851.得丸コラム



養老天命反転地の正名論

 アメリカから日本を訪れた友人たちを同伴して、先週土曜日、ひ
さびさに養老天命反転地を訪れた。そのときに、帰りのタクシーの
中で交わした会話。

 ちなみに、反転地訪問後に訪れたうなぎ料亭魚仲の座敷に座って
ひと言感想を求めたところ、一人は、「楽しかった」、もう一人は
、「時代の先を行き過ぎている」だった。

 大垣駅に向かうタクシーの中で、彼らは、私がどう受け止めたか
を尋ねてきた。「君はどこが面白かったのか?」と。

「はじめて養老天命反転地を訪れたのは、6年前のこと。どんなとこ
ろかと期待してきたのだけど、最初はあまり面白くないと思った。

 でも使用法に書かれている言葉『何度も出たり入ったりして、そ
のつど違った入り口を通ること』、『この家を自分自身だと思うこ
と』、『思い掛けないことが起こったら、20秒間立ち止まって考える
こと』の通りに従って、最初の建物である『極限で似るものの家』
の中をあるいていた。

 30分ほど壁の間を通り抜けて、出たり入ったりしながら歩いてい
ただろうか。突然、僕よりも後からきた人たちの声が聞こえてきた
。『あ、トイレがあった』、『電話だ』

 それらの声は、頭の中を通りこして、そのまま僕の体の中で違和
感をひきおこした。
僕は何かを考えたのではない、僕の体の中からひとりでに言葉が生
まれてきたのだ。『違うよ』って。『そこではおしっこができない
んだよ。だからそれはトイレではない』『それは電話機の模型だけ
ど、受話器は上がらないし、プッシュボタンは動かない。どこにも
つながっていない電話機を電話と呼ぶの』

 僕はすでに歩き回ることによって、それらが使えないことを知っ
ていた。ところが後からきた人たちは見かけで判断して言葉を発し
た。それは僕から見ると明らかな間違いなんだ。でも彼らは、自分
の発した言葉が間違っていることに気づくこともなく、そのまま次
の場所に移動していった。

 僕は、まずそれがとても面白かった。」

 若いほうのアメリカ人が、「どうしてそれが面白いのかがわから
ない」としつこくくいさがる。「つながってなくても電話じゃない
の。おしっこできなくても、トイレではないの?」

「いいかい、君のうちに友達が遊びにくるよね。机の上には本物の
電話と、おもちゃの電話が並んでおいてある。その友達が、『ちょ
っと電話貸してね』といって、おもちゃの電話を手にとったときに
、君は『違うよ、そっちじゃないよ。もう一台のほうだ』って言わ
ないかい」

 僕はなんとか説明を試みるのだが、彼は納得がいかない。「でも
それは、本物の電話と、おもちゃの電話の話だから、いずれにして
も電話であることには変らないと思う。そんなことおもしろがって
何になるのかい。僕はそんなこと面白いとは思わないな」

「ものごとの本質が問題なんだよ。どこにも通じないときに、それ
を電話と呼ぶことが果たして正しい呼び方であるかってことだ。

 まだわからないかい。じゃあ、国会って何をするところか。国民
の代表が法律を創ったり、予算を審議するところだと学校ではなら
うよね。現実には、どのようなことが議論され、どのようにして物
事がきまっていっているのか。国会議員たちは日々何を考え何を行
っているのか。我々はそれについてあまりに気にしないできたので
はないか。

 たとえば昨今の日本の国会を、テレビ局はワイドショー的に利用
する。視聴者である日本人の多くは、国会がワイドショー化してい
ることを楽しんでいる。マキコがどうした、ムネオがどうしたと酒
の肴にしている。そもそも国会が何をするところかを忘れているか
らそんな態度がとれるのだ。

 ワイドショー化した国会を見て、『はたしてこれを国会と呼ぶこ
とは正しいのだろうか』、『はたしてこの人を国会議員と呼ぶこと
は正しいのだろうか』と感じることがマトモなのだけど、みんなそ
の感覚が麻痺してしまっているということだ。」

 アメリカ人の友人がどこまで理解できたかはわからないが、彼は
それ以上質問することをやめた。

 そのような感覚を取り戻すためには、もっと知らなければならな
いのだ。もっと世界のことを、政治や経済のことを知る必要がある
。その知り方も、単に頭の上の知識ではだめだ。全身を使って、体
全体を使って知ることが大切だ。

