879−1.パレスチナ紛争



国際戦略コラム 様       山崎と申します。
静岡新聞 2002年(平成)14.4.朝刊より (共同)
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1.エルサレム   帰属が紛争の根源
 混迷を深めるイスラエルとパレスチナの対立。キーワードからそ
の背景を探ってみた。
 
 イスラム、キリスト、ユダヤの世界三大一神教の聖地エルサレム
。紀元前1000年ごろユダヤ人が足場を築いて以降、争奪の歴史
の舞台となってきた。
 
 ユダヤの王が建てた神殿がローマ帝国に破壊され、遺構として残
った「嘆きの壁」、イスラム教の予言者ムハンマド(マホメット)
昇天の場所とされる「岩のドーム」、イエス・キリストの死を悼ん
で建てられた聖墳墓教会。これらの宗教的象徴は東エルサレムの
約1キロ四方の旧市街に集中している。

 2000年9月、イスラエルの右派政党リクードのシャロン党首
(現首相)は、「嘆きの壁」に隣接し「岩のドーム」のある「神殿
の丘」を訪問。パレスチナ人が反発し、現在の対立泥沼化の発端と
なった。

 国連総会は1947年、エルサレムを国際管理下に置く決議を採
択したが、48年のイスラエル建国に伴う第一次中東戦争でイスラ
エル支配下の西エルサレムとヨルダン領の東エルサレムに分割され
た。

 イスラエルは1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを併合
、統一されたエルサレムを首都と定めたが、国際的には承認されて
いない。パレスチナ側は東エルサレムを首都とする独立国家の樹立
を主張。

 両者がエルサレムの地位で合意に達しない限り、パレスチナ和平
の実現は難しい。
(共同)
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2.シオニズム  聖地への帰還運動

 「シオン」はエルサレムにある丘を指し、旧約聖書ではエルサレ
ムを表している。
ローマ帝国への反乱失敗などをきっかけに、世界に離散したユダヤ
人は19世紀後半、「シオンへ帰ろう」を合言葉に、ユダヤ人国家
樹立に向けた運動「シオニズム」を展開した。

 運動はイスラエル建国の原動力となったが、一方で、パレスチナ
人との衝突を引き起こした。シオニズムの背景には、欧州での民族
主義の台頭がある。迫害を受けたユダヤ人は1897年、スイスで
第1回シオニスト会議を開き、パレスチナにユダヤ人国家を創設す
ると宣言。

 1930年代からのナチス・ドイツの迫害を経て、48年、建国
を達成した。しかし、シオニズムは一部で、ユダヤ人は神から選ば
れたとする「選民思想」と結びつき、パレスチナ人を排除しようと
する過激思想も生んだ。

 1995年11月、和平路線を推進したイスラエルのラビン首相
(当時)はユダヤ人過激派に暗殺され、和平交渉にも大きな影を落
とした。「シオニズムの旗を掲げよう。エルサレムはユダヤ人の首
都だ」。

 昨年2月の首相公選で当選したシャロン首相はテルアビブで支持
者に訴えた。この言葉に象徴される首相の強硬路線はパレスチナ人
との対立を根深くさせている。(共同)
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世界各地のユダヤ人 (2000年推計)
欧州地域130万人、イスラエル490万人、ロシア30万人 
アジア地域5万人、アフリカ地域9万人、米国570万人
オーストラリア10万人、中南米地域42万人
全世界で約1300万人のユダヤ人
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3.第3次中東戦争   6日間で占領地獲得

 対イスラエル強硬派だったエジプトが1967年5月、イスラエ
ルの紅海への出口アカバ湾を封鎖、軍をシナイ半島に進駐させたこ
とを受けて、イスラエルは67年6月5日未明、エジプトなどを電
撃的に攻撃、第3次中東戦争が始まった。

 イスラエル軍はダヤン国防相の指揮下、東部でヨルダン、北部で
シリア、南西部ではエジプトと「三正面」で交戦し、わずか6日間
で圧倒的勝利を収めた。「6日間戦争」とも呼ばれる。

 この結果、イスラエルはヨルダンから東エルサレムとヨルダン川
西岸、エジプトからガザ地区とシナイ半島、シリアからゴラン高原
を占領した。
国連安保理は1967年11月に占領地撤退を決議(決議242)。

 イスラエルは1982年までに、シナイ半島を返還。1993年
のオスロ合意で、ガザ地区やヨルダン川西岸での部分的なイスラエ
ル軍撤退が進んだ。

 中東戦争はイスラエル建国宣言でアラブ諸国との間で始まった
第一次(1948年)から第四次(1973年)まであるが、占領
地撤退を要求するパレスチナ側に対し、拒否するイスラエルとの現
在の紛争は、第三次戦争の結果に大きく根差している。(共同)
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4.難民  20年間で2度の避難

 1948年のイスラエル建国で起きた」第一次中東戦争で、多数
のパレスチナ人(アラブ人)が故郷のパレスチナの地を追われた。
一部はイスラエルにとどまり市民権を得たが、同戦争で約75万人
が難民となった。

 1967年には第三次中東戦争が発生。約35万人のパレスチナ
人がヨルダン川西岸やガザ地区からヨルダン、シリアなどに逃れた
。うち半数は第一次戦争でも難民となっており、20年間で2度目
の避難を強いられることになった。

