889−1.異文化交流術 19



異文化交流術 19 文化と空間 4 日本列島と惑星地球

・ 精神のガラパゴス
 青木保著「『日本文化論』の変容 戦後日本の文化とアイデンテ
ィティー」(中央公論社、1990年)は、タイトルの通り、戦後日本の
さまざまな時期に広く読まれた日本文化論を概観する試みである。
著者はなぜ戦後という時代に限ったのかを明らかにしないが、これ
は戦前と戦後の間に深い断絶があるからだろう。桶谷秀昭の「昭和
精神史」が戦前のみを論じたことと対応している。このことについ
ては、「文化の断絶」というテーマであらためて論じてみたい。
 
 本書の中で青木は、オーストラリアの日本研究者ピーター・デー
ルの『日本的独自性の神話(1986年)を紹介する。「これは全篇いわ
ゆる『日本文化論』批判で埋めつくされるという『過激』な本」だ
そうで、インターネット検索しても邦訳が見つからない。外国人が
書いた日本人論は普通好まれるのに、相当嫌われたとみえる。よほ
どインパクトの強い論文だったのだろう。( Peter DALE, The Myth
 of Japanese Uniqueness Revisited. 1988. Nissan Institute of 
Japanese Studies, UK.)

 デールのとらえた日本人論の特徴がおもしろい。「デールは『日
本人論』には三つの主要な特徴があるという。すなわち『日本人論
』が主張することは、一、日本人は先史時代から現代まで続く一つ
の文化的社会的な同質的人種的存在を形成しており、その本質は変
わっていないと仮定すること、二、日本人は他の知られるどの民族
ともまったく異なるものであること、三、その立場は明確に自覚的
な意味で民族主義的であり、外部の非日本人が行なった研究分析に
対しては観念的にも方法論的にも敵意を示すこと、である。」

「デールは、こうした特徴をもつ『日本人論』が、一般的な意味で
、どのような面においても日本の見かけの”独自性”にかかわる
文化的民族主義の産物であり、個々人の体験や国内の社会ー歴史的
な多様性という考え方に対しては敵対する」というのだ。

 この日本人論批判が、本居宣長以来のすべての日本人論をまとめ
て民族主義的なものとして否定しているとすれば、たしかにやや
過激で乱暴ではある。書かれた時代もさまざまなのだから十把一か
らげにできるものではない。ただ実際に古今の日本人が行なってい
る議論は、デールがいうよう文化的社会的そして時間的な同質性を
前提にしており、的を得た指摘だと思う。

 日本はユーラシア大陸の東の海の中に連なる列島で、大陸からの
武力侵攻の危険からも守られた平和な国だった。中緯度に位置し
四季にも恵まれ、梅雨や台風や冬の日本海を蒸発させる北西季節風
などのおかげで年中真水が手に入り、魚がやってくる暖流にも寒流
にも恵まれ、森林も豊かであった。

 日本文化論の論者の多くが、日本人を「先史時代から現代まで続
く一つの文化的社会的な同質的人種的存在」であると認識してしま
うのももっともである。日本という閉鎖的な空間があったから、
日本文化は発展したといえる。ユーラシア大陸の東端で、四方を海
に囲まれて、日本列島はある種の隔絶された環境を形成してきたこ
とは否定できない。

・ 『菊と刀』に描かれた日本独特の文化
『菊と刀』は、大東亜戦争末期のアメリカで、対日終戦・占領工作
という必要性に基づいて書かれた。本書には時代的要請に答えんと
する研究者の緊張感を感じる。本書はまた文化人類学が未開社会で
はなく文明社会を研究した希有な例でもある。そして彼女が書き残
すことに成功した当時の日本人の意識は、貴重な標本として全人類
にとって今もなお価値があるのではないか。

『菊と刀』の中で、ルース・ベネディクトは、書いている。「私が
日本人といっしょに仕事をしていた時に、彼らの使用する語句や観
念の多くは、最初は不可解に思われたが、やがてそれらは重要な
含蓄をもっており、何百年もの歳月を経た感情のこもったものであ
ることがわかってきた。徳と不徳とは西欧人の考えているものとは
まるで違ったものであった。その体系は全く独特のものであった。
それは仏教的でもなく、また儒教的でもなかった。それは日本的で
あったー日本の長所も短所も含めて。」