 人々や動植物やこの惑星を愛さなければならない。この宇宙の中
にあるすべてのものと自分を一体化する必要がある。

 養老天命反転地で最初に経験することは、不思議な家の中にある
おもちゃの電話や使えないトイレとなじむことだ。それらを見て、
手でさわって、体で感じて、それらのものの見かけと、本質との両
方を把握してあげる必要がある。つまりそれらのおもちゃや模型が
、本来もっていなければならない機能をもっていないという厳粛な
事実と自分自身を、概念の助けなしにつなげてあげるのだ。

 これは養老天命反転地の最初のレッスンだ。ただたったこれだけ
のレッスンでも、学べずに帰る人が実に多いのは残念なことだ。

 これは論語・子路篇にいう正名論に通ずる。子路が政治において
一番最初に手をつけることは何ですかと孔子に尋ねたところ、孔子
は「必ずや名を正さん」(まず呼び名と内実の一致を整理する)と
いう。子路がなかなか理解できなかったので、孔子はさらに言葉を
続ける。その部分は読み下し文で紹介しよう。名を正すことは、
すべての根本にあるのだ。

「名正しからざれば、言うこと順ならず。言うこと順ならざれば、
事成らず。事成らざれば、礼楽興らず。礼楽興らざれば、刑罰中ら
ず。刑罰中らざれば、民手を措くところなし。故に君子はこれを名
すれば、必ず言うべきなり。これを言えば必ず行うべきなり。君子
は其の言において、苟くもするところ無きのみ」

(得丸久文、2002.03.25)
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コロボックル用原稿 

子供心という本能

 私は2年前から日本海の海洋汚染を監視する仕事についている。
それも人工衛星による地球観測技術を使ってという条件がついてい
た。
 この仕事につく前に、海外出張の合間を利用して、アメリカやヨ
ーロッパの研究者たちに「そもそもそんなことが可能なのか」と
自主的な聞き取り調査を行ったところ、地球観測衛星で海洋汚染の
監視は無理だ、一時的に実験をしたことはあるが今は誰もそんなこ
とはやっていない、という声が返ってきた。
 それをそのまま雇用主に伝えると、「もう決まったことですから
(見通しがどうあれ、結果がどうあれ、実施します)」という。
臨機応変という言葉の対極の言葉。
 それなら仕方がない、人工衛星による地球観測技術を、意味のあ
る情報へと変換するためには、実に多岐にわたる知識と総合力や統
計処理や直観力が必要とされるので、私は駄目もとのチャレンジ精
神でこの仕事を引き受けることにした。
 それで富山県にある財団に3年契約でやってきた。きてみると、
当然のことながら前任者がいるわけではなく、同僚に海洋学者や生
物学者や化学者がいるわけでもなく、誰かが何かを助けてくれると
いうこともない。まったく孤立無援な環境だった。いわば「名刺折
り曲げ事件」にあった長野県の田中知事とおなじような環境で仕事
することになったのだった。
 幸いなことに私は10年前に2年間ほど知的退廃の雰囲気が漂う国際
機関で働いたことがある。そのときの経験があるので、少々のこと
では驚かないし、へこたれなくなっている。
 赴任する前に、どうすれば何か意味のある仕事に結びつくかと考
えに考えたところ、何はともあれ人工衛星のデータを自分で受信し
てみることだという結論になり、それを関係者に提案した。

 いくつもの幸運と、いくつもの良き出合いと、これまでに自分が
蓄積した技術的知識やシステム構築力(これはひとつの思想と呼べ
る)が結びついて、驚くほど短い期間で人工衛星の受信局と、そこ
で受信した衛星画像の雲状況と海面水温データをインターネット上
で公開するシステムがさきごろ完成し実際の運用を始めた。
 urlは、http://www.nowpap3.go.jp/jsw/ である。24時間無人で、
人工衛星が日本や日本近海上空を通過するたびに可視光線、近赤外
線、熱赤外線などの地上からの反射や放射を観測するデータを受信
し、記録し、受信領域内にどれくらい雲があるかがひと目でわかる
画像と、海面温度のJPEG画像を公開している。衛星は一日に20回近
く通過するが、その都度、衛星通過から15分以内には新しい画像が
登録されることになっている。(実際にはそれらのデータを処理解析
するのが本業だが、データ検索機能だけひろく一般公開しているの
である。研究者は別のurlでデータの注文をすることができることに
なっている)
 ぜひともお気に入りのサイトに登録して、ときどきでいいから覗
いてみてほしい。

