873.異文化交流術 13〜16



得丸久文
文化にとって時間の要素はけっこう重要だと思います。
異文化交流術 13 文化と時間 その2

・ 長期的視点の欠落
 文化人類学の「文化」に、時間の観念が欠落している原因として
は、フィールドワークとして唐突に未開の部族社会に乗り込んでい
った研究者が、「今・ここ」にいる自分の目に写ったことを記録す
るという手法上の問題もあるだろう。

 なじみもなく言葉も十分に通じない社会に飛び込んでいったとき
には、世代から世代に文化が伝承されていくプロセスまでも見極め
ることは、簡単ではない。何世代かにわたって観察することができ
れば、文化が時代とともに変遷することを観察できるのだが、いか
んせん調査を行っている研究者と調査対象の未開部族の人間とで、
寿命が大きく違うわけではない。ひとりの研究者が見ることのでき
る世代数は限られている。
 それにもし何十年も対象となる部族といっしょに時間を過ごして
しまうと、普通単独かせいぜい数人規模である研究者自身が対象の
影響を受けてしまい、対象化ができなくなってしまう。

 人間は、つねに「今・ここ」を生きている。今の前がどうだった
のか、経験していないことには知りようもない。また、今後どう変
わるのかを予測することもなかなかできない。今の文化現象を標本
化することはできるが、それが大昔から続いている証拠はないし、
今後も続くかどうかわからない。文化現象の標本は、「その時・そ
こで」ある特定の誰かが行った行為にすぎないのである。
 ユネスコの世界遺産の中に文化遺産があるが、これは主として建
造物などのモニュメントが中心である。これは文化ではなく、文化
財である。文化は生身の人間が後天的に獲得するものであるという
タイラーの文化の定義からも逸脱しており、いうならば文化財の指
定活動である。「文化の標本採集」にもなっていない。

 かつて日本の自動車産業が、子会社や孫会社を系列扱いして保護
していることが批判を受けた。大手自動車メーカーも、系列外から
安く買えるなら系列を切るといった行動に出たものがあった。おそ
らく海外から日本に向けられた系列批判は、長期的な安定をもたら
す相互扶助の関係を意識的か無意識的に見落としたものだった。
そして、日本の大手企業も、長期的な視点を見失っていたかもしれ
ない。

・ 国民国家と時間
 文化人類学が、時間の観念を持てなかったもうひとつの理由とし
て、国民国家の時代に概念がつくられたことも影響しているかもし
れない。

 タイラーが文化の定義を行った本が出版された1871は、普仏戦争
の直後である。タイラーが、わざわざ「文化または文明とは」と定
義を行ったのも、フランスとドイツへの配慮があったとみられてい
る。文化人類学には、ナショナリズムへのおもねりがあったようだ。
 国民という「想像の共同体を可能にしたのは、生産システムと生
産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・出版)、そして
人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しか
し、爆発的な相互作用であった」とベネディクト・アンダーソンは
書いている。(「増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行
」)

 国民という想像の共同体は、「原則として誰でも、どの言語でも
学ぶことができる」ものの、「誰もすべての言語を学ぶほど長生き
することはできないという、あのバベルの宿命」によって制約され
ている。この制約は単なる時間的なものに過ぎない。誰でも時間さ
えかければ、他の言語を学びうる。
 しかし、近代という殺伐としたうるおいのない時代に生まれたた
めに、国民という想像の共同体は、それまで宗教が行っていた役割
を受け持つことになったとアンダーソンは指摘する。生の意味付け
や、死者とこれから生まれてくる者との連鎖、すなわち再生の神秘
の観念を植え付けることで、人々の不安をやわらげるのだ。だから
こそ、国民という概念は人々にひろく受け入れられているのだろう。

 「国民国家が『新しい』『歴史的』なものであると広く容認され
ているにしても、それが政治的表現を付与する国民それ自体は、常
に、はるかな過去よりおぼろな姿を現し、そしてもっと重要なこと
に、無限の未来へと漂流していく。偶然を宿命に転じること、これ
がナショナリズムの魔術である。」