 おそらく豊かな風土と空間的隔絶によって、日本列島の中で、
独特の意識や気質が築き上げられたのだろう。今はもうその片鱗し
か見つけられない戦前の日本人の意識を、『菊と刀』の中に見い出
すことができる。
戦争という対立的な関係を超えて、文化人類学者ルース・ベネディ
クトは、研究対象とした日本に深入りしてしまう。

 たとえばベネディクトが、赤穂浪士の『四十七士』物語をじつに
細部にわたって懇切丁寧に説明するとき、あるいは道元の至った悟
りの境地について道元自身の言葉を紹介するとき(「私はただ垂直の
鼻の上に水平に目がついていることを知っただけのことである。
(略)何一つ不思議なことはない。時は自然に過ぎてゆく。日は東
から昇り、月は西に沈む」)、そこには文化人類学者としての学問的
興味にとどまらない日本の精神風土への敬意と深い愛着がある。

 隔絶した環境の中で、生物が独自の進化をとげたといわれるガラ
パゴス諸島のように、日本列島では人間の意識が集団的に独自の発
展をとげた。平和な空間のなせるわざである。だた「その本質は変
わっていないと仮定する」ことは誤りであろう。現代日本人の意識
・文化が百年前、あるいは五十年前の日本人と同じだとはとうてい
いえないからである。敗戦による文化の断絶は大きい。

・ カメレオンの正体が見破られる
 日本人の書く日本異質論は、古くから外国人向けにも書かれたい
た。岡倉天心の『茶の本』や内村鑑三の『代表的日本人』は100年前
に英語で書かれた。ただ読む側の読み取り能力や興味が不足してい
て、本が言わんとしたことを理解できなかったのではないか。

 そもそも、自分自身の文化体系をもっている人間にとって、別の
文化体系はなかなか意識されない。仮に面と向かっても、言葉の壁
や思い込みや自らのごう慢さによって、相手の心の中のことに気づ
かない。さらに、明治維新以来戦前の日本人は、意図的かどうかわ
からないが、外国人の目をごまかす術を知っていた。

 たとえば、「英語で話す時は、姓名の語順を入れ替える」という
慣習が今もある。
一部の開明的な学者が、それはおかしい、日本人は姓名の順で語る
べきだ、日本人にとっては苗字がファーストネームなのだと説明す
ればいい、という主張をしているがまだ多数派とはいえない。外務
省が発行する旅券(パスポート)の表記さえも、パスポートの版型が
小さくなる前までは名前、苗字の順であった。

 この「英語では、名前、苗字の順に話す」という流儀を、ところ
変われば品変わる、郷に入れば郷に従え、という程度に日本人は軽
く考えていたかもしれない。しかし、立場を変えて西欧人の側から
見れば、「韓国や中国は、苗字名前の語順であるのに、日本は名前
、苗字という語順で我々と同じなのだ」という印象を受けることに
なる。
名詞の表と裏で語順が違うということを見破るためには、日本につ
いてのそれなりの知識や語学力が必要なのだ。日本人はまるでカメ
レオンのように、相手に違和感を与えず付き合う術を開発したのだ。

 日本異質論に刺激されて、『日本権力構造の謎』を書いたウォル
フレンらが日本批判を展開したのは、やっと日本が独特であること
に気づいたことの表明である。自分たちの文化の思考枠組では読み
取れなかった異質な文化の存在に気づいて、けしからん、許せない
と言っていたのだ。何でいまごろと思うが、そうなのだ。

 ウォルフレンたちは、『菊と刀』を読んでいたかもしれないが、
ベネディクトのようにそこに描かれたものを自分の心で愛でるまで
には読み込んでいなかったのであろう。もし、ベネディクトの愛着
を感じ取ることができていたら、あのような浅薄な価値観の押し付
けはできなかったのではないだろうか。いずれにせよ、日本の文化
を愛せない人間たちまでが、日本文化の異質性に気づくほどに、
世界が狭くなったということである。

