875.感情表現と自己表現



NO.862    
感情表現と自己表現についてコメント
ishizuka

私の言っていることと、CHOCOさんが受け取られたことが
まるで違っていたので、補足します。
私は何も公の場で感情を出すのが全て悪いとは全く言っていま
せん。感情を出すことが戦略の一環であるならば、それはかま
わないでしょう。

その悪いほうの例として、日露戦争を終結させた小村寿太郎は
大衆から糾弾され危険があったために、横浜から上陸できず、
浦賀から上陸しました。後には大衆が日比谷で交番を焼き討ち
すると言うような世に言う日比谷事件が起こりました。
その丁度逆の例として、国際社会からの孤立と日米戦へのきっ
かけを作ってしまった国際連盟からの脱退をしてきた松岡洋右
は時の大衆から英雄として、迎えられました。
また、戦後の例としても60年安保騒動では東大生女子学生が
死亡するような大衆運動がありました。
その後もロッキード事件で有能な田中角栄が失脚逮捕されると
言う事件がありましたが、最近ではCIAまたはCIAの情報を使っ
たKGBの謀略であると言う節になっているようです。
これらの事件があった当時の評価と現在での評価はその人物や
事件の評価が丁度逆になっています。

当時の大衆運動であった安保騒動なんてナンセンスも良いとこ
とろで、日本側に有利な形に岸内閣が条約を変更をしようとし
ているのになんであんなに大騒ぎになったにか、全く理解でき
ません。日本が戦争に撒きこまれずに平和でいられたのは、憲
法9条よりも安保によるものが大きいのは明らかでしょう。

また、ロッキード事件なんて、当時あれだけ騒いだのに、最高
裁の最終判断は日本の法律に無い刑事責任を免責したコーチャ
ンらの嘱託尋問は高等裁判所の判断を覆し、証拠能力無効とし
、総理の職務権限は高等裁判所でなしとしていたのをありと逆
転して、それでは判決も逆転無罪になるかと思えば有罪のまま
でした。これは法律論からすれば酷すぎる判決でしょう。

ごく最近の例としては、小泉内閣の評価もこれに当てはまりま
す。あくまで「森では参議院戦は戦えない」という自民党の
選挙戦略であったのをマスコミが小泉氏の出来るかどうか分ら
ないスローガンだけの男に飛びつき、それを煽り、今になって
ようやくスローガンだけでなにもしていないというようなあた
りまえの評価に落ち着き出しているようです。

日本の近代史を謙虚に省みれば、政府当局者の判断が正しく、
時の大衆運動のようなものがいかに的外れで、ばかげていたの
か、謙虚に反省しなければならないと思います。

見たまま聞いたまま大衆的な感情で一面的な判断をしてしまい
、
所謂欧米のような高級紙が存在しない日本の社会では、マスコ
ミが合理的な判断を示すというより、大衆的な判断を助長して
しまうことが一般的です。

大衆的という言葉は誤解を招きやすいのかもしれませんが、
きちんと事実を調査していな低俗な判断や感情が、マスコミの
取り上げ方が良くない為に、国の表面に現れやすいと言う意味
で
そういう趣旨のこの前の論文は書いたつもりでした。
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 今の若い者はすばらしい! (秋好)
 
 サッカーの中田君や野球のイチロウ君などの活躍を見ると、すば
らしい若者が育っているのを実感する。
 ごく一部の若者が女など弱い者を殺しているが、年間百人にもな
るまい---銃を市販している米国では、殺人事件は年間万を越えてい
る!
 
 この90年代、電車などで、席を譲らない若者が多いが、かれらの
眠り込んでいる姿を見ると、「そんなに疲れて---」と、同情したく
なる。 しかし道行く多くの若者の顔は概して明るい。これは60年
代の若者に較べててのこと---この30年間で、「豊かな社会」が確立
したのを思う。
 
 小生が若者だった60年代は、MAID IN JAPAN は粗悪品の代名詞
だったし、若者の顔には概して険があって、よくホームなどで喧嘩
を見たものだ。「ガンをつける」チンピラが街角にたむろしていた
し---今は幼い顔の中学生がしゃがんでタバコを吸って「悪ぶってる
」程度だ。
 