・ 国民国家と文化
 この想像の共同体を、今なお支えているのが「国民文化」である
。「文化とは、ナショナリズムの最後の砦である」と西川長夫はい
う。国民という想像の共同体に、現実味を与えているのが国民文化
であるというのであろう。
 なるほど国民あるいはナショナリズムは、目には見えないもので
あるし、人々の共通の思い込みがなければ成り立たない。しかし、
国民には文化があるではないか。国民文学の蓄積、国民音楽や国民
絵画、そういったものを想像であるとして否定できるかね、とナシ
ョナリストたちは反論をするというのだ。

 しかし、ここには重要なトリック、思考の詐術が潜んでいる。
 国民とは、運命的なものであり、もし国籍法を参照すれば(帰化す
る場合以外は)、法が出生地主義をとるにしても血統主義をとるにし
ても、本人の意思や行動とはまったく無関係に「国民として生まれ
おちる」ものである。そして、積極的に国籍を変更したり、あるい
は偶然帰属していた国家が消滅でもしないかぎり(ソ連邦でそのよう
な事態が起きたが)、つねに国民であることを保証される。国民とは
いうならば「ある」概念である。
 これに対して、文化は、後天的に獲得するものであり、生まれな
がらではない。名人にしても、職人にしても、言葉使いにしても、
天性を活かした上で、さらに努力することによって「なる」もので
ある。
 国民文学や国民絵画や国民音楽は、それ自体が文化ではなく、
文化の行為によって生み出された文化的生産物、文化財である。こ
れらは、タイラーの文化の定義にはあてはまらない。
 つまり、「文化とはナショナリズムの最後の砦である」という時
に、実際に行われているのは、文化財を文化として扱ったり、「な
る」概念を「ある」概念であるかのように見せかける詐術なのであ
る。
 本来「なる」概念である文化を考えるにあたって、「ある」概念
である国民国家に遠慮してしまったがために、「なる」にあたって
必要となるプロセス(それは時間の関数である)の要素を見落として
しまったのかもしれない。
==============================
文化と時間の関係については、なかなか語り尽くせません。
異文化交流術 14 文化と時間 3 文化に時間を取り戻す

・ 国民文化の檻
 文化人類学の文化に時間の観念がないとわかったときに、国民の
文化として称せられているものが文化ではなくて文化財にすぎない
ということがわかったときに、私たちはどうすればよいのだろうか。

 具体的にいうと、どのようにすれば文化に時間の要素を取り戻さ
せるのか、文化と時間を再びシンクロナイズさせることができるの
か、命限りある私たちはどうすれば文化を獲得することができるの
か、私たちと文化を結び付けることができるのか。
 
 私たちは、生まれた時から国民国家の想像の共同体の中を生きて
いる。祖父母たちは、想像の共同体の中で生まれ、死んでいった。
軍服姿の大伯父の写真が、本家の仏間に飾られていたことを思い出
す。死んでも国家の想像の共同体に取り込まれているといえようか
。この幼いころの記憶ひとつとっても、「お国のために尊い命を捧
げられた」と肯定的に記憶しようが、「もう二度と戦争はごめんだ
」と否定的に記憶しようが、どちらにしても国家の枠組みでものご
とを考えていることには変わりない。

 学校教育も美術館も文学全集や画集もマスコミもみな「国民文化
」を当然のこととして語りかけてくる。そもそも文化についての主
流の考え方である文化相対主義は、文化とは民族のアイデンティテ
ィーである、それぞれの民族はそれぞれ固有の文化をもつ、各文化
の間に序列はなく同様に尊重されるとする。(西川長夫さんの「文
化とは民族のありようである。民族とは文化を担う集団である」と
いうややトートロジカルな定義も、文化相対主義に同調するもので
あろう。)
 
 この文化相対主義の考え方にもとづくと、国際結婚、あるいは民
族際結婚の結果生まれ、父母の二つの文化を身に付けた子供はどの
ようにカテゴライズされるのかという疑問がわく。ふたつの文化に
またがることはできるのか、それは一人の人間が複数の民族の成員
になるということを意味するが。

 国籍を選んだほうとするとわかりやすいが、文化は国籍の従属物
にすぎないことになってしまう。現実には文化と国籍はそのような
関係を前提に議論されているのだが、それをそのまま認めてしまう
と文化によって民族の存在を証明することができなくなる。

