868.『歴史の一線を越えるということ』



2002/4/8 MN
 『歴史の一線を越えるということ』
過去、歴史を振り返ると、ある一線の越えたとき、何かが大きく
うねり始めたり、動き出すことが多い。

例えば、1939年のナチス・ドイツのポーランド侵攻。あの境界
線が第2次世界大戦への一線だった。
例えば、1580年代の織田信長の安土城におけるご神体の一件。
将軍家をないがしろにするまでは許されたが、神とあがめられた
天皇家の一線を越えたとき、彼の「本能寺」は決まったのかもしれ
ない。
例えば、紀元前ローマ初の皇帝となったカエサル、元老院の排除を
画策し絶対的権力の座に着いた時点で彼の最後にこういう台詞を残
さなければならなかったのかもしれない。「ブルータス、お前もか
!」
他にも大なり小なりいくらでもあるだろう。ひょっとしたらそれは
既に手前からその要素の組成が行われていたかもしれないが、少な
くても「きっかけ」というものにおいては比類ない価値を持つだろ
う。ここに、それを「歴史の一線」と呼びたい。
さて、イスラエルが米英からの撤退要請を拒否したそうである。
イラクが原油を止めるらしい。
みなさん方にお伺いしたい。今回の「歴史の一線」は何になるのか
を・・・。
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宗教がらみですから、イスラエルがバチカンに爆弾投下でもして、
アメリカの内部的崩壊が、クッキリと、始まる。
これが、一線。

歴史は、人類の歴史として、始動を始める。
井上 
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(Fのコメント)
可能性があるのは、アラファトの殺害。シリアかヨルダンへの侵攻。
これにより、国連軍が組織されて、派遣される可能性がある。
すると、欧州・ロシア・アジア連合軍対米国志願兵・イスラエル軍
の戦いになる。第3次中東戦争で、米国の志願兵として、米国軍現
役の兵隊が、志願してイスラエルに航空機とともに送られた。この
兵隊は、米国ではなく、イスラエル軍として戦ったが、戦後また米
国軍に復帰している。イスラエルと米国は繋がっているのだ。

政治も同様。今、米国へネタニアフ元首相が行って、説得工作をし
ている。シャロン首相は、全軍事プロセスをチェイニー米国副大統
領に相談している。政治も繋がっているのです。

日本の評論家に、この視点が無さ過ぎです。このため、イスラエル
の問題は、米国のチェイニーとパウエルの戦いでもあるのです。
パウエルには、欧州勢とニューヨーク・タイムスやCFRなど民主
党や共和党のクラシックな保守派が着いている。チェイニーには
軍人と新保守派(ネオコン)が着いている。ライスは当初、チェイ
ニー派と思っていたが、パレスチナ問題では、どうも、パウエルに
同調しているようである。とうとう、米国の報道機関やジャーナリ
ストの多くも、チェイニーなどの軍人派に失望し始めている。

日本もパウエルに声援を送る必要がある。が、既に遅し、パウエル
の政権内孤立化にチェイニーは成功した。中東和平工作中に、イス
ラエル支援デモに政権要人が参加して、パウエルの工作を邪魔する。
チェイニーたちは戦争を起こしたのでしょうね。
国連のアナン事務総長の国連軍の派遣に米国は拒否をするでしょう
から、当面、手がない。放置すると、イラク・イランやシリアなど
のパレスチナ支援に動く。この動きがどうなるかだ。

もう歴史の一線は越えたようですよ。
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。ますますのご発展を期待しています。多謝。
竹富鉄一


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