876.模範的立憲君主「昭和天皇」



模範的立憲君主「昭和天皇」

構造改革、有事問題、外交云々で活発な議論が飛び交う中、あえて
過去になる話題の昭和天皇について取り上げてみました。

昭和が終わって14年目になりました。
しかしこのコラムの読者の方々は天皇制の賛成反対論者を問わず
「天皇陛下」といえば、まだ丸眼鏡にひげのおじいさん、を最初に
思い出される方が大多数と思います。

思えば昭和天皇は自分の権力を行使できることも無く、世界的大変
動の時代の波に翻弄されながらも、国家君主というある面無力な立
場ながら、生真面目に忠実に職務を果たしてきた実直な「人間」で
す。

今でこそ皇室のニュースはワイドショーでの比較的上品目な話題に
取り上げられますが、終戦後のほとんどの昭和天皇の在位期間の
天皇に関する報道は地味なものが多く、その姿は生真面目で実直な
生物学者が、手を抜くことなく丁寧に職務を果たしている、という
姿でした。

それは「天皇」という君主の肩書きを抜かせば、明治生まれの実直
善良な老人が自然を愛し、自分の分や本分をつくしつつ周りの人々
の平安を願って質素に暮らす姿そのものです。

18年程前に「昭和天皇回顧録」という本が出版されて、それに関す
る報道は「戦争責任を問われていたGHQに、除名嘆願に有利に書
かれた形跡が有る」とのものでした。

たしかに元駐米大使館員で「暗号の少女マリコ」の父親である当時
の寺崎侍従官が内容を編集した部分があるであろうと推測は出来ま
した。

ただしその一文で「東条英機はそんな悪人ではなく、あのような国
家が深刻な状況で戦争に行かざるを得なかったのが気の毒である」
という(原文を正確に覚えていないので済みません)ニュアンスの
コメントがありました。天皇陛下御本人の除名嘆願が趣旨の文章の
なかでは、きわめて奇妙に感じました。なぜなら東条はA級戦犯確
定的であり、それを庇えば自分も不利になるのは明白です。それに
もかかわらず、この一文があったのは歴史の流れから「自分として
は不本意な」開戦の詔勅を出さざるを得なかった辛い事情が察せら
れました。

昭和天皇はまだ30代の若年のころは、祖父明治天皇の如く、奏上し
てくる大臣たちに自分の意見を言葉少ないながらも述べていたそう
で、「張作霖爆殺事件」の報告にきた田中義一総理大臣に「辞表を
だしてはどうか」と叱責すると、田中は心労のため病に倒れ、亡く
なってしまった。

自分の発言がそれほど多くの影響を与えることに胸をいため、以後
は立憲君主としては「政府の上げてきた案はすべて採決する」とい
う方針を貫くことにした。

ただしその後2度その方針を自ら崩します。一度は御前会議に於け
る「ポツダム宣言の受諾」。これは周知ですが、もうひとつは太平
洋戦争中の日本軍と東大研究者による「原爆開発」をやめさせたこ
と。もしこれがなければ日本は原爆加害者国として大量殺戮兵器の
最初の使用国として、戦後国際社会での復帰は悲惨なものであった
可能性が高いでしょう。

昭和天皇は、それまで日本に存在しなかった「立憲君主」のあるべ
き姿を常に模索しており、議会制による政府が行政を行うなかでの
君主の役目は何であるか、ということを個人として追求することが
天皇として生まれた自分の重大な責務であると考えていたことがこ
れらのことから伺えます。

従って、太平洋戦争開戦の詔勅に関しても、本当は反対であったが
、国論が対米戦について二分して2.26事件の如く急進派によっ
て内乱になれば国民の疲弊は甚だしく、その後に開戦しても陰惨な
負け戦となり、最も国民が不幸となる。
だから1941年時点で開戦し、早期講和を進めるほうが日本にと
って、不幸が少ないとの判断だったとの事です。
残念ながら、早期講和は実現できませんでした。

しかし敗戦復興時には左翼主義者から罵倒されても、交通の不便が
あっても戦災者を励ますべく、公務の合間を縫ってハードスケジュ
ールの行幸を行い、戦災遺族にねぎらいの言葉をかけ、少しでも早
くもとの生活に戻れるようにと精神的に支えになれるように精力を
尽くした。

自分には政治的権限がない「立憲君主」である。だから政治ではで
きない君主の役目として、国民の平安を守るべく忠実に象徴として
の役目を果たし続けた、それが真の裕仁天皇の姿ではないでしょう
か。

天皇は国民の象徴であり、それはつまり日本国民ではないといえま
す。昭和天皇が指揮して戦争を起こしたのではないわけですが、私
は法律や憲法論の専門家ではない一介の会社員ではありますが、
君主として戦争に道義責任がないとは言い切れないとも感じます。

しかし、昭和天皇は立派に立憲君主として自分の責務をまっとうし
ました。ある意味では明治憲法、戦後憲法の両憲法の趣旨を最も理
解して実践した「人間」は昭和天皇その人ではないか、と感じます。

昨今の政治の混迷から、選挙制度の改革、さらには首相公選制も
結構現実的な議論になってきましたが、たとえ擬似大統領制ともい
える公選首相となっても、政治と直接利害ののない「立憲君主」の
天皇制はその重要性は変ることがないと思います。

1年毎に総理大臣が変るここ数年ですが、日本人はワイドショー的
に騒いでも、狂牛病騒ぎになっても、ペイオフ解禁になっても心の
そこでは日本人は割合国に対しての信頼感が高い。その根源はダメ
になったら政治家や官僚を全部取り替えてもよい。その混乱は有る。
しかしあくまでも天皇制の変化がないから「内戦」のような悲惨な
事態にならない。という歯止めとしての天皇制に無意識の信頼があ
るからのように感じます。
 
変革の時代、そして先の見えない不安の時代ですが、あえて一部変
らないものを残して、不要な心理的恐慌を防ぐ意味は大きい。

昭和天皇はその生涯を通じて、近代国家の立憲君主の日本型スタイ
ルを確立することによって、日本人の多くに国家の大変化の中でも
の安心感をもてるような素地を造ることに寄与して下さった、と感
じています。

東京都 原田


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