833−1.デフレ対策



デフレ対策を政府はどう考えているかチェックし、この問題を検討
しよう。                Fより

我々、デフレの現場にいると、毎年毎年製品価格が下がる。その下
がり方が、半分とか30%とかの下がり方であり、10%や15%
という対策の打てるレベルではないのです。このため、中国やアジ
アにアセンブリ工程やソフト開発を持っていくしかない。
日本でのアセンブリでは価格競争のレベルにもいかない。

小泉内閣に批判的とのコメントをいただくが、私Fは今でも小泉さ
んを支持しています。今までの小泉内閣の政策はこのコラムの主張
と同じでしたから、今後も、このコラムの主張どおりの政策を実行
していただけると、期待するからです。事実、外務省改革は、期待
値以上で、小泉さんは確かに問題を構造化して解決に向けて実行し
ています。田中さんを外して、川口さんにして成功であると評価で
きるのです。

しかし、このデフレ現象ではデフレ対策としての金融政策とデフレ
の間を繋ぐ明快な論理を私は、見出せないのです。3月を乗り越え
るだけの短期的な対策でしかないなら分かるが、竹中さんのやって
いることは本格的な対策とは言えないと思うのですが???

どうして、現状を直視して、現象を把握して、問題を構造化しない
のでしょうね。まだまだ、日本の構造改革は始まったばかりです。
知的国家化に何が必要かの議論を政府が率先して、国民とともに行
うしかないと思うのですが。そして、このコラムも、小泉改革の
お供をさせてほしいのです。今こそ、日本の百年の計を立てるしか
ない。骨太の議論をするべきでしょうね。

今、一番必要なのは金融政策だけではなく、産業政策や社会改革も
必要なのです。金融政策だけとするなら、大幅な円安か大幅な元高
か地域通貨のような保持すると減額となる仕組みしかない。しかし
、この大幅円安は、ハイパー・インフレという国民の富を大きく損
なうことになると思う。よって、金融政策だけでは問題を解決でき
ない。

堺屋さんが言うとおり、素人の発想とTQCの愚直な実行を求めま
す。それより、小泉内閣にこの事態を理解している助言者を入れる
べきではないですか??
だいたい、評論家として、この2年ほどで当りが多かった評論家は
数が少ない。数人しかいない。どうか、その人を顧問にしてくださ
い。
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小泉内閣メールマガジン 第37号 =================== 2002/03/07

● デフレ対策(経済財政政策担当大臣 竹中平蔵)

 2月27日の経済財政諮問会議で、政府のデフレ対策(正式には
「早急に取り組むべきデフレ対応策」)が報告されました。これは
、遡ること2週間前に小泉総理から関係大臣に対し、金融面を重視
してデフレ対策を検討するように、という指示を受けて行なわれた
ものでした。

 ご存知のように『デフレ』というのは、モノやサービスの値段が
継続的に下落する状況を言います。でも多くの方は次のように思う
かも知れません。
「日本の物価は諸外国に比べて高すぎる、と言われてきたはずだ。
だったら日本の物価が下がるのは良いことじゃないか・・・」。
こうした主張は、確かに理解できることです。また企業の方々にと
っても、コスト・ダウンは当然のことであり、価格低下のいったい
何が問題なのか、と思うかも知れません。

 でも考えて下さい。「物価が下がるのは良いことだ」と言う時、
自然に一つのことを前提にしているのではないでしょうか。「自分
の給料が変わらなければ・・・・・」

 デフレが続けば、結局は自分の給料も下がり始めます。だからこ
そデフレは、解決しなければならない政策問題なのです。特に、
多額の借入金で企業や個人が悩んでいる今のような状況では、デフ
レ克服は重要です。なぜなら、価格が下がり売上(収入)が低下し
ても、過去の借金は価格に関係なくもとのままだからです。つまり
デフレは、借り入れの実質的な負担を大きくしてしまうのです。

 今回政府は、金融面に重点を置いて、(1)不良債権処理、
(2)金融システム安定化、(3)市場対策、(4)中小企業など
への貸し渋り対策、といった分野で早急に実施されるべき政策をま
とめました。さらには日本銀行の金融政策も含め、政府と日本銀行
が一体となってデフレ阻止に取り組む覚悟です。

 もちろん、デフレの解決は容易なことではありません。『改革と
展望』で「今後2年程度の集中調整期間・・・において最も重要な
ことはデフレを克服すること・・・」と述べたように、時間がかか
ることも覚悟する必要があります。今回の措置は、デフレ克服に向
けた長い戦いの第一歩であると考えています。

※ 「早急に取り組むべきデフレ対応策」
 http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2002/0227defure.html
※ 「改革と展望」(構造改革と経済財政の中期展望)
 http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2002/0125tenbou.html
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● 改革とは「未知」を恐れぬことだ(内閣特別顧問 堺屋太一)

 イギリスでは、カトリック教徒の国王を追放して、オランダから
新教徒を国王として迎え入れた1688年の政変を名誉革命
(Glorious Revolution)と呼んでいる。流血の惨事なくして政治体制
を改められたからだ。

 流血の惨事が少なくして大変革を実現したという点では、日本の
明治維新も名誉ある改革といえるだろう。幕末には「蛤御門の変」
や長州戦争、様々な暗殺事件などがあった。維新の際には鳥羽伏見
の戦いに端を発する戊辰戦争があり、数千人の死傷者が出た。それ
でも、イギリス以外の諸外国の近代革命に比べると人的物的損失は
ずっと少なく、動乱の期間も短かった。

 その反面、明治維新における改革革新の度合いは、どの国の近代
革命よりも徹底している。明治維新は政治体制や社会構造を変えた
だけではなく、行政軍事の組織から各種産業職種の末端まで、仕組
みと仕方と人材と目標を変えた。

 明治維新政府の中枢を担った人々は、旧幕時代の政治家や官僚で
はなかった。維新の推進力となった薩長の上層部からの横滑りでも
ない。中央政界にはもちろん、地方行政にさえ携わったことのない
階層の出身者だった。

 同様のことは各分野で起こった。明治の軍隊は旧幕時代の軍事組
織とは何の繋がりもない。大名が将軍になったわけでも旗本や家老
が将校になったわけでもない。旧時代の組織や人材とは一切関係な
く、新しい陸海軍を創ったのだ。

 産業経済分野もそうだ。江戸時代の金融機関、両替屋が銀行にな
ったわけではない。全国の両替屋を廃業させ、新たに出資者を募っ
て銀行をつくらせた。廻船問屋を助成して汽船会社をやらせたわけ
でも、飛脚屋に郵便事業をやらせたわけでもない。汽船は土佐の
岩崎弥太郎(三菱の創始者)らにやらせ、郵便は越後出身の前島密
の提言を入れて、全国一律料金切手貼りの近代事業として行った。
いわば未知未経験の素人に委ねたのである。

 もちろん、金利計算も帳付けもおぼつかない人々に銀行をやらせ
ることにも、未経験者に海運や郵便を行わせることにも、危惧と
危険はあった。しかし、だからこそ、前時代のしがらみや既成の
概念にとらわれることなく、理想的な近代組織と新式手法が採用で
きた。

 大改革は、未知と未経験を恐れず、新しい理想と素人の知恵を生
かすことからはじまるものだ。明治の志士はそれを見事にやっての
けたのである。

※ 執筆者の紹介
 http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2002/sakaiya.html


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