 おそらく文化相対主義のように文化をとらえること自体が間違っ
ているのだろう。
文化人類学の文化にならって、文化相対主義は、文化を静的にとら
える。ひとつひとつの民族に対して、まるで通信販売のカタログの
ように民族文化のカタログが存在していると考えている。だが、
そのカタログ掲載内容はいつの時点のものか、どれくらいの頻度で
カタログの内容を更新するのか、そのカタログに掲載されている民
族文化は今でも多くの人々が実践しているものなのか、いったい
どれくらいの割合の人々が実践しているのかといったことに対して
丸っきり答えようとしていない。これでは、民族も文化も空理空論
になってしまう。

 国や郷里を棄てて活躍した芸術家の場合でも、有名になったり、
あるいは亡くなった後で、ちゃっかり民族文化のカタログに掲載さ
れていることもある。民族というものは、まことにわがまま勝手な
ものだ。個人が国家の想像共同体から抜け出したくても、なかなか
それを許してくれない。

・ 動物行動学からのアプローチ
 俗にアンチ巨人は巨人ファンだというが、的を得ていると思う。
国民文化という思考枠組から自由になるためには、国家や民族から
懸け離れた地平で語られている文化を探す必要がある。

 文化人類学者は「想像もつかぬ僻地へ出かけてゆき、ほとんど絶
滅に瀕している特異で不成功だった文化の遠い淀みに散らばって、
われわれの本性についての基本的真実を解き明かそうとした。(略)
けれどそれは、典型的な裸のサルの典型的な行動については、何も告
げてはくれなかった。これを知ることは、主要な文化に属している、
ふつうの成功した人々、つまり圧倒的多数を占める主流派の人々が
共有しているありきたりの行動パターンを研究することによっての
み可能である。」(デズモンド・モリス著「裸のサル 動物学的人間
像」、日高敏隆訳、角川文庫版)

 そこで、動物行動学は、「裸のサルそれ自体の主要な現代文化を
つくりあげている成功した主流にみられる、もっとも基本的で広く
共有されている行動パターンの、単純で直接的な観察」を行う。
ただ、課題が大きいためにモリスは、他の動物種でも共通に見られ
る生活の局面、「摂食、毛づくろい、眠り、闘い、配偶および子の
保護といった行動」に議論を集中させるという極端な単純化を行っ
た。

 ヒトと動物を簡単に比較できる項目に限って議論したわけだ。
だが、文化はヒトのみが獲得し実践していることだから、文化に着
目するときに動物との比較はあまり効果がない。動物行動学はヒト
の観察において、他の動物の観察で得られた成果を用いるのだが、
動物たちとヒトの生活はあまりに懸け離れてしまっていて比較のし
ようがないのだ。

 ヒト以外の動物は、時計も暦ももっておらず、新聞やテレビのニ
ュースを見ることもなければ、時間に追われて一日が過ぎていくこ
ともない。時間の概念だけではない。
ヒトと動物はあまりに違ったことを考えており、違った行動をとっ
ている。

 動物たちは学校に通うわけでなく、傷付いたり体調がおかしくな
っても病院を訪れるわけでもない。農耕を行うわけでもなく、火や
道具を使って食べ物を煮炊きするわけでもなく、衣服を作って着る
わけでもない。年金や育児手当てをもらうわけでなく、貯金して子
供の養育や老後に貯えるわけでもない。そもそもお金を持たないし
、使わない。労働して賃金をもらうわけでもない。株式市場も為替
市場もない。もちろん国籍やパスポートももたない。

 動物たちはひたすらまっすぐ本能のプログラムにしたがって行動
する。自分が食べる必要もないのに獲物を捕獲したりしないし、他
の個体の陰口をたたいて他者を陥れたり、ウソをついて他者を騙し
たり混乱させることもない。

 日照時間や太陽高度や気温の変化には、おそらくヒトよりも敏感
であるが、それに対して対策を行うことができない。ヒトは環境の
変化に対応し時として環境そのものまで変えてしまう。たとえば
地球温暖化に対して、ヒトはエアコンを使って局所的快適さを得よ
うとするが、それがむしろ温暖化に拍車をかけていることについて
は無自覚であるか、自覚していても態度を改めない。

 動物行動学の観察は文化発生の根源やヒトと動物の本質的違いを
マクロ的に明らかにする点では有効であるが、ヒト個体ごとの行動
規範の獲得と実践として文化をミクロ的に考えるときには、やや
議論が荒くて参考にできない。