 さて、このサイトがヤフーに登録された。私としては海洋とか、
地球観測にカテゴリーされるものと思っていたところ、なんと、
地球>気象>各種画像というカテゴリーになっていた。なるほど雲
の状況や海面水温がリアルタイムでわかるサイトであれば気象とし
て扱うほうが正しいのかもしれない。
 驚いたのは、同じカテゴリーに自作のアンテナや受信装置で私と
同じ衛星の観測データを受信している人のサイトがあったことだ。
http://member.nifty.ne.jp/~kajikawa/
 ちなみに私の受信局の場合は、アメリカ製の受信装置と、日本の
宇宙航空専門の電気会社のつくったデータベースソフトウエアをベ
ースにして、細々としたソフトウエア改良をしてもらったので、
人手もお金もかかっている。
 なんとそれを個人の力で、ホームセンターで買ってきた洗濯物干
しや自転車のリムや金網を組み合わせたアンテナと、自作のアンテ
ナ制御装置やアンプで、実現している方がおられたのだ。
 ただ受信するだけではなく、きれいな雲の画像が、コンパクトな
サイズのJPEG画像として解説付きで公開されている。
 正直言って、びっくりした。恐れ入った。このようなサイトがあ
ることを今まで知らずにきたことが恥ずかしかった。気象>各種画
像にカテゴリーしてくれたヤフーに感謝するとともに、仲間に紹介
しまくっている。

 実はアメリカのNASAやNOAAの研究所から、友人たちが受信局の開
局祝いに富山まで駆け付けてくれたのだが、そのうちの一人がこの
サイトを見つけた翌日に東京で講演会をすることになっていた。
万一この手作り受信局のオーナーに会えたらいいなと思って、HPに
あったメールアドレスに「明日の晩、東京でNOAAの科学者の講演会
があります。東京近郊にお住まいで、ご都合がよろしければいらし
てください。私の携帯は、、、」と書き送った。
 すると、翌日の講演会にきてくださり、その後の二次会にも参加
いただき、実にいい出会いと懇親の機会をもつことができた。アメ
リカからきた友人も、心の底から喜んでくれ、帰国早々に「あの人
のHPのアドレスを教えてくれ」とメールが届いた。
 会ってみると、この方は大手コンピュータ会社の役員をされてお
られたが、アマチュア無線をやっており、自分でラジオや無線機を
組み立てた元祖「電波少年」であった。
まるで純真な子供のようにキラキラとした目をして、「はじめて人
工衛星の画像を受けた時、それが地図に描いてある姿と同じだった
ので、感動した」そうだ。「でもね女房はわかってくれないんです
よ」とおっしゃっていた。わかる、わかる。

 私は、ひさしぶりに純粋無垢な子供心に触れた思いがした。人間
はだれしもこの子供心、正確にいえば知的好奇心を持っている。新
しいものに目を光らせ、発見の喜びに心を踊らせる。それを死ぬま
で持ち続けることができたら、それだけで幸せな人生なんだと思う。
 子供心の知的好奇心は、実にわがままで次々に新しい要求をつき
つけてくるから、それを常に満足させるためには、よっぽどの面白
いテーマと、相当の情熱と継続力が必要になる。多くの人の場合は
、それを持続させることができず、子供心は死んでしまう。
 子供心によって人間が進化をとげてきたことは、ダビッド・ジョ
ナス「マン・チャイルド」、デズモンド・モリス「裸のサル」、
ライワル・ワトソン「ネオフィリア」などにも書かれていることだ
。ワトソンの「ネオフィリア」には、人工衛星が撮影した地球の写
真によって受けた衝撃についても書いてある。
 同じ意味の言葉は論語の中にもある。

「葉公、孔子を子路に問う。子路対(こた)えず。子曰く、女(なんじ
)なんぞ言わざる。
其の人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しんでもって憂いを忘れ
、老いの将に至らんとするを知らざるのみと」(述而)

 ものごとに熱中すると食事を取ることすら忘れ、心の底から楽し
むから日頃の憂いもどこかに消し飛んでしまい、自分が老境にさし
かかっていることも忘れて子供心のままに生きている。

 孔子は自分のことをこのように表現せよと子路に命じた。この純
真な知を愛する心こそ、2500年前から変らぬ人間の大切な本能なの
ではないだろうか。
(得丸久文、2002.03.27)


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