 山岡氏の「戦後の親」無責任論にたいして、dober氏は4.10付
NO.860で「いつの時代にも、なんでも人のせいにする無責任な人た
ちはいると言うべきで、戦後の親でもしっかり生きている者は多い
」と、反論されているが、全くその通りでしょうね。
 
 「戦後の親」といえば、およそ50年代以降に生まれた人、いま働
き盛りの人たち---となるが、彼らが無責任世代とはとても思えない
。 むしろいま6、70代で政財界の実権を握っている老人たちの無
責任さが目立つ。同じ60代の一人として恥ずかしい思いだ。
 敗戦後の貧困も飢えも知っているはずなのに、その苦労が身につ
いていない者たちの利己的な老害ぶりには、腹が立つ!
 
 戦後の親が飽食の中で育ったのは、戦前、戦中の親が「子供たち
にはあのひもじい思いはさせたくない」と、経済成長に奮闘したか
らだ。 のびのび育った息子(いま30代)などを見ると、「良かっ
た」と思う。  
 この点では、いま60代にある戦中生まれの親たる小生は胸を張れ
るのだ。
 
 老人が「今時の若い者は!」と、何をどのように憤慨しようとも、
未来は若者のもの。 21世紀は彼らが切り開いてゆくしかない。
 しかし、いつの時代にも「わしらの若い頃は---」と繰返された
その憤慨には、「年寄りにも三分の理あり」だ。 多少とも耳を
傾けて欲しいと思い、戦略コラムに投稿している次第です。 4.12
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あくまで、飯塚の妄想。
いやー、この頃なんかおかしいねニッポンは。公務員の不祥事は後
を絶たないし、外に目をやれば少年少女の凶悪犯罪はどんどんエス
カレートしていくばかりだ。
私も構造改革だの犯罪への罰則強化だのやってきたが、事の大きさ
はそんな場当たり的なものではないという気がしてきたんだ。
一言で言えばもっと根は深いと思う。根本的に日本の意識を変えて
いく、いや元に戻さないとこのままでは日本はだめになってしまう。

愛国心とかそう言う言い方をするとみもふたもないが、でもそう言
う精神はどこにでもある。むしろ愛国心が全くないという日本が
異常じゃないの?

お隣が教科書検定についてあれこれいうのだったら、そう言うのは
ばっさり切ってしまえばいい。そのかわり、日本の心や国土という
ものがに日本人に大切なものかというカリキュラムと盛り込む方が
ずっと有益だ。
文句言ってくるかって?ないんじゃない?あったとしても「愛国心
のどこが悪い」って言い返せば何も言わないよ、連中は。

飯塚補足:
この後徴兵制の復活を書こうとしたが、内容がだぶるようで中止し
た。
(あくまで1ヶ月ぐらいの体験入学的愛国心すり込み入隊だったが)
「ゆとり」を持たせる為に週休二日制にしたのはいいけど、学力低
下が指摘されて誰からも支持がないのが悩みの種。元に戻すのはし
ゃくに障るし・・・と復活させる授業内容に「愛国心」に関する
授業がなきにしもあらずと考える。まあ、あからさまに愛国心とは
言わないだろうけど、「本来親がしつけをするべきだがそれが出来
ないのなら、学校でやろう」とか何とか言って、授業に「れいぎ」
「マナー」と「どうとく」の時間が大幅にアップされたのはいいけ
れど、中身を見たら教科書が「教育勅語」の現代アレンジ版だった
なんて話は「何でもすぐ流用」の日本人の性格からいって結構あり
そうではないですか?

まあ、自分が右翼な人間だしそう言う授業があってもいいと思うけ
ど、それは日本国民が個人的に感じるものだろうし、愛国心を安売
りするべきではないと思う、とひとりごと。

人権に対する意識もヨーロッパに比べれば中国と似たり寄ったりだ
し、民主主義なのに市民投票が民主主義に反するとマジギレする
政治家もいたりする。
ただ平凡にサラリーマンやっているだけなのに、みんな「働かざる
もの食うべからず」とか言っているけど、その言葉レーニンの言葉
だよ。

なんか怖いなあ、ニッポンって。


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