 では何によって文化に時間を取り戻すのか。国民国家が生まれる
前に書かれた古典を読み込むことが有効だと思う。次回は、「論語
における文化と時間」について論じてみることにする。
(2002.04.14)
==============================
異文化交流術 15 文化と時間 4 論語における文化と時間

 モモはそっちに行って、だまったまま男の子のとなりにすわりま
した。男の子はラジオのスイッチを切りました。しばらくは、あた
りがしんとしずまりかえりました。
(ミヒェル・エンデ作、大島かおり訳「モモ」より)

・ 国民国家の空虚で均質な時間
「中世の時間軸に沿った同時性の観念にとって代わったのは、再び
ベンヤミンの言葉を借りるならば、『均質で空虚な時間』の観念で
あり、そこでは同時性は、横断的で、時間軸と交叉し、予兆とその
成就によってではなく、時間的偶然によって特徴付けられ、時計と
暦によって計られるものとなった。」(「増補 想像の共同体」より)

 近代国民国家を、想像の共同体たらしめているものは、新聞など
のマスコミである、とアンダーソンは指摘する。社会的有機体とし
ての国民は、マスコミの演出によってつくり出され押し付けられる
「均質で空虚な時間」の中を暦に従って移動していくことになった。

 均質とは、たとえば毎日毎日配達されてくる新聞やテレビのニュ
ース番組がいつも同じような枚数と割り付けの紙面、あるいは同じ
ような時間配分と進行を提供していることを指す。そして、それら
の記事やニュースはその国に住むすべての国民に向けて(ということ
は、けっして特定の誰かに対してではなく)発信される。

「新聞上すみの日付、新聞のもっとも重要な表象、これが本質的な
つながり、ゆるぎなく前進する均質で空虚な時間を提示して」、
ちょうど一日分の新しさが配信される。
空虚とはそこで報道されていることの何ひとつとして自分自身に向
けられたものではないこと、自分と直接関わりがある記事がないと
いうことだ。

 実にたくさんの言葉や映像や写真が、マスメディアを通じて送ら
れてくる。しかし、それらのうちでどれひとつとして、心に語りか
けてくるものはない、心に響くものはない。送り手の側も、どうし
ても伝えなければならないという使命感や情熱をもっているわけで
はない。時には伝えるに値するニュースに事欠いて、紙面や時間を
埋めるために無理矢理探し出して作ったいわゆる埋め草だったりす
る。

 受け手は、送られてきたものを読んだり見たりする時に、「ふー
んそんなことがあったのか」と他人ごとのように読み飛ばし、聞き
流す。ごていねいにもアンダーソンの原注には、「この意味で、新
聞を読むとは、作者が一貫した筋立てを考えるのを放棄した小説を
読むようなものだ。」とある。国際政治、国内政治、地方の話題、
天気予報、暗い話題から明るい話題にまであまりに話が分散するの
で、身を入れて読んだり見たりすると、頭がおかしくなるかもしれ
ない。

 新聞やテレビが、送り込んでくるのは、国民の一日が何らかの事
件や出来事とともに過ぎていっているというイメージであり、国民
の歴史が一日分刻まれたというイメージである。読者や視聴者は、
自分たちが何ひとつ体を動かさなくても、まったく心を動かさなく
ても、国民の歴史というものが前進していることを、教え込まれる。

 新聞やニュースを受け取ることに慣れてしまった人々は、まるで
中毒患者のように、毎朝新聞を読んだり、テレビのニュースを見て
いないと不安を感じるようになる。たとえまだ読んでいない新聞で
あっても、机の上に置いてある新聞の日付けが一日でも古いと「な
んだ今日のじゃないのか」と最新のものを求めるようになる。マス
コミが編集したニュースに触れても、世界も自分も何も変わらない
はずなのに、それに接すると安ど感を覚えるようになる。

 この「均質で空虚な時間」は人々の心の外側から時間を通告し、
人々にタイムスタンプを押す。それに馴らされてしまった人々は、
自分自身の心のおもむくままに活動することの大切さを忘れてしま
う。外側で大切なことが起きているという報道に満足してしまって
、自分自身の中で何も起きていないことの不毛さ、空虚さに気づか
なくなる。一瞬一瞬、自分の心を活性化して生きることを忘れてし
まう。

「モモ」を読めば、マスコミがつくり出す「均質で空虚な時間」が
けっして本物の時間ではないことがわかる。「時間をはかるには
カレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味
はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間
にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに
感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもある
からです。なぜなら時間とはすなわち生活だからです。そして人間
の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。」
(「モモ」より)