 国連総会は1948年、パレスチナ難民の帰還権を確認する決議
を採択。一方、イスラエルは、ユダヤ人国家の性格が変質しかねな
いとして大量の難民受け入れを一貫して拒否。パレスチナ側は、
実際の帰還は困難でも、故郷に帰る権利を認めるよう主張しており
、難民帰還問題は恒久的和平実現の最大の懸案の」一つとなってい
る。

 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、1950年
時点の登録難民は約91万人だったが、その後第三、第四世代まで
生まれ、現在の難民数は計約393万人に急増した。難民として生
まれ育った若いパレスチナ人がイスラエルへの憎悪をたぎらせ、
イスラム武装組織の中核メンバーとなる例も多い。  (共同)
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国連パレスチナ難民救済事業機関に登録された難民数(2001年
12月31日現在)
レバノン  38万4918人    シリア 39万6248人
ヨルダン 166万2227人

イスラエル   ヨルダン川西岸 61万8152人
        ガザ地区    86万5242人
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5.オスロ合意   和平の礎、崩壊危機

 冷戦終結や湾岸戦争による中東の政治環境の変化を背景に、
1993年9月に調印されたパレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意
)は、イスラエルとパレスチナが長い紛争の末に築いた和平の礎だ
。しかし歴史的な合意は今、崩壊の瀬戸際にある。

 オスロでの秘密交渉から名付けられた同合意は、第三次中東戦争
でイスラエルが占領したヨルダン川西岸、ガザ地区からの軍撤退と
、パレスチナ暫定自治政府の設立を柱とする。

 ユダヤ教とイスラム教が聖地とする東エルサレムの帰属や、パレ
スチナ難民の帰還といった難問は将来の交渉課題として先送りした。

 合意の立役者ラビン・イスラエル首相の暗殺、パレスチナ過激派
のテロという障害を乗り越え、2000年3月にはパレスチナ自治
区が西岸の4割にまで拡大。交渉はエルサレム問題など最終段階に
入った。

 2000年7月イスラエルは東エルサレムを共同管理とし、西岸
の95%から撤退する案まで譲歩。しかし難民帰還権交渉の難航な
どで、パレスチナ側はこの案を受け入れなかった。

 2000年9月、イスラエルの譲歩に危機感を抱いた右派政党
リクードのシャロン党首(現首相)が、イスラム教の聖地、「岩の
ドーム」がある「神殿の丘」を挑発的に訪問、衝突が再発し今日の
対立に至っている。   (共同)
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オスロ合意をめぐる動き

1992年   ノルウエーの仲介で秘密交渉を開始
  93年 8月 オスロで最終草案に仮調印
       9月 パレスチナ暫定自治宣言調印
  94年 5月 ガザ地区などで自治開始
  95年 9月 自治拡大協定に調印
      11月 ラビン・イスラエル首相暗殺 
  96年 1月 自治政府議長にアラファト氏当選
       5月 右派のネタニヤフが首相に当選
  98年10月 ヨルダン川西岸の追加撤退で合意
  99年 5月 和平推進派のバラク、 首相に当選
2000年 3月 自治区が西岸の4割に拡大
       7月 エルサレムめぐり中東和平会談決裂
       9月 シャロン氏 聖地訪問、衝突激化
2001年 2月 強硬派のシャロン氏、首相に当選
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6.自治政府  内外の対立に揺らぐ

 パレスチナ暫定自治宣言(1993年9月)は、イスラエル占領
地のヨルダン川西岸とガザ地区でパレスチナ人が行政・治安権限を
担う暫定自治機構の設立を決定。94年5月、西岸のエリコとガザ
地区での先行自治協定が結ばれ、パレスチナ自治政府が始動した。

 先行自治協定の調印に際し、パレスチナ解放機構(PLO)のアラフ
ァト議長は「パレスチナの将来の建設の始まり」と演説、パレスチ
ナ独立国家の誕生への期待をにじませた。1996年1月には自治
政府の議長選挙が実施され、アラファト議長が88.1%の得票率
で圧勝した。

 ヨルダン川西岸とガザ地区の面積は大分県よりやや小さい
約6200平方キロだが、現在、自治政府の権限が完全に及ぶ「完
全自治区」はガザ地区の3分の2,西岸の8都市とその周辺などに
限られている。仕事や生活物資などはイスラエルに頼らざるを得な
い。

 自治政府の議会に当たる評議会は、議長の支持基盤であるPLO主流
派ファタハが多数を占める。しかし、PLOは内部に和平交渉に反対す
る反主流派を抱え、外部ではハマスなどのイスラム過激組織が対イ
スラエル自爆テロを強行。

 シャロン・イスラエル首相は今回の対立で自治政府議長府を破壊
した上でアラファト議長の”追放”方針も打ち出し、自治政府は大
きく揺らいでいる。  (共同)
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パレスチナ自治政府の仕組み

評議会(議会)     自治政府     警察
「立法権」議員88人  「行政権」   「治安維持」
          (アラファト議長)  

パレスチナ解放機構(PLO) *対外代表権を持つ
 主流派 ファタハ(アラファト支持) 88議席の内55議席

 反主流派パレスチナ解放人民戦線(PFLP)88議席の内1議席

PLO以外の組織
 ・ハマス (イスラム原理主義組織)
 ・イスラム聖戦(イスラム原理主義組織)


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