつようになったという。いまやチッソの社員たちをいと
おしくさえ思うそうだ。

 現代社会では、「生き物を殺して、それを食って生きている、
そして生き物を殺して食ってしか生きられない私たちという存在が
隠されてしまっている。テレビのコマーシャルや、新聞折込のチラ
シなんかに出てくる、非常に美しい、見た目の美しい、あなたは何
もすることはありません、あなたのすることは食べることだけです
みたいな」社会の中で、お金と品物を交換するようになっている。

 「人間が本来持っていました感性ですとか、そういうものを現代
社会は呑み込んでいるんじゃないかということです。現代はまさに
人間が解体されつつある時代です。
うまくいえませんが、文明が人間狩りを行っているように感じてな
りません。」

 「そこで何が求められているかということですが、私が思うには
『生き残る』ということではないかと思うんです。では、生き残る
とはどういう意味なのかということが問題になるわけですが、これ
は図体だけ生き残ったってたいして意味ないわけです。わたしは
それこそ何て言いますか、生き方の面で人類の伝統者でありたいと
思っています。」

 人間の魂の大切さを著者は強調する。それは生きているものたち
の魂でもあるが、同時に死んでいったものたちの魂でもある。魂は
お金では救えない。どうすれば魂を救うことはできるのか。

3 地球規模の問題把握と人類全体への提言としての潜在力
 漁業を営む著者は、地球規模環境危機の地域的現象もしっかり
認識している。海面上昇、南からマンボウやシュモクザメやコバン
ザメなどの新しい魚種が到来してきていること、山の保水力がなく
なっていること、魚が極端に獲れなくなってきていること、などなど。

 著者は、すべてのものに価格を設定し、金で買えないものの価値
を認めない消費社会を批判する。自分の命や魂の存在意味に気付か
ない人類に目覚めよという。

 著者の考えは、主体的に行動する個人が功利主義的・合理主義的
にものごとを判断していくとする西洋的人間像とはかけ離れている
。たとえば、著者は「人権」という概念すら否定する。「私は前か
ら、権利ということに対して疑問をもっていたんです。『権』とい
うのが好かんとですよ、なんでか。これは自戒でもあっとですけど
も、人間はどうしても権化しやすい。子供の権利、老人の権利、
女性の権利、○○の権利というふうにマニュアル化されて、という
か格付けされて権化される。(略)
『人権』と言わないとしたら、私たちはなんと言えるだろうか。
ここでもやっぱり魂の関係性というか存在の関係性が出てくるよう
な気がします。」

 世界人類に向けての提言として価値のある本だと思う。これを
各国の政府首脳やNGOに理解してもらうことは、難しいと思われる。
だが、難しいからといって諦めればいいわけではない。難しいから
こそ、やってみる価値はあるのではないだろうか。

 まだ本書を読まれてない方がおられたら、是非ともお読みになる
ことをお勧めしたい一冊、21世紀を生きるための必読の書である。

得丸久文(2002.06.16 南アフリカ・ソエト記念日に)
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南ア事前調査報告(その1)

今朝荷物を計量したところ40kg以上もあった。いろいろなとこ
ろから、南アに運ぶ手荷物を宅急便で集めた臨時運送屋だからそれ
くらいにはなるとは思っていたが、箱崎のTCATでチェックイン
するときに、これは超過料金になるだろうと思って、少しあせる。

差し入れの本を少し減らして、それでも不安だったので、旅行代理
店さんにお願いして、エアラインに超過手荷物を認めてもらうこと
にした。

1時間ほどすると代理店から電話をいただき、10kgはオーケーと
なる。

フライトは18:30だが、日比谷線の人形町駅から重たい荷物を
引きづりながら箱崎に到着したのは11時45分。さっそくJALの
カウンターで搭乗手続きをする。(午前6時半くらいから、チェッ
クインは可能なので、いったんチェックインしてから、都心で用事
をすますことができるのがTCATの便利さ)

だいぶ減らしたので35kgになったのだが、それでも5kg超過
料金を取るという。それならと、ひとつの荷物は成田に運び、鷲田
さんの荷物といっしょにチェックインすることにした。荷物を手荷
物預かり所に預けて、TCATを出る。