 そしてマイスター・ホラの言葉。「光を見るためには目があり、
音を聞くためには耳があるのと同じに、人間には時間を感じとるた
めに心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらな
いようなときには、その時間はないもおなじだ。」

 文化自身、心(意識)に獲得され、植え付けられる価値基準や技術
である。文化を理解し、文化を自らのものにしていくためには、心
を活性化し、自分の時間は自分でコントロールするくせをつけてお
かなければならない。

・ 論語における文化と時間
 せんだってアメリカから日本を訪れた友人たちと、高山本線で木
曾川にそって岐阜までくだっていった。列車の窓から川の流れが見
えたついでに、論語の「逝く者は斯の如きか、昼夜を舎(お)かず」
(子罕、221)を説明してみた。(なお、読み下し文および現代語訳は
、基本的には久米旺生訳「論語」中国の思想IX, 徳間書店によった)

「孔子は川のほとりで弟子たちに言った。『時間とは、この川の流
れのようなものだ。昼も夜もやすみなく流れ続ける』ここで孔子の
いう時間は、川の流れのようにつねに同じ方向に流れている。24時
間、年がら年中、昔からずっと将来にわたるまで、一瞬たりとも止
まらずに流れ続ける。見た目には同じような姿をしているが、ある
地点を流れる水の分子や漂流物は一瞬一瞬異なっていて、ユニーク
である。時間は、人間がそれを意識していようがいまいが、人間が
存在していようがいまいが、人間におかまいなく流れている。自分
が生まれる前も流れており、自分が死んだ後も流れ続ける。」
自分の言葉で捕捉しながら説明すると、その例えはよくわかる、と
言われた。

 孔子の説く時間は、まさに川の流れのように具体的で、あいまい
なところや、ごまかしがなくて、わかりやすい。孔子は、死後の世
界のように確かめようのないことは決して口にしなかった。「未だ
生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(先進、264)ということは、
死後の世界のことについては考えても仕方がないから考えるなとい
う指導をしていたということだ。また「子は怪、力、乱、神を語ら
ず」(述而、167)のように怪奇、暴力、背徳、神秘なことを話題にし
なかった。

 この悠久な時の流れの中で、人間はどのように文化と付き合うべ
きか。

 孔子にとっては、文化とはまず前の世代からの伝統を継承し、
それをさらに発展させるべきものである。「周は二代に監(かんが)
みて、郁郁として文なるかな。吾は周に従わん」(周は夏殷二代の文
明を基礎にして、壮大な文明を生み出した。私は周の文明をもっと
も高く評価する、八イツ、54)

 したがって、300年後だろうが、3000年後だろうが、将来の王朝の
礼制はおおよそ予測がつく、という。「それあるいは周に継がん者
は、百世といえども知るべきなり」(今の周にとってかわる王朝の
ことでも、十代はおろか百代までも大体の予測はつくのだ、為政、39)

 なぜならば、その礼制の文化は、いったんある人間が自分の意識
の上に獲得し、それを次の世代に伝え、発展させていくものだから
だ。人から人へと手渡しで伝承される限り、礼制はそれほど大きく
変化しないはずである。

 孔子が匡という地で暴徒にかこまれ生命をおびやかされたときに
、昂然として言い放ったとされる言葉。「文王すでに没したれども
、文ここに在らずや。天のまさにこの文を喪(ほろ)ぼさんとするや
、後死の者この文にあずかるを得ず。天のいまだこの文を喪ぼさざ
るや、匡人それわれをいかんせん」(文王すでになしとはいえ、その
伝統はわたしが受け継いでいる。天がこの伝統を亡ぼすつもりなら
、それをわたしにまで伝えるはずがない。この伝統とともにあるか
ぎり、このわたしを匡のやからがどうすることができようぞ。子罕
,210)
文化を保持するものの気概と、当然それは伝承されなければならな
いとする天命への信頼が、感じられる。

 孔子は礼というものを、お金に超越するものと考えていた。経費
を気にして礼をなくしてはならない。お金を惜しむのではなく、礼
を惜しみ、礼を続けなければならない。「子貢、告朔の饑羊を去ら
んと欲す。子曰く、『賜や、なんじはその羊を愛(お)しむ。われは
その礼を愛しむ』(魯では告朔の儀式がすたれ、いけにえ羊を捧げる
習慣だけが残っていた。子貢はそれも廃止すべきだと主張した。
孔子は言った。『賜よ、おまえは羊が惜しいのだね。私は伝統を惜
しむのだ』、八イツ、57)

