894.私の近況報告



私の近況報告  久保憲一

日本の歴史文化と精神にふれる会開催
水屋神社主催 本紙協賛 禊体験も
 水屋神社(久保憲一宮司・三重県飯南郡飯高町)、皇學館大学日本
文化研究会・日本思想を学ぶ会と本紙の協働による「第一回飯高地
域の歴史文化と日本の精神(こころ)にふれる会」が六月三十日に
水屋神社で開催される。主催・水屋神社。協賛・本紙。

 これは普段の日常生活では気づかない、私たち日本人の精神に宿
している素晴らしい「日本」を、少しでも多くの人たちに認識して
いただき、誇りある日本人の育成に役立ちたいという趣旨から実施
されるもの。対象は一般、中高大学生。時間は午前十時から
午後四時頃まで。

 主な内容は次の通り。[午前の部]が、かつて大和国と伊勢国の境
にあった水屋神社周辺地域にまつわる「国分け」伝説や礫(つぶて)
石の由来、また飯高町赤桶と奈良・興福寺や春日大社との結びつき
などを、水屋神社の久保憲一宮司にお話していただきます。さらに
櫛田川沿いにある旧紀州街道を歩きながら、実際に礫石のあるとこ
ろまで散策していただきます。

 [午後の部]は、久保憲一宮司、皇學館大学の学生らによる、禊
(みそぎ)神事、大祓神事、茅の輪づくりと茅の輪くぐり(夏越祓神事
)が行われます。禊神事は神社裏手の清流、櫛田川の浅瀬で行います。
参加者の皆さんにも体験していただくことが出来ます。(神事用着衣
は主催者側で用意します)。

 今回の開催について久保憲一宮司は「戦後、私たち日本人はあま
りにも日本古来の文化や伝統、精神を軽んじてきたと思います。
グローバル化が進めば進むほど、世界のなかで自分たちは何者なの
か、日本人とはなにかが問われることになります。外国の知識人は
日本とはなにか、日本人とはなにかを知りたがっています。しかし
肝心の私たち日本人が、日本のことをまったく知らないということ
では話になりません。また禊(みそぎ)のなんたるかも知らずに、
マスコミや政治家などが軽々しく禊を済ましたなどと口にしていま
す。微力ではありますが、日本の精神(こころ)の発信をしていきた
いと考えています」としている。

 申込みは、参加者の住所、氏名、年齢、性別、神事への参加の有
無、連絡先を記入して本紙Eメールwebmaster@internet-times.co.jp
まで申込んでください。FAXの方は05984-6-0544(久保宮司宅)まで。
定員は二十人。参加費は一人千円。(昼食代など含む)。申込みは定
員になり次第締切らせていただきます。雨天時は中止となります。
問い合わせは090-3838-6116(北本)まで。

 会場の水屋神社は、松阪ICから国道一六六号線を飯高町方面へ
約四十分。県指定のオオクスとムササビの生息で知られている。
駐車場有り。詳しくは同神社ホームページ
http://www.ma.mctv.ne.jp/~mizuya-s/を参照してください。
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※私たちは当初、子どもたちにぜひ参加してほしいと思い、関係教
育委員会に後援の依頼をお願いしました。すると禊とかが宗教行事
にあたると指摘されました。私たちもそのことは分かっていました
ので、参加ではなく見学です。学生たちが神事をするのを見てもら
って、日本人のこころに触れてもらえればといいましたが、後援な
んかしたら裁判を起こされる。行政として受けて立つ自信がないと
いわれました。教育委員会を批判するつもりはありませんが、世界
の国で、自国の文化や宗教を教えない国があるでしょうか。宗教・
宗派を超えて、すでに広く国民生活に根付いているものは、やはり
きちんとした教育をすべきだと思います。外国の人から「お盆」や
「禊」とはなんですかと聞かれて、答えられる日本人がどれだけい
るでしょうか。外国語をいくら習っても伝えるべき知識、情報がな
くては意味がありません。(編集長)。
平成 14/5/8 (水)
Internet Times より
http://www.internet-times.co.jp/
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message=久保の近況 続			
			
		水屋神社と春日大社
復活した「お水送り」神事           編集長 北本 豊
 鈴鹿国際大学教授で、日本世論の会三重県支部長としても活躍し
ている久保憲一氏が宮司を務める水屋神社(飯高町赤桶)は、県指
定の大楠やムササビの生息などで知られているが、今回、春日大社
へのお水送り神事が四百二十五年ぶりに復活することになり、地元
では大きな話題となっている。
 詳しいことは水屋神社のホームページをみてもらうとして、水屋
神社のある地域が七一〇年(和銅三年)に奈良・興福寺の寺領(閼
伽桶の庄)となり、しばらく後から「閼伽桶の井」の神水を二振り
の桶に汲んで、春日大社に送る「お水送り」神事が始まったという
。古文書では、八五九年(貞観元年)十一月九日からとなっている
という。
 それが戦国時代の一五七七年(天正五年)に兵乱のために途絶し
たとある。もっとも神水のお水送り神事は、「閼伽桶の井」から水
屋神社に奉納される「お水祭り」として、今日まで営々と続けられ
ている。
 興福寺と春日大社はいうまでもなく、藤原一族の権力と富を象徴
するものだ。藤原氏の氏寺と氏神というべきもので、特に興福寺の
権勢は凄まじく、聖俗に絶大な勢力を確保してきた。そのため各地
に寺領をもっていたわけだが、三重県側からいうと、いわばこの水
屋神社を境にして、大和国と伊勢国に分かれることになる。水屋神
社の前を通る国道一六六号線は、奈良県桜井市まで抜けているが、
当時は大和と伊勢を結ぶ幹線ルートだったに違いない。
 あるとき久保宮司と話していて、私が奈良の「茶粥」のことをい
うと、久保宮司が「いや、このあたりでも茶粥を食べますよ」とい
った。三重県で茶粥を食べる習慣のある地域は、私の知る限りでは
水屋神社周辺だけのようだ。それだけ大和との関わりが深いともい
える。
 荘園とか神領、寺領などをもつのは有力貴族か大神社か大寺院し
かない。そして各地でとれる産品や特産物をいわば徴収するわけだ
が、「閼伽桶の庄」からはわざわざ「水」を運ばせたことになる。
私のような素人には、なぜ「水」なのかということになる。
 水屋神社の裏手には櫛田川の清流が流れている。少し前までこの
清流でいくらでも鮎などの魚が取れたという。また山に入ればいま
でもイノシシや鹿がいるという。山菜も豊富にある。なにもない地
域ではなく、川の幸、山の幸に恵まれたところだ。
 春日大社はなぜ「閼伽桶の井」の「水」を望んだのか。それは
当時から「神水」として広く知られていたからではないか。「お水
送り」は戦乱で途絶するまで七一八年間も続けられている。興味は
尽きることがない。
 
※奈良・東大寺二月堂には「お水取り」という行事がある。境内の
閼伽井屋(井戸)から若水を汲み上げる行事だが、これにはいわれ
がある。修二会を行うのに諸神を勧請したときに遅れてきた神様が
いた。これが若狭遠敷明神で、そのお詫びとして若狭遠敷川の神水
を観音に捧げることになったという。そのため毎年、三月二日には
若狭神宮寺で東大寺修二会のために、「お水送り」という作法が行
われているという。つまり「お水取り」はもともと「お水送り」だ
ったということになる。水屋神社や春日大社について、また「お水
送り」について、なにか情報がありましたらお寄せください。
ご紹介させていただきます。(編集長)。
平成 14/4/14 (日) 	
Internet Times			
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           水廼舎/久保憲一

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