半蔵門線で神保町に戻り、緒方正人著「チッソは私であった」を探
す。僕は図書館で借りていたのだが、JVCの津山さんが読みたい
というので、書泉グランデ、三省堂と歩いて二軒目の三省堂で見つ
けた。葦書房は九州の中小出版社なので、あっただけでもよかった。

その足で、津山さんとも親交のある淡路町の御茶屋さんに行き、
ランチをごいっしょして、箱崎に戻る。

15:10分のリムジンで空港に到着したのが16時。

JALのJカウンターで携帯電話を借りる。(金曜日にFAXで申
し込み済み)電話番号は言われたとおりになっているが、それを試
すことはできない。GSMだと日本では使えない。充電器の差込用
アダプターが5つもついている。こんなにはいらないと思う、荷物
になるなと思う。

成田空港で待ち合わせた鷲田さんと会い、彼のチェックインにつき
あう。15+16=31kg。1kgはおまけしてくれた。(それ
くらい当然だと思っていたのだが、JALだけ厳しいのか、ほかの
エアラインも厳しいのか、、、 8月の本番のときには、みんな
いろんな展示材料をもっていくことになるので、超過手荷物の問題
はけっこう重要ではないかと思う)

今回の僕らのフライトは、バンコクで一泊するので、荷物をいった
ん空港から持ち出さなければならない。乗り継ぎがスムーズであれ
ば、スルーチェックインができるので、荷物が多いときには、乗り
継ぎがいいほうがいい。

また、人数が多いときは、全員でXXkgとなるので、大きな展示
品などをスーツケースといっしょに空輸することも可能だ。そうす
ると、通常のエアカーゴよりも梱包がらくだし、通関にかかる時間
もないし、コストも安い。

鷲田さんのパソコンが壊れてしまったので、今回はウェブメールの
みのアクセスとなる。

空港のヤフーカフェでこのメールを作っています。こんな便利な
サービスはほかの場所ではないかも。

これから搭乗口に向かいます。

得丸
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 コロボックル用原稿  Being digital : 行動の二進法
Being digital : 行動の二進法  得丸久文

1 何かをするか、しないかは0か1かの選択
 人間は生きていく上で、いろいろな決断をするし、その決断に
したがって行動を行う。

 たとえば、 1) 出勤途上の駅への道すがら、高校時代の友人
に会ったとき、おはようと声をかけるかかけないか。2) 声をか
けたあとで、少し立ち話するかしないか。3) 路上に落ちている
1万円札を見つけたら、拾うか拾わないか、4) そして交番に届け
るか届けないか。5) 超満員の電車がきたら、乗るか乗らないか。
6) 新聞で紹介された本に興味が少しある場合、その本を買うか
買わないか、7) 買った場合にすぐに読むか読まないか、
8) 読んで感動した場合に、その感動を友人に伝えるか、伝えな
いか、、、。

 およそすべての行動は、するかしないかの二つに一つ。僕たちの
人生は、010011101001001てな具合に、延々と続く
決断・行動(作為)と不作為の1と0で表現できる。これはゲノム
の配列とちがって、自分の意志によって、主体的に決定していく
ビットの連なりだ。すべて自分で決めることができるのだ。だから
自分の責任は重大だ。

 行動をする場合、何をどうするのか、やり方も問われる。これは
、経験を積むことによって、練達していくことだが、もっと細かな
ビットの連なりに分解して考えることもできる。たとえば、駅前で
高校時代の友人にばったり会ったときに、まずにっこり笑う、相手
の目を見る、自分から声をかける、一歩体を近づける、共通の友人
の消息を思い出す、なるべく空いていて話がしやすい車両を選んで
電車にのる、、、てな具合の111111のビットがたつのだ。

2 0か1かの選択は一瞬でできる
 自分にとってすべての選択を、何かをするかしないかという二者
択一の1か0かの選択肢に置き換えてみる。自分の心の中のもやも
やした部分を、できるだけすっきりさせることで、決断がしやすく
する。そうすると、うだうだ悩むことがなくなる。無駄な時間を少
なくすることができる。