 このようにはっきりと文化を尊重し、お金にも優先させれば、
文化は次から次の世代へと継承されていくであろう。

 これは余談であるが、昨年、一部の成人式会場で新成人諸君が暴
れるという事件があった。これなどは、若者たちが儀式そのものを
ないがしろにしていることの現れである。同時に主催者である地方
公共団体が、どれだけ成人式のもつ意味を尊重しているかというこ
とも問われてしかるべきであろう。二十歳で新社会人になるという
社会の決めごとの意味の重さを、迎える側がしっかりと認識して、
それにふさわしい迎え方をすれば新社会人が失礼なことをするとは
思えない。大人歴の長い人々が、心の底から大人の大変さや厳しさ
を語り、新成人にその心構えを教えさとす式にすればいいのだ。
むしろ成人式の問題は、主催者側に心がこもっていないこと、とっ
くの昔に成人式を済ませた大人たちが、いくつになっても大人らし
い行動を取れていないことにあるのではないか。社会全体の問題と
して捉え直してみてもよいだろう。

・ 論語における個人と時間
 孔子を現代においてたとえるならば、外交交渉のレトリック(詩)
や外交内政両方におけるプロトコル(礼)の専門家であるとともに、
塾生3000人以上を誇る公務員受験予備校のカリスマ塾長だといえる
だろう。理想が高かったために敬遠されたり、運もなかったため、
孔子は政治思想家として腕をふるう機会には恵まれなかった。

 そのかわり現実政治で多忙を極めなかったことが幸いして、孔子
は弟子たちの教育指導に専念することができた。したがって孔子の
残した言葉は、たとえ自分のことを語っていたとしても、弟子たち
に学問の深め方や成長の目標を教えることを意識した教育的な言葉
が多い。

 たとえば、文化は先天的にもって生まれるものではなく、後天的
に努力によって獲得するものであることを明らかにする。「我は生
まれながらにしてこれを知る者にあらず。古(いにし)えを好み、敏
にしてもってこれを求むる者なり」(わたしの知識は天分によって得
られたわけではない。ただ先人の業績をしたって、それをたゆまず
研究しただけなのだ。述而、166)

 日本では一般名詞化している40才を「不惑」とよぶのも、論語に
由来することはいうまでもないが、この出典である孔子が自分の一
生を語ったとされる一文も、弟子たちが各自それを参考にすべきだ
という判断があって語られたのであろう。人生の成長発展の目安と
して、それぞれの年令でどのような状態になっているべきか、それ
ぞれの年令でどのような状態を目指して自己啓発して生きていくの
かを孔子は示してくれている。

「子曰く、われ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にし
て惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。
七十にして心の欲するところに従えども、矩を踰(こ)えず。」(わた
しは十五歳のときに学問によって身を立てようと決心した。三十歳
で自分の立場ができた。四十歳で自分の方向に確信をもった。五十
歳で天から与えられた使命を自覚した。六十歳で、誰の意見にも素
直に耳を傾けられるようになった。そして七十歳になると、自分を
おさえる努力をしないでも調和が保てる自在な境地に達した。
為政、20) 

 昨今では、平均寿命が伸びたので、五十で不惑でいいのではない
かといった意見にときどき出くわすが、私はそうは思わない。それ
なりの年令において、それなりの自己形成をせよという孔子の言葉
に忠実であるよう努力すべきではないだろうか。なんでも自分の都
合のいいように解釈して、だらだら甘えた生活を送るのは、けっし
て望ましいことではない。

 さて孔子はたくさんの弟子を見ているので、中には成長する者も
いたが、成長しないものもいた。「子曰く、苗にして秀でざるもの
あるかな。秀でて実らざるものあるかな」(苗のままで穂にならぬも
のがある。穂になっても、穂のままで実を結ばぬものがある。
子罕、226)

「子曰く、後世畏(おそ)るべし。いずくんぞ来者の今にしかざるを
知らんや。四十、五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るるに
足らざるのみ。」(年が若いのは、将来に希望があることだ。今後の
世代が、現在の世代を乗り越えて行かないとはいえないのだ。もっ
とも、四十なり五十になって、まだ何もできないようでは、その
希望も絵空事だが。子罕、227)

