862.感情表現と、自己表現について



感情表現と、自己表現について。

ISUZUKAさんの意見を拝見しながら、考えました。
たしかに、感情的になり過ぎるのもどうかと思いますが、ある意味
で、ちょっとは公の場でも感情を表すのも、演技のうちではないで
しょうか?

もちろん、行き過ぎた感情表現は子供じみて見られますが、たいて
いの場合、その人の人間性が明らかになるという点で、概ね西欧社
会では、プラスの評価に繋がることが多い気がします。

イタリア人などは喜怒哀楽の表し方が、普通の人でも役者より上手
いというくらいで、それが、一般レベルでも、彼らの社交上手に繋
がっているのを見ると、伊達に、自分の感情を隠してばかりいるの
が、本当に外交上、得策とは限らないと思います。

また、語学学習などの面で考えても、イタリア人のようなタイプの
人たちは、間違いを恐れずに、どんどん喋り、自己主張していくの
で、どんな言語に関しても、会話は特に上達が速いようです。
この点、たいていの日本人はその正反対だと思うのです。

あまりにも、文法上の正確さに固執し、間違いを恐れ、感情表現を
、身振り手振りで示すのも恥ずかしく、苦手な人が多いためもあり
ましょう。

しかし、外国語の会話に関しては、正確さより、むしろ自己表現が
必要なのです。
なにを言いたいか?それさえ、はっきりしていれば、なんとか伝え
られる、いや、伝えてやるのだ!
という意思を相手に示すことです。
そういうエネルギッシュで、情熱的なところが、外交にも、多少は
必要なのではないでしょうか?

かなり言語的に勉強している日本人でも、現地に行くと、意外と喋
れなかったり、あるいは、研究者で専門言語の国に行って喋れない
のを、自慢気にしている人までいて、これに関しては、まったく呆
れたものです。
恥ずかしいとしか言いようがない。

おそらく、外交でも詰まるところは、人間同士の対談、相手との関
係を作り上げる、あるいは、情報を交換するということから、
成り立つのであって、その基盤となる表現力の欠如は、由々しき問
題であろうと思うのです。

ここでは、単にその国の言語を流暢に操るということよりも、相手
に対して、説得力のある態度を取り、頑として譲らないところは譲
らない、また、柔軟であるべきところは柔軟に対処し、人間性や態
度、一貫性で相手の信頼を得ることです。

ほとんどの人間は、相手の人格判断するときに、かなりの部分を、
第一印象に負うと言われますから、そういう意味でも、見て分かる
くらい、全人格的に魅力ある人物が日本を代表することが、理想的
には望ましいでしょう。

そういう意味では、日本の人選は外交官に関しても、末端の大使館
員に至るまで、あまりにも問題が多い気がします。
おそらく、現在の程度の外交ならば、現地に在住する日本人に対し
て、ある程度の任務を兼任してもらうことで、人員削除しても十分
やっていけるはずですし、その方がよっぽど効率的で、現地の人と
の相互理解が高まることでしょう。

最終的な結論としては、大使館、領事館は不要、あるいは、無駄な
人員を最大限削減して、できる範囲からまず、民間に委託していく
べきではないかということです。
その国の事情に疎い、タライ回しで回ってくる外交官など、どんな
国にも不要です。

これは、海外に在住し、日本の大使館、領事館の無能ぶりを見るも
のの立場から、ぜひ提案させて頂きたいです。
そうすれば、経費も数倍削減できるのではないでしょうか?

CHOCO
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(Fのコメント)
全体的にCHOCOさんの意見に賛成です。
外交は、相手国との利害調整であるのですから、会話能力が無い、
相手の国情が分からないと、まともな交渉が出来ない可能性はある
と思います。しかし、外交は、もう一方で秘密が重要です。このた
め、あまり多くの人を関わらせることは出来ないと思う。

現地の日本人サポート業務は、現地を知らないとできないため、
この業務をまず、民間に開放するのがいいと思うが。


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