 自分の行動の選択肢を、0か1かというところまで絞り込んで
いれば、決断が楽だ。即決し、即行動に移すことができる。0か1
かの1ビットの処理だ。ペンティウム・プロセッサと同じくらい早
く決断できる。

 迷いに迷っても、一瞬で決めても、結果は同じであることが多い
。だとすれば、一瞬で決めたほうが、時間は得だ。人生は短いのだ
から、できるだけ即断即決できる位置に自分を置くよう心がけるべ
きだ。その結果として、より一層多くの決断や行動が可能になる。

 早く処理ができれば、たくさん処理ができる。ビット数が増える
。マイクロプロセッサ並みのクロックタイムで、たくさんの選択肢
をこなして、たくさん行動すれば、人生は豊かになる。あなたの
人生は、1メガビットか、100メガビットか。

 いたずらに時間だけ長い人生を生きることにはあまり意味がない
。30年が短くて、90年が長いという考えは間違っている。たとえ30
年の人生でも、ビット数が多い人生もあれば、90年生きても30年生
きた人の十分の一しかビット数がないということもある。大切なの
は、時間的な長さよりも、ビット数だ。

3 正しい選択をする
 自分の目の前に、空のビットがある場合、そこに正しい答、0か
1か、行動しないかするかを入力してあげなければならない。

 迷いに迷って、結局間違った選択肢を選んでしまったり、あまり
考えずに決めた事が正解だったりした経験はないだろうか。0と1
のどちらも正解という場合もあるが、どちらかしか正解でない場合
もある。

 どちらも不正解という場合もありうるが、その場合は、不正解の
度合いが少ないほうを選び取るしかない。

 0と1のどちらが正解なのかを、見分ける方法としては、
1)自分の中に正しいことの基準をつくり、無心になって直観にし
たがって決めること、2)自分の利益を度外視すること、自分の
利益にとらわれないこと、3)歴史に学ぶ、4)経験者や知恵者に
相談する、などがある。人間の理性の力が及ばないこともある。
その場合に、無心になって、宇宙の気を感じ取って、それにしたが
って選択し、行動するというのが「君子の易」だ。だから5)易を
たてて占うのも、大切な手法だ。

 1)から5)までは、すべて勉強によって身に付けるものだ。
勉強をするのは、正しい選択を行うため。正しい選択は正しい行動
を行うため。

 また勉強をすると、0か1かの選択肢の数が増える。それまで見
えなかったものが見えてくるようになる。

 知は力だ。そこに選択肢があることを知らなければ、選択の余地
はない。そこに選択肢があることを知るために、知識や経験を積む
ことがとても大切だ。ビット数を多くもつことで、人生は豊かに、
幸福になる場合が多い。

4 愛をもって世界と接し、矛盾の中に自分を投げ込む
 勉強といっても、いやいややる勉強はだめ。自分の好きなことを
みつけて、それについて勉強するのだ。自分が何を好きかを知るこ
とは、実はけっこう難しい。
「ひとは、愛をさえも、学ばなくてはならない」(ニーチェ『悦ば
しき知識』334)でいうように、どんな音楽だって、初めて聴くとき
は聴きなれない音楽だ。それを何度も何度もくり返して聴いて、
いろいろと勉強することによって、はじめてその音楽を愛するよう
になる。人との付き合いだって、ゆっくり時間をかけて付き合うこ
とによって、そこに愛着が生まれる。

 まっすぐな愛情をもてば、世界が広がる。その世界と、まっすぐ
に付き合うのだ。

 0か1かに整理できない状況に陥ったら、そこで思考を止めず、
もっと深く考える。もっと親身になって考える。情報を集める。
自分のいる場所を移動させて、状況の真ん中に、矛盾の真ん中に身
を投じて、そこで考える。そうすると、0か1かに整理がついて、
おのずと答が見えてくる。

 人間はそうやって、自分を成長させなければいけない。そうやれ
ば、自然と成長するのだ。

 今すぐ、自分の愛するもののもとへ行きなさい。そこで自分に今
何ができるかを、いっしょうけんめいに考えなさい。
(2002.06.17)


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