 孔子は、弟子が成長するかしないかは、四十歳で決まると思って
いたようだ。「子曰く、年四十にして悪(にく)まるるは、それ終わ
らんのみ」(四十歳になっても人にきらわれているようでは、その人
間はもうおしまいだね。)
  
 四十歳でひとかどの人物になれるかどうかは、十五歳からの学問
を始め、三十歳で一人前になるという発展段階を経て、さらに勉学
に励み続けたかどうかにかかっている。その勉学の態度は、「朝に
道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(道さえ会得できたなら、いつ
死んでも惜しくない、里仁、74)というように、死ぬまで続けなけれ
ばならない。自分がいつ死ぬかはわからないのだから、わからない
ことに心を煩わせるという無駄は省いて、余計なことを考えずひた
すら勉強しなさいという。

 自分に能力があるかないかとか、努力の結果成果があがるかどう
かとか、余計に悩むことなく愚直に努力を続けなさい。「力足らざ
る者は、中道にして廃す。今なんじは画(かぎ)れり」(力がつづかな
いならば中途まで行って倒れるはずではないか。それよりも自分か
らダメだと思い込むのがいけないのだよ、雍也、129)

 要するに、孔子が弟子たちに教えたことは、「篤く信じて学を好
み、死を守りて道を善くす」(まじめに勉強し、道の実現をはかる。
泰伯、197)につきる。それ以外の余分なことは一切考える必要はな
いのである。 
(2002.04.14)
==============================
異文化交流術 16 文化と空間(あるいは環境)

・ 「ある」ものではなく「つくられる」ものとしての文化
 エドワード・タイラーが文化の定義の中で、「社会の構成員とし
て人間が獲得する」ものとして文化を定義したことについて疑問が
呈せられたという話はきかない。
 しかしながら、実際に人々が文化を「獲得する」ものとしてきち
んと認識しているかとなると、ときどき疑わしくなることがある。
 文化は、獲得するものではなく、「そこにあるもの」として、
たとえば遺伝子によって生まれながらにして人間がもっているもの
としてとらえられている場合がある。
「民族の血」という、なんとなく情には訴えるたとえも、共同体を
維持するためのひとつの想像、もっと端的にいうと妄想にすぎない。
 あるいは、ユネスコの世界文化遺産として認定を受けた姫路城や
原爆ドームや合掌造りの民家の場合、建物それ自体を文化としてと
らえることは定義に合わない。
 姫路城は、そのように城を設計した能力を誰かが身につけていた
から設計されたのであり、その設計に基づいて必要な材料を集め実
際に城を建造した現場監督や職人や人夫がいたことによって実現し
た文化的産物であって、建物そのものが文化ではない。
文化とは、城の設計や建造に携わった人間たちの設計能力や建造能
力をさすのだ。
 原爆ドームが文化遺産として意味を持ちうるとすれば、戦争法に
おいて非戦闘員の無差別大量殺りくは禁止されていたにもかかわら
ず、原子爆弾という兵器を考案し実現し製造し使用した人間がいた
ことの証左としてであろう。そのような恐ろしい兵器を、考え付く
能力、作る能力、そして無辜なる民に対する投下を決断したアメリ
カのトルーマン大統領の決断を、深く歴史に刻み込むために、文化
遺産となっているのだ。
あの建物自体の建築的価値はまったく問題になっていないのである。
 白川郷や五箇山にある合掌造りの民家も、その建物自体を残すこ
とに意味があるのではなく、そのように民家を設計した先人の能力
、そこに人々が今も住み続けて民家を維持している知恵や技能を
伝承していることに意味がある。
 冷静に考えると、文化はまさしく後天的に「獲得する」ものであ
り、人間の精神活動・意識活動を可能ならしめた「能力や習性」な
のだということが理解できる。しばしば、このことが誤解されるの
は、従来文化を語るにあたって、時間の観念が抜け落ちてきたから
である。
 人間は、常に今を生きる。今だけしか生きられない。だから、
さまざまな学習やすり込みのプロセスの中で人間が「つくられる」
存在であることは、なかなか自覚されない。
 文化とはつくられるものなのである。これはタイラーの定義にお
いても確かめられていることなのだが、ついつい忘れられがちであ
るのだ。 