・ 運輸と通信の発展と人口増大による聖域の消滅
 インダス文明、メソポタミア文明、マヤ文明、、、かつて歴史上
存在した文明は、人口増加による後背生態系の過度の破壊によって
姿を消した。人口増加を防ぐために、さまざまな知恵が生まれ、
工夫がなされたが、人間の繁殖力を押さえ付けることはできなかっ
た。(マーヴィン・ハリス「ヒトはなぜヒトを食べたか」)

 地中海に植民地をはりめぐらしたローマ帝国の盛衰、喜望峰から
インドへと交易路を求めた、アフリカやアジアに植民地を持つこと
になったポルトガル、南アメリカ大陸で原住民を殺りくし、混血化
を進めていったスペイン、産業革命による過剰工業生産力を国際貿
易システムによって解消し、全世界に植民地を築いたイギリスや
フランス、、、。

 極東に位置していた日本は、脅威にさらされるのも遅かったが、
ロシアの東漸、アメリカのフロンティア開発が進むと、極東が植民
地争奪の対象にならざるをえなかった。黒船来航から、日清・日露
戦争、朝鮮併合、満州開発、大東亜戦争へと至る日本の近代史は、
日本自身が好戦的であったか、帝国主義的であったかという問題以
前に、欧米による地球の植民地化の歴史の状況の中で理解するほか
ない。

 文明の存続や発展は、まずは人口と食糧生産とエネルギーとエコ
ロジーの調和をいかにして達成するかということに尽きるのだが、
欧米列強は地球規模の植民地化と植民地経営によって内部矛盾の帳
じりを合わせてきたのである。それを可能にしたのが、運輸、すな
わち航海術や造船技術であり、通信、すなわち郵便や電気通信技術
の発達であった。

 この内部矛盾の外部化は、外部が外部として存在していれば、
なんとか維持することができた。しかし、今やどこもかしこも近代
化し都市化し、化学肥料と農薬によってかろうじて高い生産性を
維持している食糧とに依存し、化石燃料を多用する消費生活にひた
るようになって、内部化してしまった。先進国は自分の生活を否定
したくないので、発展途上国の産業化や近代化を否定するわけには
いかない。内部矛盾を押し付ける外部は、地球上にはもはやない。

 明治維新以前の日本は、自給自足の経済で、人口も増えないよう
に厳しく抑えられていた。もちろん当時の日本人だって、衆人監視
の息詰まる社会は好き好んでやっていたわけではなかっただろう。
でも地球全体がそのようになれば一番よかったのかもしれないが、
それは望むべくもなかった。明治維新以降の日本はヨーロッパ列強
に負けまい、遅れまいとして、植民地を経営する側に加わるので
やっとだったのだ。それでも、日本の独自性は保っていたのではな
いか。

 日本のガラパゴス的精神空間は、大東亜戦争に敗れて無条件降伏
することによって無残にも門戸開放させられてしまった。戦争に敗
れた後は、魂を失ってしまった。
「今度の戦争がこの信念の誤っていたことを立証した現在、再び無
気力が日本における大きな心理的脅威となっている」(『菊と刀』
第八章)

 おそらく失った魂を取り戻すことなく、過去に築き上げた精神文
化を顧みることなく、日本人は経済発展だけを考えて戦後の時間を
過ごしてきた。だからこそ「エコノミックアニマル」と呼ばれたわ
けだ。日本人ひたすら経済発展と利潤のみを追求してきたのである。

 それがもはや行き詰まった。そのすべてが行き詰まった。政治が
、経済が、環境が、人々の心が、、、。21世紀の地球を見るに、
このままでは地球文明自体が破滅するであろうと思われるところま
できた。

 だが人類は、今もなおこのことをできるだけ考えないようにして
いる。地球は有限であるということは、考えないようにしても変わ
らない条件なのにである。先進国の豊かな生活を送っている人たち
は、その生活を捨てたくないために。発展途上国の豊かな生活に憧
れている人たちは、先進国のように暮らしてみたいから。何も考え
ずに消費にうつつを抜かしている。

 人類を破滅から救うためには、惑星地球の有限性を頭に焼き付か
せ、人類の繁殖を厳しく制約し、消費や生産のありかたを改めさせ
、人間に精神文化の大切さを伝授する新たな文化が創造されなけれ
ばならない。
(2002.04.29)


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