・ 「つくられる」場としての空間あるいは環境
 文化は人間が後天的に獲得するものである。
 まったく光のささない母の子宮の中で、胎児は母の体温によって
あたたかく包みこまれ、母の動きにしたがってゆらゆらと動く。母
の体内の消化器系や循環器系のさまざまな臓器のたてる柔らかなノ
イズと、やや遠くから聞こえてくる母や父の声や彼らの聴いている
音楽が、胎児の耳に入ってくる。胎教という言葉があるように、
胎児の意識形成はすでにこの時点で始まっている。
 誕生のとき、子供は「おぎゃー」と産声をあげる。産声は、暖か
く居心地のよかった母親の胎内への決別の声であり、あらたに自分
ひとりの身体で大宇宙と対峙していこうとすることへの決断の声で
ある。子供ととりまく、人間たち、建築物、自然、どれも直接子供
の目や耳や鼻や指先や足先や舌に対して刺激を与えはじめる。
 こうして文化の獲得プロセスがはじまる。

 人間は、環境の中で文化を獲得する。
 環境には、社会環境、自然環境、建築環境の三つがある。
 社会環境とは、まわりにいる人間たちのことである。まず親や兄
弟をはじめとする家族がいて、それから血縁、近所の住民や遊び友
達などの地縁があり、直接関係はもたないが人目として気になるよ
そ様がいる。また、学校や職場も文化獲得の上では大切な社会環境
である。これらの社会環境の中で、人は意識形成し、文化を身につ
ける。
 「旅の恥は掻き捨て」というが、意識の対象にならないくらい遠
いところに住む赤の他人は、文化形成には貢献していない。もちろ
ん、行ったこともない外国に住む人や、わけのわからない言葉を話
す外国人も、個人の意識形成には貢献していない。彼らは完全に意
識の外にいる。邪魔で目障りな時は認識され排斥の対象となる。

 自然環境とは、ひとことでいえば気候と風土である。
 年中日照り続きの荒涼とした砂漠で生まれ育つのと、四季があり
海の幸山の幸に恵まれたところで生まれ育つのとでは、形成される
人間の宗教意識が違っても不思議ではない。
 一神教のように強圧的な神の概念は、砂漠地帯だからこそ生まれ
たのだと思う。もともとはアラビア半島も緑豊かな土地だったのだ
が、人間が森林を伐採しつくしたことによって現在のような砂漠と
なった。そのような環境では、概念的な神しか思い付かないのかも
しれない。
 一方、十分な温度と雨に恵まれ、海や山のある土地では、季節が
あり、自然そのものが変化に富んでいて力強く、人々は山、岬、海
、川、滝、大木などそれぞれの場所に神が宿っていると思う。
 海によって外部から隔絶している島と、見渡す限りどこまでも
草原が続く平原とでは、人々の心のありようも文化もおのずと異な
ってくる。
 山の中で木の実や昆虫を取って遊んでいれば、季節ごとに取れる
木の実を覚え、何が食べられる茸で何が食べられない茸かを覚え、
虫に刺された時の応急処置や、道に迷ったときに取るべき行動など
を覚えていく。自然が残っていない都会においては、あまり覚える
ことがない。

 社会環境でもなく、自然環境でもないものとして、建築環境がある。
 人間は直接自然環境の中に寝泊まりするわけではない。人間は
毛皮によって体温を調節する機能をもっていないため、太古の昔か
ら、洞窟の中に住んだり、木や石を使って家を作ってすんでいた。
 時代とともに、大木や石を切ったり運搬する技術、測量の技術が
生まれ、大きな宮殿や宗教施設も造られるようになった。
 また、住民が都市に集中して住むようになると、都市計画が行わ
れるようになり、集合住宅や上下水道なども生まれた。
 今、我々が生活を送っている周囲を見渡すと、家も道路も公園も
、ことごとく人為的に造られた空間である。人為的というのは、誰
かが設計をしたということだ。よく考えたか、大して考えずに設計
したか、建築コストを優先したか快適さを優先したかなどの違いは
あるが、すべて建築空間は、人為的に設計される。
 都市空間や居住空間といった限られた範囲の空間であるが、建築
は人間の手で空間を造る技術である。
(2002.04.18)


コラム目次に戻る
トップページに戻る